2011年08月05日

中世ヨーロッパの戦争と正戦論



War is merely the continuation of `policy'−or of `politics'−by other means

            Carl von Clausewitz
















どこかでなにかあったのか、TLにオバマにおける正戦論の話題が流れてきて、関連でぶくまにこれあがってたので



日本国憲法の平和主義とオバマ米大統領の平和思想: 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/12/post-92ff.html




いま読んでる本のセーブポイントも兼ねて



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正戦論との関連で言うと、正戦論というのはふつーの説明だと<カソリックとの関係で教会法とローマ法がミックスされて最終的に「グロティウス → 国際法の原型」となったもの>と見る感じだと思うんだけど、もともとはヨーロッパ史における戦争の蓋然的ルールとして「教会法+ローマ法」に戦場の慣習法的なルールが加わって成立していったものに思えるので。


慣習法の部分に紋章官が関わり、教会法+ローマ法を加味した上で「やりすぎ」ではないかをチェックしていく(同時に騎士の働きも得点していく)

そして戦争の「分け前」をきちんと振り分けていった



簡単に言うと戦争というのは外交と経済的選択の一形式(オプションの一つ)であり、おそらく平和主義的な現代日本人の多くの人が思っているような「戦争になったら終わり」というものではない。


平和主義の人たちは「戦争になると絶対的破壊が起こり全てが終わる」というような考え方をするように思われるけれど、軍事と歴史の感覚をみていくと<平和はむしろ戦争によってつくられる>といえる。


そういう言い方をすると少し語弊と誤解があるか…



水面下の外交での折衝や経済的な交渉、ゲームも含めて緩やかな戦争状態でありそれらがのっぴきならない状態になったとき、あるいは相手に隙ができたときに一発逆転的に「相手の領土を奪う」という選択が「戦争」。

その際にもきちんと「大義」がなくてはならない


「大義」がなければ他の国から糾弾され連合を組まれて食い物にされるかもだし、よしんばそのまま相手国を打ち負かし領土を占領したとしてもその後の統治がうまくいかない。


戦争はそのあとの統治 → 収入がうまくいくかどうかがキモなので



ハワードの本にもあったけど「ただ戦争して勝てばいいというものではなく、その後の統治(平和状態)デザインまで含んで戦争を行うのが理想」みたいな話。あるいは覇権国の責務のようなもの



だから、平和状態というのは平和状態になる1つ前のdecadeにおける戦争デザイン、戦争の終わり方によって決定されていく。




オバマ氏が語る「正しい戦争と正しい平和」 大量破壊兵器を作った男の平和賞を受賞して(gooニュース・ニュースな英語) - goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/newsengm/world/newsengm-20091211-01.html




オバマの正戦論というのはそういった観点からのものだと思う



ここでの大義は「自衛」となるわけだけど、ではヒロシマを例とした場合なにに対する「自衛」だったのか?




加納明弘、加納建太、2010,「お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/215103969.html





「ソ連の脅威」ということになる




あのとき、ソ連が実質的に第二次世界大戦の主導権を握り、そのままだとソ連によって世界は支配されていた。


だから、まだソ連が開発していなかった新型爆弾に落とすことによって示威行為とした


それによってそれから先、失われるかもしれないかった多くの命が救われた



そういったことに対する「自衛」であった





そういう論理だろう






それは一理あるわけだけど、「過剰性」という点ではどうなのだろう?と思う



以前にも言ったけど、


ヒロシマに原爆を落とすべきだったか?: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/39732094.html



日本はポツダム宣言の大分以前に2月か3月段階で降伏の打診をしていた可能性もあるし


なにより「原爆がダーティボムだった」ということ





「非戦闘員」をその後長らく続く死の恐怖、あるいは「ただの死」よりも苦しい現実に無理やりたたき落としたこと





その選択は just war といえるのか?





だからこそオバマはヒロシマに敬意を払ってくれてるのかと思うけど(まぁそれも政治的な駆け引きの一部かもしれないしよくわからないが)







あるいは





アメリカはあの選択を「正戦」と呼び、ベトナム戦争も「正戦」と呼ぶことと引き換えに世界の警察という役割を担っているところもあるのかもしれない


そういったセンチメンタリズムだけで国家の政策が動くわけではないだろうけど、どこかに降りられないレールみたいなのがあるのかも



そして、「アングロサクソンの良心」に基づき、然るべき時が来れば然るべき部分については誤りを認め修正する、か







ちなみにハワードによると現在のような形での「正しい戦争」の枠組みがグロティウスによって作られていった背景は中世法律家による「私戦」と「完全な国家による戦争」の腑分けにある。




中世は「教皇・神聖ローマ皇帝」を頂点に、「王」>「諸侯」>「都市」>「傭兵」>「農民」、というようなヒエラルキーになっていた


都市=商人および法律家を頂点としたギルド(その下に手工業者のギルドが続く)


身分制的には「祈る人・戦う人・耕す人」(フライダンク)であり、商人はキリスト教的価値観から「存在しないもの」扱いだったのだろうけど、実質的には中世の覇権をめぐる主要アクターだった



常備軍は長らく騎士を中心とした軍隊であったが、フル装備の騎士を一人雇う場合、盾持ち従者、探索、露払い的なものも含めて最低6人の従者が必要になる。


つまり、騎士は6人組のパーティのようなもので、これを基本単位として騎士一人常備するというだけで一説によると150ヘクタールの土地が必要とされたと言われる。



なので雇用側の王としても常に騎士を雇っておくよりも傭兵を雇ったほうが得策だった。また、騎士も己を養うためにアルバイトに励み、雇用を掛け持ちした。



諸侯は騎士の発展形だから諸侯=騎士たちがそのまま傭兵団長でもあった。



つまり 武力≠傭兵 であり 「傭兵を雇うためには金がいる」ということで 武力≠傭兵≠金 であった



金は商人が支配していた


そして、商人がより多くの金を稼ぐための許認可権をもっていたのが王であった。



常備軍を持てない中世の王は、諸侯≠豪族の扱いに常に困っていた。しかし、許認可権を操り商人=都市国家と連携することで財を増やしていった。





ギリシア―ローマの時代から「志願兵を中心とした常備軍を持たない国家は弱い」とされるけれど、中世もまさにそのような状態で、各国家は長らく安定した強さを保てなかった。


それが諸侯やその最小単位である傭兵の規律のゆるさを招き、私戦ともいうべき混乱となっていた。そこではしばしば、非戦闘員に対する略奪が行われた。



王は王で、フランクに由来する名門貴族たちの近親姦的な血族による国や帝位の分け合い、あるいはぶんどり合戦のような「私事」的な理由が戦争のホンネとなっていた。教皇も皇帝も同じ。



そういった中、傭兵は騎兵から槍兵、砲兵とモードを変えつつも常に雇用主たちの理不尽な難題に付き合わされ、時には同族同士の戦いも要求された(cf.スイス・槍(パイク)兵たちの同族争い、ドイツ・農民出身のランツクネヒトによる農民制圧指令)


なので、基本的に傭兵たちは「商売」としての戦争では命を落とさないように、できるだけ戦争を長引かせるように申し合わせて適当に働いていた。


しかし、やはり同士討ち的な流れや、確たる理由もなく長引く戦乱の中で傭兵も平民も、あるいは王も、戦争に疲れきっていた





そういった流れの中で王は許認可をちらつかせ、そこから賄われる税により着々と財をため兵を集めていった



シャルル8世が騎兵・槍兵・砲兵…当時考えられる限りのすべての兵種を、しかも士気も練度も高い兵たちによって軍を構成しイタリアに乗り込んだことは、中世から近世までの封建時代と近代を分ける画期とされた


それが「強い王権」のひな形となって絶対王政による中央集権、国民国家(nation-state)につづく流れを作っていった。






中世の法律家たちによって理論化されていった「正戦」の概念はこういった流れを後押ししたと思われる。


すなわち「略奪や私的理由からの私戦を廃し、国家によって必要な限りにおいて戦争を行う」という流れ



国家の主権は王に属し、領土内において自分より上位の権威から独立し領土全体に命令を施行する能力を持つように


イタリアで長らく行われていた主権君主の政治原則をヨーロッパ中に行き渡らせていった



マキァヴェッリを中心として描き出されたこれらの政治原則は「戦争は必要な限り正しい」「国家より上位のどんな権威も戦争の必要性を判断できないこと」を主張した



「君主の安全は至高の法」とするこの見解はボーダンやジェンティーリ、ヴィクトリアなど当時のすべての法律家に認められていった。



彼らの見解は、「戦争には正戦と不正戦があり、敵対行為には十分な理由と不十分な理由があるけれども、究極的には君主が唯一の裁定者であり、ふつう双方の側とも自分が正しいと信じる」、という点で一致した。




グロティウス「戦争と平和の法」(1625)も同様に主権国家を認めた。


同時に主権国家はなにか共通の優越者への忠誠によってではなくて、社会的存在に必要な条件によって、すなわち強制する法定はもたないがそれでも拘束力を有する自然法に由来する国際法によって拘束されているものとした。




自然法 = 神の法ということだろうけど、(腐敗していた)教会法よりもそれに近かったのだろう。




「神」というよりは「最低限の倫理」であり「調和」ともいえるかもしれない







グロティウスは1625に次のように書いた



「私は、キリスト教世界を通じて、野蛮な民族でも恥じるような戦争をする過度の自由がはびこっているのを見た。ささいな理由で、あるいは理由もなしに、武器に訴えた。そして、一度武器が取られると、神の法と人間の法に対するすべての畏敬の念は、投げ捨てられた。まさに、人はその時から制約なしに、すべての罪を犯すことが認められたかのように」










(正戦論の系譜になったとおもわれるキケロ-ローマ法の流れ。そういった実務的な法の考え方と対照としての自然法←倫理学←ストア学派辺りについてはまた次回)






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Togetter - 「「原爆投下」をめぐって――米調査報道、AJEドキュメンタリー、日本人ジャーナリストの回想」
http://togetter.com/li/170598



posted by m_um_u at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク
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