2009年05月30日

日本的空気の問題って江戸期の封建的閉鎖の問題だと思いますよ (+グリゴリな天皇な妄想

馬車馬さんのところのエントリ見て、勢いでちょっと長いコメントをしつつ少し尻切れトンボだったかなぁ、と思ったんだけどこれ以上ヒトサマのコメント欄に長ったらしくなんか書くのもなんだし、blogのネタってのもあるのでこちらにうpしてTBしておきます。


まず、こちらのエントリ


和魂と洋才と「会社」の仕組み: マーケットの馬車馬


主題としては、「日本人が働き過ぎるのはなぜか」 「なぜ日本ではどいつもこいつも長々と残業しているのか? なぜ日本の会社は中途採用に対してこれほど消極的なのか? 成果給はなぜいつまで経っても根付かないのか? 日本の労働組合はなぜ企業と戦おうとしないのか?」、ということ。

それに対しての推論としては、「日本の村八分型評判メカニズムが問題なのでは?」、というもの。端的に言うと、<「日本型の評判システムがジェノア型の明確な契約に基づく上下関係の採用を阻んだのではないか?」、という話。後者は世界中の会社組織運営のスタンダード的な決まりであり合理性といえるが日本の組織は必ずしもこのスタンダードを共有しているものとはいえない>、と。


そんで、こういうコメントしたわけだけど


エントリの主題は「バザール型(マグレブ型)と伽藍型の組織運営がある」ということでこのあたりについては特に異論はないのですが、日本の組織の成り立ちについて少し違和感があったもので。

日本全体が「村八分」的なものをしていたバザール的社会ととらえられているようですがそうでもなかったようです。西日本と東日本では組織の成り立ちや運営方法が違う

くわしくはこちらにメモっときましたが

muse-A-muse 2nd: 宮本常一、1984、「忘れられた日本人」
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/114394025.html

西はバザール型、東は伽藍型ヒエラルキー(あるいはピラミッド構造)っぽいです。

ただ、中央集権的な組織運営までいっていたかというとちょっとびみょーなんですが。あと、大田植えなど強力な一元的なリーダーシップが必要とされる大行事は東ではなく西であったようなのでちょっと混乱してます。。(この辺うろ覚えなのでもう一度宮本常一の当該本みてみるといいかもですが)

で、
強力な中央集権的組織の成り立ちは江戸期とそれ以前では様相が異なるように思います。あるいは合理主義が導入され敷衍されていったのが江戸期、それ以前はわりと牧歌的な感じだったようで。もっともこれは江戸や大阪などの都市部に限ったもので農村部は依然として旧来の空気感があったのかもですが。

なので、いちお伽藍様式もあったようですが、ヨーロッパ的合理性を伴った組織運営とも異なるようです。それが導入されるのは明治期以降ということでこれもちょっと段階を踏みます。

まとめると、日本的な組織の独特さ(あるいはいわゆる日本的「空気」の問題)は村社会的なそれの影響は確かにあるだろうけど江戸期や明治期の合理性導入によってハイブリッド的に涵養されていった、と考えられます。

伽藍とバザールについてはよろしければこちらをごらんください。

The Cathedral and the Bazaar: Japanese
http://cruel.org/freeware/cathedral.html

ほかの方もいっておられましたが『ノウアスフィアの開墾』はその続編です。



江戸期についての記述が足りなかったかなぁ、と思ったので以下書き足し。

「明治期以降の合理的システムの基礎が江戸にあるっぽい」というのは変わりないんだけど、江戸の中でも都市部と農村部だと様相が違う。どっちかっていうとゲマインシャフト的な村八分なシステムというのは農村部のみで採用されていたようにイメージされがちかもだけど江戸でも五人組、町年寄のような相互監視システムがあった。これは役人の絶対数が足りなかったので町人たちに自警的に安全管理させたってことみたい。

五人組 (日本史) - Wikipedia

江戸時代の町年寄と町名主はどう役向きがちがうのですか? - Yahoo!知恵袋


「町衆はそれぞれの地域の自律や誇りをかけて町人の向上を相互に促した」みたいなことは「江戸の経済システム」にあった。


極東ブログ: [書評]江戸の経済システム 米と貨幣の覇権争い(鈴木浩三)



そんな感じで江戸の都市部にも評判システムはあったわけだけどいわゆる農村部の空気読め的陰湿さがあったかどうかはびみょーな感じがする。江戸っ子気質的な自律的モラルが内部規範としてのいわゆる「空気」となっていたのかもしれないけど、それが排他的な陰湿さをもっていたかはびみょー。もちろん規律をはずれたものには制裁というかそれなりの罰則はあっただろうけど。


そもそも評判システムが悪いかというとそうとも言い切れないように思う。「伽藍とバザール」なんかに出てきたオープンソースコミュニティのそれもフラットな相互評価システム(P2P)だったように思うし、たとえば堺の商人ネットワークなんかも相互評価的な面がありつつもネットワーク的開放性と自律性を備えていたように思う。

なのでそれ自体は間違ってないはず。

問題は、その場の成長を促す要因と思われる外部性の流入を阻害するようなシステムというか心性なのだろう。「その心性がシステム的に涵養されたのではないか?(そしてそのシステムは評判システムでは?)」ってことではあるのだろうけど、そういった心性に影響を与えるようなシステムはもっと大きな枠組みのように思う。

江戸のシステムというのは内国的には封建制による冨の一元化(あるいは諸国や個人に冨や力が分散しないように収奪)、外交的には鎖国という閉鎖性をもっていた。それは日本人の心性というよりは徳川を守るためのタコの足食い的な自虐性をもったものだったのだけど、そのホンネが隠蔽されいつしか「お家のため」的な“場”を保守するためのタテマエがベタに信じられるようになったときに日本人の合理性や開放性は腐っていったのではないか、と個人的には思う。

幕藩体制的な「お家」的な心性はそのまま現代の日本の会社組織のつながりと閉鎖性に繋がるのだろうし。それとは別に江戸期でも海外に対して独自の人脈や情報源をもっていた大名や商人の系譜はそういった「お家」性とは別の心性や情報、冨を蓄えているのかもだけど。(この辺関連↓)

muse-A-muse 2nd: 「へうげもの」をめぐって武力と資本とアートな話




いわゆる日本的空気の問題、内部的規範(合理性)による外部的スタンダード(合理性)の不採用の問題というのはこんな感じで、農村部的な空気の問題というより江戸期の封建的閉鎖体制のおしつけとそれへの従順(内部規範的取り込み)が問題ではないかと思った。それとは別に以下はちょっと妄想したのでメモ的に。



「日本では陸のネットワークは一部の権力によって支配され閉鎖的になったのに対して海のネットワークを維持していたものは独自の情報網と人脈(貿易チャネル)、そこから生まれた冨を持っていた」

「中世的な社会的なイニシアティブの転換として軍事力とそれを統べる政治力(リヴァイアサン) から 財力(とそれに基づいた軍事力)のネットワークへの委譲がある(あるいは両者の拮抗)」


リヴァイアサンへの集中をベヒーモスが削ぎ、ベヒーモスが力を持ちすぎることをリヴァイアサンがけん制するという両者の拮抗の歴史は白田さんの以下に要約されていて分かりやすかった。


グリゴリの捕縛 あるいは 情報時代の憲法について


考えてみるとこれってシュミットの話からのものだろうか?(てか、シュミットのアレって一般常識なんかなぁ。。まぁそれはいいとして、ここでは国家的な力(リヴァイアサン)、経済的な力(ベヒーモス)に対抗するための手段としての情報力(そしてそれを守るための法的な縛り)が国家的に統合され情報やネットの広がりが監視と管理のシステムにされる危険性が「グリゴリの捕縛」という暗喩で表されていた。


それに対しておーざっぱに「政治」「経済」「文化」みたいな区分けができるとするとグリゴリっていうのは「文化」に当たるのかなぁ、と。中世日本の政治は侍とかそんなの、経済は商人とかだろうけど文化というとどの辺だろうと妄想するに天皇なのかなぁ、とかなんとか。もっとも天皇ももともとは武力をもっていて南北朝時代なんかにはもう一度武力をもって王権を奪還しようとしたみたいだけど(「異形の王権」)。

それとは別に天皇というのは日本版法皇とも思えるわけで、法皇的なアレは武を聖性によって逸らす」という擬制だと思うんだけど、日本の天皇の場合聖性を司る祭祀的な意味合いだけではなく元来は武力をもったものであり、またその権力の理由づけも「神さまから地上の代理者に定めてもらったよ」ではなく「ぼくが神様の直接の子孫だよ」ってものだったりする。なので、直接的な不満の矛先をそらすものとしては不十分なんだけど、リヴァイアサンが武家に握られるようになると責任の矛先をそらすためのダミー的なそれとして機能するようになる。

ここにおいて天皇の存在価値というのはダミー的なそれだけになったかに思えたんだけど、どうもそれだけではないのではないか。


天皇というシステムは聖性を司るお米司祭的なそれのみならず、聖性を含んだ一連の儀式もパッケージした日本文化における古風な形式の遺産っぽい。天皇家自体が人間国宝というかそんな感じ。


そこへの畏敬がどの程度日本的空気の涵養に影響を与えたのかなぁとか思うわけだけど、「責任を回避するためのダミー」的なしかけと封建的な制度が「お上というその場の規範に従っておけばいいのだ」的な気風を生んで合理的判断を自らする機会を逸しさせてきたのではないか。


そう思うと「グリゴリの捕縛」というのは天皇の捕縛であり、まだ荒ぶる大王的な性格をもっていた天皇の力が衰え自主的に武や決定をできなくなりつつもタテマエ的に「日本の王」として存在を容認されるようになったとき、日本社会全体の自律的な気風というのも薄れて行ったのではないかなぁ、とかなんとか。


まぁ、そゆのがあったとしても直接的影響っていうか時代的に相関してたって程度だろうけど。庶民とかその辺関係なさそうだし


そいや関連でこれ読まないとな


明治天皇を語る (新潮新書)
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明治天皇というのも天皇が再び歴史の表舞台に立ちイニシアティブを握る!的なアレであり、「異形の王権」なんか連想しながら読むと面白そう。




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あまり関係ないけどグリゴリっていうとなんかクリオネが連想されて「天皇≠グリゴリ≠クリオネ」で天皇がクリオネっぽくピヨピヨ泳いでるように妄想される





タグ:日本社会
posted by m_um_u at 08:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク
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