天童 荒太
文藝春秋
売り上げランキング: 211
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おすすめ度の平均: 

A little overwrought
これはすごい本だ
やめてほしい
悼むということ
重く、暗い・・・読者に「あなたは悼む人をどう考える?」と問う小説少し前に読んでけっこう心に引っかかるものがあったので感想文にして吐き出しておいたほうがいいのだろうなと思いつつなかなかしんどい作業になりそうなので躊躇してるうちに時間が過ぎていってたんだけどそんなに重く考えずに簡単に書いちゃおうということで書いてしまおう。メモ程度に
小説の概略から述べると、「悼む人」というのは見ず知らずの死者の死を悼む人。特に縁もゆかりもなくても新聞や雑誌、テレビなどのメディアや道端の花束を見て「どこそこで誰かが死んだ」ということが分かるとその人が亡くなった現場に赴いて悼まずにはいれない人。そういう人の話。
なので大部分の人からは「宗教の人ですか?」ってあつかいされるんだけど本人的にはそういうつもりもなく、善行を積んでりつもりとか個人のあの世での幸福を祈るとかそういうのでもなく、ただ死を悼まずにはいれないという。ここでいう「悼む」とは「その人の存在をほかの人とは代えられない唯一の存在として覚えておく」ということをさす。悼む理由は本人もはっきりと分からず「病気だと思ってください」ってことにしている。
そんでまぁこの人が死んだ人を悼んで日本全国を行脚してていくわけだけど、そういった中で「悪行的なことをした人まで悼む価値はあるのか?」という問題がなげかけられたり。それに対して返ってくる言葉は変わらない。
「この人は誰に愛され、誰を愛していたでしょうか。どんなことで人に感謝されたでしょうか」
主人公は、「どんなに悪人だと思われている人、どんなに嫌われていると思われている人でもこの3つの要素に落とし込むことで代えられない唯一の存在として覚えておくことができる」、という。
この言葉を見たときに先日死んで葬式を行ったじいさんのことが思い出された。そして父のこと。
じいさんは叔母や母、ばあさんからも嫌われたり厭われたりして最後のときを迎えたけど、そういったじいさんにもかつては愛し、愛され、感謝されるようなことがあったのだろうか。そしていまはどこで野垂れ死んでるかもわからない父にしても。
葬式の文言というのは本来こういった形で故人をしのぶものだったのだろうなぁ、とか。
肉親の場合はそれまでの愛憎なんかが絡んでなかなか素直に故人ノシを悼むことができなかったり、あるいはそういった思いを葬式のドラマツルギーに酔うことによって隠すということもあるかもしれない。
でも、もし悼む人のような人がいて父の死を悼んでいてくれたらと想像してみたら少しだけ救われた気がした
おまえが生れた理由がやっとわかった気がする。
おまえが<悼む人>になったのは、家族とか生い立ちとか、人生で受けた傷とか、いろいろあったかもしれないが、それだけじゃない。おまえもきっと知らない。おまえもわかっていない様子だったものな。
おまえを<悼む人>にしたものは、この世界にあふれる、死者を忘れ去っていくことへの罪悪感だ。愛するものの死が、差別されたり、忘れられたりすることへの怒りだ。そして、いつかは自分もどうでもいい死者として扱われてしまうのかという恐れだ。世界に満ちているこうした負の感情の集積が、はちきれんばかりになって、或る者を、つまりおまえを、<悼む人>にした。
だから……おまえだけじゃないかもしれない。世界のどこかに、おまえ以外の<悼む人>が生まれ、旅しているのかもしれない。見ず知らずの死者を、どんな理由でなくなっても分け隔てることなく、愛と感謝に関する思い出によって心に刻み、その人物が生きていた事実を永く覚えていようとする人が、生れているのかもしれない。
だって、人はそれを求めているから……。少なくともいまおれは、おまえを求めているからだ。


