2011年07月09日

The Lady of Shallot 〜 ピアノレッスン  (七夕と供犠と女の「自由」の話)




テオ・アンゲロプロス、1995、「ユリシーズの瞳」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/213903209.html

の牛の話の続きで



そういえば牛の話を書いて気づいたけど、「牛は文明の象徴」であり具体的にはトラクターだったのだよねアレ。なので彦星(牽牛)と織姫の話もおそらくそういったもの。 まあ、気が向いたらあとで書くか

そこにlady of shalottが絡む。あれがポストヴィクトリア朝でなんとなく耽美とされて、各芸術家の想像力を喚起させるものだったのはたぶんそういった背景。「(産業革命を始めとした理性ー文明のゴリゴリとした縦線の流れに対して)昔の人々のあり方に想いを寄せる」みたいなの

それは近代主義に対するローマ回顧(ロマンティシズム)だったり、いまだったら「エマ」とか「乙嫁語り」にも共通するのだろうけど。後者なんかは特に機織り―絨毯織りが絡む。 女性の代表的内職だったからの。つまり「家」の象徴でもあるしほかにも象徴性がある感じ

だからフェミニズムの一部を切り取った単純な視線からlady of shallotを非難できないんだよ。。そこに「( ゚Д゚)<閉じ込められた女性の自由を!」を仮託するのはいいけど「自由」も近代の概念だし、、なによりフェミの重層はジェンダーとなって「性」の克服につながる(おそらく

なのでフェミを単なる女性学とみて信奉する方も、非難する方も間違ってるように思うんだけど。。目立って見えてくるのがそれだし、じっさいにそういうひといるのだから仕方ないなぁとかおもうますよ(田嶋陽子のテレビでの展開に対する賛否両論いろいろを思いつつ

で、もしも七夕のグランドテーマに「性」「家」が絡むとすれば、それはやはり大きく回って「お盆」-「祖霊」ということにも通じるのかなぁとぼんやり思う




the Visit; THE LADY OF SHALOTTthe Visit;
http://www.mitene.or.jp/~t-square/kaleidoscope/McKennitt/McK_3.htm

lady.jpg


シャーロット姫(シャーロットの乙女)
http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/Subjects/shallot/shalott.htm

lady2.jpg



エマの話というのはココの


最近読んだマンガから  現代日本の「モテ」やら「自由」恋愛とされるものにおける不自由性について: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/212974583.html?130962230


( ゚Д゚)<それぞれの時代環境によって「自由」は違うんやから近代的理性から女性開放(自由)押し付けんなや( ゚Д゚)ヴォケ!!


みたいな話




シャロット姫の話はフェミで有名みたいなんだけど自分としてはなんとなくそれ以前に葛生千夏のアルバムで親しんでた


THE LADY OF SHALOTT
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THE LADY OF SHALOTT/葛生千夏 (クズウチナツ) - 関心空間
http://www.kanshin.com/keyword/370724


紹介先にもあるように「少年のように透き通った」声で中性的に歌う

「少年のように」というか女性的ではない、甘えがない感じの


「性別を超えてすっくと立つ」




おそらくlady of shallotという題材がもとからもっていたテーマを敢えて払拭するようなところもあるのかもしれない
(でも、葛生千夏の声は全般的にこんな感じの硬質だけど)




そこでは「不自由な女性への同情や哀れみ」もなく「カゴからすくい出してくれるナイトの到来を待ちわびる乙女心」的情緒もない

また、それらの夢や不幸が一切破れて呪いのもとに死んでしまうことに対しても


それをなかば当然のものとして受入れるような、そういう意志を感じる




「カゴから出てキケンなのは当たり前じゃないの。一瞬だけでも希望を持てたのならそれで死ぬなら本望よ」というような






多くの芸術家たちがlady of shallotにもったイメージはそれとは違って、近代的合理性とは違った形での因襲とロマンスのようなもの、その重みのような世界観の耽美性への憧れのようなものであったように思う

ちょうどピアノ・レッスンのような



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ピアノ・レッスン - Wikipedia
http://bit.ly/o51FAS


19世紀のニュージーランドを舞台に、ピアノの音色を言葉代わりにする女性と、原住民マオリ族に同化した一人の男性との激しい愛を描いた恋愛映画。


主人公・エイダは娘フローラとピアノを伴い、スコットランドから未開の地・ニュージーランドへ旅立った。現地では彼女の結婚相手・スチュアートが迎えたが、彼は重いピアノを自宅へ運ぶことを拒み、ピアノを浜辺に置き去りにした。

話すことができないエイダにとって、ピアノはかけがえのないものであり、エイダは娘を連れて何度も浜辺にピアノを弾きに訪れた。その姿とピアノに惹きつけられた現地の男・ベインズはピアノをスチュアートから入手し、エイダに「黒鍵の数だけ自分にレッスンをしてくれたら、ピアノを返す」と約束した。二人のレッスンを重ねるにつれ、二人の関係は徐々に変容していった






ここではシャロット姫の機織りはピアノであり、ハーヴェイ・カイテルは半ばランスロットのようにして現れる



ピアノ(機)がないと話せない(自分を表現できない)女と、その姿に寄り添う男の話



ランスロットは気高い姿でシャロット姫を惹きつけただけだったけれど、ベインズはもっと直接的な形でピアノからエイダを解き放っていく


ピアノとそれに象徴される彼女の古いアイデンティティから



ピアノ・レッスン | :映画のあらすじと詳しい解説、批評
http://eiga-kaisetu-hyouron.seesaa.net/article/136881888.html



ピアノとともにエイダが海に沈んでいくシーンはまさにシャロット姫への呪いを想わせた

(そして地獄が千の玉座から立ち上がり敬礼する)


The City in the Sea
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The City in the Sea - Edgar Allan Poe
http://classiclit.about.com/library/bl-etexts/eapoe/bl-eapoe-city.htm





でも、


最終的にエイダはロープをほどき、男の愛を信じることを選ぶ (鍵盤を叩く指は失っていても





「ピアノレッスン」では「牛」は現れない

あるいは「牛」に象徴される文明は現れない


「文明」と「男」の関数としての「戦争」。「戦争」にまつわる現象としての「剣」や「鎧」(武)も現れない



(現れてはいても「ピアノ」と並ぶほどの交換要素ではなく、物語進展のための材料的な位置にとどまる(指の切断 cf.契約(アイデンティティ)と呪い)



シャロット姫ではランスロットは鎧をまとって現れている


しかし、シャロット姫も「鎧」に惹かれたというわけではない


単に「外の世界」の象徴としての「男」、自分を籠の鳥から出してくれる存在としての「男」への期待だったのかもしれない



ポストヴィクトリア朝ではそれは産業革命的な文明に代表され、「ユリシーズの瞳」ではレーニン像であった




「ピアノレッスン」では女を救う存在だったハーヴェイ・カイテルは「ユリシーズの瞳」では幻の女(とフィルム)を追い求める存在として現れ、最終的に女(≠フィルム)によって自らを取り戻し救われた…かと思われた矢先に失う。





織姫と彦星、機織りの乙女と牽牛ではどうであったか?




七夕の節句|日本文化いろは事典
http://iroha-japan.net/iroha/A03_goseku/04_tanabata.html


この時期はお盆(旧7月15日)を迎えるための準備(七夕盆)としての意味をもち、畑作の収穫祭を祝う祭りが人々の間で行われていました。この時、健康を祈り素麺の元となったお菓子「索餅〔さくべい〕」が食べられていました。索餅は熱病を流行らせた霊鬼神が子供時代好きな料理で祟りを沈めるとされていました。やがて、索餅は舌触りのよい素麺へと変化し、七夕に素麺を食べるようになったそうです。

日本では古来より、「棚機つ女」といわれる女性が、機〔はた〕で織った布を神におさめ、病気や災厄が起こらないように願ったという話がありました。7月7日〔しちせき〕を「たなばた」と呼ぶのは、この「棚機つ女」がもとになっています。
そして、中国の文化に強く影響を受けた平安貴族たちは、竹竿に糸をかけて願いを星に祈るとかなえられるという乞巧奠の習わしに従い梶の葉に歌を書き付けて手向ける「星祭り」を行うようになりました。
その後、乞巧奠が大衆の間にも広まり、やがて棚機つ女と結びつき現在のように7月7日の七夕となっていったようです。
江戸時代に入ると、短冊に詩歌を書き、笹竹に軒先に立てる風習が寺子屋の普及とともに浸透していきました。明治になり、各地の商店街などで大規模な七夕祭りが開かれるようになり、さらに一般の人々の風習として広まっていったようです。




乞巧奠(きこうでん): 源氏物語
http://heian.cocolog-nifty.com/genji/2007/07/post_f16d.html

七夕(たなばた)は、平安時代には「乞巧奠(きこうでん)」とも呼び、宮中や貴族の家庭で広く行われた年中行事です。
牽牛・織女の伝説を基にふたつの星の逢瀬を眺め、女性達は織女にあやかって裁縫の上達を祈願しました。
グレゴリウス暦(新暦)の現代ですと7月7日は沖縄と北海道を除いて梅雨真っ只中ですが、平安時代の七夕は太陰太陽暦(旧暦)の七月七日、立秋も過ぎた後の初秋の行事でした。
(今年の旧暦七月七日は、新暦の8月19日です)

乞巧奠自体は、牽牛・織女の伝説と共に中国から伝わった行事ですが、日本古来の棚機津女(たなばたつめ)信仰や祖霊を迎えるお盆の準備なども絡み合っており、成立の背景は非常に複雑です。
また“平安時代”と一口に言っても、400年の間で行事の内容はかなり変遷しています。



山崎聖天の乞巧奠
http://www007.upp.so-net.ne.jp/ofg/kikouden.htm

 中国の古伝統ではこの日、牽牛、織女の二星は「天の川」に到り、織女は鵲(かささぎ)の羽を並べて作った橋を渡って牽牛に1年1回の会見をします。日本では牽牛を彦星と言い、織女は機織姫と言います。彦星は「耕」機織姫は「織」を象徴し,両星は夫婦関係にあると言います。七夕にこの二星を祭るのは寿福を願い、恋愛、子福を祈り才能を願うためで、特に女子は機織・裁縫の巧みを祈るもので3年の中に願いの叶わぬことはないとされています。




七夕と乞巧奠(きっこうでん)
http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM117B.html


日本には 「棚機つ女」「乙棚機」の伝説がありました。
 昔から神を祭るときには、日常の食生活を示す神饌(しんせん)と衣生活を示す神衣を神にささげるのがならわしでした。そのため、七月七日に、けがれを知らない少女が身を清めて、不浄な地面からずっと離れた高い柱の上のこもり屋にこもって、機(棚機)を織りながら神を迎え、ともに一夜を過ごして神を慰めるのです。そして翌日、帰りがけに神にけがれを持ち去ってもらえるよう、村人たちは禊を行います。
 つまり、七夕は、棚機からきた言葉で、日本ではけがれや災厄をはらう禊の行事としての性格をもってたのです






総合すれば


(1)オリジンをたどれば中国の牽牛・織女伝説+乞巧奠

(2)牽牛・織姫伝説においては彦星は「耕」機織姫は「織」を象徴する

(3)宮中に伝わった際には雅な乞巧奠の雅な形式、「願い事」な部分だけ形式的に踏襲され「(機織りなどの)芸事がうまくなりますように」と願われていた

(4)日本に伝わった際に機織り・乙棚機な民間伝説と混ざる。乙棚機では穢れ無き乙女が衣をおって神と一夜を共にする(おそらくオシラサマな供犠関連)

(5)七夕のもともとの時期は旧暦なので新暦だと8月19日ぐらい。収穫の願いと、そこにお盆の祖霊迎えが重なる


ということであり、そこから類推するにもともとは祖霊≠神に収穫を願う人身供犠的な性格のものが「衣」を依代として代替されていき、最終的に供犠も祖霊の性格も忘れられ「願い」のみが残った、とのだと思われる。



つまりやはり(「農」という文明のための)「犠牲」「供犠」が絡む



「共同体」という「家」の延長のための「犠牲」



交換財としても扱われていた女性はそういう役割を担わされるところが大だったのかもしれない




それが「lady of shallot」や「オデュッセイア」でも「犠牲」というテーマで継がれていったのか


そして「犠牲」への責任は呪いのように女性の自由を縛っていた



しかし「ピアノレッスン」ではその呪いから解かれていった

ピアノを弾くための指を犠牲にすることでからくもそこから足抜けし、あらたな「自分」=「居場所」を手に入れていった。






その先が幸福な未来かどうかは別として





それらも、あるいはユリシーズの瞳の先に見据えられる未来なのかもしれない




posted by m_um_u at 17:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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