2010年09月03日

中世の意味的コスモロジー   教会を通じたパラダイムシフトの話

これ見て、ああちょうど聖と俗関心持ってたら似たようにリンクしてる、って思ったので



流転する浄と不浄、信仰世界への回帰現象と科学の立ち位置 | Kousyoublog
http://kousyoublog.jp/?eid=2520




自分的には「現在の都市の消費的祝祭空間 = ハレ」というところから「ハレ・ケ・ケガレ」を「聖・俗・穢」とし「市場によってドライブかけられたハレの過剰性にバランスとるためにケガレ的なものがいるのではないか?においとか痛み、肉の感覚」って無痛文明論的なこととか、「聖と穢は本来おなじ異界のもの、俗(秩序)に対する混沌」ってとこから「無縁=公だもんな」とは思ったんだけど


無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))
網野 善彦
平凡社
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5 東西の個人と社会そして「自由・平等・平和」の成り立ち
4 「日本の歴史をよみなおす」のほうが上かな?
5 網野史学の出発点
5 民俗の歴史学は本書で始まった
4 日本中世の自由とは何か





この聖なる混沌の領域も、俗なる秩序の世界が発展し階層・分業社会化するに従って「善き聖」=浄と「悪しき聖」=不浄(穢)とに分離していくことになる。

つまり、社会の階層分化にともなって、シャーマン・呪術師・司祭などの専門職が登場し、それまでタブーとされてきた聖と俗の二つの領域をつなぐ儀式を独占することによって、彼らは支配階層として社会の上位に位置していくようになる。彼ら支配階級の登場は聖なるものを排除された外部から、日常生活を規定する価値基準へと変えていき、さらに、それら聖なるもののうち「善き聖」の独占者としての祭司王の登場によって、秩序世界と相補的な聖の分極化が始まることになる


この不浄を浄に変える儀礼はかつては聖職者の独占物であったが、時代が下るに従って聖職者の手を離れていき、各々が聖なるものへと近づく試みがなされてきた。




ってなったのはちょっと意外だった。金や知だけではなく、聖とケガレにおいても教会や寺がハブとして意味的転換装置の役割も担ったのだろうか?

知についてはこの辺で触れられてるが

「聖なるもの」はどこに宿るか。まず原始的な社会から近代国家にいたるまで共同体そのもの、自身が所属し、生活の基盤を与えてくれる社会にこそ聖性が宿ると考えられた。一方で、人間が生み出した文化もまた聖の領域があると考えられた。この世にかかわる世俗的な領域としての学問、道徳、芸術は、超世俗的な領域、学問における真、道徳における善、芸術における美という価値の実在的な体験に聖なるものを感じるようになっていく。そして儀式という宗教体験が個人の手に移ったとき、神と直接つながる個々の人格にこそ聖なるものが宿ると考えられるようになっていく。



「失われた聖性」とそのレコンキスタの背景は「科学による聖性の収奪」と考える、と


近代は科学と個人に対する万能感に包まれていた。しかし二つの世界大戦の悲劇と60年代以降に世界中で問題となる貧困と環境問題は科学に対する万能感を反感に変えた。人々にとって科学は聖なるものにつつまれた大いなる生を約束するはずだった。そして、科学が高度に専門化し、科学者を介してしか「真実」に辿り着けないと人々が感じ始めたとき、人々は再び、自身の体験に意味を与えてくれる何かを模索し始めた。それが世界的な宗教保守化の運動とスピリチュアルブームの勃興へと繋がっていった。





対照としてオラが前に考えたやつ。「システムによって聖性が代替擬制された。人々はその空白を埋めたがる」という視点は共通する。ただ、「システムの中の聖性(象徴)代替作用は科学が担った」としているようだけど、オラの場合は貨幣と市場の呪術性がもたらしたものと考えてる。



「今年の夏俺全身ジャスコ〜♪」、と彼女は言った: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/161061791.html

祝祭はもともとハレの日で、それは日常の生活とは異なる異界でありだからこそ過剰な演出・スペクタクル・情報量も腑に落ちるわけだけど、それがいつも続いてると居心地が悪くなる。


現代の消費的な欲望は宗教的性格を持っていたハレを市場的に再生してみせたもの、あるいは現世の法と聖性との境界領域に属する「市場」の性格を商業的な部分だけデフォルメして再現したものといえると思う。

しかしそれは商業的なところだけクローズアップしたデフォルメであるがゆえに失われたバランス、居心地の悪さというのがあるのだろう。現代人の場合、普段の生活が異常に忙しく、その忙しさのストレスを金―消費であがなうようにできてるので気づきにくいだろうけど。

でも、普段の生活でそういったスピード感、それを支える情報量に耐えきれなくなって違和感が生じる。自分のいる空間と実存に対して欲望がオーバードライブしてるので。(端的に言うと「ちっぽけな自分の部屋に比して広告やテレビでみる都会生活のきらびやさから疎外が生まれる」)



そういった欲望、付加価値、情報の実生活に対するオーバードライブに対して、「特別な場所での特別な体験」というのは空間と情報量的に整合性をもたらすのだろうなぁ、となんとなく。



聖性と市場のあいだ: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/161162630.html?1283266712

「昔の市場は都市の外縁、無縁領域との境界部分にあり、やがてそこに境界的なものも築かれていっていたようだ」って網野さんなんかも言ってた話。

そこに、「マスメディアや興業が発達していなかった中世・近世では宗教美術がエンタメとして機能していたのではないか?また、知のハブとしてのマスメディア的機能、教育的機能、法制度的機能も同時にもっていたのでは?」、という仮説も加味したところから上記の話が出てきた。


「マスメディアが発達していなかった頃は稀人的旅人が都市と都市、人と人との間の情報伝達の役割を担っていた」ってのもあるわけだけど、とりあえず都市と祝祭の契機として。


祝祭というのはもともと宗教的なもの、あるいは収穫の喜びを祝うものだったはず。暦は農暦だか占星術だかによるのかマチマチだろうけど。


とりあえずそういったハレの場として祝祭は機能してたはずだけど、エンタメのきらびやかな部分のみを分節化し金で代替交換するようになってなんか歪みが生じたのかなぁ。文脈切除して楽しいところだけ味わうことになるので。「金で交換する」ことにはなるんだけどタイムラグほかのズレがあるし。

そこでは生の体験や実存が失われる。もっと具体的に言えば「祭りに参加してる・一緒に作り上げてる」感が「金で買ったもの」という消費対象になる。




もしくは武力や聖性の権威性は「知」(≠科学)によって継がれていった。間に資本の論理を介して


「古代」と「中世」を分けるもの?  「武」・「聖」・「知」と法制度なんかについてぼけーっと: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/160425677.html



資本の論理ー産業化ー分業化によって個々人の役割が各労働の場的に限定特価されることを通じて個人の自由・可能性が狭められて実存感覚が喪失されていった経緯についてはこの辺



「会社とか学校と家庭」「システムと生活世界」「壁と卵」「聖と俗」との間ぐらいの話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/161255211.html


参照エントリではそういった自由、金に還元されない個々人のボランタリーなつながりが生まれる共有地(親密圏における協働の場)を「コモンズ」と呼んでいる。





そんなこんなで、自分的には「似たような関心持ってて違うリソース取り込んでる人がいてうれしいな」って感じだった。


(繰り返しになるけど)金や知だけではなく、聖とケガレにおいても教会や寺がハブとして意味的転換装置の役割も担ったのだろうか?ってとこで

この辺はおすすめいただいた「異人論序説」で「都市と異界の境としての教会が市場につながっていった」みたいな話もあるはずなので見ていこうかと思う。


異人論序説 (ちくま学芸文庫)
赤坂 憲雄
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4 オーソドックスな序説




あと、本来なら「武」だけでいいはずの権威性の後ろ盾的なリソースが「聖」や「大義」―「(天からの)正統(な王権受託)」という流れになっていった経緯、そこからの派生として「聖性」のハブであった教会が「知」と「金」の象徴交換(意味的転換)的役割を果たした経緯について歴史的に見つめ直していこうかと。


<「武の時代」が過ぎて「経済」の時代が来て、その次に「情報の時代」が…>、とか一口にいったりするけど貨幣が認められるまではけっこうな意味的交換作業が必要だった。中世ヨーロッパの場合、その際に贈与交換と貨幣交換の信用代替をしていたのが教会だったわけだけど、そういった地味な意味的変化を見ていきたい。


そういう作業というのは知識社会学だかシンボリック相互作用論だかなんに当てはまるんだかよくわかんないんだけど、まあぼちぼち





posted by m_um_u at 21:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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