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「堺の自治とか商人の権利ってヨーロッパみたいな感じで王様から認められたのが発端だったのかなぁ」ってのが気になったのでちょっとこれ読んでみた。
堺の歴史―都市自治の源流
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どうもびみょーな感じみたい。たしかに堺の位置は当時の陸のネットワークのターミナルとして機能していてそれゆえに栄えたってのもあるんだけど、「商人たちが独力で」ってわけでもなく「神人や供御人、供菜人などの身分を得ることによって諸国を自由に通行できる権利や商売のなわばり的なものについて神社や王家(天皇や院)からバックアップされていたから商売ができ販路を拡げていった」ってのもある。
このバックアップがやがて王権から将軍へと変わっていくわけだけどその頃には商業発展やそれに基づいた自治の萌芽はできていたみたい。そしてこの萌芽が自治権の買取みたいな形で達成されることになる。
将軍(武家であり幕府)の統治下では決められた金額の年貢をとりまとめて領主に支払う代わりにその所領の警察や裁判の権利(自治権)を買い取れるようになってたみたい。そこでの年貢は平均的な水準よりかなり高額だったみたいだけど、それによって事実上、領主としての支配は放棄されることになった(地下請)。
この自治を幕府が認めたのは経済力だけではなく堺の町に住人を取りまとめる一定の自治組織があったためみたい。あと幕府と神社の関係とか。
さっき少し言ったように堺の町は神社を後ろ盾にした緩衝地帯的なところがあったみたいなんだけど、もともとは住吉神社系な流れから堺の住人は自立したかったみたい。そんでそれを幕府が公式に認めることで住吉支配からは脱却できた、と。
この辺を見ると「経済力だけで独力で自立・自治」ってわけでもなかったようでそういうのを可能にした日常の政治力とか組織力とかがポイントだったのかなぁ、とか思う。
最後にこの辺の話のまとめを一部抜粋
(68) 中世の堺を都市として発展させたものは何であったのか。境の都市の自治を支える条件は何だろうか。
一つ目は、神と王権と武家である。
港としての堺の出発点は、国家の管理下にある「国際港」=榎津(えなつ)であり、住吉信仰に支えられて海上交通をになう海民たちの活動であった。その後、春日社の供菜人が堺と奈良との関係をとりもち、堺に生まれた最初の自治組織は開口神社の運営組織であった。堺という場、あるいはその住人の王権とのかかわりは、供御人の来往、王家領荘園の成立にはじまり、南朝との親密な関係へと展開してゆく。室町時代になると堺は事実上、将軍直轄都市となり、地下請によって達成された南荘の自治も幕府の認定を受けたものであった。
戦国時代のポルトガル人宣教師の言葉から、堺はしばしばイタリアのベネチアと比較される。しかし、皇帝に直属することでさまざまな特権をえていた中世ドイツの帝国自由都市と堺をくらべてみることも可能ではないだろうか。
残りの条件としては、「堺を取り巻く環境が良かった。農業の高い生産力、ものづくりの高度な技術力」、とか、「住人たちが柔軟にさまざまなものを取り込んだり受け容れたりした。それを受けての文化の質の高さ」
などが挙げられていた。


