2008年11月03日

ジョン・ダワー、2004(1999)、「敗北を抱きしめて(上)」

少し前に「敗北を抱きしめて」(ジョン・ダワー、2004(1999)、岩波書店)の上巻を読み終えて、記憶に残しておきたいのでメモ。

全体としては「日本人はアメリカから下された敗北と支配を抱きしめることで戦後復興していった」という話。印象に残ったのは戦争に負けた日本人たちがプライドを捨てて支配を受け入れていく様子。そのくやしさやたくましさ。

「敗北を抱きしめて」という表現について。実際にアメリカ軍は日本という国を女性的なものとみたて、女性の身体を抱くように支配していくという感覚があったみたい。「自分の思うような女に変えていく」というような感覚。たとえば、日本人は意思決定能力がない従属的な国民性なのでこちらから命令をだしてやらなければダメだ」みたいな表現にそれが伺えた。

というか、そういった表現をするときに具体的に頭に描かれていた「日本」のイメージというのはいわゆる「パンパン」と呼ばれていた女性たちだったみたい。そしてそういった女性たちが実際にアメリカを抱きしめ、それによって日本を護っていったということ


そういったことを記憶にとどめておきたい。


以下は主にそういった女性たちについて、中でもRAAと呼ばれる政府によって公的に売春を斡旋された施設について記述された箇所の引用


(145) ある素人の新人がRAAではじめて働いた日の恐ろしい記憶をつづっているが、それによると、彼女はその日だけで23人の米兵の相手をさせられた。ある推計によれば、RAAの女性が一日に相手にした米兵の数は、15人から60人であった。元タイピストで19歳の女性は、仕事を始めるとすぐに自殺した。精神状態がおかしくなったり、逃亡した女性もいた。


このようにリスクのある仕事であったわけだけど公募の看板はあいまいに「戦後処理の国家的緊急施設の一端として、進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む」「女性事務員、年齢18歳以上25歳まで。宿舎、衣服、食料支給」ってあったらしい(同書p143、看板の記述は吉見(俊哉?)の「売娼の社会史」(p189)からの引用)。

ちなみにRAAはRecreation and Amusement Associationの頭文字

特殊慰安施設協会 - Wikipedia


こういった施設はアメリカ兵によって一般女性が暴行されないための防波堤として準備された。その意味で「純潔の防波堤」とも言われた。



(146) こうした「娯楽」施設は東京で急速に拡大し、一説ではたちまち33ヵ所にまで増えた。ほかに約20の都市にも、ほぼ同じように急速に広まった。アメリカの兵隊たちがこれを歓迎したことは、べつに不思議なことではない。なにより、それは安かった。RAAの売春婦と短時間すごせば、料金は15円、1ドルであった。これは当時の日本の市場でタバコ半箱の値段とだいたい同じである。この2,3倍だせば、「個人外交」丸一夜分が買いとれた。これで強姦や婦女暴行が防止できたわけではないが、占領軍の規模が大きかったことを考えれば、じっさい強姦事件は比較的少なく、日本政府が予期した程度におさまっていた。



施設は半年未満で廃止されることになった(設立は1945年8月26日)


(147) こうして、勝者から好評で、はじめは支持されたRAAであったが、占領がはじまって数ヶ月で廃止されることになった。1946年1月、非民主的で婦人の人権を侵害するという理由で、占領当局は「公的」売春の前面禁止を命じたのである。しかし占領軍内部では、占領軍舞台の性病患者が急増していることがRAA廃止の最大の理由であることが知られていた。



こうしてRAAは廃止されたが従事した女性たちへのアフターケアはなかった。


(147) こうしてRAAの女性たちは追い出されてしまったが、退職金はなかった。かわりに頂戴したのは、「お国のために奉仕」して、彼女たち自身を除く、日本女性の「純潔の防波堤」になってくれたという、お褒めの言葉であった。もちろん、公的売春制度の終わりは、売春そのものの終わりではなく、もっと密かに行われるようになったというだけのことであった。したがって、当然のことながら性病の防止も困難なままであった。


このように政府の公式見解、「人権的」には売春は禁じられたが売春自体をなくすわけにも行かず苦肉の策として「女性たちには売春婦になる権利がある」という言い方が発明された。これを受けて「赤線」地帯が指定されていく。


(147) 総司令部が公的売春を禁止したことに呼応して、日本の官僚たちは、めったに例のない、めずらしく繊細な人権尊重の実例を示した。1946年12月、内務省は、女性には売春婦になる権利があると公然と述べたのである。このあやしげな理論によって、「赤線」地帯が指定された。これによって、今までどおり商売を続けることができることは、関係者全員が了解ずみであった。赤線とは、市街地図に警察が赤い線を引いたことからきた言葉で、売春が許されない地域は青色で囲んで表現した。




思うのは極東ブログにも似たようなエントリ(純潔の防波堤)があったなということ

極東ブログ: [書評]その夜の終りに(三枝和子)


そして、「一日60人の相手をさせられた」「仕事を始めるとすぐ自殺した」「精神状態をおかしくするものもいた」という記述ではブラッドハーレーの馬車を思い浮かべた


無題: ブラッドハーレーの馬車 沙村広明


沙村のこれはフィクションだけど日本にはほんとにそういう施設があったということ。でも政府はそれについては知らぬ存ぜぬを通してるみたい(内務省のやってたことだし内務省は解体されたから知らない)

参議院会議録情報 第138回国会 決算委員会 第3号

○吉川春子君 私、各県の警察の歴史を、これ幾つか、重いですからその一部を持ってきております。
 それで、例えば埼玉県の県史あるいは「さいたま女性の歩み」にはこう書いてあります。
 敗戦から三日後の八月十八日、内務省警保局長は、各庁府県に対して、「外国軍駐屯地における慰安施設について」という無電通牒を発した。占領軍慰安施設として各県の警察署長は、性的慰安施設、飲食施設、娯楽場を積極的に設定整偏するようにという通牒である。その際、営業に必要な婦女子は、「芸妓、公的娼妓、女給、酌婦、常習密売淫犯者等を優先的に之に充足すること」と指示した。
 この占領軍対策は、「一般婦女子を守る」防波堤であるといわれたが、同じ日本の女性の一部を占領軍兵士に向けて公用慰安婦として日本国政府が施策化したこと、しかも、業者の搾取の自由を保障したことにおいて、これほどの女性の人権蹂躙はあり得ないことであった。
こういうふうに書いてあります。
 それから、こういう職務に当たった現場の警察官の声も紹介しておきます。これは「広島県警察百年史」に書いてあります。四百十四ページにこういう記述があります。
 連合軍の本土進駐にあたり、国民がもっとも心配したのは「婦女子が乱暴されるのではないか」ということであった。閣議においても種々論議が重ねられ、八月十八日には警保局長から全国警察部長あてに「占領軍に対する性的慰安施設の急速な設営を実施すべき旨」指令した。まことに残念なことであるが、占領軍人に対する性的慰安施設を設営するという、いわば幇間まがいの仕事を警察がせねばならなかったのである。当時の警察官の苦衷、屈辱感まことに察するに余りがある。
 警察署保管の旧娼妓名簿から前職者らの住所、氏名を調査し、彼女らの住む山村あるいは漁村に向かって面接勧誘するとか、あるいは現役の娼妓、芸妓、酌婦、密売いん者等、かつては取締対象者であった彼女らに対して、外人相手の復職を頼んで回るとかしたもので、
 このようにつらい思いで勧誘した要員五〇〇人を、ようやく九月末日までにはそれぞれの場所に送りこむことを得、米軍主力部隊が到着した十月七日を期して営業が開始される運びとなった。
こういうことについて、一切知らない、通達もなくした。こういうことであなたは責任逃れできると思いますか。
○説明員(山本博一君) 広島県警の警察史にそのような記述があることは承知いたしているところでございますが、先ほども申し上げましたように、戦後、内務省は解体されまして、警察制度が根本的に改革され、新たに警察庁が設置されたものでありまして、警察庁といたしましてはお答えする立場にはないものと考えております。
○吉川春子君 官房長官、こんなの通達なくして現場の警察がやったとすれば余りにも重大だし、しかし、これだけいろんな警察の歴史に全部出てくるんですよ。それをあずかり知らないことだなんて、そんなこと許されないと思うんです。
 官房長官にお伺いしたいんですけれども、言ってみれば日本の恥ずかしい部分ですね。白日のもとにさらしたくない部分です。しかし、やっぱりこういうことも明らかにして、今、これはよくなかった。こういうことをやったのは正しくなかったと、そういう反省すべきときに来ていると思いますけれども、官房長官、この点についてはいかが感想をお持ちでしょうか。
○国務大臣(梶山静六君) 残念ながら、今までそういう記述や話を伺う機会がございませんでした。
 委員の言うことが全部であるか一部であるか、それは私は定かにできませんが、やはり昭和二十年というあの混乱期を考えると、確かに悲しい、それから主権を持っていない日本の一つの縮図ではあった。もしもそれが全部そうだとしても、私はその時代の警察官を責めるわけにはいかない。そういうものが占領軍の名においてなされたのかどうか、これは残念ながら定かにする手段、方法を今私は持っておりません。私なりに勉強してみたいと思います。
○吉川春子君 占領軍がやったんじゃないんですね。日本政府がやったんです。現場の警官がやったんじゃありません。これは政府がやらせたんです。だから今、勉強したいとおっしゃるので、官房長官、私はその言葉に期待します。ぜひ調査して、こういうことに対してきちっとしていただきたいと思うんです。
 それで私は、同時に官房長官、もう一つお伺いしたいのは、米兵に対する性的慰安施設も国の政策として行われたわけですが、従軍慰安婦の問題についても、これは関与したというふうに官房長官談話は言っているんですけれども、私は、関与という言葉は非常に不適切だと思うんですね。現地の軍がちょっと先走ったとか、民間業者がやったことに思わず政府も協力してしまったとか、そういうようなニュアンスが関与という言葉にあるんですね。犯罪で言えば従犯的なニュアンスがあるんですけれども、私はまさにこれは政府の戦争政策遂行の一環としてこの従軍慰安婦の政策がとられたんじゃないか、ここが非常に重要だと思うんです。





でもそういった敗北、くやしさを抱きしめて(噛み殺して)日本は復興していったんだ
posted by m_um_u at 21:40 | Comment(1) | TrackBack(1) | レビューこのエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
ジョン・ダワーはナショナリストであることを伏せている。
日本への(押し付け憲法の批判)をかわすために(日本人のソフトパワーが日本の平和を守ってきたのだ)・・・と日本人向けに説いている。 ハードパワーと外交が独立国の主権を守るのだという当然のことに日本が気づき、アメリカの植民地状態から脱却することを防ぐために、洗脳を推し進めようと企図した明らかな宣伝工作と言える。
未来永劫に日本を占領憲法(日本弱体化憲法)で呪縛しようと企み、発しているということに日本人は気付くべきです。
(ソフトパワー)を母国であるアメリカに広めることは彼自身する筈もない。アメリカは(ハードパワー)が平和を守ると考える国。
9条を柱にした戦後の新憲法を堅持することが平和に導き、それが日本人の特質であるかのように理論付ける。・・・アングロサクソンは実に理論武装するのが得意な種族だ。 中国はユーラシア大陸の渦巻く謀略の歴史から、戦わずして勝つための(兵法三十六計)を手にし、これを戦略の拠り所としたチェックシートとしている。 海を外堀として安住している日本は対外戦略を不得手としてきた。
たった一度、アングロサクソンの首領であるアメリカに大敗したことで、いとも簡単に日本人は洗脳までされてしまった。
侍の国(日本)は幕末に欧米からの支配戦略に屈してはならんと、立ち上がった志士等の行動で見事なまでの明治維新を起こし、日清・日露・第一次大戦を経て軍事力を付けることで一等国として誇りを持つに至った。 しかし、欧米との外交に経験不足な結果、日独伊三国同盟の締結という誤った判断をしたことで(戦勝国日本に結びつく選択)を逃してしまった。 アメリカとの戦争をなんとしても回避していたら、日本は戦勝国であったことは間違いない。
勝敗の違いで一国の運命を変えてしまうことを、日本は事前に知るべきであった。
現在の国際連合は戦勝国連合であるが故に、要所で機能不全を起こしている。 日本が活躍できないからだ。
過去の為すべき選択を取り戻すことは出来ないが、日本は将来にわたって敗戦国で居続けるわけにはいかない。
戦後レジームからの脱却を成し遂げて、日本は(軍事力・外交力・科学力・生産力・経済力・文化力)のゆるがない、有効な世界平和を提案できる発信力ある国へと進路を取るべきときに来ている。
Posted by 月 光(A.H.) at 2015年11月04日 12:42
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Tracked: 2008-11-03 23:21