2011年08月30日

学校「世界史」のわかりにくさと「歴史の見方」みたいな話

読み終わったのでいちお



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ハッシュタグのメモツイートを仕上げてから一応のまとめエントリをしようかと思っていたけれど、思ったよりしんどそうで、写経してるうちにエントリする気も失せそうなのでヤル気があるうちにザラッとエントリのほうを先に仕上げておいて写経的メモのほうは「なんだったら」ぐらいでいいや



前回はこれ


「近代」と軍隊の官僚制: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/219164793.html?1314674394




改めて見直すと全体を要約しづらいのだけれど、敢えて要約すれば今回これらの軍事史ものを読んでみようと思ったきっかけは「正史に刻まれていない歴史への視角のひとつとして」みたいなかんじだった


アナール学派的なアレで、「歴史は戦勝国や覇権国が創り上げていくもので、成文化され教科書などになっている歴史は本当の生きられた歴史/経験からすると一定のパースペクティブにしたがって都合よく編集されてしまっている」、というような問題意識



たとえばこういった世界史の教科書的な見方というのは編年体の体裁はしているけれど実質は王侯を中心とした事件を中心に並べた紀伝体であり、意味が追いにくくわかりにくい


http://www.geocities.jp/timeway/



結果として現在の中高の歴史教育はトリビアルなクイズみたいな感じになってしまっている



歴史の「意味」が追えない





「一定の偏向がかかっている」という問題は聖書的な発展史観・神の秩序にしたがった第三帝国への進化論的見方なんかにも共通する



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そこからするといわゆる「歴史」のみならずヨーロッパ的な時間意識、直線的時計時間というのもひとつのトリックにすぎないので(ハイデガーや道元なんかにもあるように本当は「いま」しかない)




「差別」とか「偏向」とか気にしてても一定のパースから見ていれば初期設定的に偏りが生じてしまう



だから、それとは別の価値観に基づいた「歴史」を見ていくことで対照化し、事実関係を洗っていく



そういう視点は歴史学に対しての民俗学や文化人類学な問題提起だったように思う



「歴史と構造、特殊性と普遍性の問題」といってもいいかもだけど



歴史学が文献学を基本とするならばそれは成文とディスクールの問題ともいえるかもしれない


明文化することで「書かれたもの」が当然化し、同時に「書かれなかったもの」がないものとされたり権威的に落ちてしまうというようなこと



文献学がはらむそういった問題に自覚的であることが(そういったものがあるとするならば)歴史学における科学的態度かなぁと思うわけだけど



Togetter - 「「歴史性」と経路依存性、歴史理論は必要?」
http://togetter.com/li/8502



「歴史性」という言葉がはらむ問題意識も似たようなものなのだろうか







閑話休題








今回の歴史の見方は「傭兵」と「軍事」からだった



従来なら王侯の華やかな活躍の中で忘れられがちな傭兵の活躍、「ヨーロッパの戦場は傭兵が創り上げてきた」



そこから見れば騎士道をはじめとしたなんらかの「イズム」によって覆われがちな歴史の実際により肉薄できるかなぁ、と思って




「ヨーロッパの」という限定は入るけど、、まぁ中央アジアや中東は今後の課題でもある






2つの書を通して学べたことはおーざっぱにいえば知のリソースの編成過程のようなものだった



おそらくウェーバーの課題的なアレ



「近代とはなにか?」ということとも共通するように思う




合理的な思考やそのための知の枠組みの設定過程がそのまま軍隊の強さに比例していた




騎士を中心として単なる力任せであった戦術とは名ばかりの「イズム」の時代から、リソースを最適運用するための合理的な枠組みの編成へ


武器と人力を維持するために兵站が、それを維持するために金が要る


強い軍隊→金を維持するために「税金」という概念が生まれ、税金を基盤した王権が「商」の波及にともなって強大化していく


そのバックボーンとして「貨幣」という抽象的概念への信頼と計算能力の涵養があった



それらと並行するように「兵器技術」が開発されていき、そこから波及するようにソフトな技術(リテラシー)も涵養されていった


過去に比べて圧倒的に数量が増し、複雑化した「人力(マンパワー)」と「兵器技術(ハードパワー)」を多岐に同時展開し統制するために軍の命令系統・階級は複雑に分岐していった(→組織論



知的財産権的なハードな技術と「アイデア」などにあたるソフトな技術の両輪が開発され、戦場に登用されていくことで力任せな軍隊の戦術←戦略←外交←政治は変化していった




そういった知の枠組みは後代からみるとオーパーツとも思えるような「その時代にあるはずがない」先進的な考えだった



「近代(モダニティ)」とされるものはそういった合理的な知の枠組み(理性)が突発的に現れては消え、また現れて進化を繰り返していった螺旋的な過程と想われる


(だからソフト面だけでいえばギリシアのころにはできていたのだろう)



古東哲明、2005,「現代思想としてのギリシア哲学」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/218962376.html




「科学」といわれるものも同様



その考え方の基本となる部分、ソフト面は昔も今もそんなに変わりなく、ハードな技術につながる部分での発展過程が後代と現在の地味な違いといえる






「近代」同様「グローバリゼーション」とおーざっぱな言葉でまとめられるもろもろの事象にも似たようなことが言えるように思う



グローバリゼーション - Wikipedia
http://tinyurl.com/owvoc


「世界史的に見ればグローバリゼーションは大航海時代に発する」とされているが、世界システム論的にみればモンゴル帝国なんかの影響もある



世界の一体化 - Wikipedia
http://tinyurl.com/3el2pgz


近代における世界の一体化 - Wikipedia
http://tinyurl.com/6bz7br



覇権はおーざっぱに「モンゴル → イスラム → オランダ・イギリス・フランス → イギリス・フランス・ドイツ → アメリカ+西欧+日本(G7)」と動いていった


それらは単純に「覇権国がつおい・えらい」という構造ではなく、それぞれの構造の中でそれぞれの地域が役割分担をして有機的につながっているものだった


世界の一体化 - Wikipedia
彼は、それまでの歴史学は世界史を国家や民族の「リレー競争」のようなものとして描いていると批判した。つまりそれは、どの国や民族も同じ段階をたどることを暗黙の前提としており、それゆえ、それぞれの国や民族にとって、いまどの段階にあるかを知ることが肝要となる。しかし、ウォーラーステインは、実際には世界、とくに16世紀以降の近代世界は一国史の寄せ集めではなく、一つの大きなシステム(「世界経済」)であり、個々の国や民族はこのシステムを構成する要素であって、それぞれの国の歴史は世界史の部分にほかならないとした。こうした立場に立つと、重要なことはむしろ、このシステムの内部においてどのような役割を果たしているかということになる[10]。



そういった見方からすれば世界史の教科書的に「それぞれの時代の覇権国を中心とした事件のみ教えればいい」という見方ではその時代の世界情勢は見えてこない




物流の有機的な繋がりが「経済」であるとき、それが現在ほどではないが有機的に繋がっていたことが世界史の実際であり、歴史が動いていったのは「一国の突発的アイデア」というよりは、世界システムのユーティリティを背景にした合理化の過程だったのだろう



そういった見方からすると「戦争の時代」「経済の時代」「情報の時代」という区分けもナンセンスと思われる
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/135386246.html




人類史的にはずーーーーっと経済の時代であり、その内実が貨幣というメディアや通信、それにまつわる経済システムの複雑化によって高速化していっただけなのだろう



「戦争」も国家政策的には「略取」というリソース奪取のためのオプションだったわけだし、それは経済政策の延長といえるわけだし




グローバリゼーションやモダニティといわれている過程は、技術や知の編成の発展や共有化に伴い合理的なコミュニケーション過程が高速化、複雑(マルチプル)化していった過程だろう




その意味で言えば各eraの転換過程に「戦争」や「商取引」といった領域における知の枠組みの大々的転換(パラダイムシフト)や、その表裏としてのコミュニケーションメディア、各領域の基幹技術の画期的開発があるかと思われるけれど、それもトリックスター的な要素であり決定要因とは言えないのだろうな





とりあえずそろそろウォーラステイン読んでこう









タグ:歴史
posted by m_um_u at 14:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク
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