2011年08月29日

佐藤賢一、1999、「双頭の鷲」


フランス革命までの流れを見ときたいなと思ってなんとなくこれを読んだら思ったよりいろいろ収穫だった

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双頭の鷲〈下〉 (新潮文庫)
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佐藤賢一: 双頭の鷲(あらすじ・感想等):時代小説県歴史小説村
http://lounge.cafe.coocan.jp/novels/001002.php



文庫版巻末の北上次郎(目黒考二)の感想だと「(その年の)1月に発売されてすでにしてその年のベストと決定されていた」なるもの



実際おもろかった



舞台は100年戦争の初期、ジャンヌ・ダルクから二世代前、クレシーの戦いで有名なエドワード三世の次の時代



ノルマンディー伯流れでフランスの血脈も受け継いだイングランドは「フランスの王位もよこせ」とせっついてきてた。「男系相続」を旨とするゲルマン法に則るとヴァロワ家のフランス王朝は法的説得力を持たなかったので





そして当時、長弓部隊を中心としたカウンター攻撃を開発したイングランドはフランスに対して連戦連勝、フランスの領土はイングランドに侵食されていた。


ブルゴーニュやノルマンディーなんかはまさに渦中


その南のアンジュー、ボルドーなんかも後にフランスとイングランドの間で行ったり来たりすることになる。




役者として配されたのは主人公であるデュ・ゲクランとフランス王シャルル5世、イングランド黒太子エドワード、その重臣ジョン・チャンドス、デュ・ゲクランのライバルとなる天才グライー

女性としては美貌で知られるジョーン・オブ・ケント(黒太子エドワードの王太子妃)


あとは小説としての本作を展開されるために配されたデュ・ゲクラン方の近臣が何人か



全体として、オモテ面の歴史絵巻としてはこの時代の軍事→行政改革などのお勉強になった


ウラ面ともいえる人間ドラマ的なところでは女性が鍵となって物語を駆動していたように想えた。小説的想像力で描き上げた部分。そういう意味では女太閤記的性格も感じたり





まず最初に驚いたのはこの時代に14世紀のパリ革命ともいえる事件があったこと


フランスの王権が弱まっていた影響もあって、三部会が王宮まで突入し王太子を吊るし上げた(ちなみにこのとき国王はイングランドに捕虜になって不在だった)


三部会はもともと「強大な教皇権に対抗するために国内の意見を統一するものとして作られた」って話だったけど、この時代のパリの三部会は実質的に第三身分である平民(というか商人)が中心となりクーデーターを起こしていた



シャルル5世はそこからからくも脱出しシャンパーニュの貴族を頼る




パリとプロヴァン(シャンパーニュ)とでは三部会の性格も異なり貴族が三部会を仕切っていた。このためシャルル5世は貴族の信任を得てパリを取り戻した




これより後、シャルル5世とデュ・ゲクランは「フランス史上最強のデュオ」を組むこととなる



フランスの英雄というとナポレオンやジャンヌ・ダルクが頭に浮かぶけれど、ジャンヌ・ダルクはナポレオンが国民国家的戦意高揚のために引っ張り出してきたマイナーエピソードで、本来はデュ・ゲクランの伝説のほうが影響力をもっていた。

実際、「ジャンヌ・ダルクが活躍した」とされるのはオルレアンという一地方における一戦のみだし…

それに対してデュ・ゲクランはブルゴーニュ継承戦争、カスティーリャ遠征、その他のイングランドとの幾度にもわたる緒戦を勝利で飾った




…何回か負けて捕虜になったけど(3回捕虜になった)



理由はよくわからないけどこの作品の中では「将軍の能力のせいではなく、政治的やっかみから貴族連中によって指揮権のないところに配属されたから」ということにされている。ハンニバルなんかがやられたアレだし、銀英伝みたいな軍記ファンタジーでもよくある話



そしてそのたびにシャルル5世は保釈金を払った。王族でもない下級貴族出身者に



しかし国民はデュ・ゲクランの開放を祝した

(「祖国のために命を賭して戦う兵士を、フランスは決して見捨てたりしない」)



もはや戦争は王族の勝手気ままな遊びではなく民意と連結した国策となっていた









ローマ皇帝と教皇を「父」とした政略結婚で国が配分されていたこの時代、戦争は王族の遊びだった。巻狩りのような


戦争で負けても王族の命は保証され、それなりの保釈金と交換に解放される、というのが戦争の作法とされていた


そのため、捕虜となった王族は平時の関係と同じく丁重に扱われた。またゲームとしての戦争に興じる王たちには基本的にそれほど緊張感はなかった


騎士道華やかなりし頃の勇壮な夢を追いかけるゲーム、「正々堂々と正面から戦うこと」を基本とし勝ち負けは二の次


そういった「騎士」のたたかいをイングランドの長弓戦術(モードアングレ)はカモにした




シャルル5世とデュ・ゲクランはそういった戦争ゲームに革命をもたらした




ベルトラン・デュ・ゲクラン - Wikipedia
ベルトラン・デュ・ゲクラン(Bertrand du Guesclin, 1320年 - 1380年7月13日)は中世フランスの軍人。百年戦争初期に大活躍してフランスの劣勢を挽回した。



奇襲や夜襲など少ない兵力を有効に活用するゲリラ的戦術を得意とした。大会戦を避け、焦土作戦を取ったことでも有名[1]。容貌は魁偉で、「鎧を着た豚」と綽名された。また、「ブロセリアンドの黒いブルドッグ」の綽名も持つ。




「正面衝突以前に敵の兵站を枯らすこと」を旨とし、戦略的勝利を目指した

すなわち敵を籠城させ水を枯らしたり、兵站の現地挑発ができないように予め現地に何も残らないようにしたり(焦土作戦)


また、それ以前に外交的、政治的な駆け引きで勝利を引き込んでいた






デュ・ゲクランが戦の天才ならばシャルル5世は政治の天才だった



シャルル5世 (フランス王) - Wikipedia
シャルル5世(Charles V, 1338年1月21日 ヴァンセンヌ - 1380年9月16日 ボテ=シュル=マルヌ城)は、フランス・ヴァロワ朝第3代の王(在位:1364年 - 1380年)。賢明王(ル・サージュ、le Sage)と呼ばれる。中世末期の行政機構の研究家フランソワーズ・オトランはシャルル5世を税金の父と呼ぶ。最初にドーファン(Dauphin)の称号を有した王太子である。


シャルル5世 (フランス王) - Wikipedia
1349年に罹った病気(腸チフスとも結核とも)の後遺症から、言われているように瘦せっぽちではない(病気明けの1362年には73kg、1368年には77.5kg)が、虚弱な体質は彼を馬上槍試合や戦場からは遠ざけた。右手は腫れ上がっており、重いものを持つことはできなかった。精神の面においては明敏な感覚を持ち、国王として何ら欠けるところはなかった。溌剌とした精神を持ち、まさしくマキャヴェリ主義者であった。シャルルの伝記作家であるクリスティーヌ・ド・ピザンは彼のことを“sage et visseux”(賢明で狡猾)と書いており、ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントは“royal attorney”(国王の代理人)と認めた。彼の気性は父ジャン2世善良王とは全く違っていた。ジャン2世は中身のない激怒を顕わにしたり、自分の周りにはお気に入りしか取り巻かせなかったりする男であった。すぐに人格の不一致による不和は公然のものとなった。



シャルル5世賢明王は、極めて教養の深い人物であった。クリスティーヌ・ド・ピザンは、彼のことを次のように書き記している、つまり、完璧な教養の持ち主であり、七自由科(教養諸科、リベラルアーツ、文法・修辞・弁証法と算術・幾何・音楽・天文学の7つ)を修めている、と。一方で、彼は敬虔だが迷信深い国王でもあった。長い間執拗に襲いかかってくる運命によってなかなか継嗣ができなかったし、当時の医師には手の出しようもない数々の健康上の問題のために、篤信家であり、また占星術の信奉者になった。シャルルはセレスタン(天上)修道会の発展を後援し、また彼の図書館の7分の1を占星術、天文学、予見に関する書籍が占めていた。しかしそれらのことは、当時の教会や大学の見解あるいは彼の顧問官たちのそれと意見の対立をもたらすこともあった。シャルル5世の信仰は個人的な領域に留まっており、政治的な決断には何ら影響を与えなかった。




シャルル5世 (フランス王) - Wikipedia
百年戦争のさなか、ポワティエの戦い(1356年)に敗れた父王ジャン2世がイングランドに捕囚の身となったため、王太子のまま摂政として困難な国政を担当した。当時フランスは疲弊の極にあり、大諸侯、わけても叛服常無き王族シャルル・デヴルー(ナバラ王カルロス2世、エヴルー伯シャルル)の画策に悩まされた。エティエンヌ・マルセル指導下のパリの反乱およびジャックリーの乱(1358年)を鎮圧し、王の虜囚直後に結ばれたロンドン条約の批准・履行を拒否し、イングランドと新たにブレティニ・カレー条約(1360年)を結ぶことに成功した。



現在の税金の基礎となる定期的な臨時徴税(矛盾した表現であるが)を行ったり、常備軍・官僚層を持つなど、後年の絶対王政のさきがけを成した。また、彼に仕えた軍人・官僚の中から、シャルル6世時代のマルムゼ(グロテスクな顔の小人)と呼ばれる官僚が現れた。





軍事面では、名将ベルトラン・デュ・ゲクランを重用し、イングランドに奪われた国土を回復すべく行動を起こす。コシュレルの戦い(1364年)でイングランド軍の支援を受けたシャルル・デヴルーの軍を撃破した。この勝利は、シャルル・デヴルーのフランス王位請求を断念させただけではなく、彼がエヴルー伯としてノルマンディーに持っていた領土を取り上げ、そこがイングランドの橋頭堡・進行路になることを防いだ(その代償としてシャルル・デヴルーは南フランスに領地を与えられた)。さらにブレティニ・カレー条約での休戦による解雇で、社会不安(ルティエやエコルシュール(生皮剥ぎ)と呼ばれる盗賊化した傭兵が略奪行為を行ったことによる治安悪化)の原因であった傭兵隊をカスティーリャ王国援助に誘導し、あわせて外交上の成功を収めた。





強い国となるためには常備軍が要る


そのためにシャルル5世は後の税金の基礎となるような枠組みを創り上げた


具体的な内容としては人頭税、消費税、塩税の三本柱




従来は王といえども領地経営、年貢によって糧を得てたため諸侯と王の力関係はほとんど変わらないものであった。

しかし、シャルル5世は「税金」を半ば制度化したことによって年貢収入の数倍に当たる確実な収入を半ば独占することとなった



税金によって国軍、すなわち常備軍が養えることとなる。



ほかの兵士たちが寄せ集めの装備や熟練度も異なる寄せ集めの傭兵、農閑期の農民のようなものたちも混ざっていたのに対して、常備軍は戦闘のプロとして訓練を受け士気にあふれる精鋭たちだった



そういった最強の軍隊を「矛」として集められた税金を有効に機能させるために王は官僚制度の基礎ともいえるものを作った。


司法、行政、軍事、外交、その他の領域にそれぞれの専門家をあてがって、それらの長に後の宰相につながる役割のものを配した。




王(政治と立法)、官僚(行政)、軍人(戦争)の3本柱(トライアングル)



この3つが揃うことで初めてデュ・ゲクランの戦争は強度を持った



そのとき軍隊は国家の手足に過ぎなかった。


「兵站なくして軍はならず」


どんなに強力な軍隊も兵站が常備されなくては機能しなかった






そういった兵站、親鳥の世話を背景にしてデュ・ゲクランの手足はどこまでも長く強力な手足としてフランス全土を覆い、翼となって羽ばたき、後に「鷲の巣」となるスペインの地に降り立った




シャルル5世の制度改革はこの時代にしてはオーパーツともいえる画期的なものであったが、その後シャルル6世の御代に失われ、時代はオルレアンの乙女とシャルル8世(温厚王)の無敵の軍隊を待つこととなる





当時の制度改革は「1374年の大勅令」として成文化され後の絶対王政の礎となった、という








それが歴史絵巻としての「オモテ」の話だとすると、人間ドラマとしての「ウラ」の話、女性たちを中心とした話は小説に陰影を与えていた


主人公たちの周りに配される四人の女性


ジャンヌ・ド・マルマン


ティファーヌ・ラグネル


ジョーン・オブ・ケント


クリスティーヌ・ド・ピサン



はそれぞれ「女の子」「女」「母」という3つの性格をブレンドしたものだった



ジャンヌ・ド・マルマンはデュ・ゲクラン(ベルトラン)の母親であったが、「腕長まんまる」という息子のあまりの醜さに生育を拒否する。


そして、それが一生の傷となってデュ・ゲクランは40まで女を拒絶して過ごす



ティファーヌ・ラグネルはそんなベルトランに親愛を寄せ、幼い日の約束を胸に独身を通す


二人は40にして出会い、すったもんだあって結婚することとなる



ベルトランの傷はティファーヌの母性ともいうべき慈しみを受けて癒されて行く。


それは母性のみならずティファーヌの若き日の罪とその贖罪意識を含んだものだったのだけれど


同時に、ティファーヌに恋心を寄せていた従兄弟のエマニュエル・デュ・ゲクランの父性とも言える愛に包まれて





「貞操の呵責とそれがゆえの母性」のようなテーマはジョーン・オブ・ケントと黒太子エドワードの関係にも重ねられていた


初婚ではなかったジョーン・オブ・ケントは、小説中では「それがゆえにエドワードに責め立てられた」とされていた



DV夫みたいなエドワードの暴力にもめげずに献身を続けるジョーン・オブ・ケントの姿はクリスティーヌ・ド・ピサンとシャルル5世の姿とある意味対照的だった




クリスティーヌはシャルルの若き日の過ちで傷つけてられてしまったが、晩年、瀕死の王の介護に当たり、同時に「英雄として誇り高く逝く」はずだった男の人生を狂わせる



そういった「女の業」のようなものは、まさしく愛憎ともいえる形で愛情と表裏一体だったということが最後に記されていた



脆弱な青年の頃の過ち、傷への向き合いをもってクリスティーヌの憎悪は溶けて救われる








「業」「性(サガ)」「母性」「(あるいは性別を超えた)親愛」









それらは煌びやかな歴史の表舞台(オトコノ戦場)からは見えないものだろうけど、その時代を生きた人々、生きている我々にとってはこういったもののほうがドラマであり歴史なのだろうなぁとぼんやりと思った






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「近代」と軍隊の官僚制: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/219164793.html






タグ:歴史 軍事
posted by m_um_u at 20:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビューこのエントリーを含むはてなブックマーク
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