2011年09月13日

「人はより恣意性や感情を排したシステムに近づいていけるのだろうか」とぼんやり


結婚とか長い付き合いみたいなのについてこないだからぼーっと考えてる。けっきょく答えはでないのだろうけど



「男ってなんで浮気するんでしょうね?」というところから、一緒にやっていく際の根拠のような話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/224412034.html



結論としては「それを当然と思わず、その時々において、(世間や法制度的常識とは関係のない)自分達なりの根拠を厚意の交換と蓄積によって重ねていく」ということだった



「親密性の変容」は未だ読了してないんだけど



資源の有限性と共同体 ≪ Soul for Sale
http://blog.szk.cc/2010/07/28/finite-nature-of-resources-and-community/


近代以前の共同体の規範は生産関係に依存し、限られた資源を効率的に運用するために共同体の長の元にピラミッド構造となり、その成員たちには「自由」という観念自体がなかった


それに対して近代的な家族共同体では一見『自由』が称揚される


しかし、そこでは資源が無限にあるという状態が前提にされてるだけで、実際は一部の人にとってしか資源は無限ではないので、ともすれば資源無限を前提とした『自由』はセレブたちによる抑圧的観念となる。



「最初は保守-バンドルを抜けるために編み出された概念が、いつのまにか保守的な枷となる」というのは「女子力」の話と一緒



モード・アングレ(長弓戦術)としての「女子力」の運用、その出自と変遷   〜安野モヨコ上級士官の場合: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/225495332.html




なので、「そういった世間的規範にとらわれず自分達なりの厚意の交換を積み重ねていくべきだ」、としたわけだけど



対幻想的な領域で自分達の認識をあらためても、それを囲む親族たちの考え方が前時代的因習を孕んでいたら、それが地味に積み重なって重石になっていくのだろう



私の結婚を喜ばない家族たち|杉本彩オフィシャルブログ 杉本彩のBeauty ブログ Powered by Ameba
http://ameblo.jp/sugimoto-aya/entry-11009882898.html



いくら社会的、第三者的にみて合理的なことを言っていても、家族という間柄ではその合理性は無化される


「難しいことはわからんけど、わたしたち仲良くしたいだけなのになんであんたいつもこじらせるの?」「はぁ?あんたの言ってることは屁理屈でよくわからんよ」といった感じで


そこでは言葉の合理性以外の普段の力関係が話し合いの妥当性をメタで支配し、最終的に単純に「いい人」かどうかだけが問題になる

で、うやむやにしてるうちに資源が減っていき骨肉の争いになるのだろう




そういったむき出しの前近代的暴力に対して距離をとって自分の大事な部分はさらさないようにする、というのが「ふつー」の理性的な人のあり方だろうか



[書評]明暗(夏目漱石): 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/03/post_dc03.html


[書評]続明暗(水村美苗): 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2011/06/post-afef.html



それでもなお下品な暴力性は追いかけてきたり、あるいは自分自身の中から湧き上がる本能のような感情を抑え切れない時もあろうが


性や金、子供、それに絡んだ嫉妬、愛憎というやつ







人類が補完されるというのなら、こういった理性からすると無駄におもえるような煩悩を廃して欲しいと思う



「エヴァ破」をめぐる「父性」「母性」「愛」のあり方と行方みたいな話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/223289573.html




近代が理性と知性を託した機構の総体が国家であり、前近代的には教皇-教会や王が現世的代行者としてその役割を兼ねたのだろうけど


現世の人々の父にして掟、超自我として人を律し守るもの




あるいは、前近代では生まれていなかった私(自我)が近代に入って人々の中に分散していったために、それをさらに統べる樹として要請されたのが「国家」ということだったか


前近代の王や教皇といった属人的で恣意的なブレのある審級ではなく、人格的ブレを排した制度の連結としての無機質でブレのない審級。魂の入ってない父として。その姿はエヴァのリリスに重なる



そこにブレが生じてしまうのはメタに入り組んだ制度の複雑さを統制する頭脳とネットワークが未完成だからだろうし、その運用に極めてブレのある「人」という要素が絡んでるから



スーパーコンピュータとしての国家が完成してしまえば、そしてそれらがきちんとネットワークして帝国的つながりを持ち人の恣意性を排すれば、人類の生活は向上されるだろう



そういった完全な計画性が「共産主義」や「<帝国>」といったSF的なおそれを孕むのは、そこに人という要素が絡んできたから



その意味ではこの文脈でのリトルピープルというのは単なるマルチチュード的賑やかしと言える


[書評]リトル・ピープルの時代(宇野常寛): 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2011/09/post-335e.html




「システムにとってはゆらぎが必要」「新陳代謝が必要」「そのためには人というゆらぎが必要」みたいな話はきちんとシステムの骨格が固まってからの話だろう


そういった形でなら牛河から生まれたリトルピープルにも可能性があるのかなぁ、とぼんやり






子が自らが創りだした父を支えていくという過程


父の張り子に見守られることで、子は自らを律することができるのだろうか




あるいは、そういった形で厳格で常に正しい父を作りつつ「正しい」部分は父に預けて子はそのとんがったベタ具合をメタで自嘲し哂うか(ユーモア?)



超自我と文化=文明化の問題 - 柄谷行人
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/sakabe.html




性や金を基本とした世間ずれから一線引くように






そういった余裕も資源が半ば無限になれば可能か、と新たなゴールドラッシュに期待するけど…




国家-<帝国>の完成にしても、新たな資源の採掘にしてもそれを決めるのは人の意志ということで、やはり人というソフトステートが深化していくべきなのだろうな





まず目の前にある対幻想と、そこから拡がる家族-親族の問題



ほとんどの場合、現実的には親族の暴力性に対して亀のように首をひっこめてやり過ごすのが堅実なのだろうけど、せめて対幻想領域では互いの権力性や感情的固執を相対化し、厚意を重ねていけたらと思う



離婚して1年して思うこと
http://anond.hatelabo.jp/20080422130401










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国家-経済システムの違いと家族的規定で、再びトッドについてちょっとメモ(家族共同体において規範は生産関係に依存し、それが経済システムやエートスと関係するか?など)










































m_um_uトッドのギロンだと、「(ともすれば、いわゆる「文明の衝突」としておーざっぱに理解される)米国とイスラム圏の対立の構図は、資本主義 vs イスラム圏域のエートスの争いと理解されているであろうが、その経済エートスの規定となるのはそれぞれの文化圏の家族制度の違いだ」、ということからかな2011/09/12
02:38:19
link
m_um_uなので @liyehuku が肌で感じたそれぞれの国の家族の感覚の違いの実感なんかはほんとに興味あるのねわたし http://t.co/7tAoBto http://t.co/5EWMZjY http://t.co/S8yL2y22011/09/12
02:40:10
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m_um_uまぁ家族的親密圏におけるリソースの交換関係および権力関係、と、政治・経済圏あるいは両者の中間領域としての公共圏におけるリソースの交換関係や権力関係のあり方は違う、だろけど。後者のほうがより明示化され制度的になるわけだし2011/09/12
02:42:11
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m_um_uその中間項としてメディウムがくるのだよね。だから識字とか出版とか貨幣といったものがここで変数(トリックスター)として絡む。その部分の中世ヨーロッパの主要アクターは商人だったし2011/09/12
02:43:35
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m_um_u日本の家族制度とその周辺のリソースの関係は特殊とされるけど、これもそういった体系の亜型として一般化して考えてみたいのよね。民俗学周りのモデルとして一般化されてないお話みつつ。吉野裕子さんなんかは課題図書だけど2011/09/12
02:45:41
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以前の「トッドよむよむメモ」


「性的禁忌」「家族」「国家」「文明」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/215314247.html?1310898475



「資本主義は巨大なくじら」というお話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/135386246.html?1260565305



タグ:国家 家族 恋愛
posted by m_um_u at 22:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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