「いってきたよ」写真
http://movapic.com/pic/201002071220354b6e31831a122
東京都庭園美術館:展覧会情報
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/macchia/index.html
(ちなみに展覧会の会期は3・14まで)
関連ででてきた関心調べてたらけっこうながくなったので「軽く」でもないなぁ、と思いつつ…忘れないようについったでつぶやいた備忘録は「書きたいことメモ」としてまとめといた
特に予備知識もなく展覧会概要だけみていったんだけど、ざっと見ただけでも印象派などのフランス近代絵画の元か?的な印象があった。
あとルノワールとかドガとか、キリコとか。オランダの光と影の陰影(フェルメールとか)、メキシコ絵画をおもわせるところもあって、なんかいろいろ混ざってる感じだった。イギリス田園絵画とかハンマースホイとかも
最初の方はそれほどおもしろいものもなくて従軍絵画とか見つつそれほどおもしろい絵でもないなぁと思ってたんだけど、中盤辺りからマッキアイオーリ独特の表現というか、いろいろな表現技法の萌芽的なものが混ざった感じでおもしろくなっていった。
マッキアイオーリと言うのは‥めんどうだから展覧会概要から引用
イタリア語で「マッキア派の画家たち」を意味する“マッキアイオーリ”とは、1850年代から60年代にかけてフィレンツェを中心とするトスカーナ地方で活躍した、先鋭的な画家たちのグループの呼称です。フィレンツェのカフェ・ミケランジェロに集ったジョヴァンニ・ファットーリやテレマコ・シニョリーニ、シルヴェストロ・レーガといった若き芸術家たちは、伝統と因習にこだわるアカデミスムの絵画に対して反旗を翻し、「マッキア(斑点)」を使用した新たなスタイルを生み出しました。
彼らが目指したのは、アカデミスムの教育で重視されていた形態描写ではなく、目の前に展開する瞬間の「真実」を、色彩や明暗でありのままに表現することでした。彼らよりやや遅れて登場したフランスの印象派たちがそうであったように、マッキア派の画家たちも当初はその技法上の特徴を揶揄して、「マッキア」=「染み・汚れ」「無法者」のような批判的なニュアンスで捉えられていましたが、彼らは敢えて何かに背きたいという願望をはっきりとにじませてこれらの挑戦に応じ、むしろ「マッキア」の名を誇りとしていたのです。
要するに「斑点(マッキア)が特徴な画風・画家たち」って感じ。
んでも自分的にはどの辺がドットなのかよくわからないなぁとか思いつつ、風景のあたりだったのかなぁとか思った。人物画のほうはけっこうシャープな線で描かれていて、それに対して木なんかは斑点だったように思ったので。
わざわざ斑点を使うのは「そのほうが光と影の陰影を出しやすいからだ」ってことだった。たすかに近くではなんかポワポワなボケーッした斑点も、ちょっと距離を置いてみると空気に屈折した光の様子というか、場のわずかな反射の具合によって変わってくる光の当たり方を表現しているように思えた。てか、空気感のようなものを感じたり。
それで「光と影を描く画家たち」ってことでオランダの画家(オランダの光)を意識しながらみていったんだけど
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巨匠を生んだオランダの光映画「オランダの光」 (加藤周一さんの説明など)
http://www.icnet.ne.jp/~take/vermeerhollandslight.html
要約すれば「オランダの光」の第一テーゼでは「オランダは大きな水たまりを埋め立てた干拓地 → 干拓以前の17世紀には大きな水たまりの反射によって上と下から光に照らされ空気感が違った → それゆえオランダ画家たちは17世紀にはブレイクしたけどその後はしりすぼみになったのではないか?」というものだった。
その辺の真偽はこの映画を実際に見て確かめてもらうとして、そういえばイタリアもでっかい水たまり(海)が近くにあるので光の加減−空気感が違うのかなぁとかなんとか。そんなこともボンヤリ思ったりもしたけど、特に説明もないしほかにも見所あったのでぼけーっと流したり。
ポワポワ+人物画ってことだとルノワールを想起したりもした。
http://bit.ly/bfFBJl
絵のタイトル忘れたけどご婦人からぽワーッとしたアウラみたいなのが立ってる絵があったので。周りの使用人や乳母はふつーにシャープな線の写実なのにご婦人だけポワポワが立ち上ってた。解説に「これは格差を表したものです」とか書いてあったようで「そういやフランス絵画にもそういう格差みたいの主題にしたのあったなぁ」、とか。
そんで、オランダ・フランスと似たような絵画を彷彿とさせるものがいくつか並んでたのでその伝播的影響を思ったんだけどその辺の解説は特になかった。時代的にマッキアたちは1860-80年代中心に活躍していたようなので印象派とかの影響も十分可能性はあるわけだけど。
てか、ぐぐったら印象派のメルクマールって1874年ということでほぼ同期してたのか。んでもルノワールとかオランダの光と影の影響はあったのかもなぁ。。
そういや田園絵画っぽいモチーフもけっこうあって、なんかコンスタブルとかハンマースホイとか思わせた。
ジョン・コンスタブル-主要作品の解説と画像・壁紙-
http://www.salvastyle.com/menu_romantic/constable.html
muse-A-muse 2nd: ハンマースホイ展に行ってきたよ
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/110380300.html
ハンマースホイのほうはリンク先概要が消えてるのでウィキペディア参照するに「生年1864年5月15日〜1916年2月13日」ということでマッキアイオーリともほぼ同時期だったか
http://bit.ly/aAjUu6
コンスタブルの方はオランダ田園絵画の系譜ってのもちょっとあるみたいだけど。モノの本によると田園絵画が流行りだしたのは蒸気機関車などの輸送の発達-近代化の影響もあるみたい。あれで人々がより気軽にいつもとは違ったところに足を伸ばせるようになったので「田園絵画」っていうそれまでとは違ったモチーフも描かれるようになった、とか。
個人的にはああいった「一面のエメラルドグリーン」って感じの風景は世界遺産オルチア渓谷を思い起こさせる。
オルチア渓谷(イタリア)|THE世界遺産
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20090726.html
てか、これ自体トスカーナってことでピンポイントだったみたい。マッキアイオーリの田園画の解説忘れたけどトスカーナもあったのかもなぁ。
「産業化の影響と絵画の変化」な話がでてきたのでついでに続けると、「産業革命の絵画への影響は輸送の発達→移動の容易化」ということだけではなく複製技術の発達も促した。
カメラなんかの影響もあるけど、産業革命でお金をもつようになった中流階級の人々の家を飾るために、機械で造った安物の複製品が大量生産されていった。それを受けてそれまで絵画の主要なモチーフの一つだった「写実=リアリズム」に疑問符がもたれるようになったり。あるいは「既存のモチーフは複製がやってくれる」ということで既製のモチーフや構図を技法だけ凝らして辿るようなマニエリズムの必要性が減っていった。
結果として画家はより自由なテーマや構図を選べるようになり、印象派やキュビズムといった絵画・彫刻などによってしかできない形でモノの本質を追求して行った。
伝統的で堅物なアカデミックな主題(古代ローマ−カトリックな伝統的テーマ)や構図への反抗もそのひとつ。マッキアイオーリの説明にもそういうのがあったけどドラクロワの説明なんかにもそういうのがって「やっぱフランス絵画の影響あったんじゃまいか」とか思わせる。
あとちょっと思ったこととして、「マッキアイオーリはイタリア統一運動(リソルジメント)に呼応して立ち上がっていった」、ってあったんだけどこれって日本だと明治維新だなぁ、と
イタリア統一運動 - Wikipedia
http://bit.ly/cybF0r
日本の西洋画壇の場合は「西洋に追いつけ追い越せ」って感じだったのだろうけど。そんで「らんぷの下」なんか思い出したり。
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次世代に残したい名作。
完成度!
「普遍の才能」を絵に描くと、こうなる
なぜか涙がこぼれる
はまりましたここには黒田清輝と久米桂一郎が立ち上げていた私塾「天真道場」についての話「裸のお百」が所収されてる。
当時はまだ西洋画的な裸婦なモチーフが珍しくて、ってか「公序良俗に反する」ってことで禁止されててまともにモデルを募ることも、描くこと・展示することも出きなかったんだけど、そういった時代に裸婦モデルをつとめた女性についての話。
ついでだから説明文そのまま引用
遠く桃山時代にキリスト教とともに移植された西洋絵画は、当時は宗教的な弾圧、近代にはいっては、生活様式や思想の違いから十分に開花できないまま、明治も中期を迎えていた。
明治二十年代になって、欧州に私費留学した人々が続々帰国し、ようやくあちこちに洋画塾が生まれたが、どうしても実行不可能な問題が一つあった。
それが、近代絵画の基礎である人体研究には欠かせない、裸体モデルの使用である。
当時の日本は着衣のモデルすらなかなか得がたい時代だったから、欧州では十分に裸体モデルを使ってきた指導者たちも、日本でのモデル捜しは初めからあきらめていた。そのため、多くの洋画塾では、風景や歴史画でお茶を濁し、日本画的洋画に終始していたのであった。
黒田清輝も裸婦作品「朝妝(げはい)」を内国勧業博覧会に展示したけど、新聞や政府、警察からこぞって絵を撤去するように勧告された、とのこと。んでも博覧会側が展示し続けたらしい。
同じように「国家統一 → あたらしい芸術」みたいな流れではあってもマッキアイオーリと日本の西洋画壇というのはこんなにも差があったのだなぁ、とかなんとか。
んでもそういった差も戦後20年ぐらいで急激に埋まっていったようだったけど。
あとは庭園美術館について。もともとは宮様なお屋敷だそうで美術館自体がアート的な、絵画もそこに置くことで全体の雰囲気を含んだインスタレーションとなるような趣きがあってよかった。まさこが「ここは何置いても映えるよねー」っていってたけどそんな感じ。次回の展示はアール・デコだそうで。
しかしこうやって歴史追ってくるとマッキアイオーリからアールデコにつなぐところもなんか心得てるっていうか狙ってる感じ。あのときは気づかなかったけど
マッキアイオーリたちが活躍した時期や狙っていたものというのは完全な産業化-近代化と中世的なものとの中間というか、スチームパンク的な「完成品ではない中間なものの趣」があったわけだけど、アールデコ→ユーゲントシュティールと進むに連れて国家総動員的に「近代の進歩と躍進」を目指すようになる。
アールデコはそういった時代以前ともいえるけど、そのモダンなデザインというのはやはり「近代」に対する無邪気な期待を思わせたり。
無邪気といえば蒸気機関の時代にも共通するわけだけど、なんかまだゴリゴリと総動員って感じでもないポンコツなガラクタを愛でるような趣があったような。
それは錬金術からサイエンスへ、科学や化学的なものが排他統合されていった流れとも似て…。
そういえばいま文化村ではタマラ・ド・レンピッカやってるみたいで
美しき挑発 レンピッカ展 本能に生きた伝説の画家 | Bunkamura ザ・ミュージアム
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/shosai_10_lempicka.html
ちょっと調べたらラグジュアリーなキュビズムって感じだったみたい。「印象派なんか下手っぴじゃない」って言ってのけるような
タマラ・ド・レンピッカ - Wikipedia
http://bit.ly/aEvOwq
絵はこんなの
http://bit.ly/aYTzIo
キュビズムもちょっとモダニズム・戦争的に利用されそうな流れもあったみたいだけど、タマラの人生みてるとそういうのを華麗にかわすというか、鼻で笑い飛ばしてる感もある。「男たちはほんとに純粋まっすぐちゃんねぇ」って感じで
そういった純粋まっすぐちゃんに対して、鼻ならぬ華であしらった人生がタマラだったのかなぁとか妄想する。
遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ
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関連:
マッキアイオーリと大木屋 - お休み前の日記
http://d.hatena.ne.jp/masakooo123/20100208
産業革命 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E6%A5%AD%E9%9D%A9%E5%91%BD
タグ:art
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