忘れられた日本人 (岩波文庫)
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宮本 常一
岩波書店
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まだ日本の識字率が低い時代の老人たちの語り、それをフィールドワークで採集したものってことだけど地味に面白かった。その辺の語りは歴史に刻まれなかった人々の生活史であり生の歴史って感じなんだけどそれ以外にも社会構造的に「西日本の社会構造と東日本の社会構造は違う」って話が面白かった。社会構造っていうか組織論か。
以下、網野善彦によるあとがきから
(327-328)
「対馬にて」をはじめ「村の寄りあい」「名倉談義」などで、宮本氏は西日本の村の特質をさまざまな面から語っている。帳箱を大切に伝え、「講堂」や「辻」のような寄り合いの場を持ち、年齢階梯制によって組織される西日本の村の特質が、これらの文章を通じて、きわめて具体的に浮き彫りにされてくる。それは昔話の伝承のあり方にまで及んでおり、「村の寄りあい」には、西日本では村全体に関することが多く伝承されるのに対し、東日本では家によってそれが伝承されるという注目すべき指摘がみられる。しかし東日本の実態については「文字を持つ伝承者」で、磐城の太鼓田を中国地方の大田植と比較し、後者が村中心であるのに、前者が大経営者中心であったとする程度にとどまり、内容的にはほとんどふれられていない。
戦後、寄生地主制や家父長制が「封建的」として批判されたことが、農村のイメージをそれ一色でぬりつぶす傾向のあった点に対し、西日本に生れた宮本氏は強く批判的であり、それを東日本の特徴とみていた。この書にもそうした誤りを正そうとする意図がこめられていたことは明らかで、それは十分成功したといってよい。ただ逆に現在からみると、ここで語られた村のあり方が著しく西日本に片寄る結果になっている点も、見逃してはならぬであろう。
端的に言うと組織の成り立ちや情報の流通の仕方が西日本ではネットワーク的(バザール)、東日本ではヒエラルキー的(伽藍)ということになると思う。よくいわれる「日本はタテ社会的」というのは後者を指す。
「んじゃ、日本ってタテ社会ってわけでもないじゃん」と思ってこちらを見てみるに
タテ社会の人間関係―単一社会の理論 (講談社現代新書 105)
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中根 千枝
講談社
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中根的にはその辺にもいちお反論してたり(p75辺りで)。中根的には「そういうヨコ型ネットワークもある"場”における集団内部の限定されたヨコ的関係なので自由度の高いヨコ的関係とは違う」ということらしい。…なんか分かりにくかったけどなんとなく分かるというか…まぁたしかに日本社会で自由なヨコのつながりってのは想定されにくいし (cf.西日本では生活と文化を村の全体が記憶する。これに対して東日本では家が記憶する
ちょっと話はそれるけど中根の「タテ社会」の話は雇用流動性の低い日本の企業文化的話として見直しても面白い。「資格とか能力ではなく”場”としての集団性とそこでの経験(年功序列)を社会資本として重視する」って話はいまもなお通じるわけだし。
日本社会論的にはその辺の組織的違いがおもしろかったわけだけど、この本の醍醐味はなんといっても現代とは違う日本人のリアリティにあるわけで、昔の人はダイナミックだったんやのう、って感じだった。性へのおおらかさとか忍従の仕方とか。後者はダイナミックっていうか人の命の重みの違いというか、現代のように「人権!」とか「権利!」とか言いすぎえてアレルギー的になってない時代の、「自然 vs. 人」って世界のなかでの人間本来のたくましさのようなものが感じられなんだか快かった。
また、そういった社会では人が自分の小ささを実感しているが故にか地味で長期的な助け合いをしていたり。後段の「文字をもつ伝承者」の辺りにそういった文字を持つものの責任意識というか公益性への意識のようなものを感じられた。もちろんそういった善人ばかりでもなかったのだろうけど。
まぁ、なんとなく辺鄙な片田舎にぶらり旅にいってみたくなるような本でございました
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タグ:日本社会