2011年06月16日

「愛する」ということ  「汎愛」/「他者」/「差別」/ 「聲」




I am no bird, and no net ensnares me; I am a free human being with an independent will.


Charlotte Bronte













人の内部には言語以前…人工的につくりだした言語では表せないような複雑性が潜んでいて、それが「ほんとのひと」なのかなぁ、と思ったりする


合理性・論理性では説明がつかないような…

それは社会的には「わがまま」とか「独善的」とか「意味が分からない」とかいうことになるのだろうし、自分も他人がそういう傾向があると付き合い難いものだけど


でも


「社会」方向に自分をスポイルしすぎてる人というのも付き合い難い(というか面白みがない


近代において「公/私」の分化の中で誕生した「私」は、その前提としてどんなにわがままに振舞っているように見えても「公」(社会)の影響をうけるのだろう


<その「わがまま」は「公(社会)」への反動、影に過ぎない>という程度に



そういった中で



言語化以前になんだか知らないけど、自分の中の理屈としても説明できなくてみょーな感じなんだけど、たまに現れる 聲(こえ) がある



それはなにか天啓のようで



人というのはけっこうそれに従って人生を決めていってるように思う



男性なんかの場合はどうしても「社会」をメインにするように染みつけられているから、それを表面的には否定するように振舞うけど


女性のほうがその傾向、 聲 に従う傾向は強いのだろう



「女性は子宮で考える」的なアレ



アレは揶揄ともいえるけど、性を運動≠身体として捉えた場合、それは理にかなってるのかなぁって



Togetter - 「position 1  「立つこと」「動くこと」「生きること」「性」「動くこと」「思考すること」」
http://togetter.com/li/147666



そして、それが人の中の「他者」ということなのだろう



それをある人は「神」とか「天才」とかいうのだろうけど、よくわからない、人によって呼び方が違う


Togetter - 「身体の零度   零じゃなくても語る身体」
http://togetter.com/li/146559







また、あるひとにとってはそれは「鳥」ということらしい



「自分はひとではなく鳥なのかもしれない 鳥の方に近いのかも」



よだかの星でありかもめのジョナサンかなぁってちょっと思うんだけど



I am no bird, and no net ensnares me; I am a free human being with an independent will.



「わたしは鳥ではない  でも、どのような網もわたしを捕られない  
 
       わたしは自由   意志をもった自由な人間であり個人だ」




鳥は自由なように見えて常に羽ばたいてなければならないので疲れそう

風に乗れば良いのだろうけどそこに行くまでは羽ばたきが必要だし、滑空系じゃない鳥もいる



「飛んでるように(自由に)行動するだけだ」
http://morutan.tumblr.com/post/6570737963



そうはいってもこんどは「飛ぶ」ことに囚われたり



空を見上げることは人の原初的な願いなのかもしれないけれど
http://morutan.tumblr.com/post/6570748223/pinto-perfume-kashiyuka







「女の中に他者がいる」あるいは「それこそが女」

それは当人の意志では止められないもの



というのは「愛すべき娘たち」のメッセージであったように思うけど

愛すべき娘たち (Jets comics)
よしなが ふみ
白泉社



同時に女たちは愛を求めていて、「人を愛する」ということは差別だったりする


本来の愛が他者への献身であるのに対して、「誰かを愛する」ということはその道から外れることとなる



その変態を恋愛という




生まれたときには誰も愛していなくて、保護者である母親をなんとなく「好き」って感覚があるだけ


それもしばらくの間は「好き」ではなくて、段階的に「それは 好き ってことなんだよ」ってインプリンティングされていく


それにともなって周りの人の振る舞いから「好き」に付随するコミュニケーションの形、面倒が起こらない(褒められる=ご褒美を与えられる)コミュニケーション様式をインストールしていく



そうやって鏡像的に概念をインストしていく



男の子の場合は一般的に母への愛がまず最初にあるように思う

女の子の場合も同様だけど、「同性」ということで母親からのコンプレックスが入る(男の子の場合も「溺愛」のようなものが入ってしまうことがあるが)



そういった動物的な、環境によって包まれた愛、包袋(えな)にくるまれているような愛?から、ある程度「個人」(≠主体性)が固まってくると離脱していく



あるいは、ほぼ同時期にともだちの間で課題とされていく「○○ちゃんが一番好き」的なもので



だんだんと、ほぼ自然に「愛すること / 差別すること」が当たり前の感覚として備わっていく


あるいは


反照としての「自分だけを愛して欲しい」「甘やかせて欲しい」という感覚



ときにそれが「愛」として勘違いされる






おそらく「愛するということ」はその中間、「汎愛」と「目の前の他者である恋人(あるいは友人)をその瞬間だけ特別とする」の中間にあるものなのだろう


2つはアンビバレンツなんだけど、それをなんとなく同時にやっていく。矛盾しないようにやっていくというのが「愛」の形なのかなぁ、とぼんやり思う



(世間一般で安っぽく言われる「愛だよ愛」「世界は愛で満ちている」という言葉には「差別すること」の痛みと重みが引き受けられてないように思う)







「人類は智慧の実を盗んでしまったがために楽園から追放された」あるいは「人を愛し、智慧を授けようとしたのでアザゼルは追放された」と言われる


Togetter - 「「鋼の錬金術師」と「よんでますよ、アザゼルさん」と白田せんせについてのメモ」
http://togetter.com/li/149140




人が神の愛、汎愛から逸脱し「特定の誰かを差別的に愛する」ことを受け入れたとき、それと同時にして智慧が授けられていった


論理であり合理というのはその辺りなのかな。智慧の実ということ



「差別的な愛」と「智慧」の2つの関係が因果なのかどうかは分からないけれど、少なくとも同時のことだったような





三位一体というのはあるいはその辺りの矛盾を解消するための方便だったのかな、とも少し思う




夜を愛し、余すところなく死んで、三位を統べる: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/200174686.html


本覚ドライブ  通過儀礼としての「翁」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/202908554.html




祈りのように稽古を積むことによって、それらの矛盾を自分の中で昇華するような 聲 が、いつか聞こえるのかなぁ、と







稽古\(^o^)/オワタ 今日は自由演舞みたいな感じで主に踏み込み意識して。たぶんきちんと馬歩できるようになったので満足行ける踏み込み+足にダメージなしっぽい


虎拳はモーションでかいから不用かと思ってたんだけど稽古にはいいなぁ( ^ω^)・・・槍の力感出せるような気がする



槍術用の槍。小さいほうで7000円(2m)ぐらい。大きいほうで2万(3.4m、4kgぐらい) 重量だけで言えば4kgアレイでいいかぁ。。(もしくはリストバンド / みんなの鉄山靠  [090] 大杆子@:ご購入の前に http://htn.to/AK5Sv7



稽古 \(^o^)/オワタ 踏み込みのときの基底部位を再確認しつつ八極。準備運動的にバランス各種と四股。あと、各部位を確かめるように舞って、足首と外側からの踏み込みとか再認識。最後にふつーに「立つ」を一本歯下駄でしばらくやる





最近はこんな感じ


基底部位の確認と染みこませ。連動的なの


自分の中で「基本となる身体運用」をきちんと理解してから応用に移りたい



そうはいいつつもやはり「型」を通じて割れていくというところもあるのだろうから「型」もできるだけきちんと抑えつつ


また、


型に準ずるような門派の独特の鍛錬法も踏襲したほうが良いのだろう。昔の人のほうがその辺の合理性はあったりするし。





「槍が欲しい」もそのひとつ




でも、その前に木刀が安かったので買ったけど
http://movapic.com/morutan/pic/3720517



使ってるとたしかにふつーの筋トレよりも良い手応えを感じる



失われていた半身が再生していく感じ(ぢっと手を見る
http://morutan.tumblr.com/post/6531264789/billyjane-profile-and-hands-1932-by-man-ray

hand.jpg







八極という馬を駆り、自分の中の他者を何処かへ導かん
http://morutan.tumblr.com/post/6529980340/blua-unknown



horse.jpg





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グスコーブドリのように: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/163308380.html


ナウシカ解読と正義の審級   ユートピアとベンヤミン: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/164690250.html


サヤカノキモチ  「善意」の内政不干渉について: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/192656763.html


幸村誠、2011、「ヴィンランド・サガ」10: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/199172708.html


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