2011年07月03日

白河夜船




心凄きもの

夜道船道旅の空

旅の宿 木闇(こぐら)き山寺の経の声

思ふや仲らひの飽かで退(の)く











あの船は、ぼくのまだいったことのない国へいくのさ - スナフキン



なによ、なんでもしったかぶりしてさ。スノークのおじょうさんなんか、洋服も着てないじゃないの。わたしはきものなしにあるくなら、死んだほうがましよ! - ミーサ



『こまったこまった』 - こまった こまった 夜はつめたい ときは五時 おまえはひとり さまよう つかれたあしを ひきずって けれども家は みつからない



どんなものでも、暗やみの中では、おそろしいものにみえるのよ - ムーミンママ




自分のものにしたくなったとたんに、あらゆるめんどうが、ふりかかってくるものさ。ぼくは、なんであろうと、見るだけにしている。立ち去る時には、全部、この頭にしまっていくんだ。 - スナフキン




スナフキンといっしょにねてはいけないの? - ムーミン



ぼく、ムーミンたちのことだって、煩わしく思うこともある。だけど、彼らとくらしていると、一緒でも、ひとりでいられるんだ。あんなに何年も、長い夏を、ムーミン谷で過ごしていたのに、ぼくは気づきさえしなかったんだ。ムーミンたちは、ぼくのこと、ひとりにしておいてくれたんだ - スナフキン





人はかなしいときに泣くものだろ - ホムサ




かなしいのはちょっとだけよ。だけど、こんなにないてもいい理由があるときには、いちどきにないておくの - ミーサ






まってたのよ。さあ、ここへいらっしゃい - ムーミンママ

















<人は、生物的機制や社会的機制を超えて自らの性―生の自由を謳歌していけるのだろうか? みょーに性に耽溺(フェチ)したり、逆に極度に嫌がったりせずに>




最近読んだマンガから  現代日本の「モテ」やら「自由」恋愛とされるものにおける不自由性について: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/212974583.html?1309622302



ここで少し「人は自由すぎてもしあわせを感じられないのではないか?」という別のテーマに想いが移る


「なにをやってもいい」とされる野放図な無限の広がりの中で、人は「自由」を謳歌できるのだろうか?




タヒチの空の下で、彼は本当に自由だったのだろうか?



月と六ペンス (新潮文庫)
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性に耽溺(オーバードライブ)していただけではなく、ふつーに自らの実存を感じていたのだろうか?



あるいはオーバードライブを通してガチガチに固まった規制を開放していったのだろうか?



それらは小説を読んだり作品を見て確認するとして



<社会的・生物的に設定された欲望としての「性」以外の「性」のあり方があるとしたら、自分はそれに辿りつけるのか?>という課題がある


エゴを超え、汎愛と止揚した「愛」のあり方への理想と同様に



「愛する」ということ  「汎愛」/「他者」/「差別」/ 「聲」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/210130222.html



「愛」という言葉もなにかちょっともはや手垢がついたものというか、一つの「こうあるべき」型のようなものとして人を縛ってしまうところがあるのかもしれない


現代だとそれは「自由恋愛」の幻想に代表されるだろうけど、それも近代以降生み出されたり「発見」されていったものだろうし。。


そういうことに対して、他の文化圏、他の時代の愛のあり方は現代の「愛」の当然性に対する相対化の材料となってくれる



最近読んだマンガから  現代日本の「モテ」やら「自由」恋愛とされるものにおける不自由性について: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/212974583.html?1309622302





性と愛の感覚というのは自分の中でまだ整理がついてなくて、おそらく「愛」というのはどこまでいっても幻想であり社会動物である人が創り出した、その時代における幻想(物語)なので、「これが愛の形」というのはその時代・環境に依るのだろう




だからむしろ「性」というものがなんなのか?考えていったり


以前、ぼけーっとつぶやいてたのはその辺





Togetter - 「position 1  「立つこと」「動くこと」「生きること」「性」「動くこと」「思考すること」」
http://togetter.com/li/147666






生命というのは「躍動」であり「動き」ということで、「性」はその一環であるといえる



動物は動くことが表されやすいけど、では「生=動き」としたとき植物は「生きてはいない」のか?


もしくは


直接的な体の動きが外部に見えないとき、人も「生きていない」ということになるのだろうか?



「人間は思考している」ので生きている


しかし植物も考えているかもしれない。あるいは、人のように主に言語系に頼って考えているのではなく、別の形で「思考」と我々がよぶところに準じるようなことをしているのかもしれない



それは人の場合は次の動きへのタメであり、植物もそれと似たものなのかも



「人間は考える葦である」というとき、その辺りの次の行動のためのタメ(観想)を表しているとも言える




あるいは、植物もしているダイナミクスとして「性」がある



人のように動きを伴う激しい生殖行為ではないけれど、彼・彼女たちがホメオスタシスを破ってダイナミクスを生じさせる行為として種子や球根を次代につなげていくという生殖行為が考えられる



性と思考はそういった意味で「動き」であり生命の表れと言えるだろう





より物理的な本質で言えば、人の性や生は水の流れであると言える


水と呼気の流れ


それを心臓ほか内蔵のポンプで循環させているのが「生」命体のあり方



それは人だけではなく地球上の生命一般にほぼ共通することか







Togetter - 「position 2 「女」と「性」についての日記用メモ」
http://togetter.com/li/156643






ここで驚きとともにpostしていたオナホのあり方というのもある意味そういう人のあり方を象徴的に表してるように思った



ピンサロ通い20年のベテランがプロデュースする、究極の「フェラホール」!! - 日刊サイゾー
http://www.cyzo.com/2011/07/post_7765.htm




これは現代的な性の偏り、単なる快感の道具として女性を見ている男性の視点を象徴的に表したものであると一義には言える


(その意味ではシュールレアリズム展でみたエロ認識の表出と似てる)



シュルレアリスム展にいってきたYO!: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/200983102.html




その姿はシュールに機能特化しすぎていて、なんだか魚のようにも見えた。特に横から見た図が



ちょうどそのときに別件で「進化のあり方」みたいな画像見ていたからというのもあるのだろうけど



単なるスイッチ的な快感にそこまで機能特化していった男性的な性のあり方というのは、歴史的に見るとなんだか滑稽であり逆に愛おしいというかみょーなペーソスがあるところがある


「空気人形」なんかも全体としては悲しい色合いの話だけど、男が人形相手に腰を振ってるシーンというのはなにやら滑稽だったり(実際、人の生殖活動は「愛」という幻想が伴わないとなにやら滑稽なものだと思う)



是枝裕和, 2009, 「空気人形」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/134634431.html






自分の中でもまだ性はギザギザしたところがあって、完全に融け合ってひとつになるようなことというのは経験的にないわけだけど


そういうギザギザ、暴力性とか滑稽さのようなものがなんとなく落ち着いて受け容れられた瞬間には、水としての生命の聲のようなものに意識が同調できてるんじゃないかって、理想としては思う


大樹に耳を当てるとコポコポって音が聞こえるように


人の性と生のあり方、その聲に耳を澄ませて聴くということが性的なコミュニケーションのあり方なんじゃないだろうか



そうやって互いが互いの音と聲に耳を澄ませてひとつの地点を創り上げていく(空気さなぎをつくるように)



それが性のあり方であり、結果的に次代の生命が創りだされていく



(性は生命への鳥羽口、換び水的なものとして機能し、その過程で2つの事象を創り上げていく)






そういうものではないかなぁと最近はなんとなく思ったりする






それが実感できたとき、自分はもはや「プールサイダー」的寂しさをもっていないのかもしれない



[書評]回転木馬のデッド・ヒート(村上春樹): 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/04/post_21a5.html



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そして躍動を持って生命のプールに飛び込む(互いの水が換び水となる



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あるいは、あてどなく続く漆黒(ぬばたま)の水面に船を滑らせる


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Rebecca Horn    性と生の超越: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/133818125.html




http://bit.ly/kA8vT6


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