2010年03月16日

タマラ・ド・レンピッカ展に行ってきたよ

「タマラ・ド・レンピッカの自画像は自己主張のある自主独立の女の実像である。両手には手袋をはめ、頭にはヘルメットをかぶり、近づきがたい。 冷たく薄気味の悪いほどの美貌[それを介して]恐るべき存在が心を貫く――この女は自由である!
(1974, 『オート=ジャーナル』)




タマラ展にいってきたのでできるだけ簡単に感想を仕上げたいなと思いつつまたちょっと長くなりそう。。手元に資料があるので。

これ読んでると長くなりそうなのでとりあえず現時点ではこれはあまり参考にせず展覧会で気になった箇所の謎解き程度につまみ食いしてみた。タマラの作品解説というよりは彼女の伝記的なもの。娘のキゼットやタマラの周りにいた人々への広範なインタビューに基づく。

それに基づいてこの感想も書くつもりだけど、あとでまたこの本を読み進めて追記箇所があったらミクシ日記にでも追記しよう。



で、まず展覧会そのものの感想やら、展覧会にいく気になった経緯やら。

少し前の日記関連で

muse-A-muse 2nd: マッキアイオーリ展にいってきたよ
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/140611092.html


なんとなく同時期(あるいはちょっとあとぐらいのアールデコな時期)に活躍した画家だったタマラに興味を持った。

ウィキペディアの記述とか見ながら


タマラ・ド・レンピッカ - Wikipedia
http://bit.ly/aEvOwq

15歳の時、オペラ観劇で見初めた男性に恋をする。1916年、叔父のコネを利用して、その男性と結婚する。タデウシュ・ウェンピスクというポーランド人弁護士で、女たらしとして有名で、結婚したのも持参金が目当てだった

彼女の個性的で大胆な作風は、(ロートのソフト・キュビスム、ドニの総合的キュビスムの影響を受け)さらに急速な進化を遂げ、アール・デコ運動の冷ややかな一面と官能的な一面を統合させる


彼女は、印象派の画家の多くが下手に絵を描き、「汚い」色を使用していると考えていた。それに対して彼女のテクニックは、新鮮で、クリアで、正確で、エレガントだった



冒頭の引用にもあるように自己主張のある鉄の女。ゴージャスでラグジュアリーでエレガントな「洗練された女性」とかいうやつを思い、自分とは違うものをもってるのかなと思って興味を持った。

たしかに「オート=ジャーナル」の形容がささげられた自画像「緑の女」が発表された1928をメルクマールとして、1930年代初期にかけて彼女の人生はもっとも華やいだ時期を迎えた。その時代のタマラとその作風はいまいったような女性像に当てはまるもののように思えた。

しかし1930年の不況+全体主義の足音に合わせて彼女の絵も売れなくなり、それに迎合するように彼女も作風を変え独自のスタイルを失っていた。

難民の絵を描いたのは当時の時代状況を描くことによって同時代性を得、不況によって少なくなってきていた絵の買い手をすこしでも繋ぎとめようとする努力だったとも言えるのだろうけど、その後のルネサンス(特にラファエロ?的な)期あるいはそれを手本としたマニエリスム的な画風、もしくは宗教が的なものへの先祖返りというのは彼女のこの時期の迷走を表しているように思えた。


さきほどもいったように彼女のオリジナルのスタイルは1920年代中期から1930年代初期に完成していただろうに。


キュビズムを介して人の体を描くことを通じて「人体の肉感性を綿密かつ端正な幾何学的分解に委ねた」ところ。これ自体はモーリス・ドニやアンドレ・ロートといった大家に師事することを通じて彼女が会得していったもので、「彼女独自のもの」というよりもキュビズム的手法の端緒的なものだったようだけど。それを基本としつつ、人体を幾何学的にに分解し表すことによって却ってエロティックな質感-肉感性を可能にしたのは彼女独特の表現形式だったと言えると思う。

パッと見、ブリキ人間のような質感。あるいはそのデザイン性が個人的には荒木飛呂彦の絵を想起させた。

ジョジョのスタンド能力というのはその人の持っている深層心理的本質を具現化したものともいえると思うんだけど、そういった人間の本質性の表現形式としてタマラは幾何学模様人間にたどり着いたのかなぁ、とかとか。ジャコメッティにおける棒人間、船越圭における木人間みたいに。


「タマラ=アールデコ的」といわれるけど、そう考えると「ブリキ=機械」の身体というところが未来派的な当時の風潮にあったのかなぁ。「進歩=スピード=機械=車」的なの。彼女の代表作であり自画像とされる「緑の女」なんかはまさにそんな感じだし。


タマラの一時期の恋人だった「スージー・ソリドールの肖像」の展示の横にはソリドール自身の写真も貼ってあってタマラが人のリアルを描くときにどの部分を重視するか、タマラをホムンクルス的リアリティとしての人はどんなものかということを想像させてしばし立ち止まってみていた。

(ホムンクルスについてはこの辺)
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/32/index-32.html


身体についてはほぼ予想通りというか張りのあるすべすべの肌に注視してるようだったけど、顔のほうはソリドールの精神性を投射してるように思えた。


それも「この時期の彼女のリアリティ(ものの捉え方と見え方)」であって、それをもって「完成」とはいえないのだろうけど。




彼女の表現形式が20〜30sにとどまったり、そこから昇華していかなかった理由みたいなものとして以下自分なりにぼけーっと。


彼女の人生がわりとエキセントリックで前衛的だったものなのに対して宗教画的なもの、あるいはコンサバ的なものに依っていこうとしたのは自分自身のあり方についてのコンプレックスがあったからなのかなぁ、とか思った。

表面的には「自由奔放な女性として性も生も愉しむ」って強さを体現していたように見えたんだけど、その裏にはおそらく陰口のようなものもつきまとっていて。そういった自分のあり方についての自問のようなもの、拠り所としての落ち着き処を絶えず求めていたような。

彼女にとって娘キゼットはそういったピュアなものの象徴的なものだったけど、彼女の人生の写し絵(あるいはあわせ鏡)のようにキゼットもいつまでも「彼女の理想のピュアな娘」ではなくなっていく。

そういった意味ではこの母娘は娘コンでありマザコンであった感じ。「甘えてベッタリ」というわけではないんだけど、タマラが自分のピュアな部分の理想像として娘を作り上げていこうとし依存してしまったのに合わせて、キゼットは母の束縛とプレッシャーから「タマラ・ド・レンピッカの娘」として生涯を送ることとなった。



「寄る辺ない不安」というのは彼女の生い立ちにも関係するように思う。

伝記本にすこしあったけどタマラはもともとポーランドの裕福な家庭で生まれ育ったんだけど、その階層の女性たちは「身内の男性など眼中にない」「亭主連中をほとんど絵の額縁みたいに考えていた」。
「子育ては他人がやってくれるし、不義は女性の気晴らしとしてもてはやされ」ていた。

結果的に両親は離婚してしまったようだけど、それはローマカトリックの国ポーランドにおいては不名誉なこととされることだったらしく幼いタマラの人生観にも少なからぬ影響を与えたっぽい。


彼女の最初の結婚について、ウィキペディアでは「結婚したのも持参金が目当てだった」と結んであったけど、(それも少しはあったかもしれないが)アクセントはむしろタデウシュ・レンピッカが当時彼女が知り得る限りもっとも「もてていた」男性だったことにあったようだった。タマラが最初に彼を見かけたオペラハウスでタデウシュは目のさめるような美女を二人同伴しており、それを見たタマラは「この男をぜったい落としてみせる」と心に決めた、のだとか。

そういった感情は祖母に溺愛されて育てられたタマラの自意識と「おでぶちゃん」としてのコンプレックスの裏返しだったのかもだけど、すくなとも最初の結婚はひとりの人間としてタデウシュを愛したのでもなければ、確立した一個の強固な生き物の「持参金目当て」なドライな戦略というわけでもない、承認欲求にもとづいた幼い憧れのようなものだったように思える。


そう考えると20〜30sに彼女が時代の寵児として持ち上げられ、そのスピードに流されて「自分」を見失っていったことにもこういった背景が重なってくる。


これだけいうとなんだかぜんぜんダメダメな感じだけど


展覧会の最後のほう、「テラコッタ様式」とタマラが名付けた陶製の植木鉢のような質感のモザイク画の中の一品をみてそれも少し違うのかなと思った。


モザイクの中に浮かび上がったモナリザ、個人的にそれは少し被爆のマリアを想わせて


muse-A-muse 2nd: 被爆のマリア
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/36290326.html


超然と神々しく、あるいはスマートでおしゃれなきらびやかに輝く人たちだけでなく現在の自分を見つめるということ。そういった心境の変化のようなものがなんとはなしに感じられた。



晩年にタマラが被爆のマリアを見ていたらどういった感想をもっただろうか






--
追記:
けっきょくなにがいいたかったのかなぁってエントリになったので簡単に

ウィキペディアの記述の中では彼女のドライな戦略性と「彼女は、印象派の画家の多くが下手に絵を描き、「汚い」色を使用していると考えていた」という記述が気になっていた。それで「内部に独立した系を持つ強固な生き物」としての彼女を期待していたところがあったんだけど。

展覧会を通してそれはだいぶ違うことが分かった。それは想定外的なもので少し意表をつかれたんだけど、代わりに得るものもあったように思えた。

「独立した一個の系」としての見られなくなった途端彼女の絵も時代の流行様式のモザイクのように見えるようになり、なんだかつまらなく感じられるようになった。

デザインとしてはきれいで洗練されていて「スマート」って感じなんだけどアウラがないというかイズムがないというか・・まぁ曖昧だけど。


彼女の評価が美術史家の間で分かれてるとかいうのもこの辺なのかなぁ、とボケーッと。



それとは別に20〜30sの画風は彼女独自のものを感じさせたし、それもびみょーなところがあるとはしてもそれ以降の作品も含めて、なによりも彼女自身の人生やそこにおける試行錯誤のようなものが感じられてそれが一番の収穫だったように思えた。


個人的に20〜30sの人間-機械的な身体描写はウイリアム・ギブスンの電脳三部作の「ニューロマンサー」「カウント・ゼロ」までの雰囲気を感じた。電脳空間で描き出された人の像のような機械的でありながらリアルな感じ。そして、テラコッタ様式の「モナリザ」で「モナ・リザ・オーヴァードライブ」につながる。


そう考えると彼女の作風は結果的に昇華されていたのではないか、とも思えてくる。


速度と圧倒的な情報量(絢爛さ)を主軸とした20〜30sから保守的に過去の作品を振り返って吸収し、それを通じて彼女自身のリアリティとしてのモナリザ(美しきもの)を描き出したということ。

その手法ははからずも(ウイキペディア的には)彼女が「下手」と蔑んだ印象派的なものに近くなっていて、これはこれでなんだか感じさせるものがあった。


しかし今度のそれは真似でも模写でもアレンジでもなくまごうことなき彼女の「現在」だったのだろうけど


タグ:art
posted by m_um_u at 23:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク
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