2009年08月27日

黒沢清、2008、「トウキョウソナタ」

見たので感想。


トウキョウソナタ [DVD]
メディアファクトリー (2009-04-24)
売り上げランキング: 4986
おすすめ度の平均: 4.0
1 期待の割にはよくなかった
3 微妙だ  
3 かなり期待していただけに。。。
4 リアリティをあえて排した舞台劇のような映画
5 とてもクールなコメディ映画



先ほどの「サマーウォーズ」でもチラッと触れた「現代の都会の家族のすれ違いの問題(家族でありながらみんな違う方向を見ている)」という点ではこちらのほうがピンポイントだったように思う。

 
物語としては面倒だから概要は面倒だしこちらでまとまってたので借りちゃおう


黒沢清監督『トウキョウソナタ』 - LA TRISTESSE DURERA
http://d.hatena.ne.jp/The-Man-Who-From-Northland/20090416/1240139714


東京の小さな一軒家に暮らす4人家族。父親はリストラされたことを家族に言えず、スーツを着て会社に行くふりをしながら、毎日ホームレスの炊き出しに並ぶ。大学生の長男はアメリカ軍に入隊することを夢見て、小学生の次男は家族に告げずに給食費を使ってこっそりとピアノ教室に通う。母親だけが一見まともであるけれど、免許証を取ったばかりでオープンカーを買う日を夢見ている。

奇妙な不安定さの上でもかろうじて小泉今日子演じる母親の力によりこの家族は「家族」として成立しているが、長男が「アメリカ軍に日本人として入隊する」と告げる辺りから不穏な雰囲気が流れ出す。父親の猛反対の中にあって、長男は結局軍へ入隊し、イラクへと派兵されることになる。3人での生活になった後、次は次男がピアノを習っていることがついにばれてしまう。「素晴らしいピアノの才能があるから、ぜひ中学校は音楽学校へ」という葉書を目にした父親は怒り狂い、次男を階段から誤って突き落としてしまう。物語の一つのクライマックスがこの瞬間で、「俺の権威を保つために息子の好きなようにはさせない」と叫ぶ父に対し、ついに母はリストラされていることをずっと前から気づいていたことを口にしてしまう。そして「そんな権威なんか潰れてしまえばいい」と冷たく言い放つ。このシーンの小泉今日子からはぞくぞくするような冷気が迸っていた。

このまま崩壊に向かって走り出すかと思いきや、物語の異物として登場するのが役所広司演じる泥棒の存在である。母にナイフを突き出し、一緒に逃亡することを強制する。取ったばかりの免許で運転させられる車は、前々から目をつけていたオープンカー。この運転のシーンは映画中最もコミカルな場面で2人の掛け合いが素晴らしい。逃亡して行き着いた先は海岸の崩れかけた納屋。そこで朝を迎えた母は、オープンカーと車が消えていることに気づく。砂浜に残る車のタイヤ跡は海へと続いていた。

泥棒と奇妙な一夜を過ごした母と時間を同じくして、父親はこっそり勤めているショッピングモールの清掃作業から抜け出し街を彷徨い続ける。次男も同じく街を彷徨い続けて、一晩を留置場で過ごすことになる。それぞれ過ごして不思議な一晩の後、3人はそれぞれが自宅へ帰り朝御飯を共に食べる。各個人が経験した一晩により、この家族が何かを見つけたことが示される。それは決して強い繋がりではないかもしれないが、だからこそ逆にこの先の家族を安定的に結びつけていくようなものである。



リアルな状況においては役所広司演じる泥棒がでてくる前の段階で袋小路であり詰みのようなものだと思う。それだとお話が進行しないのでトリックスター的に役所を投入。「黒沢作品で毎度おなじみ」ってところも茶目っ気。

そこからの話の展開、因果関係というのはそれほどの必然性をもっていなくて、たんにそれぞれが走るシーンを撮りたかっただけのような。「袋小路に行き詰ってそれぞれが走る」って場面。なんだかわかんないけど人はそういった行動の中で固有の答えを見つけたり見つけなかったり、あるいは新たな転機に出会ったり出会わなかったりするし。


そして一度は崩壊した家族を結びつけるイニシエーションとして「ともに食卓を囲む」が実行される。




「都会生活の中ですれ違う家族」というテーマについて、この作品でも解答らしい解答は出せていなかったように思う。むしろそれについて安易な解答にはしらなかったところが誠実だなぁとは思うのだけれど。敢えていうと月の光がそれに当たるのかなぁとか思った。

泥棒と奇妙な一夜を過ごしているとき小泉今日子が夜の海の上に輝く月の光を見て嗚咽する場面。「自分はなにをしているのだろう?」「自分はなぜこんなところに来ているのだろう?」「私たちはこれからどうなってしまうのだろう?」…そういった不安が月の光の静謐な美しさに対称化されて浮かび上がった場面のように思った。

そして光はただ不安を映すだけではなく道のようなものも照らしてくれる。


最後は音楽学校の受験シーンで次男がドビュッシーの「月の光」を演奏していたのはそういう含みがあったのかなぁ、とか。崩壊した家族が地に足をつけて現実に向き合っていく中での一筋の光であり希望のようなものが「天才的」とまでいわれた次男のピアノの才能だったわけだし。

もちろんそこに依存してもあらたな家族の崩壊に繋がるのでその辺はおぼろげにしか描かれてなかったけど。


月の光のメタファーは「それぞれが自分なりの答えをみつけていく」ってことにあるのかなぁとかなんとか。



あと、件のリンク先をみっけたのは「抱擁家族」でぐぐったってのもある。

今作では長男がアメリカの軍隊に入隊する(ことで日本を守る)ってところから話が展開し始めるわけだけど、「家父長的庇護とアメリカ」というテーマだと「抱擁家族」があったなぁ、と。

「抱擁家族」ではアメリカの安全保障の元に経済的安定を手に入れた日本の姿に主人公である夫がなぞらえられていて結果として家父長的権威は崩壊→妻はアメリカの娼婦的な感じになっていったわけだけど、「トーキョーソナタ」ではそこからもうちょっと進んでアメリカというのがもはやデフォになってる世界のように感じた。

デフォというかリストラによって自らのアイデンティティを崩された夫は家父長的権威を守ろうとするのと並行するようにアメリカ軍に入隊することを許さないわけだけど、そこで言われてる論理「俺がおまえたちを守ってるんだ」という言葉に対しての「じゃあなにを守ってるって言うのさ」に対してなんの解答も出せなかったり…。

というか、権威的なもの、形式的なものにすがって出来合いの言葉で問題を先送りするのではなく本当の意味で家族のことを思い尽くしていたのならまた違っていたのだろうけど、彼がそういったことに気づくのはすべてを失い自らの命も危険にさらされた(あるいは一回死んだ)後だったっていう…。


そういった意味では「アメリカ軍への入隊」というのはギミックの一つに過ぎなくてメインテーマではなかったのかなぁ、とかなんとか。「家族の問題」ということで「抱擁家族」的な線を想起させるための記号のひとつだったのかも。


そういった線も含んで家族のそれぞれの事情なり物語(旋律)が輻輳していった結果としてソナタがあったのかなぁとかなんとか思ったりした。


ベタな音作りから不協和音に転じて、最後は月の光で収めた家族の物語。






タグ:家族
posted by m_um_u at 19:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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