2011年06月02日

古刀と八極と「( ゚Д゚)<サムライさいきょーーー!」について





この刀から呼び覚ます


鉄(くろがね)の中に眠る純白を  紺碧を
 


真夏の蒼穹よりも黒々とした青を―――




刀を万象と見立て天地と見立てた……


それ自体は悪くない  美しいものはみんなそう




ただね…




どこまで行っても刀は刀  人を斬る為にだけに在る刃物


刃物として与えられた命を全うしてこそ美しいのですな  そこを忘れるとおかしなことになる



刀に囲まれていたからこそ刀が見えなくなったのか 美という言葉にとらわれたか  研いでも研いでも満足できなくなってしまった 



おかしなものです ふふ



私はね武蔵殿

……刀を究極に美しくあらしめるためには――




刀であってはならないような気がした












表面に美しい模様が出ているだろう

これはダマスカス鋼といって硬度の異なる数種類の金属を混ぜて鍛えたものだ


このブレードの材料はスクラップの部品だって話だ

全宇宙を通じてこのクズ鉄町でしか作りえない究極のダマスカス鋼なんだそうだ



不純物が鋼に生命を宿し しなやかで粘りがあり 強靭なダマスカス・ブレードになったのだ











  ただ一条の鋼(スティール)       レザーエッジになりたい










昨日、刀剣博物館でやっていた古刀・新刀展にいってきたので関連でもそもそと



ご案内 ― 財団法人 日本美術刀剣保存協会
http://www.touken.or.jp/museum/


出品されていた刀はこんな感じ

http://www.touken.or.jp/museum/images/list_001.pdf



古刀は鎌倉初期から室町末期まで


新刀は江戸前・中・後期とバラバラだったようで、新々刀も混ざってたかもしれない


ていっても、明確にコーナーわけされてて、新刀は「( ノ゚Д゚)<(刀身ではなく)主に拵えをみてくださーい」とか「( ノ゚Д゚)<刃紋をみてくださーい 美術品として『パレットとしての刃』って感じの時期もあったから美しい刃紋出てるでしょー?」、って展示のされ方だった


なので古刀メインでみていった。もともとの目当てもそうだったし



てか、本題に入る前にいちお前提知識を出しておくとこんな感じ


★  「古刀」・・・文禄末年・慶長初年(1596年)以前に製作された刀剣類
     
★  「新刀」・・・慶長初年(1596年)以降に製作された刀剣類
     
★  「新々刀」・・「新刀」のうち、特に明和年間(1764〜1772年)以降に製作された刀剣類
     
★  「幕末刀」・・「新々刀」のうち、特に幕末に製作された長寸豪壮な実践用刀剣類
     
★  「軍刀」・・・明治時代から第二次世界大戦中までに軍隊で用いるために製作された刀剣類
     
★  「昭和刀」・・第二次世界大戦中に製作された「軍刀」のうち、
                   日本古来の伝統的な鍛錬法によらず製作された刀剣類
     
★  「現代刀」・・第二次世界大戦後、昭和29年(1954年)より文化庁の製作承認を受け、
                   日本古来の伝統的な鍛錬法により製作された刀剣類

http://morutan.tumblr.com/post/6098757596/1596


もそっと詳しいのだとこの辺とか



Togetter - 「初心者向け日本刀な話(簡易版)」
http://togetter.com/li/14821





Togetter - 「日本刀鑑賞の基礎知識」
http://togetter.com/li/120948





Togetter - 「現代日本刀あれこれ」
http://togetter.com/li/96448





ざらっとアウトラインを言えば、「鎌倉の蒙古襲来のとき、それまでチンタラとした名乗り合い - 一騎打ちな国内戦闘をやっていた鎌倉武士たちが元の集団戦闘術にビビって戦闘法やその礎となる武器の形そのものも見直し、あたらしい戦闘法・武器の形を編み出していった」、ということ。


元はこの時代、おそらく最強の戦闘集団だったはずで、「船で輸送」、って形でもなければ本来なら日本なんか簡単に凋落できてた。馬が使えれば、その機動力を元にした自由な戦隊の編成法によって戦略-戦術面で他の国を圧倒的に凌駕していたので。簡単にいえば常に3対1ぐらいの局面で相手を圧倒できたし、機動力を活かして補給のところから相手を封殺できた。戦略と戦術の間みたいな機略が使えた。なので、当時の元に叶うところなんかなかった(ソレが元でゲルマン民族の大移動も起こったようだし)


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だから、本来なら日本なんかけちょんけちょんにされてたはずだったんだけど「海を隔てた遠征」ということで補給路が伸びたこと + 「元本来の持ち味である集団的騎馬戦術の妙味が発揮できなかった」ことが日本に幸いした。 あと、あったんだかどうだかしらないけど「神風」とかそんなの



そこで片手落ち的なモンゴルから九死に一生を得た日本武士たちは反省して「使える刀」を開発していった


「反りの入った日本の刀(太刀)」は馬上からの攻撃に適するように開発されていったものだし、直刀でも切っ先にかけてやや反りがあるのは単なる直刀よりも「引き」の理合を使えるからではないか?と推測される。このあたりの「理合に即した武器の開発を」と「武器に即して理合が生まれていった」というのは循環論的な鶏と卵だけど、まぁ置く



とりあえずそうやって開発され収斂されていった「日本刀」を用いた刀術は中国だと明代、日本だと豊臣秀吉の朝鮮出兵の折には極まってきていたみたい。個人的には当時の世界においても白兵戦において最強だったのではないかと思う(理由は後述)


朝鮮出兵において、「日本のサムライが朝鮮を圧倒し、恐れられた」みたいな記述は「へうげもの」や「一夢庵風流記」なんかにも見られた





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そもそも秀吉の朝鮮出兵は朝鮮との戦いと言うよりは日明戦争でした。明軍単独の戦闘は八度だけらしいですが、主な戦いのほとんどは明軍が指揮を行っていたし、兵力の過半数は明軍でした。倭寇の時代から、中国人は日本の剣術の威力に驚き、日本刀を真似て「苗刀」を作り、日本の剣術を真似た「倭刀術」を生み出しました。^^

また、日本の剣術は海を渡って明にまで伝わり、「武備志」には日本の新陰流についての記述があります


http://tumblr.com/xau2scmuez


 欧米人が見たサムライの戦闘能力


ロバート・フォーチュン 「幕末日本探訪記」の記述

 「その辺りの平地の所で、サムライが始終教練を行っているらしい。囲いの高い柵や潅木の茂みで視界がひどく妨げられたが、時々兵隊の旗や、槍が見えた。大名達は彼らの藩兵に、戦争の技術を絶えず訓練させていたのである。そのころ江戸の大名屋敷の傍らを通ると、剣術をやっているような、喧(かまびす)しい物音が聞こえた。私が江戸に滞在している間に、同じような音響をしばしば耳にした。
 もし、不幸にして、ヨーロッパ諸国が日本と戦うようなことが起こったら、日本人はシナ人よりも非常に優勢なことが判るだろう。同時に我々は、刀だけで戦うのではないから、勝負の結果については自信がある。しかし、そのような、日本人と戦うようなことは、遠い将来のことにさせたいものだ。少なくとも我々は、日本人が血を流さずに開国したことに、満足すべきかも知れない。」  

ラザフォード・オールコック 「大君の都」の記述

 「彼ら(サムライ)は、相当に熟達した刀の使い手である。小さい方の刀を使うときは、二度突く必要は無い。たったの一突きで相手に致命傷を与える。大きいほうの刀を使うと、ただの一振りで相手の四肢を切り捨ててしまう」


http://tumblr.com/xau2sco0t5




なぜ、白兵戦においてそれほどつよくなれたか?


それは先程も言ったように理合と関係する。



COMPLEX CAT : 剣術と近代剣道
http://complexcat.exblog.jp/10139034/


倭寇,華やかかりし頃,中国の刀術が全く刃が立たず,その圧倒的な強さから大陸の馬家(通備門の本家,大陸一の高手との誉れ高き馬賢達老師を生んだ名門)がその戦闘ノウハウを導入,研究して体系化したものが苗刀で,反りの少ない古式の長刀術ですが,これは,当時の苗刀がカモとして屠ってきたのはリーチや切れ味や速度に劣る中国刀,双剣,あるいは,リーチはそれなりに稼げても,軌道が単純で,寧ろ裁断的な機能は劣る中国の長剣ですので,日本刀から発達した剣道は,苗刀においても簡単な相手ではないのではと思いました。
 この場合も剣道との試合形式としてルールの中で,対長刀(なぎなた)の試合と同様「脛」を入れるようにモディファイされています。



通備門は八極にも伝えられてその威力を珍重された、とのこと(中間距離の攻防に革新、だったっけな?(発勁のより有効なやり方だったかもしれん。。


そんで八極というとこの辺とか


通備門系の通備,八極,翻子拳においては,この苗刀の動きと全く矛盾のない同じ勁道と理合を使っており,戦闘が無手であろうが,他の兵器術によるものであろうが組み込まれているものは全てが不可分であるということを意味しています。
 私は苗刀を習ったことはありませんが,次の練習風景を見ていて,びっくりしましたというか,当たり前なのですが,全く自分の習ったものが無手であるにもかかわらず理合がそのまま理解できたからです。







たしかにこの下半身とか、それと身体全体の連動の仕方は八極拳っぽい。背中の筋肉の意識なんかも…。もそっと詳細に見ないとわかんない(トレースしてみないとわかんない)かもだけど


個人的に、八極は槍術ベースであるがゆえに中間距離の刀術的なものでの形意ごっこというのはあまりしっくりこなくて…それもあってか刀術ってのは苦手だったんだけど、下半身をああいう風につかっていいのなら、もしくはあんな感じでちゃんばらっぽく刀を使っていいのなら自分的にも動けるかなぁ、って感じがしてきた。


その際、大事なのは刀の長さっぽい


今回の博物館詣ででもその辺を念頭に置きつつ、最初は美術品としての刀の価値基準を自分で見いだせるか試していたのだけれど、次の課題として「この刀で舞うとしたら…?」ってのを自然とやっていた


二尺二寸、二尺四寸、二尺六寸……


ショーケースの中におさまったそれぞれの刀の前で、実際に自分がそれを手にとって動画で見たような八極風?な刀術が舞えるかどうか、かるく体を振ってみた



一番しっくりきたのは二尺二寸、いわゆる戦国太刀とよばれる室町後期周辺の刀や太刀たち


太刀は通常長さを基準とするのだろうけど、自分的には幅広な、いかにも頑丈で通常のものよりも重みもあるようなそれらがは長さ関係なくまとめて「太刀」って感じがした。

刀幅は感覚的に通常の刀の1.5倍ぐらい。重量もそれに準ずるだろう。そうすると、それを無理なく振るに足る刀術が必要になってくる。通常の日本刀とは違った刀術


「足(下半身)を使う」というのはその一つの解のように思えた


「下半身を使う」というのは武道、とくに刀術なんかにはすべからく共通するだろうけど(cf.「腰を入れろ」)


もっと震脚っぽく、両足揃えではなく、局面を片足の踏み込みで打開・転換できるような脚の使い方



刀は短槍のように使うイメージ



そう思うと二尺もなくて良いようにも思って、ふたたび備前長船兼光の脇差し(一尺七寸)の前に戻って(架空ではあるが)手にとってみたらしっくりきた




「……あれで舞えたら気持ちいいだろうなぁ」、と



もしくは二尺三寸、小笠原秘宝の「正垣」。あるいは二尺二寸、青江「真垣」など。 いずれも幅広でジョーズなごとくな威容でござった( ^ω^)・・・あと、摂津の「長幸」なんかも人斬り包丁ぽくよかった


特に「正垣」は刃こぼれもいくつかみられて、わかりやすく「実用」な感じだった



ほんとは刃こぼれなしでも「実用」とか、「たましい」を吸ったり、込められてきた刀の威容(アウラ)のようなものを肌で感じられるようになるといいんだけど……残念ながらまだそこまでは


代わりに、なんとなくだけど刃紋よりも地金のように目がいっていたのが結果的に正解だったのだな、とこのとぅぎゃったーで確かめられた



Togetter - 「日本刀鑑賞の基礎知識」
http://togetter.com/li/120948






「鉄(くろがね)の中に眠る 真夏の蒼穹よりも黒々とした青」






それはなんとなく新刀のそれとは異なっていて…新刀のそれはなんだかおもちゃのように感じられた


「気のせい」ってところもあるのだろうけど、4〜6回ぐらい新刀と古刀の地金部分を見比べてなんとなく思ったり…




「玉鋼が入ってるかどうかの違いかなぁ( ^ω^)・・・?」とそのときは思ったのだけれど、帰ってから調べたら違うみたいだった


鉄鉱石を原料に溶鉱炉で溶かして抽出した現代の鋼(はがね)と異なり、江戸時代までは砂鉄を踏鞴(たたら)で溶かして《玉はがね》を抽出し、それを材料に刀剣を鍛造していた。  鉄に炭素を加え、高温で熱しながら鍛錬し、急激に水で冷やす(焼き入れ)ことで、刃物は硬度を上げ、その特性を生み出す。  刀剣や包丁など刃物の切れ味を上げるためには硬くしなければならない。  しかし、金属も含め物質は硬くすればするほど衝撃に弱く、脆(もろ)くなる性質がある。  このジレンマを昔の日本人は知恵を出して見事にクリアした。  すなわち刀剣は、比較的軟質で粘り気のある《心鉄(しんがね)》を、炭素量が多く硬質な《皮鉄(かわがね)》と《刃鉄(はがね)》で包み込んだサンドイッチ構造で「折れず曲がらずよく切れる」を実現した。  和包丁は刀剣の逆で、炭素量が多く硬質の鋼(はがね)を、軟質の鉄で挟んだサンドイッチ構造である。  従って、和包丁は日本刀と同じく《世界一切れる包丁》として世界中(特に欧米)が認めている。  その事実を知らないのは皮肉にも日本人だけである。
 

日本刀が世界中の刀剣類と異なり「折れず曲がらずよく切れる」構造上の理由を説明したが、この構造を編み出し日本刀の歴史を変えたのは鎌倉時代末期、相州(相模国・現在の鎌倉)の刀匠・五郎入道(ごろうにゅうどう)正宗(まさむね)だった。   それまでは《無垢鍛え(むくぎたえ)》といって、心鉄と皮鉄の複合構造ではなく同一素材の一体構造で造り上げていたので、切れはするが折れやすかった。  どんなに腕が上でも、勝負の途中で刀が折れたらひとたまりもない。  正宗が編み出し完成させた技術革新ともいえる鍛法は、瞬く間に全国の刀工に伝え広がった。  特に、名工や刀工業集団を輩出した五つの主生産地、つまり【五箇伝(ごかでん)】といわれる、大和(奈良)、山城(京都)、相州(鎌倉)、備前(広島・岡山)、美濃(関)の刀剣造りに革命が起きることとなった。


仏国弓道家団と日本刀 | 猪原金物店・コラム
http://blog.inohara.jp/?eid=850910



単純に「硬い」だけを追求しただけでは折れやすくなる


なので、芯のところは軟質な「心鉄(しんがね)」を、それを硬い素材(「皮鉄」と「刃鉄」)で覆っていく


「正宗は画期的(エポックメイキング)」とされるのはそのあたりだったのだろう



これはそのまま軍刀にも引き継がれていった


満鉄刀

心鉄、皮鉄の張り合せ(モナカ構造)を科学的に造刀した近代刀。
百歩譲り、張り合わせのモナカ構造なら満鉄刀のように科学的に造刀しないと心鉄が乱れて駄目な刀になる。


http://morutan.tumblr.com/post/6098788778



古刀のそれはちょっと違って、ダマスカスブレードっぽい

古刀

一枚鍛えの古刀は粘り強く実用性に優れ、美術性でも自然に地金の美しさが現れている。

一枚鍛えの近代刀の先祖といえる優れている日本刀


http://morutan.tumblr.com/post/6098809953


古刀は研ぎの感覚も「やわらかい」らしい


日本刀の材料となる鉄は、 たたら製鉄で得られる玉鋼で、 日本刀製作に適した質の良い鋼とされている。 玉鋼がなければ、 全国の刀匠が作刀の材料に困窮する。 現代の刀匠のほとんどが、 玉鋼を使っている。
 
 だが、 「 玉鋼は万能ではない 」 と、 少数の刀匠が考えている。 古刀の再現を目指す刀匠にとっては、 古刀の味わいある地肌や刃文などの働きなどと比べるなら、 玉鋼では限界があり、 物足りないものらしい。 古刀の味わいを求める刀匠は、 自らが材料となる鉄や作刀方法を探している。 「 近世たたら 」 による玉鋼の供給がなかった古刀時代における製鉄の有り様を再現しようとし、 また、 それに適合する作刀方法を見出そうと努めている。

  新刀時代の作刀法については、 江戸時代の文献により判明しており、 現代の刀匠もそれに習っている。 ところが、 古刀時代の作刀方法については、 未だに判っていない。 作刀法と同様に、 古刀時代の製鉄方法も、 よく判ってはいない。
 ある研師が言う、 「 古刀は研いだときの感触がやわらかい 」 と。 そして、 ある古刀の真偽が議論を呼んでいたときに、 過去にその古刀を研いだ研師には、 その経験から得られる研師独特の判断があるという。
 次に具体的な例をあげておく。

 「 研いだ感じ 」 を 「 砥 ( と ) 当たり 」 と表現する。 『 砥当たりの中には硬軟ばかりでなく、 粘りとか砥石の乗りなども入って 』 いる。
 『 新刀以降では地鉄が硬いと砥石が反発しやすく、 軟らかいとベタベタした感じがする刀が多い 』 。 『 新刀初期と戦国時代の刀とはかなり近い砥当たり 』 だが、 『 南北朝時代以前とは全く違います 』 。  鎌倉時代においては、 『 地鉄の質も最高の水準 』 にあり、 『 相州上位は最も軟らかく、 備前物は刃文の焼幅が広いだけに比較的硬い 』 。 『 新刀で大磨上げ ( おおすりあげ ) 無銘にされ、 相州上位や備前物などに見せかけたものは、 研ぐことによっても馬脚を現してしまいます。 』 
 ( 永山光幹 「 日本刀を研ぐ 研師の技 ・ 目 ・ 心 」 より )

 日本刀に惹かれたからには、 作刀の神髄に触れてみたい。  簡単ではないが、 とりあえず、 玉鋼や作刀への理解を深めようと思う。
 それには、 鉄そのものの特性を、 勉強する必要がある。 鉄という金属は、 他の物質と混ざり合うことやその温度による変化など、 他の金属にない多様性がある。 
 これから、 鉄について、 ちょっとまとめてみよう。 退屈な内容で申し訳ないが、 自分のために整理しておく。 おつきあいいただきたい。


http://morutan.tumblr.com/post/6099133340


そして、さまざまな素材によって構成されていく
http://club.pep.ne.jp/~sugidama/C13_28.htm


まるで日本画の画材のように、各刀匠たちが表したい「色」に応じて用いられる金属の配分が変わってくる



それが古刀



そういったブリコラージュのような作刀とは違って


たとえば正宗のようなサンドイッチ構造で規定したり、あるいは単一金属の一枚すりを何回も鍛えて、文字通り鍛錬させて創り上げた美もある


素延べ合金軍刀

一枚鍛え古刀の粘り強さを科学的に再現し造刀した近代刀。
精錬された鋼は折り返し鍛錬をした鋼と同じなので鍛錬の必要はない。
(科学的に鍛えた=精錬)

最も優れている日本刀

※研磨を重ねても基本的に問題ない


http://morutan.tumblr.com/post/6098802311





「人を斬る」という仕事(ザッへ)に特化し、そこから己本来の姿を呼び覚まし(ポイエーシス)していった美



それはもはや木片から彫り出された仏像のように、そのもの本来の魂が削り出されたかのような「当然」としてそこに「在る」ものとなる


「自ずからそこに在るもの」に





そういった迫力を、背景知識以前に感じとれたら本望かなぁ、と今回の博物館詣でに臨んだのだけれど、、、どうやら未だ未だ熟してはないようで




「キミはまだまだ未熟なんだよ ( ゚Д゚)y─┛~~」


なる聲が、またしてもこだましたかのような心持ちでありましたとさ 












 ただ一条の鋼(スティール)       レザーエッジになりたい





--

話が逸れたけど「なぜ?日本は朝鮮出征当時、白兵戦最強だったのか?」という問いに対してはこの辺とか

 また,ここのドイツの伝統実戦剣術の模擬試合の動画がありますが,驚くべきことに柳生真影流に似た相手の腕を封じて首を突き刺すような,一種の収斂現象みたいな技も入っています。これを見て思ったこととは,兵器自体が強力であるために,実戦的な運用において,剣道技では考えられないような技が沢山あるのではということです。TAKESANさんも書いておられましたが甲冑を着けているかいないかで,使える技のパターンは制約を受けたり受けなかったりします。何が実戦での強さを決める前提として相応しいのかという問題は何処にあっても必ずついて回ります。
 ドイツ剣術の動画は,youtubeには他にもかなりあるのですが,非常にこの問題を考えるのに役に立つと思いました。それは,合気道や中国武術だけを見ていても技の実戦性や運用においては謎であった部分が,システマを見て氷解したのと似ています。とりあえず,この段階においては練習体系において見せているものが実戦的で,秘匿していないのです





簡単にいうと化勁っぽいことして受け流して、その上で発勁(化勁で使ったのと違う勁)しちゃってるのだ。おそらく新陰流も。


なので「当時最強」って感じ




あと、会員になってもうたので6月11日から鑑賞会でれるみたい。・・まぁもそっと勉強して臨もう。せっかくだし


--
関連:
COMPLEX CAT : 内功と外功
http://complexcat.exblog.jp/8952200/



posted by m_um_u at 21:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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