2010年09月21日

グスコーブドリのように



この不可思議な大きな心象宙宇のなかで

もしも正しいねがひに燃えて
  
じぶんとひとと万象といつしよに
  
至上福祉にいたらうとする
  
それをある宗教情操とするならば
  
そのねがひから砕けまたは疲れ
  
じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと
  
完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする
  
この変態を恋愛といふ


(宮沢賢治、「春と修羅」







はてブでこのエントリに「すごい」とか「人生」とかついてて


はてなブックマーク - 小沢一郎版夷陵之戦: 極東ブログ
http://b.hatena.ne.jp/entry/finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/09/post-d6c5.html


たしかに良いエントリだけどそんなに「絶文!」みたいにいうことかな?とか思ったりした


「(小沢のようにもはや財産もしっかりあって選挙なんか出る必要がない人が選挙に出たのは枝野からの党費つかわせないぞープレッシャーもあったのだろうけど、それ嫌だったらもういっそのこと引退しちゃってもいいんだけど金持ってんだし、って)ひとが一見すると非合理的な判断をするときそこには人の思いを背負った意志がある。盟友との約束。死霊に憑かれ、死霊がそれをさせているのである」

というのはわかるんだけどそういうのはほかにもあったなぁ、と


ある人はそれを「狂」といい


「狂」人伝    高杉晋作 - 歌餓鬼抄   
http://d.hatena.ne.jp/hankinren/20070318#p1



ある人はそれを「意志」と呼ぶ


BigBang: アウン・サン・スーチーという意志-----第1章 「写真物語U」
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2008/01/post_9739.html


BigBang: アウン・サン・スーチーという意志-----第2章 「写真物語U」
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2008/01/post_8837.html



信じること  狂うほどにコミットすること   死者の魂を背負うことの是否



それは「観念や思想先行で生活・恋愛に根ざしてない」「観念に酔ってる」ってことなのかもしれないけど、しかし歴史はそういった狂人が駆動してきたところがあるか



それを自分がしようとは思わないけど




宮沢賢治 『学者アラムハラドの見た着物』]: クラブマネジメントの小幡万里子です
http://club-m.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-6860.html


アラムハラドは子供たちに問う、「ひとがどうしてもしないではいられないようなことはなんだろう?」


「人は歩いたり物を言ったりいたします。」


「私は饑饉でみんなが死ぬとき若し私の足が無くなることで饑饉がやむなら足を切っても口惜しくありません。」

「人が歩くことよりも言ふことよりももっとしないでゐられないのはいゝことです。」



(さうだ。私がさう言はうと思ってゐた。すべて人は善いこと、正しいことをこのむ。善と正義とのためならば命を棄てる人も多い。おまへたちはいままでさう云ふ人たちの話を沢山きいて来た。決してこれを忘れてはいけない。人の正義を愛することは丁度鳥のうたはないでゐられないと同じだ。)





グスコーブドリの伝記<あらすじ>
http://www.thr.mlit.go.jp/iwate/kodomo/kazan/kazan_ku-bo-/k6_032.html



プラネテス(4) (モーニングKC (937))
幸村 誠
講談社
おすすめ度の平均: 4.5
1 微妙だし ガッカリ
5 世界の全部がつまってる
5 なんかわかんねぇけど
5 もうひとつのフィーの物語
5 ロックスミスには彼自身の葛藤があったんだろうな、と思う。



ブドリは子供の頃 農業の大変さや生きることのつらさを身を持って学ぶんだ

勉強して農業をやめても彼はけっしてそのことを忘れないんだよ


研究者になって人間の幸せのためにたたかったんだ


火山ガスを利用して雲を作り天候を操り日照りや冷夏から人々を救った



オレもグスコーブドリのようにオレの作ったエンジンでみんなを幸せにしてやりたい




グスコーブドリのように








「君の愛した人はグスコーブドリだったんだよ    

君のその愛が彼の心をとらえた事などないのだよ」




「真理の探求は科学者が自らに課した使命です  

『本物』の神はこの広い宇宙のどこかに隠れ我々の苦しみを傍観している 

 
いつまでもそれを許しておけるほど私は寛容な人間ではない」


「神が愛だというのなら我々は神になるべきだ  

さもなくば     

我々人間はこれから先も永久に    


真の愛を知らないままだ」




かくてこのテーマは「ヴィンランド・サガ」につづき


「ヴィンランド・サガ」の背景メモ (アングロサクソンの良心、キリスト教とゲルマンとか): muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/161667855.html


クヌートはロックスミスを、トルフィンはハチマキを辿っていく


あるいはトルフィンはハチマキに到るまでにブドリを辿る



その道連れに愛のしるしを携えて




posted by m_um_u at 12:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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