新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)
posted with amazlet at 10.08.29
濱口 桂一郎
岩波書店
売り上げランキング: 15340
岩波書店
売り上げランキング: 15340
おすすめ度の平均: 






労働法関連の本ということもあってかなんか読みにくくてけっこう気絶させられたけど、話題になってたとおりこの領域の構造的問題が分かりやすく見取り図になってるなあ、と思った。
今回は詳細に感想書く気もないのでそういう書評みたい場合はこの辺で
http://homepage3.nifty.com/hamachan/bookreviewlist.html
「日本ではなぜ年功序列で職能が評価されないのか?(あのおっさん働いてないようにみえるけどなんであんなに給料もらえるの?)」とか「残業させまくり働かせ杉なんじゃないの?」、「非正規雇用ってなんでこんな差別うけてんの?」とかに興味ある人はおすすめできそう。ポイントは<日本の労務・雇用評価はメンバーシップ制であって職能制ではない>というところ。
メンバーシップ制というのは「とりあえず雇い入れた社員、会社のメンバーになった社員の家族を含めた優遇を第一に考え、『職務と給料』の双務関係は棚上げする」みたいな感じのもの。武士の扶持と似たような感じで「(仕事に対して人が必要だから雇うのではなく)とりあえずメンバーを食わすために役職を与える」(生活給)って感じ。
労働者の評価は職務の生産性(職能)ではなく会社のメンバーシップの中から「その会社への年功(何年務めたか)」という形で派生していくことになるので別の会社組織からは客観的に職能を判断しにくいことになる。結果として雇用の流動性(転職の機会)が発生しにくい。
こういった体質がなぜできたのか?というと1970年代のオイルショックの影響があるみたい。
オイルショック以前にも「年功ではなく職能で評価していこう」という流れはあったみたいなんだけど、オイルショックのゴタゴタでその声も消えてしまった、と。
「オイルショック → 雇用もあぶなそう → せめていまの食い扶持だけでも守らないと → 流動性を高めるのではなく現在の既得を逃がさないように確保すべき」って流れ
この前段階として共産主義の脅威を感じた労働・教育現場が対共産主義的に平等主義を採用したことも影響したみたい。「共産主義が平等主義を売りにするならこちらも平等主義で行きましょう」みたいなのかな。(cf.日教組の影響)
そんで結果的に職能評価なんかで生まれるようなひどい評価が生まれない代わりに突出した評価(給与)なんかも生まれにくくなったわけだけど 「それって果たして『平等』なのか?」って問題が残った。
加えていうと企業における職能主義の見直しと学校教育における職業訓練教育の再検討の問題は連動していたようだけど、前者の機運が消えるのと並行して後者も自然消滅していったっぽい。
そんで結果的に現在の教育はタテマエ的なものとなってしまい企業側からは「大学教育なんか役に立たんよ」といわれるようになってしまった。
学ぶほうの学生も職業的意義(レリバンス)が感じられなくてモチベ(モラル)が上がらない、って問題がある。
この辺はびみょーで、基礎研究と応用研究の意義みたいな感じで「学校というのは基礎研究的な真理みたいなのを究める時期。一生のうちでそういう時期ってあまりないのだからこの時期に集中してやってみるのは良いこと」って見方もある。
しかし、青田買い的に就職活動の時期が前倒しになり、結果として学生が勉強に集中できないというのが現状なわけだけど。
なので「真理」とか純粋な興味みたいなのを担保しつつ、並行して職業(社会)に通じるような知識の伝播の過程が必要だな、とは思ったり。本田さんのギロンはその辺のようだけど
大阪市立大学大学院・早瀬晋三の書評ブログ : 『教育の職業的意義−若者、学校、社会をつなぐ』本田由紀(ちくま新書)
http://booklog.kinokuniya.co.jp/hayase/archives/2010/01/post_162.html
教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)
posted with amazlet at 10.08.29
本田 由紀
筑摩書房
売り上げランキング: 4947
筑摩書房
売り上げランキング: 4947
おすすめ度の平均: 






労務評価(職務・職能と給与の関係)の話に戻ろう。
日本の企業では年功序列制度に加えて「若いうちは薄給、年をとって(家族が増えて)から若いうちの給与を返していく」って積立みたいな時差式俸給の慣習がある。「これもあって若いうちに薄給だった人たちがなかなか年功制度から離れられないのではないか?」って見方もあった。
この辺はいつかやらないといけないことだろうし、いきなり全部切り替えるってわけでもなく段階的にすればいいんじゃないかという話。
とりあえずそんな感じで
日本の会社組織における給与(評価)の仕方というのはなんだか「従業員(の家族)に対する社会保障」(生活給)みたいに機能してるみたい。「年金と同じで積み立てて」「若いうちはもらえないで再分配するようにして」「職能とは関係なくもらえる」、って感じで。ライフステージに応じた企業内における時差式のベーシックインカムみたいな感じで。
ただし、それは「正社員に限る」ってことで非正規社員(パートタイマー)はそこから除外される。非正規社員の場合は職能-時給で評価されるので。(ここの評価も正社員の若年時のそれにあわせてあるトリックがあるだろうけど置く)
ただ、年功序列と時差式俸給の話でもあったように「職務-給与での評価になってない」というのは非正規雇用だけの問題でもないので。「あのおっさん働いてないのになんでオレより給料高いの?」ってとこで正社員もこの問題に関係してくる。
そういうシステムは会社が半永久的に続く場合は有効だろうけど「いつ潰れるかわかんない」もしくは「もっと良い待遇(自分にあった)ところがあるから転職したい」ってご時世に合わない。
本来なら積立給与である退職金も払わないような企業も現れているようだし
http://otsune.tumblr.com/post/1024839352
なのでゆくゆくは生活給から職務給へと変えていったほうがいい、ということだけどそれも段階がいる。
その際、「お上からのお達し」みたいにどっかのお偉いさんが決めたやり方に従うだけではなく各現場の利害関係者がきちんと集って話し合いをして妥協点を見つけていけるといいな、と。
そのためには現状では有名無実とかしている組合とは別の組合組織がいるだろう。もしくは現状の労働環境で不利益を被っている社員(フルタイム・パートタイム問わず)にとっての駆け込み寺みたいなところ。
そういうところとしてコミュニティユニオンが紹介されていた。
コミュニティ・ユニオン全国ネットワーク
https://sites.google.com/site/cunnet/
全国コミュニティ・ユニオン連合会 - Wikipedia
http://bit.ly/bl3L2R
ひとりでも訴えはできるけどやはり団結して訴えたほうが強いようなので。
ちょっと複雑になってきたのでまとめると、
「日本の会社における現状の評価(給与)体系は年功序列制度として実質的に時差式のベーシックインカム(生活給)みたいな性格を持つ。そこに成果給がちょっと付加される感じ」
「それが現代の日本においては若年層や非正規社員には機能してない」
というところがポイントになる。
そんで、<「時差」で再配分される給与というのはもともとは社員が生産したものなのだから必要なときに対価として要求できるはず>、というのが交渉のポイントになりそう。
・・ただ「生産性」≠「職能」ってのは漠然としてるし日本では慣例として若年層の給与は低く設定されるわけだけど
あとはメンバーシップ制(生活給)から徐々に職能給的なシステムに移行したとして、労働者がそういた制度に耐えられるようなスキルをどのように身につけるか?という問題
この辺は「学校において職業訓練教育を取り入れる」というのと並行して現在の労働者のための職業訓練教育をもっと充実・実践的なものにすることが求められる。
その際、休職中の労働者が教育を受け、スキルを身につけやすいようなバックアップ体制として雇用保険と生活保護の間をつなぐ給付金制度が必要、と。現状の生活保護審査はあまりにも厳しいので
ただ、これは現状の日本の金蔵からではムリだろうから企業内社会保障との兼ね合いということになるのかだけど…難しそうだな。
--
関連:
天下りが無くならない理由 - Joe's Labo
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/ff5171fc5c0a1f8e3625fae442386eb7?fm=rss
「年功序列廃止を考えるならまずは官庁の天下り見直しからはじめてはどうですか?」、という話
↓はこういった年功序列制度がなぜ日本に根づいたのか?ということについての妄想
「ゲゼル / ゲマイン」のところは「法治主義ではなく人治主義」とも絡みそう
「古代」と「中世」を分けるもの? 「武」・「聖」・「知」と法制度なんかについてぼけーっと: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/160425677.html