2009年02月25日

壁と卵の話(壁作りの是非について)

 
けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
   (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相當のちがった地質學が流用され
相當した證據もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません


宮沢賢治 「春と修羅・序」




村上春樹の<壁と卵>スピーチについて、


極東ブログ: 村上春樹、エルサレム賞受賞スピーチ試訳


ついったーのほうで軽くつぶやいたことで気になってたことがあったのでなるべく軽く書いとこう。ちょっとした違和感程度なもの


ついったのほうの契機としてはこんな感じ
 

 

 

 

 

 

raitu
@raitu
「魂が鈍ると形式が現れる by Charles Bukowski」形式とは何だろう?たとえば、言葉遣いが気になる僕は、日本語の「形式」にとらわれた結果なのだろうか?形式を重要視しているからこそ、いかに「言葉遣い」という形式をもって相手が接しているかを無意識に重んじてしまう。 
(2009-02-21 13:13:54)
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raitu
@raitu
「魂が鈍ると形式が現れる by Charles Bukowski」ならば、「魂の牢獄」は「形式」。 
(2009-02-21 13:15:03)
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raitu
@raitu
「魂が鈍れば形式があらわれる」さて、形式が魂の牢獄であり、一定方向を向いた魂の貨物船だとして、なるほど確かに集団を従わせるのは形式以外には存在し得ない。社会は形式によって運営される。村上春樹エルサレム賞式典でのスピーチを引用すれば、形式は壁であり、魂は卵。卵で壁に穴は開くか? 
(2009-02-21 13:53:06)
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raitu
@raitu
村上春樹は、いかに壁が正しかろうと、卵の味方をする、と答えた。そもそも、「正しさ」を保有するのは壁=形式でしかないからこそのスピーチだと考える。では卵=魂は何を保有するのか、といえば、感情と欲望なのだろう。宗教も形式であり壁であり、卵を囲い魂の牢獄。村上春樹は多分そう考えてる。 
(2009-02-21 13:57:09)
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raitu
@raitu
かつて形式=壁がそれほど高くなかった時代。魂の自由さにおびえ、不安を抱き、混沌とした世界があり、そこにユダヤ教やキリスト教、という「高い壁」が作られ、そこに魂=卵は閉じ込められ、人々は一応の心の安息を見た。卵を閉じ込める「壁」はそのうち「箱」になり、卵は自分を箱と勘違いする。 
(2009-02-21 14:03:17)
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raitu
@raitu
閉じ込められた大量の卵を入れた「箱」の一つは、現代になり国を作り、そして「箱」どうしぶつかり合って中の卵割れまくり、と。 
(2009-02-21 14:03:47)
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むーむー
@m_um_u
珍しく @raitu のいっていたことがあたまに残った。あとでほかで使うかもしれないけどついったでもらったことなので自分的まとめもかねて清書的に書いとこう 
(2009-02-22 06:00:52)
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むーむー
@m_um_u
「魂が鈍ると形式が現れる」 というCharles Bukowski の言葉の「形式」と村上春樹の「壁と卵」をつなげた話。ブコウスキーのそれは作品における形式のドライブ、大衆的なものにおもねるあまりに演出ほか修飾や脚色的な部分が内容よりも先走ってしまうことについて触れている 
(2009-02-22 06:04:05)
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むーむー
@m_um_u
ように思ったので壁と卵とは直接関係ないように思ったけどその後でそれなりに「壁=形式」としてつなげていっていたのが良かったなぁ、と。村上春樹の言っていた「システム=壁」が指していた主なものは国家幻想(あるいはそれを含む共同幻想)だとおもえるので当然といえば当然なのだけど 
(2009-02-22 06:06:09)
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むーむー
@m_um_u
国家幻想ほか共同幻想のオーバードライブという話は @medtoolz さんが言ってた道徳のオーバードライブ的な話にも通じる。かつては「正しい」と思って作り上げられた決まり(制度)が形骸化し澱となって溜まっていき、それが人を閉じ込める檻となる 
(2009-02-22 06:08:33)
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むーむー
@m_um_u
そういったオーバードライブに対するために憲法的なものがあったりするわけだけどその辺は番外だからいいとして… 
(2009-02-22 06:09:58)
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むーむー
@m_um_u
ただ、「壁」がいつも悪いとは限らないわけで、「壁と卵」というのを単純な二項対立としてとらえると「システムと生活世界」ということでハーバーマスも言っているし、そういった区分けはわりとおなじみのもののように思う。 
(2009-02-22 06:12:25)
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むーむー
@m_um_u
ここで沸き起こる課題は「壁」自身もわれわれが生み出したものであるということ(壁の中にも卵はいるということ)、「卵」も放っておくと悪を生じさせるということ。後者は大衆的な妄動なんかがそれにあたる。 
(2009-02-22 06:15:35)
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むーむー
@m_um_u
村上の場合はそういった妄動も含めて「壁」と呼んでいるのかもしれないけど。「世間」や「空気」といったそれも形式の澱としてそこに含まれるのだろう 
(2009-02-22 06:16:56)
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むーむー
@m_um_u
自分的には別に「村上甘いよ」とか「オレのほうが村上わかってるよ」とかそういうのしたいわけではなくて、単にここからの連想で最近思ってることをまとめとこうというだけだけど。まぁ、あとで、ほかのところでやろう 
(2009-02-22 06:18:19)
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というか、村上春樹のあの場でのスピーチとしてはあれは立派だったと思うしなんの文句もないんだけど、「システム vs. 人」みたいな感じで二項対立的にとらえて「やっぱ人だよ」みたいに納得して人を説き伏せようとしてる人がいるとなんかイヤだな、というぐらいの話。ついったのほうでもちょっといったけど「じゃあシステムの内部にいる人、あるいはシステムを作ってる人はどうなるの?」ってことで

The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others (「大いなる制度」は私たちを守ろうと期待されている反面、時に独走して、私たちを殺害しはじめ、他国民を殺害するように仕向けます)


って言い方してるからシステム自体の効用についても認めてるのだろうけど、でもやはり

no matter how right the wall may be and how wrong the egg(壁が正しく、卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます)


なわけで…。


それはイスラエルによる暴虐を考えると当然の言葉と思えるし、小説家の役割としてもシステムよりは一人の人間の実存(代替不可能な生)について考えるのはもっともだと思うんだけど。でも、この言葉を単体で抜き出したときにやはり違和感がある(先ほど述べた理由で)。






村上春樹はスピーチの中でお父さんの中国出征についての個人的な思いについて語っている。それはおそらくぼくのヒロシマに対する感情と似たようなもののように思う

muse-A-muse 2nd: <ヒロシマ>ということ



であれば、ぼくがシステム側に立った理を説くのは矛盾しているのだけれど、そういうことではなく


頭では、あるいは理性ではシステム的なことは分かっていても感情というか、もう少し身体の芯の部分で譲れないものがあるのだ。内田せんせなんかは「その辺がsoulなんじゃないか?」って言ってるけど


壁と卵(つづき) (内田樹の研究室)




それでもなおシステム側の理由や理屈を省みずに「人間が大事」とかいうのはどうなんだろう?と思う。システム側というか、システム(壁)の内部にも人がいて、それをつくっている人々の葛藤があるということ。その現実を見ずに漫然と「人間(生活世界)が大事」とか言うとしたらどうなんだろう、と。




もちろん村上の言っていたことはそういうことではなく、かつてはたましいのこもっていた形式が形骸化し暴走することへの危惧ということだったのだろうけど、今回のスピーチが単純に「システムが悪い」って解釈され、さまざまな制度や仕組みづくりに従事してる人のモチベーションを減退させるとしたらたまったもんじゃないなぁ、と思ったのでした。



posted by m_um_u at 22:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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