文化系トークラジオ Life: 2009/05/24「現代の現代思想」 アーカイブ
ここで「現代思想とは?」とか「現代思想・批評家の役割とは?」、「なぜ東浩紀は政治的にコミットしないのか?」みたいなことがリスナーから問われててそれに対する受け答えが面白かったので。
ザラっとなんだけど、
・政治を語らない理由:「既存のイデオロギーに巻き込まれるから(中立ではない」
「“政治的”といっても既存の文脈、マルクス主義ならマルクス主義、サヨクならサヨクの文脈に沿った話をしているだけであってそれは真の意味で政治的といえるのだろうか?」
アレントの公共性定義っぽい
・真の意味で政治的であること−公共的であること
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[書評]今こそアーレントを読み直す(仲正昌樹): 極東ブログ
著者仲正が指摘するように、現代日本で説かれる政治思想は、装いは複雑に見えても、実際には単純な倫理命題に帰するものが多く、その意味でわかりやすく説かれすぎている。「何をなすべきか」に具体的な当為を描き出してしまう。そのわかりやすさそのものに、アーレントの危惧する全体主義につながる傾向がある。
仲正が取り上げている、現代日本の政治思想のわかりやすい一例には「格差社会論」がある。現実の人間には、社会的地位、学歴、技能、コミュニケーション能力など多面性があり、格差の形成も多様な形態を取っているにもかかわらず、ひとたび思想として「人間らしい平等な生活」といった枠組みが提示されると、それだけから「格差社会と戦わなければならない」という至上命題が現れる。数年おきに起きる通り魔殺人事件が、さも現代の格差社会の結果のように真顔で論じられたりもする。こうなれば政治思想といっても、もはやその主張の党派に入るか否かだけが問われているにすぎない。党派的な「善」や「説明」が希求されれば、「格差とはどのようなものか、なぜ格差が問題なのか」と多様性を志向する議論自体、排除されるべき対象とされ、対立する集団の利権の争いのような政治性に帰着してしまう。あるいは、政治性が先行して思想が類別されるようになる。
アーレントの思想が起立するのは、こうした「政治性」こそ政治ではないのだする指摘においてだ。アーレントによれば、政治とは、人が公を存在の部分を負って公の場に現れ、多様な議論を形成することにある。複数の主張が公において息づくことが政治だとするのだ
・東と宮台の立ち位置について(の東的見解)
宮台:ルール下でのパワーポリティクス(マッチョな勝ち狙い、cf「日本の難点」)
東:公共性、中立性へのラディカルな回帰(Google的なデータベース cf.mixi的なエゴの集まり)
宮台さんはそういった環境、政治的中立性が確保されていない公共圏な環境においても「それならそのルールの下でとりあえず“われわれ”のエゴを通すために勝てる戦略を見つけようぜ!」って感じらしい。近刊にはその辺がまとまってる、と。「ブルセラ社会学者」のレッテルを脱しているとか何とか(ちなみに宮台が「ブルセラ社会学者」にならざるをえなかったのは当時「批評空間」がそっち系の言説を扱わなかったので宮台がすくい上げたとか)
日本の難点 (幻冬舎新書)
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たいして東さんのほうはやはり公共的ギロンにおける中立性にこだわるところがあり、「それが達せられてなければ参加しても無意味」、って感じらしい。そんで、「そういった中立性は技術的に実現可能だ」、と。簡単に言うとネットを介した直接民主主義(意見集約)でありそれはGoogle的な多数決によってでき得る、ということみたい。もちろん意見集約といっても「国民→国」みたいな一元的なそれではなく「州」とか「県」とか「市町村」みたいないくつかの階層に分かれてそれぞれの中で集約していくことから、ってことみたいだけど。
この辺の話は前に堀江さんがLivedoor Newsについて、「メディアの公共性っていってもなんだかわかんないでしょ?アクセス集めるものがおもしろくて関心がある=公共性がある、でいいじゃない」、って言っていたのを思い出した。
「なるほろ」、と納得しはしたものの個人的にはそれでも東がコミットしないための言い訳のようにも聞こえたわけだどl、その辺の印象は外伝のほうで改まったりした(後述)。
・「御託はいいので結果を出せ」
それでも東的には「批評家としての社会的責任」とか「社会学者として〜」「公共空間における言説の〜」とかいろいろ投げかけられ本人もそれを気にしてるみたいだけど、「そういった言葉を発する連中が実際のところどういう行動を示しているのか?」、というのが実感ぽい。
当人としては自分の好きな空間を守るためにゼロアカ道場みたいな編集も書き手も含めた若手育成とかしてる。それは内容的にはびみょーなところもあるかもしれないが少なくともその後それ系のモノを読んだり考えたりしたい人の場を守り残して行くということでは意味があることではないか。それがライターとしての自分の限界であるし精一杯できることである、と。
この辺りの職業人としての線引きは共感できるなぁと思った。ぐちゃぐちゃ考えて難癖つけても難癖つけたいだけって連中もいるわけだし、けっきょく自分の身の回りとか自分に関わりのあることを行動によって自分が「良い」と思える方向に変えていけてないと意味ないな、とは思うので。そして、そういった行動が拡がっていくことは十分に(あるいは原義的に)政治的だなぁ、とか。
そんでそれ系ではてサ(あるいは「はてな」とだけ?」)な名前もあがったわけだけど、そういえば最近それ界隈で梅田さんとかなんか言ってたなぁ、ということで記念リンク
梅田氏と「アテネの学堂」 - Tech Mom from Silicon Valley
内容としては特に新しいこともなく表面的には理解できるし分かるところもある。たしかに公共的な場である程度ルールに則って意見交換されてないと不毛だとは思うので。その辺はアレントもふまえたハーバーマスな話で出てたし。
なのでこの辺の話は特に新しいことでもなく古くて新しいというか、ネットが始まって以来期待されていたことがまだくすぶっているんだなぁ、程度なことなように思う。わりと近いところではisedで総括されつつ「今後の課題」ともされてたし
ised@glocom : 情報社会の倫理と設計についての学際的研究
「行動がなされてない」、と。
そんでおーざっぱに分けると、ネットにおけるこの辺りの話は「当事者間でルールを作ってそれに則って意見交換する」か「アーキテクチャ的に悪貨を規制する」的な話になる。
個人的には前者が好ましいわけだけど「それもなされないようだしやっぱアーキテクチャ的にできるんだったらアーキテクチャ的にやってみようかね」ってのがこの辺の話の流れだったようにも。
そんでまぁ(Glocomでいさかい起こしてisedによばれなかった)池田センセのエントリに通じるわけだけど
梅田望夫氏の開き直り - 池田信夫 blog
はてなブックマークの「書き捨て」に適したアーキテクチャが、結果的にはこういう卑怯者が reputationのコストを負わないで他人を罵倒するのに最適のツールになっている。こういう状態を改善することは、技術的には可能だ。せめて DiggやSlashdotのように、発言を互いに(正にも負にも)評価して低ランクのコメントを隠すようにできないのか、と近藤淳也氏や伊藤直也氏にも言った
ってのがひとつの落としどころではあったなぁ、と。(実名匿名論は相変わらずわけわかんないけど
ただ、「アーキテクチャ的に規制する」というのはオーウェル的な管理も危険性も孕む、ってのがこの辺りでの不安点で。んでも、われわれはもうそういったものにどっぷり浸かっていてそういった中で特に支障なく生きているし、新しい楽しみや創造性を発揮したりしているってのもある。
muse-A-muse 2nd: スマート化する社会(可能性と課題について)
とりあえずこの辺りのギロンの現在を確かめる意味でもこの辺見とこうかな
思想地図〈vol.3〉特集・アーキテクチャ (NHKブックス別巻)
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あと、6号が「政治」らしいのでそれも。
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関連:
muse-A-muse 2nd: システムにおける多様性の必要性 (あるいは不完全なシステムの意義)
※池田センセがはてなに「アーキテクチャ変えろ」っていってその辺をはても検討してた辺りの話
muse-A-muse 2nd: 公開性と限定公開性の間ぐらいの話
※ネットの公共性は「みんなの意見は案外正しい」で決められるのか?、について。「いくつかの階層に分かれてその中で限定されたオープンネス(討議性)を追求していくしかないのかなぁ」、とか言ってるな自分。
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追記:
ネットにおけるパワーポリティクスというのはたいして内容なくてもCEOだかセンセーショナリズムだかなんだかで関心集めちゃったもの勝ち的なアレかなぁ、と。まぁそれはそれでありかなって気もする。とりあえず関心集めた後で内容を膨らませてイクってのもあるだろうし。
ところでそういうのをパワーポリティクスとすると東さんがやってるのも「とりあえず関心あつめる」ってことで似てるのかなぁとか思ってその辺でラディカルな公共性の話はうそっぽい気がするんだけど。「パワーポリティクス」のとらえかたが違うのかもだからよくわからん
パワーポリティクスとは - はてなキーワード
1. 強制力としての権力の行使や追求によって特徴づけられる政治的活動。
2. 軍事的もしくは経済的な力の使用もしくは脅迫的使用に基づく国家間の外交。
国際政治学的にはリアリスト的なアレってことみたいですな。ソフトパワーに対するリアリズム的な