1Q84 BOOK 1
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村上 春樹
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計画された欲求不満
いつもどおり
ぼんやりとしたままの世界にいて読むこと
とても良い
もっとスマートに書いてくらたらな1Q84 BOOK 2
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村上 春樹
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本当に大切なもの
初めて…。
やっと序章がおわったの?
村上さんにお願い
暗澹たる世界ぼやーっとした感想としては村上春樹のいままでの作品の集大成的なものだなぁって印象。最初のほうはたるかったのだけどそのたるさとかなんか冷たい陰影みたいなところも「アフターダーク」的といえばそれっぽいし。あと、そのたるさって「1984」下地にしてるから、っていえばそうだなぁ、と。
んでもやっぱ前半は正直たるくて「青豆」→(休憩)→「天吾」→(休憩)→「青豆」みたいな感じで作業みたいに読んでた。それが250〜300ページぐらいから伏線が繋がってきて下巻の100〜200ページ辺りから滝つぼに落ちていくようなスピード感に変わっていった。
そんで、以下たぶんネタバレ含みつつ
全体としては村上が近年課題にしていたオウムの問題を踏まえてそれをカルト全体に当てはめつつ、村上のこれまでの作品要素にも表れていたユング的な「影」とかなんとかにすり合せた感じ。それによって単なる「カルト教団こわいねー」って話ではなく物語全体が神話的な普遍性を帯びたようにも感じた。
元型 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%9E%8B#.E4.BB.A3.E8.A1.A8.E7.9A.84.E3.81.AA.E5.85.83.E5.9E.8B
ユング心理学ってぜんぜんわかんないので以下てけとーな感想になるかなぁとか思いつつ話をすすめる。
ストーリー的には「1984」の本歌取りということなので監視社会型システムの問題と見ることができるんだけどそういった描写ってあったかなと想い起こすにカルト教団の「長くて強力な手」とかリトル・ピープルと呼ばれるものたちの力の及ぼし方がそれに当たったのかなぁ。その影響力は「1984」のビッグ・ブラザーほど強力ではなくて限定された範囲の中でのもの、ということでリトル・ピープルという呼び名は象徴的だったように思う。
p422
この現実の世界にもうビッグ・ブラザーの出てくる幕はないんだよ。そのかわりに、このリトル・ピープルなるものが登場してきた。
「現代社会の機構は分散してて集中権力ではない」って感じでもあるのかな。まぁいろいろ思わせるような余白だなぁ、とか。
ヤマギシとかオウムっぽいカルトの設定、「日常から隔した閉鎖的コミュニティ」と「山羊」みたいなのは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を想起させた。てか、小説の構図自体が天吾と青豆という2つの視点から描かれているので最初からそれっぽいといえばそうなんだけど。
そう考えると、「青豆は天吾くんのアニマであり、この物語全体も天吾くんの自我が覚醒するための妄想的なものだった」、とも言えるわけだけど、ちょっと飛ばしすぎたのでそれはあとでまた言う。
そんで「アニマ」だけど、「アニマ」とか「ドウタ」=「影」→「失われた影を取り戻す」って型はこれまでの村上作品の中にも散りばめられていたものだしリトル・ピープルみたいななんか「得体の知れない暴力性」みたいなのもヤミクロその他でこれまでも出てきた。あとから考えるとそれって「システム」的なものによる不条理な暴力性の象徴的表現だったのかなって感じ。とりあえずそんな感じでこれまでの作品の要素とかテーマが散りばめられていた。
「これまでの作品のテーマ」というと村上の作品の主人公って特に率先して物事にコミットしていくタイプではないんだけどなんか知らないうちに厄介ごとに巻き込まれていて「やれやれ」っていいながらそれをこなしているうちにそれが自分の課題にもなってる、ってケースが多かった。
今回の作品の場合もそういった「巻き込まれ型」的なものではあったんだけど「コミット」ってことについてどうだったか。
作品を読む前にNHKのクローズアップ現代の特集みてたこともあって「コミット関連の話なのかなぁ」って思ってたんだけど特にそういうこともなかったみたい。
ていうか、「社会を主体にしてコミットしていくというよりも自分の問題を解決していこうとすることの延長としてコミットがある」、って言ってるような印象を受けた。
それは作品の終盤のこの言葉にも表される
p486
「そう、僕はそういうことについてはとても臆病だった。調べようと思えば簡単に調べられた。役所まで足を運んだこともあった。でも僕にはどうしても書類を請求することができなかった。事実を目の前に差し出されることが怖かったんだ。自分の手でそれを暴いてしまうことが怖かった。だからいつか何かの成り行きで、自然にそれが明らかにされるのを待っていた」
輻輳的な書き方をされてるので複数の読みが可能だと思うんだけど、この言葉自体がこの作品の主題的なメッセージだったんじゃないかと個人的には思った。
そしてこの言葉を言った後、それを祝うかのように空気さなぎは発芽し花弁を開く。中に入っているのは天吾くんのアニマとしての青豆。天吾くんはそれに気づく(出会う)ことによって新たな一歩を踏み出すこととなる。(ここだけ見るとなんかエヴァみたい)
それは希望への一歩かもしれないし破滅への一歩かもしれない。しかしどちらにしても新たな一歩。
オウムの問題にしてもそうだけど「自分がないので既製のものに頼る」ってしてても依存する対象が変わっていくだけで問題は解決しない。そういうのは消費社会的な問題でもある。
消費社会における実存的問題でもあったのか。あるいは後期近代における自我の揺れ的な問題。
「1984」と最初に聞いたときは監視社会のほかに消費社会的問題も主題にするのかなと思ったんだけど直接的にはそういうわけでもなかった。んでも考えてみるとオウム的問題も消費社会の実存のゆれがもたらした問題ともいえる。それがゆえに自然回帰(「シホンシュギはテキ!」)的暮らしになっていったわけだし…。そうするとやっぱ消費社会的問題をテーマにしてたといえるのだろうか。てか、「消費社会」に限定することなく現代的な問題って感じか。
そんで村上が導き出したメッセージとしては「自分を見つめなおせ」ってことだったのかなぁとボンヤリ。モノとかステータスみたいな虚飾で自分を飾ってもそれが本当の強さかというとびみょーだし。その飾りはリトル・ピープルみたいな不条理な暴力性によって簡単に剥ぎ取られるものかもしれない。しかし自分の中に一本強い芯のようなものが育っていればそれは自分だけのものだし簡単には折れない。
あとは個人的に自分の問題を見つめなおすべきかなぁって思ってるのでこの言葉が響いたのかも。
総合すると「カルト的なもの、あるいは自分の外部のなんらかに依存したり影響されたりするのではなく、まず自分の内側を見つめよう」って話だったのかな、とか思いました。
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追記:
そういえば「自分の問題を振り返る」って話は「品川猿」(@「東京奇譚集」)にも共通するな。
東京奇譚集 (新潮文庫)
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村上 春樹
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圧倒的な非現実感
浮遊するような感覚の大人向けおとぎ話
喪失
「偶然」だと驚くほどのことでもない
猿に名前を奪われた女性…振り返るのが怖かったら猿が名前と一緒に記憶を持ち去ってくれる。
なんか印象的な話だったな。
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つづき(?)的なもの
muse-A-muse 2nd: 「1Q84」はこう嫁!…っていうかこう読んだらけっこうおもしろいかもですぜ!お客さん (他力本願風味
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/128103664.html?1252998162




