2011年08月30日

「エヴァ破」をめぐる「父性」「母性」「愛」のあり方と行方みたいな話


エヴァの「破」をいまごろみて、関連で最近読んだものとかでうにうに言いたくなったので





ハード面の設定なんかはこの辺でだいたい解説されていて


新世紀エヴァンゲリオンの用語一覧 - Wikipedia
http://tinyurl.com/krlxrm


新劇場版で期待されるのはそこからのトリビアルな違いぐらいなのかなぁと思ったりするんだけど、個人的には直近のエントリもあって男の愛情とか女の愛情みたいなものの行方、それを受けた人間ドラマ→成長をどのように表していっているのかなぁというところをぼんやり想ったりした



それらの原型は「式日」に集約されると思っていて


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エヴァ同様、「式日」も結論が出されていなかった



それは同作品がメンヘラな少女との関係を題材としたものであり、そういったコミュニケーションというのはなにかひとつの正しい答えがあるというものではなく、単に寄り添い、あるいは一緒に破滅の道を歩んでいくのもひとつの答えであることがままあるから

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「新世紀エヴァンゲリオン」で有名な庵野監督の実写映画です。庵野監督の故郷である山口県宇部市でロケを行っており、「さびれた工業都市」という雰囲気がこの映画のどこか虚無的なところに非常にマッチしています。原作は藤谷文子さんの「逃避夢」という小説ですが、その原作者自らがヒロインの「彼女」役を演じており、また、ヒロインの相手役の映画監督の「カントク」役も実際の映画監督である岩井俊二氏が演じているなど、かなり現実とオーバーラップしたようなキャスティングをしているところも特徴的です。



物語は、一言で言ってしまえば「現実逃避を続ける少女の再生の物語」で、庵野監督が「エヴァ」や「彼氏彼女の事情」などで追求してきたテーマを実写版でよりディープに真正面から捉えた作品といった感じでしょうか。「エヴァ」のような複雑なストーリーも複線もない、わりとシンプルな物語なのですが、そこはさすがに庵野監督ですので、赤を基調としたその幻想的な映像の美しさや、心に響く台詞やシーンの数々、そして「彼女」から伝わってくる心の「痛み」が、この映画を素晴らしい作品へと昇華させています。かなり重い作品ではありますが、最後のシーンの「彼女」の台詞と笑顔、そしてエンディングのCoccoの歌を聴きながら、私は涙があふれるのを止められませんでした。



この映画は、ヒロインの「彼女」と同じように、孤独や心の痛みを抱えた人、人生を「生きづらい」と感じている人、現在を生きることができず過去に縛られている人、家族の愛情を十分受けられなかった人、そういった人たちには非常に「痛い」作品で、同時に、大きな癒しを与えてくれる作品でもあると思います。しかし、そうでない人にはさっぱり意味不明の映画かも知れません(苦笑)。



フィクションではあったけど庵野の心象を表していたように想えた作品



ここで傷ついた少女は「エヴァ」のアスカであったか(紅の色もそれを想起させた)




エヴァのオモテ面、ハードな設定としては「使徒」と呼ばれる人類以前の生命体と人類(リリン)が地球の覇権を掛けて争う物語

同時に、それらの戦いを通じて生じる未知との遭遇的な出会い(インパクト)によって人類が肉体を超えた高位の存在へと昇華するための計画をかけた争い、ということになっている


勢力としては父なる「アダム」と「使徒」、それらに対する「人類」(リリン)とその中枢組織としての秘密結社「ゼーレ」と日本における実行機関としての「ネルフ」


「人類補完計画」は人類を高位の存在に「進化」させるための計画とされる


しかし「ゼーレ」と「ネルフ」とでは思惑が異なり、ゼーレは単に現行の人類をより情報的なものとしての高位の存在に高めようと画策するだけだが、ネルフを指揮する碇ゲンドウと冬月コウゾウは最愛の人、碇ユイの再生を計画の重点とする


そのための計画のすれ違いと確執が最終話近くでの「ゼーレ vs. ネルフ」の形で表れた、という設定



こういった基軸にいくつかの作品へのオマージュが散りばめられる



新世紀エヴァンゲリオン - Wikipedia
監督の庵野は学生時代に『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』のアニメブームを体験している。『宇宙戦艦ヤマト』に関しては庵野作品全般に、オマージュととれるシーンが存在する。『機動戦士ガンダム』に関しては庵野自身『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のメカニックデザインを担当していた。また、『逆襲のシャア』に関してはスタッフにインタビューした同人誌を出版している。1993年放送の『機動戦士Vガンダム』を庵野は高く評価しており、VガンダムのDVDブックレットに、この作品にハマらなかったら僕は「新世紀エヴァンゲリオン」を作る前にアニメを辞めてたかもしれない、あるいは「エヴァ」みたいなものを作る気にはならなかったと思うと語っている。実際にこの2作品の主人公の名前が嘘と真実をもじったウッソとシンジであったり、父との確執や人類を強制睡眠状態にして滅亡させる計画、一部キャラクターデザインや設定の類似など、いくつかの影響もみられる。本作の第1話は『機動戦士ガンダム』の第1話を強く意識しており、庵野はガンダムの1話を全て時系列またはチャートにまとめ、それをホワイトボードに書き出し、「これには敵わない、完璧だ」と発言している。第1話で主人公が巨大ロボットに乗り込むことや、主人公の父が科学者であることなど『マジンガーZ』から続くロボットアニメのお約束も意識している。



庵野は学生時代に設立したダイコンフィルム時代に、自主制作作品の中で『ウルトラマン』を演じたり、愛国戦隊大日本のメカニックデザインを担当するなど、特撮マニアであり、エヴァには特撮作品からの影響もみられる。特に影響が大きいのは『ウルトラマン』からであり、EVAの活動限界設定や身長設定などに影響がみられる。また、EVAのデザインに関しても「ウルトラマンが鎧着たやつ」という発言を企画当初よりしていた。



庵野は一時期同人誌を集めるほどに『美少女戦士セーラームーン』にハマっていた。そのため『美少女戦士セーラームーン』の登場人物・月野うさぎの声優を務めた三石琴乃を葛城ミサトの声優に起用したり、綾波レイの名前が火野レイより採られている。また、緒方恵美が『美少女戦士セーラームーン』の劇場版第1作目に地場衛の少年時代の役で出演しており、その演技を見て、本作の主人公・碇シンジ役に決定したと語っている。その他、プライベートでも親交のある『美少女戦士セーラームーン』の主要スタッフの一人である幾原邦彦を渚カヲルのモデルとしている。



また、庵野は永井豪作品からの影響も認めている[103]。劇場版制作の際に「エヴァのラストはデビルマンになるしかないんです」と発言している。また、EVAの本来の力が拘束具で抑えられているという設定は、『バイオレンスジャック』のスラムキングを意識してのものである[104]。



ネルフとゼーレの設定は『謎の円盤UFO』の地球防衛組織SHADOと宇宙局委員会から来ている[105]。この他にも海外SF作品からTVシリーズ各話のタイトルがとられた。



また、庵野は本作の制作前に村上龍の作品を読んでいたようで、トウジやケンスケの名前は村上龍の小説『愛と幻想のファシズム』の登場人物からとられている。後に庵野はエヴァ後の監督第1作目として、村上龍の小説『ラブ&ポップ』を監督した。



あるいはナウシカの巨神兵とナウシカ全体のテーマなどの影響も



そういった作品なんだけど、個人的にはハード面よりもソフト面が気になっていたし、それがこの作品の主軸だと思っていたので



基本ラインとしてはガンダムを軸にした父子の葛藤で、それはそのまま高度成長期の父親と子供の関係を隠喩しているように思う


あるいは、


「父はいるが母はいない」というのは「母はいるが父はいない」ということの鏡像的な隠喩というか、ロボットアニメの「お約束」を踏襲、いい感じにコラージュしているうちに「結果的に」そうなったということだろう



Togetter - 「家族制度、母親、専業主婦…と、放射線」
http://togetter.com/li/180955



高度成長期の「亭主元気で留守がイイ」は子育てを一身に任された母親たちの自虐ともいうべきコピーで、「24時間戦えますか?」と合わせ鏡だったように思うんだけど


「男は仕事のことだけ思っておけばいい」「女は仕事に口出しするな」という高度成長期の暗黙は戦場の話にも通じていたか




佐藤賢一、1999、「双頭の鷲」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/223054960.html



「オトコタチの華やかで格好いい戦場」


しかし、そういった戦場-オトコタチを支えていったのは家庭であり、生活をもとにした生育環境だったわけで




SF的にはハードSFからソフトSFへの反省みたいな話(外宇宙から内宇宙へ)



「ハードな設定だけではなく人の心理面を見ていくことこそがこれからのSFにとっては豊かになるのではないか?」といわれた70年代の反省




ガンダムにおいてもそういった問題は回収されてなくて、父子の関係(父の実質的不在)に基づいた青年の未成熟(モラトリアム)の問題は日本の子供向けメジャー作品においてずっと回収されていないテーマだった




とりあえず目の前の「敵」を倒せば大団円できるわけだし(敵を倒すための必殺技や兵器を作ればおもちゃも売れる)


そして、そういった隠喩の元となった現実においても男は既存のサラリーマン的レールに則って家庭生活的葛藤は丸投げしておけば「父」という役は演じられる。その辺りの事情を背景とした女子向き作品と男子向き作品の違いはこちらの対談集でも語られていた

(「男は就職して結婚してってところでなにも悩まず一直線でいいけれど、女は就職してから『結婚するかしないか』、『子供を産むか産まないか』、『産んだあと仕事を続けるか否か』、『子育ての際には義母や実家を頼るか』、などいくつも分岐点がある」)


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そういった背景に基づいた父子の葛藤・対決をはっきりと主要テーマとして前景化した作品が「エヴァンゲリオン」だったといえる



しかし、そのテーマはけっきょく回収されなかったし、今回の新装版においても直接的には回収されないのだろうけど




少年は「父との葛藤」、「母親の不在」というところから生まれた「自信のなさ」-「居場所のなさ」という問題をボーイ・ミーツ・ガールの形式に則って自助努力的に回復していく


同じように「居場所のない」少女との出会いを通じて


あるいは、


エヴァとレイという母親の代替との交流を通じて(その意味で初号機やレイとの交流は近親姦的な意味合いが多少含まれる)




そのままシンジがレイを父親から奪い取る、ということになればエディプス・コンプレックスということになるのだろうけど、シンジはアスカを選んでいく




もしくは、失われた母との関係の代替を通じて成長した青年が、その成長過程を通ることによってはじめて自分と似たような傷を少女の中に発見し、支えられるようなり、互いが互いの「居場所」となっていったか



そういう形で本作は少年少女が手をとりあってエヴァという子宮の隠喩-モラトリアムから旅立っていく話として構成されているわけで、それがそのまま説得力のある形で終着点を迎えられたらハッピーエンドだと言える





それがハード面とソフト面における本作品の筋であるし、少年が青年へと成長していく物語が説得力をもって描けているかどうかが本作の主眼だと思われるわけだけど


それとは別のところで、今回ゲンドウの愛のようなものが気になってる自分を発見した




シンジ―アスカの新世代の子供たちの問題は、あるいは間にレイ-ユイの魂が介在することで超えられていくのだろうけど、そのときゲンドウの愛はどうなるのかなぁ、と




ゲンドウの愛というのは人類の未来や子供を省みない身勝手で、ある意味子どもっぽい「博士の狂気」的なものといえるけれど、そういった「世間の規範は関係なくただこの女のことを一途に愛する」という姿勢というのは愛される側の冥利に尽きるところだろうなぁとも思えて




それでもユイは母性をもって、あるいは我が身を顧みずシンジを後押しするのだろうけど




「彼女(ユイ)の思い出」に一生を捧げたゲンドウの姿や心理、最愛の人の似姿としてのレイとの依存的な日々の色合いは鈍色の味わいを持っていたように思った



エヴァの世界の終わらない夏休みの、夕暮れ時のヒグラシの声のような






「式日」の色合いと空気感にも似て、「父性の問題」「親子の問題」というのは父になりきれなかった男たちに残された「終わらない宿題」のようなものなのかもしれない










最後に「エヴァンゲリオン」にも通じると思われる夫婦マンガあとがきから引用してこのエントリを閉めることにしよう


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登場人物のカントクくんはオタクですね。まあモデルの僕がオタクなので、そりゃ必然なんですけど。

いわゆるオタクの内包的特徴を挙げると、内向的でコミュニケーション不全、つまり他者との距離感が適切につかめないとか、自己の情報量や知識量がアイデンティティを支えてるとか、執着心がすごいとか、独善的で自己保全のため排他的だとか、会話が一方的で自分の話しかできないとか、自意識過剰で自分の尺度でしか物事をはかれないとか、ナルシスト好きだとか、肥大化した自己からなりきり好きであこがれの対象と同一化したがるとか、攻撃されると脆い等々、とかくネガティブイメージの羅列になってしまうのですが、そこらを有りのままに描いているのがいいですね。幻想としてのオタク像ではなく、真実の姿を分相応に描いて世間に示しているとこが好きです。

今の日本はオタクの増長や跳梁を許せる程、経済的に飽和状態だし、情報過多で物質文明は溢れみちみちている反面、精神は貧しく、想像力は乏しく、社会基盤はぜい弱化していると思います。そんな世相だからこそ、嫁さんのマンガは必要だと感じますね。いや、身内びいきではなく。



嫁さんのマンガのすごいところは、マンガを現実からの避難場所にしていないとこなんですよ。今のマンガは、読者を現実から逃避させて、そこで満足させちゃう装置でしかないものが大半なんです。マニアな人ほど、そっちに入り込みすぎて一体化してしまい、それ以外のものを認めなくなってしまう。嫁さんのマンガは、マンガを読んで現実に還る時に、読者の中にエネルギーが残るようなマンガなんですね。読んでくれた人が内側にこもるんじゃなくて、外側に出て行動したくなる、そういった力が湧いて出て来るマンガなんですよ。現実に対処して他人の中で生きていくためのマンガなんです。嫁さん本人がそういう生き方をしてるから描けるんでしょうね。『エヴァ』で自分が最後までできなかったことが嫁さんのマンガでは実現されていたんです。ホント、衝撃的でした。


流行りのものをすぐに取り入れる安直なマンガが多い中で、自分のスタイルやオリジナルにこだわって、一人頑張って描き続けている。そんな奥さんはすごいと思います。自分よりも才能があると思うし、物書きとしても尊敬できるからこうして一緒にいられるんだと思います。


『エヴァ』以降の一時期、脱オタクを意識したことがあります。アニメマンガファンや業界のあまりの閉塞感に嫌気が差していた時です。当時はものすごい自己嫌悪にも包まれましたね。自暴自棄的でした。

結婚してもそんな自分は変わらないだろうと思っていました。けど、最近は少し変化していると感じます。脱オタクとしてそのコアな部分が薄れていくのではなく、非オタク的な要素がプラスされていった感じです。オタクであってオタクではない。今までの自分にはなかった新たな感覚ですね。いや、面白い世界です。これはもう、全て嫁さんのおかげですね。ありがたいです。




嫁さんは巷ではすごく気丈な女性というイメージが大きいと思いますが、本当のウチの嫁さんは、ものすごく繊細で脆く弱い女性なんですよ。つらい過去の呪縛と常に向き合わなきゃいけないし、家族を養わなきゃいけない現実から逃げ出すことも出来なかった。ゆえに「強さ」という鎧を心の表層にまとわなければならなかっただけなんです。心の中心では、孤独感や疎外感と戦いながら、毎日ギリギリのところで精神のバランスを取ってると感じます。だからこそ、自分の持てる仕事以外の時間は全て嫁さんに費やしたい。そのために結婚もしたし、全力で守りたいですね、この先もずっとです。





タグ:オタク 家族
posted by m_um_u at 23:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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