2011年06月07日

「森と芸術」展から  『コレクション』 〜 モノとまなざしと光の記憶








「一生に一度のことだよ」
















先日、目黒庭園美術館でやってる「森と芸術」展へいってきた


「森と芸術」 | 弐代目・青い日記帳 
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=2496


そこで表されてる展示は大航海時代の貴族のコレクションを想わせた。


博覧会の原型としてのそれであり、美術館や博物館、あるいはそれらの商業的小型化としてのデパートの原型の原型のようなもの


そういったコレクション

大陸の珍しい植物やエキゾチックな小物のコレクションは、自分がまるでその地に行ったかのような幻想と錯覚を促してくれる。

当時はまだ旅行も自由ではなかったし、なによりキリスト教的世界というのは長年の間、ヨーロッパ以外を「世界の果て」としてきていたから(cf.ヨーロッパの外には龍や一つ目の巨人など恐ろしい化け物がいる世界が拡がっている)。

そういった時代の記憶、昔ながらの想像も手伝って陳列された「小さきものたち」からは無限の世界が溢れ出す。


無限であり夢幻の世界


(いわゆる「鉄ヲタ」の人なんかにもそういうのは共通するところがあるのだろうか)




そして、博覧会の歴史に想いを寄せる


博覧会の政治学―まなざしの近代 (中公新書)
吉見 俊哉
中央公論社
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先ほど言ったように、博覧会は「ヨーロッパ以外のもの」「自分たち以外のもの」への一定の期待に基づいた「まなざし」の歴史であった


端的に言えばそれはオリエンタリズム的なそれ。アファームドアクションよろしく「異なるもの」に過剰な期待を寄せ、自分たちの幻想に基づいてそのものの実体を必要以上に歪めて解釈し、それに基づいて現実を矮小化したり過大化してしまう、というもの。


文化人類学の初期において問題とされてきたエキゾチズムに依る「現実」の搾取のような、そういったもの


ベタに言えば人類館事件なんかがその象徴的なものと言える



人類館事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E9%A4%A8%E4%BA%8B%E4%BB%B6



かつての「博覧会」という場では「人」でさえも展示とまなざしの対象だった




博覧会というメディアと場を通して、そういった視線は次第に内面化され、ヨーロッパ人同志でさえもそのような視線のマトリックスの上において判別されるようになる。


履歴書とスペックなそれよろしく、人を身体から生じるその人全体の生きられた歴史から判断するのではなくステータスという社会的な記号によってとりあえず判別するような。


そういった「客観的視線」が内面化され、「当然」となり、「権力」的構造の素地となっていく(フーコー)


それらは「近代以前には『私』と『公』の違いがはっきりしなかった」「公だけだった」という「公と私」あるいは「他者と私」的問題に通じるか、とも思われるがそれはまた別の話で




それが「コレクション的なもの」からの「博覧会的なもの」の外縁だとすると、その内部の記憶、実際にその時代に生きていた人たちの記憶や感情のようなものへの手がかりとして「エマ」の「水晶宮」の話が思い出される




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森 薫
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私には「夢の水晶宮」がとくによかった。人は、昔の思い出、それも失われた美しい思い出に依って、その後の長い人生を生きていくことができるものだ。他にかけがえのない、濃密な時間を味わったことのある者にとって、その時間は短くとも永遠である。



圧巻なのが、ケリーの新婚当時のお話。
賢者の贈り物風の前編とくらべ、後編のダグの視線の描かれかたがすごい。
これは誰でも経験があると思うけれど、好きな人とデート中、例えば展覧会で相手が展示物を見て喜んでいるのをみるのがなにより嬉しかった、そんな記憶ないですか?
そういう時の視線の動きが、リアルに表現されているんです。




ケリーとダグは当時まだ若い自分の新婚貧乏時代で、貧乏ながらもお互いを愛し尊敬していたがために「自分のため」よりも「相手のため」にまずなにかしてあげたいという心情があった

そんな中、新聞を通じて水晶宮の話がgiftされる



「一生に一度、もう見ることができないかもしれないほどの大スペクタクル」



当時の技術の粋を結晶化したガラスの都


光の場としてのそれは若い夫婦に祝福と感動の記憶を遺してくれるものと期待された


あるいは単に、その時点で相手の笑顔のようなものが見たかったがためか


二人はお互いにへそくりしたりやりくりしたりしてお金を工面し、クリスタルパレスへ向かう



そこで表されていたのは期待通りの、あるいは期待以上の絢爛だった



光も、あるいはそれを簡易に反照してくれる物質としてのガラスも当時はまだ珍しいもので、

電灯的な技術のない時代に宝石が「光を集めるもの」として珍重され、夢と願いを託されたように、ガラスの宮クリスタルパレスは当時の人々の夢と希望、限りない祝福に満たされた「人類の進歩」への期待が託されていたのだろう



それを「時代の記憶(zeitgeist)」とすると、ダグ・ケリー若夫婦の個人的な記憶としてはやはり二人の祝福のそれのような、(おそらくは行われてなかった)披露宴や新婚旅行に準ずるようなそれだっただろう



そういった記憶を伴うことで、人は生きていける


(記憶の残照として、小さな指ぬきに思いを寄せて)






マンガ随想 「美しい感じ――森薫『エマ』」(後編) - Blog-Umschau - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/umschau/51441963.html



 番外編の冒頭を飾る「夢の水晶宮」はあまりにも素晴らしい.若きケリーがハイド・パークの万博を訪れた一日を描くこの物語は、精神的にもほとんど芸術の域に達しているし、なにより「マンガでしか正しく表現し得ない」という点で他に求め難い卓越性を具えている.
 「丁寧に描き込まれたヴィクトリア朝時代のイギリス風俗」は確かに『エマ』の特徴だ.作品の根幹と言ってもいい.だが、それが仮に途方もない予算でもって実写化されても『エマ』の価値は保持されるだろうか.イギリス風俗の描写に拠って立つことが出来るだろうか.否、『エマ』のアイデンティティは粉々に砕け散ってしまうに違いない.ジャン・ルノワールの『大いなる遺産』を目を凝らして観てみれば、『エマ』の綱渡りが了解できるはずだ.ルノワールのような映画監督を前にすれば、丁寧なだけの描き込みなど意義を失ってしまう.
 ところが、その危うさが「夢の水晶宮」には存在しない.なる程、ハイド・パークの万博は魅力的な舞台ではある.描き込みが執拗を極めるほどにその魅力は増すだろう.




「エマ」で描かれている当時のヴィクトリア朝の風俗、あるいはそのひとつとしての水晶宮の描写は史実描写としてもすばらしいものがある(新聞やバーをめぐる風景としても)

しかしその描写-感動というのは単に「きれい」でながせてしまうものではないだろうか? 本当に当時の人が感じたような、あるいは当時に一生の思い出とした人が感じたようなそれを感じられ得るのだろうか?




しかし、そこまでだ.万博は結局のところ同時代的な感動を窓の外から眺めさせるに過ぎない.描き込みは再現性への称賛を高めるに留まる.そこには、たとえばプルーストの『失われた時を求めて』で、作家ベルゴットがフェルメールの『デルフト眺望』を見て眩暈を覚えるような感覚、普遍的感動が存在しない.ベルゴットは言う.


――こんなふうに書くべきだった。おれの最近の本はあまりにも無味乾燥すぎた。この小さな黄色い壁のように、絵具を何度も塗りかさねて、文章そのものに価値をあたえなければいけなかったんだ。(プルースト『失われた時を求めて』)

 このくだりを理解するにあたって、我々は『デルフト眺望』を予め鑑賞しておかねばならないだろうか.あるいは、理解するためにいそいそと名画を観に出かけなければならないだろうか.そうではない.読者は表現そのものに芸術的価値が与えられている作品を想起するだけで事足りる.フェルメールの別の作品でも、ヴェラスケスの肖像画でも理解の段取りに支障はない.我々はベルゴットの感動を理解し得る――窓の外からではなく、彼の精神的な深部から




ウィリアムとエマの水晶宮体験

それは現代の我々がディズニーランドや海外旅行に行くのと同じく「再現性」「反復性」が期待される


しかし、ケリーとダグの夫妻のそれはまさしく「一生に一度」のこととして、ともすれば読者の想像から閉じられた体験となっている


 ハイド・パークの水晶宮では同様の感動を創り出せない.突き詰めれば突き詰めるほど、水晶宮の美は「人それぞれ」の感動に転化されてしまう.『エマ』はしかし、その転化を開放的に受け流してきた.
 本編のウィリアムとエマは、万博の後にシドナムへと移された水晶宮を見て、心から感動する.彼らの感動を読者は容易に理解する.だがその感動は、おそらく水晶宮である必然性を持たない.『デルフト眺望』とはまったく別の意味で、感動の対象は水晶宮でなくともよい.多くの読者は、そう、初めて恋人とデートした思い出の場所でも思い出すことだろう.水晶宮は恋物語の背景になる.それを丁寧に描き込む作者は、天才的なアシスタントの趣を見せる.趣味的な職人芸……
 しかし、番外編では水晶宮が必然性を持つ.ケリーの夫、ダグの言葉が全てを語ってくれる.

――「一生に一度のことだよ」(森薫『エマ』 第8巻)

 この台詞は、『エマ』本編における水晶宮の場面をほとんど無意味化してしまうという意味で、おそろしく挑戦的である.ウィリアムとエマにとっての水晶宮は、「一生に一度」のものではない.「一生に一度」だったのは水晶宮そのものではなく、二人の初の逢瀬という「思い出」なのだ.それは誰もが持ち得るものであって、読者の主観で代用のきく感動と言える.すなわち、開放性だ.
 ケリーとダグの水晶宮はまったく開放的ではない.彼らにとっての「思い出」は他のものに代用がきかない.絶対に万博の水晶宮でなければならず、しかもそれはシドナムに移転された水晶宮であってはならないのである.彼らの青春、新婚生活と密着した歴史的な出来事.まさしく「一生に一度」――「夢の水晶宮」だ.




それはベンヤミンいうところの「アウラ」的な一回性ともいえるかもしれない


それがゆえに同様の強度をともなった体験をしたことがある人、あるいはそういった心情の揺れを体験したことがある人には響くものとなるのではないか?


おそらくウイリアムとエマの体験、再現性が期待される体験は博覧会の政治学を通してもたらされた近代的な視線と、それによって配置される社会・産業的マトリックス(脳内地図)の中に配置され得る


だからこそ、似たような環境に生きる我々は、その表面的な描写だけで心情まで感情移入し得る。


うがった言い方をすればそれは「泣ける映画」「笑える映画」的な表層的感情消費の対象ともいえる



しかし、ダグとケリーの心情は代替不可能なものであり、その心情は似たような経験をしたものによっておもんばかるにとどまる程度のものとなっている


それはイベントや事物の派手さによって強引に誘引されるものではなく、それぞれの人が場や事物を通じて一緒にいる相手に対して「一回性」を感じられれば、その体験そのものが取替えの効かない大事な宝物のように記憶の引き出しにコレクションされていくのだろう。

余人にとってはつまらない、ごくありふれた事物やイベントでも、当人たちにとってはかけがえのない宝石となり得る






「一生に一度のことだよ」






そういった体験を演出していくのが業界に関わるもの醍醐味ともいえるのだろうけど、とりあえずそれは置く







水晶宮は19世紀中盤、帝国主義的時代のイギリスの威信をかけて作られた




水晶宮の建設とその後 | 第1部 1900年までに開催された博覧会 | 博覧会―近代技術の展示場
http://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1851-1.html



第1回ロンドン万博の会場については、開催1年前にコンペを行い、245もの案が出たにもかかわらず、決定的なものが出なかった。そこで王立の博覧会委員会は独自に建設プランを作り、巨大なレンガ造りの建物を発表したのだが、巨大で重苦しい建物は不評であった。

そんな折、第六代デヴォンシャー公爵邸の庭園技師で、数々の温室を設計したパクストン(J. Paxton)の会場建築案が王立委員会に持ち込まれた。パクストンが1850年7月6日のIllustrated London Newsにその設計図を公開したところ、世論の大きな賛同を得た。そこで彼の設計が採用されることとなった。当時の最新技術である鉄とガラスを駆使し、工場で製造された部品を現地で組み立てるプレハブ工法を用いた長さ約563m、幅約124mの建物で、たったの10カ月という短期間で完成させた。使われたガラスの数は30万枚、内部は赤、青、白、黄色で塗り分けられ、建物外部は白またはストーンカラー(灰色または青灰色)で、縁は青で飾られた。この美しい建物に水晶宮というニックネームを与えたのは、 1850年11月2日のパンチ誌(Punch)であるという。

水晶宮は、博覧会終了後も取り壊しを惜しむ声が多かったため、1854年にロンドン郊外のシデナムに移設された。新水晶宮は、面積を拡大し、植物園、博物館、コンサートホールなどを持つ巨大な施設として生まれ変わり、市民の憩いの場、娯楽の場として親しまれた。ヴィクトリア女王とアルバート公夫妻もしばしばここを訪問し、福澤諭吉も日本の文久使節団の一員として1862年に訪れている。しかし、この水晶宮は1936年に火災によって焼け落ちてしまい、現在では跡地は公園となっている。






水晶宮 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%99%B6%E5%AE%AE


水晶宮(すいしょうきゅう、英語:The Crystal Palace)は、1851年にロンドンのハイドパークで開かれた第1回万国博覧会の会場として建てられた建造物。ジョセフ・パクストン設計。鉄骨とガラスで作られた巨大な建物であり、プレハブ建築物の先駆ともいわれる


万博終了後は一度解体されたものの、1854年にはロンドン南郊シドナムに、より大きなスケールで再建され、ウィンター・ガーデン、コンサート・ホール、植物園、博物館、美術館、催事場などが入居した複合施設となり、多くの来客を集めていた。

1870年代頃から人気に陰りが見え始め、1909年に破産した。その後は政府に買い取られ、第一次世界大戦中に軍隊の施設として利用され、戦後一般公開が再開されたが、1936年11月30日に火事で全焼してしまった。

焼失後、水晶宮は再建されることはなく、現在ではロンドン南郊の地名、水晶宮がかつて存在した地にある公園とスポーツセンター、そしてロンドンに本拠地を置くサッカークラブチーム、クリスタル・パレスFC(Crystal Palace F.C.)にその名をとどめるのみとなっている。






それは後のアメリカ/ソ連の宇宙開発よろしく、技術の祭典を通じた互いの軍事(-技術)力の誇示という政治的な振る舞いだったのだろう




しかしそういった思惑とは別に水晶宮や太陽の塔といったものがつくられ、あるいは幸福な記憶として受け継がれていった



太陽の塔は日本では大阪万博のそれ、岡本太郎制作のそれが有名だと思われるがもともとはエッフェル塔の前段階にプレゼンにかけられ却下されたものだった



エッフェル塔 | 第1部 1900年までに開催された博覧会 | 博覧会―近代技術の展示場
http://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1889-1.html


エッフェル塔(La Tour Eiffel)は1889年第4回パリ万博の最大のモニュメントとなった建築物である。

高い塔を建てるという計画は、1833年のトレヴィシック(R. Trevithick)の計画に始まり、様々に試みられていた。ロクロワ(E. Lockroy)商工大臣が、フランス革命100周年記念のモニュメントとして良い案がないか、トロカデロ宮を建築した建築家ジュール・ブールデ(J. Bourdais)に訊いたところ、ブールデはかねてから構想していた366メートルの石の塔、「太陽の塔」を提案した。これは石造りで、頂上に特殊な反射鏡を設置して、地上から送る電光を反射させ、夜でも昼のような照明でパリ全市を明るく照らすというものであった。しかし、ノートルダム寺院の5倍もの高さを石で建造することは現実離れしていたし、アーク灯でパリ中を照らすのはまぶしすぎるのではないかと懸念された。



文字通り「光を集める塔」として計画されていたのが太陽の塔だった



クリスタルパレスにしてもそうだけど、当時の人々にとって「光を集める」ということがどれだけ象徴的なことだったかを想わせる




岡本太郎がその記憶を受け継いだのか、あるいは名前だけでも聞いたことがあったのかはわからない



しかし、「万博」の系譜で奇しくも「太陽の塔」という同じ名前を冠して2つの塔がつくられたというのは、なにかの縁のようなものが感じられる




それは「時代の記憶の子供たち」ともいえるのかもしれない




「わたしの小さなコレクション」としての


あるいは


「あなたの小さなコレクション」としての




ときには「不恰好で健気なわたしの小さな子どもたち」



是枝裕和, 2009, 「空気人形」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/134634431.html


オルゴールの小さな博物館 解説 − 19世紀のロボット (オートマタ)
http://www.musemuse.jp/Musemuse_Comment/comment_automata.html


前世紀的情緒を残したフランスの機械人形。オートマタを経由してパリに至る意味空間の通奏低音は不恰好で前近代的な哀愁をたたえたアコーディオン

その情緒ゆえに最新式ではないということ=「欠けている」ということが愛されていたり。Rebecca Hornだったら「不恰好で健気なわたしの小さな子どもたち」というかもしれない。




人形は欠けているがゆえに神聖性というか魅力をもつところがある。

そして人も欠けているがゆえに補い合う。関係しようとする。

それがこの映画の一番大切なメッセージっぽかった。




「心を持った人形はひととどこが違うのか分からない」というのは「心を持ってしまえば人間と同じ」→「人形もこころをもてばいいのに」という願望を含むもので、押井守の「イノセンス」もこのテーマに基づいて作られたものだったらしい。


松岡正剛の千夜千冊『未来のイヴ』ヴィリエ・ド・リラダン
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0953.html
 

この映画にはすでにご覧になった諸君は感づいたかもしれないが、全篇が『攻殻機動隊』で姿を消した草薙素子のイメージの行方をめぐる物語になっていて(したがって草薙素子のパートナーだったバトーが主人公)、しかも『未来のイヴ』数百年後の物語にもなっている。
 とくに押井監督のリラダンへの敬意は本物で、ロクス・ソルス社のガイノイド2052「ハダリ」がその名のままにずらりと登場する。冒頭にも、リラダンの次の言葉がエピグラフとして掲げられた。

 「われわれの神々もわれわれの希望も、もはやただ科学的なものでしかないとすれば、われわれの愛もまた科学的であっていけないいわれがありましょうか」




ここではエワルドは「理想の女性」たるアンドロイド・ハダリーと蜜月の旅に出で添い遂げることになる。それはそれである意味ハッピーエンドだったのだけれど「空気人形」ではその後の「未来のイヴ」とも言えるものが描かれる。





不恰好だからこそ、でこぼこで不整列だからこそ愛しく可愛い




すべてが、神と<神>の御手によって備わってないからこそ、そこに神聖性というか、人の心情のヨスガのようなものが宿っていくというようなことがあるのかもしれない




タグ:art アウラ
posted by m_um_u at 05:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク
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