2012年04月22日

(続)「西欧資本主義が特殊化し近代型国家ができていった背景とは?」: オランダにおける流通・金融システムの洗練とイギリスにおける近代型財政の構築





読み進めてたら以下のエントリで勘違いあったようなので修正


近世から近代初頭のなんとなくのポイントとして「西欧資本主義が特殊化し近代型国家ができていった背景とは?」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/265961953.html




エントリ的には「分裂国家でも商売的合理性あれば中央集権に勝つ効率性があるよ」とし「国家の近代化にとって啓蒙主義は関係ない(それが関係あるとされたのは後付けの進歩史観的イデオロギーではないか?)」としたのだけれど、この辺りの捉え方がビミョーぽい。


17cオランダのヘゲモニーが破れていったのは国家財政的な強さを構築できなかったから。それは国家の戦争の借金処理として80年戦争周辺のオランダが(税金ではなく)公債を利用していたのに対してイギリスが国債を利用していたことなどに表れてくる。早熟の商人経済(近代経済)ではあったが近代的経済国家ではなかった。

よく理解してないけど、オランダのような商人連合の短期的収益への合理性(功利主義)が結果的に総和していったものよりも、長期的視点から国家を財政として整え、国家経営・運営を考える方が国家としては強くなる、ということか。そういった統一的国家運営のためには中央集権が必要になる。


中央集権をしつつも前時代の恣意的な王権のようなおーざっぱな国家運営をさせないためには中央集権だけではなく議会制民主主義を認めさせるような言説が必要だっただろうけど、そういったものは啓蒙主義的思考の系譜の中ででてきたのだろうか?


あてずっぽうでいうとロック、ルソーなんかその辺になるのかなと思うけど。ちなみにロックやデカルト、スピノザなどといった思想家は黄金時代のアムステルダムに住んでいたようで、「近代国家とは議会制民主主義と中央集権」+「そのような考えは啓蒙主義(の中でも新しい政体-国家を創りだそうという思考潮流)によって培われた」とするならばロックがオランダの国の組織づくりに影響をあたえなかったことには疑問が残る。

あと、社会契約論とかで国家のまっとうな運営については具体的に論じられていたのかなぁ、とか


いちおまとめると

<近代型経済は流通・金融に関わる商業システムが洗練・共通化されていくことによってオランダで形成されたが、近代型国家の基盤としての財政制度などはイギリスで構築されていった>




ほかに前のエントリではヨーロッパの資本主義のそれまでのものとの違いとは<プランテーションや工場労働などのモノカルチャー的富の無限増殖による>としたんだけど、そうではなくてもっとぢみに、<「商業活動にシステムが洗練され、統一フォーマットになって行くことで取引コストが減って行ったから>、とかなんとか

・・?それはヨーロッパ国内における経費のリストラクションであって中国との貿易とは直接関係ないのでは?・・って貿易差額的あたまだとどうもピンとこないんだけど、中国とかから富を吸い出せたのは中国とも世界経済として一体化してたから…かなぁ?




あとは本のメモ的に箇条書き


--

(17)銀はヨーロッパからアジアに流出していたが1750年ごろからそれが逆転した。

※この頃からヨーロッパ経済がアジア経済に勝っていった数字的証拠?



(20)この頃にヨーロッパが発展した3つの要因と思われるもの


(1)経済成長に対する国家の介入:

国家が保護によってすることによって商人の取引費用減る → そのぶん交易が盛んになり関税収入が国庫に入る

イギリスのような保護貿易の後の繁栄を説明するには好都合だが…



(2)商人ネットワークの拡大:

商業帳簿・通信文・契約書類などといった同質性を持った商業作法・商業システムがヨーロッパ内で共通化することで取引コストが減った。




(3)中立国・中立都市の役割

戦争が生じても中立国の端を掲げれば入港でき取引が続けられた


※(1)(2)(3)の理由からだと<商売を円滑・持続的に進められる仕組みをつくったのでアジアよりもヨーロッパのほうが富が集積していった>と読める。




※オランダ発展スタートダッシュの条件的なものとして


最初に16ー17cの人口増加(1500年8100万人 → 1600年1億400万人)に対応する様にポーランドからの穀物(小麦)、バルト海(スウェーデン)からの船舶用資材輸送で流通利鞘稼ぎ

それがピークに達するのと交代する様にスウェーデンに鉱山開発技術をプロデュースしてドイツ・スペインに代わる武器材料国を確保

武器製造産業を発達させ80年戦争そのものを食い物にした(戦費用に借金しつつも公債などの金融システム、武器製造産業の発達、中心的ゲートウェイ港として中継貿易の手数料を稼いだ  (貿易差額ではなく流通業の取引コスト収益で稼いだ)

そこで蓄えた富を投資アイテムをいくつかつくって回し膨らます(デリバティブが生まれたのも当時のオランダ)



※当時のオランダは商業資本主義(貿易差額による利ざや)、対してイギリスは産業資本主義であり、<単純な貿易利ざやに終始し産業資本主義を興せなかったオランダが後塵を拝した>、とされがちだがオランダは商業取引ではなくハブ港としての手数料収入を中心として稼いでいたみたい。あとハブとして情報や金融の仲介業を行ったり。武器貿易の中心としてあつまった軍事情報をうまく戦争に利用してすくない資源(兵員)で効果的に戦争に勝っていった。



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なぜ、オランダは17cになって急にイタリア都市国家に代るようになったのか? - Togetter
http://togetter.com/li/289478


※ヴェネツィアからアントワープ、アムステルダムに商業中心地が移る経緯を複数から。フランドル・ブルゴーニュ公が絡んでブリュージュが開発されていったことからの流れぽい。


posted by m_um_u at 18:03 | Comment(0) | TrackBack(1) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク
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