2011年07月08日

テオ・アンゲロプロス、1995、「ユリシーズの瞳」




History knows no resting places and no plateaus.
Henry Kissinger (1923 - )




Europe will never be like America. Europe is a product of history. America is a product of philosophy.

Margaret Thatcher (1925 - )






About the capitalist states, it doesn't depend on you whether we (Soviet Union) exist. If you don't like us, don't accept our invitations, and don't invite us to come to see you. Whether you like it our not, history is on our side. We will bury you.

Nikita Khrushchev (1894 - 1971)





The Holocaust was an obscene period in our nation's history. I mean in this century's history. But we all lived in this century. I didn't live in this century.


Dan Quayle (1947 - )





Much of the social history of the Western world over the past three decades has involved replacing what worked with what sounded good. In area after area - crime, education, housing, race relations - the situation has gotten worse after the bright new theories were put into operation. The amazing thing is that this history of failure and disaster has neither discouraged the social engineers nor discredited them.

Thomas Sowell (1930 - ), Is Reality Optional?, 1993






History is more or less bunk. It's tradition. We don't want tradition. We want to live in the present and the only history that is worth a tinker's dam is the history we made today.

Henry Ford (1863 - 1947), Interview in Chicago Tribune, May 25th, 1916






For aught that I could ever read,
Could ever hear by tale or history,
The course of true love never did run smooth.

William Shakespeare (1564 - 1616), "A Midsummer Night's Dream", Act 1 scene 1






When I despair, I remember that all through history the ways of truth and love have always won. There have been tyrants, and murderers, and for a time they can seem invincible, but in the end they always fall. Think of it--always.

Mahatma Gandhi (1869 - 1948)






A woman's whole life is a history of the affections.

Washington Irving (1783 - 1859)






Perhaps the history of the errors of mankind, all things considered, is more valuable and interesting than that of their discoveries. Truth is uniform and narrow; it constantly exists, and does not seem to require so much an active energy, as a passive aptitude of the soul in order to encounter it. But error is endlessly diversified; it has no reality, but is the pure and simple creation of the mind that invents it. In this field the soul has room enough to expand herself, to display all her boundless faculties, and all her beautiful and interesting extravagancies and absurdities.

Benjamin Franklin (1706 - 1790), from his report to the King of France on Animal Magnetism, 1784





Human consciousness arose but a minute before midnight on the geological clock. Yet we mayflies try to bend an ancient world to our purposes, ignorant perhaps of the messages buried in its long history. Let us hope that we are still in the early morning of our April day.

Stephen Jay Gould (1941 - 2002)






The history of the human race, viewed as a whole may be regarded as the realization of a hidden plan of nature to bring about a political constitution, internally, and for this purpose, also externally perfect, as the only state in which all the capacities implanted by her in mankind can be fully developed.

Immanuel Kant (1724 - 1804)





















「ユリシーズの瞳」を見たのでいちお感想的なものを


てか、まともな感想とかアウトラインだとほぼこちらので完璧だと思う



[all cinemas go forward to freedom!] ユリシーズの瞳 -- online KONGE JIHO
http://www.breast.co.jp/cgi-bin/soulflower/nakagawa/cinema/cineji.pl?phase=view&id=166_toVlemmaTouOdyssea


物語は、1994年、アメリカ在住のギリシャ人映画監督A(ハーヴェイ・カイテル)が、映画百周年記念に作られるマナキス兄弟の映画の監修と、自作(ここでは『こうのとり、たちずさんで』ということになっている)の映画上映の為に、三十五年ぶりに北ギリシャの街フロリナへ帰郷しているところから始まる。
アンゲロプロス自身が数年前に経験した実話のまま、Aが訪れているフロリナでは、ギリシャ正教正当派勢力による『こうのとり、たちずさんで』への上映阻止運動がヒートアップ(『こうのとり、たちずさんで』の項参照)。主教派、自由派、警官隊の一触即発の緊張にある街なかで、Aは、かつて再会を約束した恋人らしき女(マヤ・モルゲンステルン)とすれ違う。
そして、Aのもう一つの仕事、「マナキス兄弟の幻の未現像フィルム(三巻)探し」の旅が始まる。いわば「最初のまなざし」を探す旅だ。
隣国アルバニアを経由し、マケドニアへ。Aは、マケドニアの町ビトラ(モナスティル)にある「マナキス兄弟博物館」で、職員の女性(マヤ・モルゲンステルン)に出会う。首都スコピエに向かう列車の中で、彼は彼女に憑かれたようにフィルムのことを語るのだ。激しく求めあう二人。
ブルガリア国境の検問所で、処刑されかけたヤナキス兄弟の記憶(1915年)に取り憑かれるA。そして、ルーマニアのブカレストへ向かう道中では、黒海に面した生まれ故郷コンスタンツァ(コスタンザ)からギリシャへ移住するまでの少年時代の一家の苦難(1945年〜1949年)に取り憑かれる。そして、ドイツの収集家が買い取った巨大なレーニン像を乗せた船で、ドナウ河をセルビアへ。
新ユーゴ(セルビア・モンテネグロ)の首都ベオグラードで、旧友の政治記者ニコス(ヨルゴス・ミハラコプロス)と再会し、ベオグラード映画博物館の元教授ボビシッツァから幻のフィルムがサラエボにあることを聞く。ボスニア戦争勃発で音信不通になっているサラエボ映画博物館館長のユダヤ人イヴォ・レヴィ(エルランド・ヨセフソン)が現像法を研究しているとのこと。
荒廃した戦火のサラエボ。Aは、イヴォ・レヴィを訪れ、戦争の為、完成寸前でフィルム現像を諦めたレヴィに、「戦争と、狂気と、死の、そんな時代だからこそ、あれを現像しない権利はあなたにない」と言い張り、そのまま昏倒してしまう。再びフィルムの現像に取りかかるレヴィ。
翌朝、Aはレヴィの娘ナオミ(マヤ・モルゲンステルン)と会う。レヴィは幻のフィルムの現像に成功し、フィルムが乾く間、戦闘の止んだ濃霧のサラエボ市街へ散歩に出る。公園でナオミと、再会した恋人同士のように踊り、語らうA。
しかし、濃霧の中へ消えたレヴィの家族は兵士に捕えられ、銃声が轟く……。

  映画博物館。映写機の回転音。一人になったAは、レヴィが現像した幻のフィルムを見る。白い光だけの映像。Aは言う。「私が戻る時は、他人の衣服を着て、他人の名を名のり、唐突に戻るだろう。(中略)二人して昔の部屋へ上ってゆき、何度も抱き合い、愛の声を上げ、その合間に旅の話をしよう。夜が明けるまで。その次の夜も、次の夜も。抱き合う合間に、愛の声の合間に、人間の旅のすべてを、終わりなき物語を語り続けよう……」






んでも自分的な単純な感想としては以下のようになった



ユリシーズの瞳、ながら視聴したり気絶させられたりってのもあるんだけどこれ端的に言うと「ギリシアとヨーロッパのムズカシス問題は簡単には解決でけんしそれはそのままこの女と男の個人史にもつながるからとりあえずセクロスしとけや」みたいにみえる


というか、人の実存にとって単純な課題、「ギリシア最初の映像作品を探し出す」っていう聖杯伝説的なアレがどのぐらい個人の人生に意味を持っていくか、ってことだよなぁ。。もうすこしこの男の過去とリンクさせる形にしてくれると分かりやすかったんだけど。。そうするとリアルではないか




後段の感想は最初に紹介した「まともな感想」におけるこの作品の重層的テーマからするとむしろ読みが甘かったように思う。

すなわち、「幻のフィルム」「失われた歴史」「幻の女」「永遠(理想)の女」



ヨーロッパの、あるいはその問題の象徴的な集約点としてのバルカンの理想の歴史、近代の「進歩と調和」の歴史は幻であり失われてしまったものとも言えるけれど、それを自らの過去―理想であり幻の女を追い求めるという道程と合わせて歴史と自らの実存を摺り合わせていく、という作業


あるいは


自らの問題を投影することで「実感として」歴史の重みを感じ取ろうとする真摯な態度



それがこの作品のキモであったように思う



でも、



そういったメッセージが文脈としては隠されていつつも、作品としてそれは表されていないのでなにも知らないでこれをみるとやはり眠たくなるし、「( ゚Д゚)<とりあえずセクロスしとけや!」みたいに見えることも事実だったり。。



まぁ、それはスノビズムの逆の照れ隠しみたいなものとも言えるけど、わからない作品をむやみにナムナムとありがたがるよりはマシかなぁ、とも




ともあれ




「理性による文明の発展、進歩と調和」の究極点として期待された共産主義の象徴としてのレーニン像はヨーロッパからすごすごと退散していく


エウロペに「( ゚Д゚)<あんたみたいな武佐はキライ!」っていわれるみたいに
http://bit.ly/qDfSez


europe2.jpg





Windflowers エウロペ
http://windflowers.blog.shinobi.jp/Entry/644/


地中海東岸地域はヨーロッパに文明が興る以前から栄えていました。
エウロペはフェニキアの王女とされていますが、
フェニキア人は交易のため盛んに航海を行い、各地に植民地を築きました。
またフェニキア文字はギリシアやローマの文字の起源となりました。
そしてクレタ島はヨーロッパ最古の文明が栄えた地とされ、
牛は聖獣として崇められていました。
牡牛の背に乗って東方からやってきたエウロペの物語は
ヨーロッパ文明の原点を示すものなのではないかと思います。








おそらく、後の世のイスラムや数学などの影響と同様、エウロペにおける「ゼウス」はヨーロッパ外から現れた文明を指す


ゼウス(≠神≠文明)は大陸の結節点・中間地点としての地中海島嶼部にまず伝播し、そこから敷衍していったのではないか?



そこから文明-武が広がり、後に「ヨーロッパ」と呼称される地域の一部を統御する形で普及していき、最終的ににギリシア(イタケー)に還り、それがローマにも続く形で一時の繁栄を築いていった


文明であり武、禁断の果実によって戦乱の歴史に火は注がれたのだけれど



あるいはユリシーズ=オデュッセウスの瞳であり


オデュッセウス - Wikipedia
http://bit.ly/nDJQ3j



ジョイスの「ユリシーズ」でもある


ユリシーズ - Wikipedia
http://bit.ly/ncPeKe


ユリシーズはオデュッセイアを基本とするので再びオデュッセウスの話に還る


オデュッセイア - Wikipedia
http://bit.ly/rkgIFR




ゼウスが牛に化けてエウロペをクレタ島に連れ去り婚姻したという話は、そのままオデュッセウスのイタケーへの帰還と重なる


ではオデュッセウスはなにをイタケーへ持ち帰ったのか?




オデュッセウス - Wikipedia
http://bit.ly/nDJQ3j


夫の長期の留守の間、妻ペーネロペーは多くの者から求婚を受けたが、それを全てかわし、苦難の末帰ってきた夫を迎えた。

オデュッセウスの貴種流離譚である長い帰還の旅に因み、長い苦難の旅路を「オデュッセイ、オデュッセイア」という修辞で表すこともある。

啓蒙や理性の奸智の代名詞のようにもいわれ、テオドール・アドルノ/マックス・ホルクハイマーの「啓蒙の弁証法」でも取り上げられる。彼が難破して、裸体でスケリア島に漂着したところを助けた、純粋無垢の代表としての清らかな王女ナウシカアに対置されることもある。

姦計としての理性対愛という対立構造で近世市民社会の論理を語るのに、オデュッセウスとナウシカアを対置させた哲学者もある。





「啓蒙の弁証法」は未読なれど



2007-06-28 - 走リ書キ的覚エ書キ
http://d.hatena.ne.jp/tikoma/20070628


 ところでホルクハイマー/アドルノのオデュッセイア論における読解の優れているところは、このオデュッセウスの物語の中の交換関係の図式に、まったく別の次元の交換を見いだしてそのモメントの逐一を丹念にすくいあげてみせてくるところにある。彼らがそこで取り上げるのは「犠牲」という、やはり交換を核心に据えた概念だけれど、ここで取り沙汰される犠牲の問題はもはやそれじたいとしては(一義的には)オデュッセウスと他者とのあいだの直接的な交換を形づくるものではない。端的にそこでオデュッセウスは、外的な自然に対する犠牲の儀礼を(理念的には)いっさい停止し、あらゆる野蛮な犠牲を自己の内面へと集約し解消し(否定神学的に内面化し)、その結果掴み取られることになる「諦念」の位相において近代的市民の原像を弁証法的に形成するという、特権的な形象として描かれることになる(自己をみずから危機に曝した者だけが自己を神話的蒙昧から立ち上げることができる。ってことらしい)。すなわちホルクハイマー/アドルノはここで明確に、神話的な互酬関係(供犠と神々の返報、罪科と贖罪、みたいな交換関係)の循環を解体しつつ保存する(「啓蒙の弁証法」)、近代的主体の契機の古代における萌芽をそこに見いだすことになる。まあ普通に物語として『オデュッセイア』を読んでいてもなかなか出てこない着眼だと思う(ソノ発想ハナカッタワ)。

もし、交換が犠牲の世俗化であるとするならば、犠牲自体はすでに合理的交換の呪術的図式であったと思われる。つまり、それは神々を支配するための人間の企てであって、神々は、まさに神々に対して捧げられる崇拝のシステムによって、その座から追い落とされるのである。(112頁)

 ホルクハイマー/アドルノの全般的な主張が妥当なものなのかどうか、問題が馬鹿でかすぎて判断する能力はないけど、『オデュッセイア』という「物語」のアレゴリカルな解釈としてそれを「小説」の読みとは別個に括弧に入れて読むかぎりで、これはとても面白く、またよく出来た読解だと思う。





で、「交換」と「犠牲」


直接的な見返りを求めない供犠の話



牡牛供犠:トーロクトニー(Tauroctony)とタウロボリウム(Taurobolium): 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/08/tauroctonytauro.html?guid=ON



「牛」も絡む






ちゃんと読んでないのでなんとなくだけど、牛は外部からの技術-文明の象徴であり、それはしばしば神に例えられる

「神の乗り物としての牛」


日本にも牛童の神聖性についての話はある


Bonne année!:カイエ:So-net blog
http://lapis.blog.so-net.ne.jp/2009-01-01




それらは理性と知性を伴って「文明」として象られるが、同時に「武」という形で現象する


「武」は価値の交換を「争奪」という形で為すための短期的なツール(オプション)となる



せっかく「神」から授けられた智慧は安息の地を失い、キメラとなって先の見えぬ大地をさまよう(cf.「神的暴力」)


貴種流離譚 - Wikipedia
http://bit.ly/pbF0Bi





一方、ナウシカアに代表される「女」の特性のひとつ?は「無償」と「犠牲」を、あるいは短期的ではない長期的な交換につながっていく


ナウシカアー - Wikipedia
http://bit.ly/nFwNSI


そこでは短期の交換においてしばしば生じるすり合わせの誤謬とそれによる紛争は生じない


小さな紛争はあるかもしれないが長期的に見れば、それぞれの利害対立をすり合わせ(政治し)、一つの成果を得るべく育成していく


ちょうど子育てのように





「啓蒙の弁証法」は読んでないけど「オデュッセイア」を引き合いに出したのだったらその辺りを暗に示していたのではないか?


全体主義に代表される理性と知性のオーバードライブと、先鋭的な理知主義を緩やかに包み紛争の回避と調和に至るコミュニケーションのあり方


後者は簡単に言ってしまえば「感性」という言葉に代表されるけれど、あれはいってみれば「理性と知性以外のもの」といえるのでなんでも入りそう(精神もその一部であり成果なのだろうし)




ただ、



人のそういった可能性も身体に絡むところがけっこうあるように思う


感情が絡み、外部要因に多々影響され、バイオリズムが絡む。女性の場合は「ヒステリー」という言葉で揶揄される




おそらくアンゲロプロスの後期作品ではその辺りも含めて、理性や知性のオーバードライブを統御し、感性と呼ばれる部分との間で弁証法的に人の知的活動を止揚していこうという試みなのではないだろうか?


それらはあるいは身体と呼ばれる部分を通じて生の実感を伴って自らの生きられた体験として引き受けられ思考されていく


芸術表現においてはしばしばそれは鳥羽口としての「性」に代表されていくのだろう








「他者と私(われら)」のキャズムを性≠女で超えること



屈せざるものたち: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/212059486.html





「女」というか、対照としては「男」であり「男女」で超えていくこと



白河夜船: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/213045538.html






ヒステリーともいえる女(身体)の不可解さを統御しつつ



最近読んだマンガから  現代日本の「モテ」やら「自由」恋愛とされるものにおける不自由性について: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/212974583.html?1309622302






永劫回帰のように繰り返される人類の不可解な非合理性を見つめ、流れに逆らわずそれに合わせていくということ


Sightsong: ミラン・クンデラ『不滅』
http://pub.ne.jp/Sightsong/?entry_id=2499714







それがわれわれの未完のプロジェクトとなる



(「歴史」はまだはじまってもいない)











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復習 - インタラクティヴ読書ノート別館の別館
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20110630/p2




ナウシカ解読と正義の審級   ユートピアとベンヤミン: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/164690250.html



幸村誠、2011、「ヴィンランド・サガ」10: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/199172708.html



実践(プラクシス)について: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/199514356.html



M.ウェーバー、1919、「職業としての政治」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/211827975.html




ユリシーズとは何ぞや?
http://www.tufs.ac.jp/st/personal/99/muchalike/uly-column.htm



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「どろろ」に代表されるヒルコ+貴種流離譚として。おそらくイザナギ×イザナミ → ヒルコの話で閉じられてない部分にも共通しそう。なので宮崎駿的には「ナウシカ」であり「ポニョ」(黄泉比良坂のシーン)になる



宮崎駿、2008、「崖の上のポニョ」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/122868879.html



posted by m_um_u at 20:04 | Comment(3) | TrackBack(0) | レビューこのエントリーを含むはてなブックマーク
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