岡田英弘、1992-1999、「世界史の誕生」 (+α): muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/160377882.html?1282574912
最後のほうに積み残した話題、「武の時代から知(法と制度)の時代へ」について
「五胡十六国から隋・唐に至る時代の中で、豪族(地方の土地持ちヤクザ)の解体され、それに代わってニューカマーとしての知識エリートの台頭してきた」という話
http://tumblr.com/xaug2oiq8
それまでは武力を拠り所とした豪族たちの血統重視社会だったのだけど、そういった血統がなくても「知」を通じて高い地位が得られるようになっていった
慣習法から明文法へ、暗黙知から明示知へ、アナログからデジタル(モジュール)という感じ。文明化とはそういうものかなあと思うわけだけど
そういった流動性の高まりも知識階級の世襲化→貴族化によって固定されていったらしい。「族から縁を基盤とする社会へ」
この辺なんかは前出した岡田史観的な説明、「儒教とか科挙といった知はタテマエであって政治の本質は軍部(武)が握っていた。それが史料として残っていないのは知識階級である漢民族が夷狄に武力でかなわないことに対するコンプレックスの裏返しとして中華思想をもっていたからである。『資治通鑑』なんかはその良い例」、とどういった整合性をもつのか興味があるんだけど、自分としてはいまのところ他に比較する資料がないのでぼけーっと類推するぐらいしかないな。
なんとなくの類推としては岡田せんせの見方もゴリゴリし過ぎてて実際の中国内部のでの政治的力関係については配慮されてなかったのではないかとか思うんだけど。
「武が基本であり知はタテマエ」というのはあるとおもうんだけど、それを基本としつつも政治サロン的なところでは「知」が実質的なコミュニケーションツールとして機能していた、というのはあると思う。出世のために必要な「教養」的なもの。
その効果というのは例えば「正統」をめぐる言説、「武力だけでは人を統べることはできず『天からの命』という権威性をもって混乱を治めることができる」、みたいなのに通じるように思う。
なので国家としては武を中心リソースとして夷狄と内部の混乱を統治することを基本としていただろうけど、その内部の複雑性を縮減させるために「知」が機能していたのかなぁ、とか思う。「縮減」というか反乱の気運を緩和させたり別の方向にそらせたりするためのワンクッション、魔法のようなものとして「知」が機能していたかなあ、と。
「武だけでは治められず知が必要だった」あるいは「統治において武以外のリソースが複雑に絡み合っていたのではないか?」関連で言うと武と文(知)と聖の関係なんか思い出す。
ネット時代の「文化の力」とは? 情報力-国民主権-国民国家-民主主義: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/131099784.html
中世における公共性(あるいはその萌芽)の構造転換な話 (応用編): muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/129946855.html
武力だけではない統治のリソース「聖」を教会という知識ハブに委託していたのではないか?、って話。聖を担保としつつ実質は知のハブとして機能することで権威性を高めていっていた、みたいなの。
この辺まだきちんと固まってないけど、中国の場合は儒教・道教辺りがそれにあたるかな。しかしヨーロッパとか日本みたいな感じで「教会」「寺」が「知」を統制管理していたわけでもないようなのでこの辺は異質性があるのかなあ、とか。
中国人の信仰心なんかもこの辺関連のなのかなぁとかぼけーっと思う。「国家とか民族ではなく血縁頼る」とかも関連で
日本の話も出たのでこっちも
http://tumblr.com/xaug2op1u
日本ではなかなか「豪族による地方自治=擬似封建制、慣習法を中心とした社会」から「明文法で法制度に従う律令制度」への移行が進まず、とりあえずお隣りの中国から律令制度だけ借りてきて無理やり当てはめようとしてたけどやっぱほころびが出てパッチ当てて対処してた、と
んでも、中央集権的気風がなく封建な感じだったので求心力なくバラバラに荘園もたれたりとか
つっても最終的に水上交易へのアクセスもってる地方領主と中央政府みたいな寡占関係になっていったのだろうけど
ここに日本の場合は天皇の聖性=天命な正統が絡んできていたはずなんだけどそれが中国ほど機能しなかったのはやはり「もともと中国の属国だから天皇つってもなぁ。。いま中国と関係ないし」みたいな感じだったからだろうか?
まあ、とりあえずこの辺の「武・聖・知」辺りの統治のリソースと海上交易路・陸上交易路・荘園なんかが自分的ポイントになってくるのかなあとか思いつつ、こんなの見かけたのでついでに
封建制度と郡県制度 - heuristic ways
http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20100706/p1
柄谷 行人
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無残なパッチワークとしての世界史論
著者の最高傑作、昨今の最高傑作
世界史におけるアンチノミーの概念=交換?
文藝評論家カラタニ、最後の大仕事
オリジナルな書柄谷さんの「世界史の構造」はちょっと興味持ってるんだけど前の「世界共和国へ」がちょっと贈与経済マンセー決め打ちっぽいところがあったので警戒してたり。
岡田史観とか網野史観みてると「武→経済(金)→情報」みたいな単線的進化史観も眉唾
実際はお金が重要なリソースになりつつも武力も力もってたし、縄文と弥生なんて判然と分けられないほど同時並行だったし、「日本は農民国家」とかいっても百姓って「いろんなことするひと」ってことで商いもしてたし米以外もつくったり山の幸・海の幸とったりもしてたし…。
んでも上記エントリみるとどうも今回の本では「他の交換様式に対する排他的・進化論的な交換様式論」ではなく「同時に複数の様式があることを認める」系のようでなんかおもしろそうだなあ
ただ、やはり「贈与経済的にやがて移行する」という決め打ちが最初からあるように感じるのは否めない。
てか、ここで問題にしてる「貨幣制度」だけど
官僚制と貨幣経済 - heuristic ways
http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20100713/p1
これは「貨幣」の問題だけではなく「人類が抽象(メタ)的な仕組みをどのように社会システムの中に取り入れていったか」ってことでありその中には法制度、数、信頼を介した交換の仕組みなど網羅されるのではないか?と思うんだけど
言語もそうだけど。おーざっぱにいえば「アナログ的なそれからデジタル的なそれへの移行」みたいなの。ゲマイン→ゲゼルというのもこの辺だし。氏族・血族から個別の才能あるものの登用への移行みたいなのもこの辺。モジュール分化で流動性が高まる
そんでめんどくさいのは「ゲゼルシャフト/ゲマインシャフトっておーざっぱすぎてそんなに判然と分けられないよねー」って話と同じようにこの辺のアナログ /デジタルのって移行期とかに混ざり合ってるので判然と分けられない、ってこと。そんでもなんとなくの移行期とかメルクマールみたいなのあるし
ウェーバーにおける官僚制やプロ倫的興味もこの関連かなあとか思ってるわけだけど
「合理の中に非合理が、近代の中に前近代が入ってるんだね」って話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/128448698.html
こういう「システムとそのリソースとしての抽象(メタ)思考」みたいな話が理解社会学とやらにつながるのかなあとか思いつつよくわかってない。。
プロ倫は実証的に見ればゴミですよ - finalventの日記
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20091203/1259801674
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