2010年08月07日

祭祀(再帰)的な彼ノ所

「せっかく広島帰ってきたから8月6日イベント行こう」って気持ち。てか、帰る前からいくつもりだったし、行くとしても暑いから朝はいかないで夜ぐらいかなーって感じだったんだけど


狙いとしては暗闇のなか海へと流れていく灯籠たちをtwitcastingで追えるときれいかな、と。


集った人たちは暗闇を背景に静かに祈っていて、その闇に色を付すように灯籠が点々と浮かび流れていく。色とりどりの灯籠が沈黙の被爆者たちの感情を代弁するように、暗闇の過去・現実に対する未来への希望のように、暗闇の中たましいを載せて海へと還っていく。

そんな場面を想像してたんだけど裏切られた。


実際の灯篭流しはなんか音楽と喧騒と過剰な光で騒がしく、花火大会みたいだなぁって。あるいは靖国神社のみたままつりの対称のような、そういう騒がしげな光。

両方とも右翼だか左翼だかのひとたちが「英霊の」とか「平和の」とかがんばっていうんだけど一般人はそういうの無視というか、カタカナ的に「英霊大事」とか「平和大事」とか刻むんだけど深く考えることもなく実質はお祭りとしてのそれらを楽しんでる、みたいなの。

「英霊祭り」とか「平和祭り」



みたままつりについては行く前と行った後にちょっと調べて、けっきょくは「七夕祭りの延長」ってことみたいだった。

靖国自体は戊辰戦争の慰霊系の延長でできたものなんだけどそれが軍国時代にゆがめられて延長され、「戦争−国家のためにはたらいて死んだ者たちを国の柱として祀る」みたいな感じになったようなんだけど、みたままつりというのはそういった靖国の由緒的なものとは特別な関わりはない。

もともとは戦後に「長野の遺族会の有志が盆踊りを奉納したのがはじまり」、と
http://isuzujinja.blog103.fc2.com/blog-entry-565.html

盆踊り自体ももともと各地でバラバラの型があったものなんだけど戦後にメディアイベント的に広まってテンプレートが普及していったもので特定のオリジンとか由緒があるわけでもない
http://www.onitoge.org/bonodori/02keifu.htm

なんとなく昔ながらの「祖霊崇拝」的なものはあってそこに重ねていった感じ。

なので靖国のみたままつりというのはそんなに「由緒正しい昔ながらのもの」ってことでもなく、盆踊りというあやふやなところが出自だったり。

時期としては7月13日から4日間ということで祇園祭と同期だったり、七夕の少し後だったりする。だいたい「先祖の霊を迎える」ということだったらお盆があるのになぜこの時期にやるのか?



これは「なんかわかんないけど各月ごとに祭りあるとよくね?」ってのはもちろんあるだろうけど、全体的に七夕の延長なのかなぁと思う。

七夕というのは中国出自、陰陽五行関連の天文とカレンダーの関係から出てきた「裁縫上達祈願(乞巧奠  きこうでん)」が、日本の祖霊崇拝(お盆)と習合したみたい。
http://bit.ly/bC3B4e

http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/tn00a3.htm


お盆も七夕ももともとは旧暦の7月7日と7月15日にやっていたものだけど、それが明治期の改暦によって新暦7月と8月にやる地域とでわかれていったみたい。

それで現在でも8月7日(旧暦では7月7日)に七夕をやる地域もあるんだけどなぜかお盆のほうは8月って統一されてる。まあ出稼ぎとかにいっていて「お盆休み」ってするのが一律都合よかったからかなぁと思ったりするけど。夏休みも兼ねるし。


特に農暦と関係の無い七夕が広がっていったのは貴族経由とか五行カレンダー経由かと思うんだけど、「一年に一回帰ってくる(めぐり合う)」というところでお盆的なものと習合したのかなぁ、とか思う。


日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(お盆)に、中国から伝来した女性が針仕事の上達を願う乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)や佛教の盂蘭盆会(お盆)などが習合したものと考えられている。そもそも七夕は棚幡とも書いたが、現在でもお盆行事の一部でもあり、笹は精霊(祖先の霊)が宿る依代である


http://bit.ly/bC3B4e


なので、七夕も含めて8月15日まではなんとなく「お盆」的な性格がある。みたままつりの「英霊を迎える」というのはこういった七夕からのお盆的性格を汲んだものもあるのかなぁ




そう考えると8月6日とか、8月9日とかもそういうものなのだろう。それは「昔ながらのもの」というわけでもないんだけど、さきほどから言ってきたように「みたままつり」にしても「盆踊り」にしても「創られた伝統」的なものなのだから「昔ながらのもの」的な由緒にそんなにこだわることもないように思う。

けっきょくは7月から8月の半ばまでのなんとなくの「還る」って感覚の延長なのかなぁ、と。



なので「平和祭り」-「灯篭流し」にしてもそういった「祖霊を迎える/送る」といった習慣が基本にあるのではないかと思うんだけど、そういった「お盆」的感覚、お墓参りみたいな感覚とは別のところで「祭り」は進行していく。

それは街宣車で大声でアピールするのと同じように大きな声と光でカーニバルのようにたましいが食い荒らされて行くようで、個人的には違和感だしなんかイヤ(たんじゅんにうるさいのでイヤ)


そういった大きな声に反応するように「平和祭り」自体が大きな出来上がったものになっていって、それを彩る左翼的言説が8月6日のフレームを構成するように外部に受け取られていく。

そして大きすぎる声に反応するように対抗言説が奉られたり


asahi.com(朝日新聞社):エノラ・ゲイ機長の息子、米大使の広島訪問批判 - 国際
http://www.asahi.com/international/update/0806/TKY201008060092.html


その気持もわからないでもないんだけど、こういうのを見たり、その周りの反ヒロシマ言説みたいなのを見ると寂しくなったりする。それほど「ヒロシマ」にコミットした憤りではなく、(特に信じてもない)墓参りを馬鹿にされたり否定されたりするそういう寂しさ。




「ヒロシマ」というとき、やさしいこたえがかえってくるようにするためには、わたしたちはよごれた手を清めなければならない




とかつて少女は言った。


でも、汚れというのはどういうことなのか? 完全に汚濁を除去して清浄なものを創り上げることが「平和」ということなのか?(そしてそれは可能なのか?


muse-A-muse 2nd: 被爆のマリア
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/36290326.html



「核兵器は絶対悪。それがわからない人たちはまだまだ悪」みたいな思考がそういった思考に追随しないひとたちを排除するような潔癖さを表しているのではないか?

そして、その潔癖さ、「正しさ」による排除の傲慢さに抗するように刺のある言葉が投げかけられる。(あるいはバカモノに空を汚される
http://hikosaka.blog.so-net.ne.jp/2008-11-03





そういった大文字の「ヒロシマ」「平和」とは関係の無いところで、祭りと化した式典にも灯篭流しにも参加しないで静かにその日をやり過ごす人達がいる。

あの日の毒の影響で授業中にいきなり病院に連れていかれて検査され補習もされずにその部分は損なわれたり、「ゲンバクのひとだから結婚できるかどうか…」みたいな不安を背負わされたり、そういった記憶はなるべく遠ざけて暮らしたいと思ってるのに式典に呼ばれたり…。


そういった人たちの静かな祈りも大文字の「ヒロシマ」「平和」に与するものとして否定され汚されていくということ


それを寂しく思う。





そんなことを思いながら祭りの喧騒に違和感を持ち疎外されつつ家路に着こうとしてたら帰りにわりとヒッソリと灯篭流しをやっているスポットをみつけた。

そこでぼんやりと灯籠を眺めていたらなんか気分よくなった。けっきょくたんじゅんに「花火みたいなのを静かにぼんやり近くで見たい」ってだけだったのだろう。



そこではビルの灯りが川面に映えて、その光のさざ波を背景に人の影が踊っていて、それらを静かに灯篭たちが横切って…

遠くで少しセミの声。芝生の片隅にビール置いて寝転んでるひと


夕凪の原でぼんやりと平和を感じつつ帰路についた。





祭祀のように教条的に、あるいは「創られた伝統」のように再帰的に大文字化した「平和」の祭典をあとに

彼岸に寺町を見つつ「リリィ・シュシュ」のオープニングのように暗闇を自転車で





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関連:

8月6日当日のついっと
http://twilog.org/m_um_u/date-100806


当サイトのいままでの「ヒロシマ」関連の日記
http://bit.ly/aCbpM1

http://bit.ly/9zJrU7





タグ:ヒロシマ
posted by m_um_u at 12:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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