muse-A-muse 2nd: 中世における公共性(あるいはその萌芽)の構造転換な話
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/129773060.html
システムと生活世界 → 構造と反構造 → 文明と文化 → 文字と口頭 → 技術(道具)と非技術 → メディアと○○
・ハーバーマスにおける市民的公共性デフォってどうなの?(それって「文明による未開の開拓」的な話じゃないの?)的な話
「構造と反構造」の話が「システムと生活世界」に、それらが「文明と文化」に繋がったのは自分的には発見だった。
ハーバーマスの「システムによる生活世界の植民地化」って問題意識だと最初から「生活世界側に市民的公共性が芽生えていてそれがなくなるのは惜しいね。それはシステムの植民地化のせい」ってのがデフォになってるように思うんだけど、中世の話見てきてると市民社会ってそれほど良いものなのかな?とか思ったりもする。
市民社会的なものってかつてあった村落共同体的な価値観(ゲマインシャフト的なもの)は疎外してるというか眼中に入れてない感じ。しょせんは文明後というか、少し「文明による野蛮の開拓」的な意識が無前提にあるのかなぁとか思う。
なので「システムと市民社会的なもののバッファとしての公共圏がシステム色に染められていってそれにつれて市民社会もシステム色になってきてる」って問題ではなく、「市民社会的なものが自生的にシステム色になっていったのではないか」ってことだと思う。あるいは「システムがある程度成熟したらネタ的なものがベタになる」というか。
とはいいつつもそれはなにも「市民社会的なものって疎外的で偽善的でなんかうさんくせー」って話でもなく、そういった擬制的なものであるということを認識しつつ運用していく必要があるのかなぁ、と。ちょっと「市民社会=善」だけだとちょっと本質論はいってるように思った(しかもそれ本質じゃないし)
「無前提な本質論的な善性論的なものに感じる偽善」関連で言うとハーバーマスの公共性論のもとになってるんだかちょっと影響してんだかって感じのアレントの公共性論も気になる。未読だけど
「ポリスの発展は奴隷制にささえられた特殊制度だった」っていうのと「18世紀型市民(ブルジョア)社会から疎外された無縁なところの公」ってのがなんとなくリンクするのかなぁ、と。奴隷制ってほど直接的ではないのだろうけどブルジョア的公共性が権威になっていくと隠れていくものがありそう
つか、貨幣経済-資本主義的なルーチンが固まって頭使わなくていいようになったところがポイントなのかなぁ。そうすると頭使わないでも労働できるし、お金をうまいこと利用して時間作れる人たちも出てくるし、有閑なひとたちは余裕できてなんかいろいろ考えたりつくったりするし。奴隷制も似たようなもんだな
「頭使わないでも労働できる」っていうか労働時間がある程度平均的に短縮されたのかなぁ。中世のころは日照時間によって労働時間変わったりして忙しいときは18時間労働とかいってたし
あと、前近代の場合は文字の神聖性みたいな問題もあるしなぁ。時間いっぱいあって考える余裕あって文字使ってうまいこと考えれるやつらって「つおい」(権威がある)って印象だったろうな。それ以前に武力による威信があっただろうけど
そういえば、市民的公共性意識デフォって人と自由意志がデフォって人ってちょっと似てるのかもしれない。市民革命というか自由への意志とか権利意識的なものってデフォ(「人間の本質!」)に思ってる人がいるみたいなんだけど昔ってクッタクタになるまで働いてて目の前のミッション仕上げるので精一杯って近視眼になってたのでそゆこと考える暇なかったと思う。
ブラック企業の人がいったりするけど、「あとから考えるとおかしいんだけど仕事がいっぱいになって1ヶ月100時間残業を2ヶ月ぐらいつづけてると頭おかしくなって目の前のものを片付けることだけ考えるようになる。でも頭おかしくなってるからやる度におかしくなっていくの。それで『休む』とか『会社やめる』とかいう考えが浮かばなくなってくる」、ってやつ
権利意識っていうか、自分の位置を自省して長期的展望とか工夫とかできるようになるのって余裕ができたときだと思う。歴史的には戦争なくなってある程度余裕できたから技術開発して三圃法みたいな農業革命が起こって食糧増大→人口増大して都市部に人が集まってそこに貨幣経済-資本主義が適用されるようになってさらに時間的余裕ができるようになったと思うんだけど。
そんでいまいちお「公共性の構造転換」見直してるんだけど
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改めてみるとムズイというか理解しにくいねぇこの本。。あとがきによる解説もないし、あとハーバーマスが市民的公共性をベタに考えてしまってるんだよねぇ。。
なんとなく、市民的公共性にもとづくアジール的な場としての市民的公共圏というのは近代に国家がベタ化したのに対応して出てきたネタ的なものだと思うんだけどハーバーマスって最初から市民性みたいなのデフォで正しいみたいな感じにとらえてるみたいでなんか違和感(いまちょっと読むと
そんで国家とか経済といったシステム側が固まっていくにつれてその成員の性格も変わりそれにつれて公共圏のバランスも変わったのだろうし、また政治・経済的なバランスが変化し公共圏自体もベタになるのにつれて公共性の性格も変わったのだと思うんだけど、
ハーバーマスは前時代的なものへの郷愁があるんでないかな。てか、公共圏や公共性が転換していった要因の説明をどのようにしているかというところが気になるんだけどみょーにムズく書いてあって読みとりにくい。。カントとかヘーゲルとか持ち出されてもなぁって感じ
最初に読んだときもわけわからかったもんなぁ。。いまだったら余計なこと書かずに政治経済的バランスの変化を詳述しろやって思うけど
ああ、へーゲル→マルクスら言及してる辺りで政治経済的変化叙述しとるんか。(←いま現在
とりあえずメディア論における公共性論ってのはこんな感じなんだけど
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あと関連で稲葉さんの本みなおそかなと
あと、「技術=文明」と考えると技術決定論の話とも繋がってくる
・メディア論における技術決定論の話
技術決定論てのは技術先行で考えることによって技術によって人が支配されることへの警鐘的な話
それに対して水越伸さんなんかが社会メディア論とか展開してる。「技術(メディア)は技術そのものが優れているから受け容れられていきそれによって認識が一気に変わる、というのではのではなく、社会に新しい技術やを受け容れる基層(受け皿)ができているから受け容れられていく」ってやつ。
具体的にいえばキットラーなんかが示していた「学校的識字教育では文字に対してアレルギーがあったんだけど、(前近代的な)母親の読み聞かせという口語的な方法で識字教育の下地ができていった」って話
むーたん:キットラー概説メモ + 音読・黙読 ら辺
http://morutan.tumblr.com/post/20792167/m-um-u
そんで活版印刷とそれに付随する商業圏の誕生によって国語化されていった
2009-02-06 - 水村美苗『日本語が亡びるとき』を読む :小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」
http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20090206#1233957230
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この辺未読なものもあるのでちゃんと読んどかななぁと思いつつ、技術先行と文字先行の問題の類似性とかも思ったり。文字によって思考がドライブされ人が形作られていく問題
エクリチュールがうんぬんとか言語ゲームら辺りはその辺かなと思いつつ、まぁあの辺も。。
あと、文字文化と口頭文化の問題
「口頭中心な伝統的社会への文字の布教」って図式が「文明→未開」的なあれだし、そういった場面での変化とか、変化の際にどのような過程があったのかということに関するキットラー的描写とか期待
声の文化と文字の文化
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近代が完成しそれに伴って市民社会が作られるまで(15〜17・18C)の政治経済的な歴史的流れとしてはH.イニスとの対応を見たいんだけどなんかこれ絶版になってるのね
メディアの文明史 ハロルド・アダムズ・イニス 復刊リクエスト投票
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=31528
マクルーハンよりこっちのほうがよほどためになると思うのに。。
・近代は「再帰姓」という特徴を持っているが「ネタ(図)がベタ(地)になりそれを元にしてネタ(図)が作られそれがさらにベタ(地)になっていく」というのは構造(システム)の特徴ではないか
ってこと関連だとこの辺見直したい
近代とはいかなる時代か?―モダニティの帰結
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あとルーマンのメディア論でも地が図になってく問題出てたなぁ。。
あんま理解できなかったけど「ネタ的につくられた文明的なものがやがてベタ的になって人を支配するぐらいの力を持つ」って問題だったんかなぁ。。まぁもっかい見てみよ(これも絶版だけど
〈メディア〉の哲学 ルーマン社会システム論の射程と限界
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「近代社会の構造に包摂されなかった無縁的なものと漂白民の関係」とか「定住しない人々の経済圏」とか気になるけどなんか疲れたのでこの辺で