2010年08月23日

岡田英弘、1992-1999、「世界史の誕生」 (+α)

ちょっと前に「世界史の誕生」読み終わって

世界史の誕生─モンゴルの発展と伝統 (ちく

ま文庫)
岡田 英弘
筑摩書房
売り上げラ

ンキング: 65513
おすすめ度の平均: 4.5
5 支配する側が文化も優れているのは当然である
5 「岡田史観」の入門書
5 単一

世界史づくりへの最初の試み
5 岡田と(妻であり同業の)宮脇淳子

が杉山正明を批判している
4 日本史の網野史学に匹敵する目から

ウロコの世界史




その感想みたいなのエントリにしとこうかなぁとか思ってたんだけどちょっと関連話が出てたのでついでにまとめて


最初に「世界史の誕生」についての簡単なまとめ(印象に残ったとこ)。あとがきにまとまってるの

で大体な感じで箇条書き



・「歴史」というのはそれぞれの国ごとの一定の見方、物語に沿った観念であるためそれぞれの国の

「歴史」を見ているだけでは周辺諸国との関係はおろかその国の歴史さえわからない


・その意味で「世界史」が始まるのは「それぞれの国ごとの歴史」が「ひとつの世界の歴史」として

統合した時点から、13世紀にモンゴル帝国が中国とヨーロッパを結ぶ草原の道を支配して以来ということになる

モンゴル帝国が中国を支配するまでの流れはけっこう長くなるので詳しくは後述。

簡単にいうと中国はユーラシア内陸部の遊牧民に常に脅かされついには支配された。ヨーロッパは世界の辺境程度の小さな地域だった。なので、ユーラシア内陸部の遊牧民(匈奴≠フン族)の移動に押し出されるように動いたゲルマン民族の移動の影響を受けてローマ帝国(帝政ローマ、西ローマ帝国)が崩壊した


・資本主義(貨幣経済ではなく信用取引としてのそれ)の萌芽は草原の道を通じてモンゴルからヨーロッパに伝わっていった。


・モンゴル帝国が陸の道―陸上貿易の利権を独占してしまったのでその外側に取り残された西ヨーロッパ人と日本人は海上貿易に進出。結果的に低コスト+短時間のロジスティクスを獲得した海洋国家が文明の追い上げを見せた(cf.大航海時代




そんで以下はモンゴルが中国を支配するまで、夷狄と中国との関係の流れ



・(「日本史の誕生」では「日本およびアジアの周辺諸国は中国から生まれた商業都市を原型とする」ということであったが)

岡田英弘、1994-2008、「日本史の誕生」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/157141489.html


中国も純粋な漢民族国家というわけではなく匈奴や鮮卑といったユーラシア内陸部の遊牧民の脅威にさらされ、ついには国の主権を奪われている。またそれ以前、夏王朝の源流は東南アジアだったり。



・五胡十六国の乱のおりに南匈奴軍が洛陽で晋帝が捕らえられる(AC316年)。翌317年からの1年間中国には皇帝というものがなかった。中国の「正統」が途絶える。


・「正統」とは「(暴力だけではなく)天命によって国を統べる命を授かった」とするもの。


・匈奴・鮮卑・羯・てい・羌を「五胡」とする。 鮮卑は北匈奴が名前を変え自称していったもの。隋・唐は鮮卑系
http://www3.kct.ne.jp/~atonoyota/tyusei/51-china11.html



・匈奴のもともとの源流も夏王朝っぽい

匈奴 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%88%E5%A5%B4


・中国は遊牧民に対して金払ったり皇帝が姫を捧げて義兄弟化することで友好関係結んでたんだけど、王莽のときに「儒教的にはおまえら中国皇帝の臣下で当然じゃん!」って言ったらフルボッコ。反乱続出で中国荒廃のきっかけになった。


・中国は秦のときにはじめて全国を封建(feudalismのほう)的にではなく統一的・律令的に帝国化することに成功したが匈奴の侵入恐れて万里の長城作ってたり



・五胡十六国の乱で晋朝が滅んで皇帝制度が消滅、漢族による王朝が滅びこの時から中国は遊牧民出身の王朝支配が続いていく。漢民族といえば被支配階級を意味することに。隋も唐も鮮卑の王朝、五代に入ってからも後唐・後晋・後漢はトルコ人の王朝だった。宋になってから600年ぶりに中国人(漢民族)の王朝が復活したがキタイにやぶれて遊牧民族優位な和約を結ばされる羽目に…。


・これによってプライドを傷つけられた中国人が、「われわれは武力では夷狄に劣るが文化では夷狄に勝るのだ」と主張したがるようになった。「資治通艦」なんかはその表れ。 これがいわゆる中華思想。これは事実に反し支配階級である「夷狄」のほうが文化的にも優っていた




だいたいこんな感じ。

印象的だったのは「日本とかアジアつくった中国ってすげー強いって印象だったけどモンゴルとか、それ以前にユーラシア内陸部の遊牧民の方が強かったんだねー」とか「世界史ってヨーロッパ中心で考えがちだけどあれって当時の世界の趨勢からみれば辺境の話だったのねー」辺り

ほかは「遊牧民がやっぱつおいのかなー」とか気になった。この辺りは後述


あと、全体を見返してみるとペルシア帝国の影響とか分かりにくかったように思うけど、この辺は再読してみよう。




そんで、こんなこと思ってたときについったーのTLで五胡十六国関連見かけたので気になった。

http://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write-ex1/2010/07/20100728.html#090000


@koubouさんとこのIRCログだけど

簡単に内容まとめると「中国の統治体制が地方豪族(ヤクザ)の地方分権 + 封建的体制から中央集権的体制に質的に変化していった流れ」って感じだった。「地方豪族の士大夫」から「科挙に受かった文民エリート」を優遇する体制へ、って感じ。 

日本の場合は五大老に対する五奉行辺りかのう、とかぼんやり思いつつ


長いのでポイントをたんぶらーで各論に区切った。以下



五胡十六国(→南北朝)時代の分裂期、蛮族とされた異民族が中国の中心を担っていったがその際の

統治システムとして漢民族的教養が機能していった
http://tumblr.com/xaug2nkbl

五胡十六国は「五つ」とか「16個」とか決まった数字でもなく「たくさん」程度の意味。匈奴が最強だったみたいだけど漢民族との戦いで南北に割れてそれから遊牧民も割れていって五胡十六国になっていって乱世になっていった。そんで戦争したらすごい勢いで大量移民が行われたとか(>西晋の時代の人口が860万人ですが、150年間で記録で明示されてるだけで1500万人の移動がある




匈奴について
http://tumblr.com/xaug2nn17

匈奴は日本人がイメージするようないわゆる「民族」(=一定の文化的類似性を有する共同体)とは違ってとりあえずの寄せ集めだったっぽい


>実のところまったく血縁のない複数の民族が、やはり支配被支配の関係で繋がっただけのものというのが、最近の説だったはず

この辺は「人種的に相同な『民族』などというものは存在せず単に言語が同じ人達がグループになっただけ(cf.インドヨーロッパ語族」(岡本英弘)ってのを思い浮かべる。




税回避手段としての兵役と荘園
http://tumblr.com/xaug2ns17

匈奴の人口は50万で騎兵が30万。少なく見積もっても10万の騎兵がいたとか。

「騎兵というのは 弓と刀だけで 集落を破壊できて、すぐに撤退できるので非常に強い」(なので遊牧騎馬民族強い

税率がひじょーに高くて、兵役につくと安くなるということだったようだけどそれでも50%だったとか。


徴兵制が安定して機能してくるのは近代国家成立以降 とか
http://tumblr.com/xaug2nu8x



そんでポイントはこの辺


豪族(地方の土地持ちヤクザ)の解体とニューカマーとしての知識エリートの台頭
http://tumblr.com/xaug2oiq8

日本ではなかなか豪族地方自治→擬似封建制→律令な中央集権への移行が進まずパッチ当ててた

http://tumblr.com/xaug2op1u



この辺の「武の時代から知(法と制度)の時代へ」ってのはおもしろいんだけど、なんか長くなって疲れたのでまた次のエントリに稿を改めよう



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関連:
東アジアの勢力図 移り変わりの歴史(flash)
http://www.ugoky.com/chizu/ugoky_chizu.swf



タグ:歴史
posted by m_um_u at 23:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク
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