2008年11月02日

原田信男、1993、「歴史のなかの米と肉」

 「日曜だから…」というわけでもないけどついったでごにょごにょ呟いてたら「この本読むといいぜ」ってはちっこがおすすめしてくれて読んだらおもしろかったのでお肉とお米の話。

 以下めんどくさいので引用カッコつき部分はついったログのコピペということで。んで最初のつぶやきでありきっかけ的興味関心から


シャワりながら、「昔の日本では血や肉が汚いもの・呪わしいものとされたんだけどそれは肉食を常態としなかったせいもあるのかな?そいや日本ではいつごろから肉食やめたんだろ」、とか思った


弥生(大和)に散らされた人たち(縄文系)は肉食ってたような印象があるけどどうなんだろ?海や川が近いところでは漁労を中心としていた、って書いてあったけど。んでも肉食うつったら山の民ぐらいか。シシ(獣)肉なんかそのまま猪肉みたいな意味だし

つか、血液感染的なものを経験的に知っていたので血を不浄とした、というところもあったのかなぁ。。そのあとで「肉食うと獣性がつく」的な物語がついていったのか?

「国土の関係で肉を計画的に生産できなかった」ってのも理由としてあるかな。日本は山が多くて放牧に適してないので肉牛を育てられなかった、って説明。んでも中国みたいに豚を小屋飼いにすればよかったんだけどそれは伝わらなかったんだよな

んでもそれだと「肉に希少性があったので物語を作って庶民にいきわたらせないようにした」という説明に近くなるか。おもろいのは昔の日本では金持ち・貴族とかも肉は嫌って食わなかったんだよな。

食うようになったのも江戸ぐらいで、それも一部の人が病気のときに精力つけるために鼻をつまみながら食った。肉のにおいが臭いので。江戸期には中国で豚の計画的生産してたように思うけど…(←調べてない


てか、肉さばき仕事=賎民仕事ってことで差別されてた人がやらされてきたわけだけど、その人たちは肉さばきに従事させられる以前に肉をさばくことに慣れていたので肉仕事につかされたのかな?あるいは単なる罰ゲーム的なものか


@jt_noSke そういう罰ゲーム的側面もあるのだろうけどそれに加えて被差別層とされる人たちが肉の扱いになれてたのかなぁ、と。被差別層って非弥生系の被侵略層だと思うので(被侵略層はダーティーワークさせられる)。縄文系の人たちは都から離れて暮らしたし


わかりにくいので最初の疑問に戻ると、「日本でも原始とかそれ以後ちょっとは計画的ではないとはいえ肉くってたはずなのに江戸時代ぐらいまではポッカリ間があいてる。その間の肉食ってどうなってたんだろね?」、ってことです。んで仮説的に「縄文系とか山の民は食ってたんじゃ」、と .


そんで、そこには肉食文化があったと思うんだけどそれ系の史料がないというか見たことないので。山の民(サンカとか?)のはあるだろうけど。マタギとか猟師とか



(※「@」つき発言のところは他人様へのレスということで)



んでこの本薦められたので読んだ

歴史のなかの米と肉―食物と天皇・差別 (平凡社ライブラリー)
原田 信男
平凡社
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 なので最初の疑問に対して一問一答式で回答しとこう。あとのpostにも重複するところあるかもだけど面倒だからいいや。



「弥生(大和)に散らされた人たち(縄文系)は肉食ってたような印象があるけどどうなんだろ?海や川が近いところでは漁労を中心としていた、って書いてあったけど。んでも肉食うつったら山の民ぐらいか。シシ(獣)肉なんかそのまま猪肉みたいな意味だし

つか、血液感染的なものを経験的に知っていたので血を不浄とした、というところもあったのかなぁ。。そのあとで「肉食うと獣性がつく」的な物語がついていったのか?」



最初の予想通り、弥生-大和系に散らされた人々、稲作を中心としない半縄文文化な暮らしを護ってた人々は肉食の習慣が続いてたみたい。代表的なのは北海道とか沖縄辺り。もともとの気候条件の影響もあるけど、稲作への過剰な集中もなかったので肉食と米ほかの穀類を併食していた、と。もともと日本の食生活はそんな感じで雑食っぽかったんだけど大和系律令国家が稲作を普及し税収を上げるために過剰な肉食禁忌をしいたため稲作一本になったみたい。つっても庶民は米なんかめったに食えなくてヒエとかアワとかくってたみたいだけど。

んでも大和支配下域内でも細々と肉食が続いていたところがあって、たとえば定住-稲作を生業としない流れ者系な人たちなんかは肉も食ってたみたい。それもあってかこういう人たちには差別の視線が向けられたようだけど「流れ者(=税を収めない)」ということによって差別がはじまったのか「肉食をしている」ということから差別がはじまったのかどちらが先なのかはハッキリしない。同様に牛馬の解体に携わる人には穢れ系の差別の視線が向けられたわけだけど、これも「肉=穢れ=差別」が先立ったのかもともと差別されてる人々だったから牛馬解体のような穢れ系の仕事が割り当てられたのかハッキリしない。

ただ、洋の東西を問わず食肉の解体は世間的に卑しい職業と見られる傾向はあるみたいだけど。日本でもなぜか肉に対する穢れの意識があり、肉食禁忌が本格的に布令される以前から「肉食=穢れ」とする通念があったみたい。んでもそれほど強烈なものでもなくせいぜい「死者が出たときにはしばらくの間肉食をしない」といった程度のものだったみたいだけど。


重要なのは律令国家が米の税収を上げるために肉食禁忌のイデオロギーを広めた、ということ。一番最初は天武天皇の四年ごろ。んでもその後もゆるく肉食はされてたみたいで何回かにわたって布令がされたりした。そんで平安期(9世紀〜10世紀)ごろに肉禁忌が本格化したらしい。このとき、仏教(大乗(小乗ではおk)や神道などの宗教イデオロギーを使って脅しがかけられたわけだけど、そのイデオロギーが効果があった理由としてはなぜかもともと社会的にあった「肉食=穢れ」的穢れが影響したものと思われる。

なので最初の「肉食=穢れ」通念の発生理由がたとえば血液感染とか栄養関連によるものだったかはハッキリしない。



ちなみに著者的には親鸞の「悪人正機」的なアレも肉食をするものへの赦し的な意味があったのではないか?というような視点をもっていた。よくしらないけど律令国家における制度(ex.税収など)の完成によってしめつけが強くなりそれへの反発として新仏教が立ち上がっていった、ってことだったのかな?


鎌倉仏教 - Wikipedia





「国土の関係で肉を計画的に生産できなかった」ってのも理由としてあるかな。日本は山が多くて放牧に適してないので肉牛を育てられなかった、って説明。んでも中国みたいに豚を小屋飼いにすればよかったんだけどそれは伝わらなかったんだよな

んでもそれだと「肉に希少性があったので物語を作って庶民にいきわたらせないようにした」という説明に近くなるか。おもろいのは昔の日本では金持ち・貴族とかも肉は嫌って食わなかったんだよな。

食うようになったのも江戸ぐらいで、それも一部の人が病気のときに精力つけるために鼻をつまみながら食った。肉のにおいが臭いので。江戸期には中国で豚の計画的生産してたように思うけど…(←調べてない


国土というか気候の関係で稲作に適していなかった地域で肉食が続いていた、というのはあるみたい。というか、「律令国家の国家領域に含まれなかった地域では肉食がおめこぼしされていた」といったほうが正確か。んでもその地域、たとえば北海道なんかの肉食は畜産系の計画的なものではなかった。沖縄では豚・山羊を飼うようになったけどそれも14世紀ごろからとのことで、内地では豚などを飼って食べてはいなかった、とのこと。

ちなみに日本と似た条件の朝鮮では肉食が残った。肉解体業には差別の視線が残ったが。

この理由としては「モンゴルの征服を受けて牛を飼う習慣がねづいた」とか「儒教は肉禁忌がなかった」とかいろいろ。「モンゴルの影響を受けて」なんてくだりは肉食禁忌がいかに偶然の産物だったか、というのを伺わせる。てか、日本の特異性。それが超国家主義の心理につながっていったんだろうけど


あと「肉の希少性」についていうと、計画的にお肉を生産していたわけではないので牛や馬などといった四足獣は希少性をもっていた。こういう肉は牛馬が故障するかなんかしないとでてこなかったみたい。そんで一部の武家なんかが食べていた、と。(肉の臭みを消すために味噌づけなんかにして)

あとは江戸の「薬食い」」とか。それも一部の商人ぐらい。


んでもそれ以外の肉、たとえば雉とかうさぎ、猪なんかはふつーにくってたみたい。「猪なんかは四足獣なのにね?」ってとこなんだけど一番の禁忌は牛や馬などの農業用トラクターを食べることにあったみたい。これ関連で言うと秀吉がキリスト教の布教に際して牛の肉を謙譲され「大事なお牛さまを食べるなんてどういうことだなや!」的に怒ってキリスト教布教をつっぱねた、って話があるな。まぁキリスト教入れると国家統制とりにくくなるってことでのタテマエだったのだろうけど。



「肉禁忌イデオロギーというのは農業トラクターである牛馬を食べることを禁ずるためにお米司祭である天皇を中心として作られていった」ということらしい。新嘗祭なんかはその名残、と。

なので武家の中には肉食ってるものもいたけど天皇、公家は肉くってなかった。


ちょっと思うのははみ出し者を率いて蜂起した後醍醐天皇なんかは肉くったのかな?ってとこだけど史料なし。



あとは重複するので次のつぶやきに移ろう。

「肉食禁忌のイデオロギーとしての仏教導入」ら辺。以下のpostでは「(体制保持のためのイデオロギーとして仏教を導入したけど仏教では肉食禁忌だったので)仏教の影響で(しかたなく)」肉食禁忌になったのか、それとも「(稲作-納税をもっときちんとさせるために)肉食禁忌させるため仏教を導入したのか」というところが気になってたっぽい。

印象としては両方ということで国家鎮守と体制護持的イデオロギーとして仏教導入したら肉食禁忌(-稲作の株上げ)もついててラッキーだった、ってことみたい。最初から肉食禁忌(「米しかないんだから牛馬を大切にしつつもっとキリキリ米作れ!」)なコンボを狙って仏教導入したのかどうかは不明。




あいかわらず日本におけるお肉の話(「歴史のなかの米と肉」)読んでる。どうやらお肉差別はやはり仏教的影響だったみたい。稲作のための雨降り祈祷および国家崇拝のためのイデオロギーとして仏教は利用されたわけだけど仏教では肉食はタブーだった、と


「仏教の影響」というのはなんとなく分かりつつもそれだけでは合理性が足りない感じがしてちょっとびみょー感があったしまだあるんだけど…。日本という国は宗教的戒律におおらかな国なので。自分たちの都合の良いように宗教ルールをアレンジするし


それで、肉食禁忌における仏教は単なるタテマエでもうちょっと合理的な理由、たとえば「米食に限定することで米をつかさどる天皇の権威性を上げる」とかその他にもう一個ぐらい、があるかと思ったんだけどその部分への記述はなかった。せいぜい「水田を耕すための牛馬を食われるとまずいので」ぐらい


日本における肉食はもともと猪と鹿が中心だったので牛とか馬はあまり関係ないんだけど…(武家社会などでキズついた馬を食べた、などというのはイレギュラー)…ちょっとこの辺びみょーだ


とりあえず該当箇所引用しとこ(p83より)


『農耕のみでは完結しない実際の庶民生活とは別に、仏教を国家鎮護の中核に据えた律令国家は、あくまでも農耕を社会的な生産活動の基本とし、なかでも稲作に特に力を注いだ。そのため当時の肉食と農耕に対する信仰との関係から、米の司祭者である天皇を中心とした古代国家は、農耕のために殺生禁断と放生を通じて狩猟・漁労を禁じようとした。多大な財政負担を覚悟してまでも、農耕社会を強く志向し、米を国家的な食糧として選択したのである。このため前代には一般的であった狩猟・漁労による動物食は、国家的な理念のレベルで、食膳からの後退を余儀なくされたのだ、と言えよう。』


あとは軽く肉食禁忌の思想的拡がりの応用として神道時代のそれ、「米食以外の区域において肉食は生き続けていたのではないか?(縄文人とのつながりは?)」という関心から北海道・沖縄における米と肉の展開、肉食への差別の具体例および変遷を見とこう



肉食禁止令が出されたのは天武天皇の五年だそうな。日本書紀にでとる、と。神武天皇のころには天皇も肉くってたんだって






だいたいそんなところかな。


あと、ちょっと思ったこととして


たまに「日本は稲作民族だから」みたいなこと言ってる人がいることについて、お肉とお米の話をみながらぼけーっと
 
ちょっと前から言ってるように米を司る天皇家ってのは弥生系であり、大陸から来た細い目の人々(天津系)ってことだと思うんだけど、武家はそれから周縁に追いやられた国津系っぽいかなぁ、と .

てか、国津系ともちょっと違うか。弥生分派ってことかなぁ。。とりあえず昔の武家はお米司祭でありお米権力的なところからは分派されたのね

そんでなにを主な生業にしてたかっていうと狩猟と漁労なわけで、武装はその兼業的なものだった

んで、そういう武家がしばらくすると周縁で力をつけて幕府作って権力関係を逆転していったわけだけど、そうすると「日本人は稲作民族」ってのも変だなぁ、と

「そんなこといっても日本人の大部分は定住して稲作してたんだから」っていうんだろうけどそれって半ばムリやりやらされてたことだからね。もともと狩猟の習慣があった人々をイデオロギー操作して稲作中心にし定住化したわけだし

肉食禁忌というのは移動と食糧選択の自由という二つの権利を奪うことによって計画的に税を納めさせるために用意されたイデオロギーだったと思う。そのために仏教、神道などが利用されていった

そういう慣習みたいなのは農協という形で受け継がれたりね。権力とは違うけど農協を中心としたお金-票田-ゆりかごから墓場までってセットはそういうのを思わせる


そんで、「騎馬(≠狩猟)民族と稲作民族だとどっちが残虐か」みたいな考えもあるかもだけどこれもびみょーというか… 武家はたしかに一時は武を好むけど戦争過ぎるとわりとサッパリしたところもあったかなぁ、とか。反対に稲作定住系の収税体制のほうがねちこい面はあるよね

そんで、武家もしばらくすると稲作収税の権力を握ることで定住的マインドになっていたわけだし…。なので、民族うんぬんってよりはシステムの問題のように思う




この辺のお米(とその対照としてのお肉)にまつわるドロドロとした恨みの歴史っぽいところから超国家主義の心理なんていうねちっこいものができあがっていったのかなぁ、とか思ったりした。





あと、おまけ



そいやくららか誰かが宮沢賢治が一日米五合たべてたのに驚いてたけど昔はそんな感じだったんだって。白米貴重だったので白米が食えるときは白米だけ食ってた。白米だけなので成人男性だったら一日に六合ぐらいは食う、と


そんで明治初期の陸・海軍ではビタミン不足で脚気になる兵士が多かったそうな。んで「栄養的にほかのものも食わせたほうがいいかも」議論が立ち上がりなに食わすかってことで肉食わせとけばいいんじゃね?案も出た。んでも肉食禁忌的偏見が生きていた時代だったのでなかなか肉食う気にならなかった


てか、「一気に白米やめることもないんじゃね?兵士も米のが慣れてるし。白米と一緒になんか食えばいいじゃん」って折衷案を森鴎外とかが唱えてけっきょくそんな感じになった、と


んでも海軍なんかはけっこう早くから非白米食(洋食系食糧)になれてたみたい。そんで兵士から不満も出てたようだけど。


ちょっと思うんだけどいわゆる海軍カレーってこういうのの名残か?まぁ、カレーは簡単に料理できるしこの時代にはまだないだろ、って気もするけど



うぃきぺ的には海軍成立当初からあったっぽいな

海軍カレー - Wikipedia

江戸時代後期から明治に西洋の食文化が日本へ入ると、カレーも紹介され、当時インドを支配していた大英帝国の海軍を模範とした大日本帝國海軍は、そこから軍隊食を取り入れた。


んでもこの記述的には本格的に導入されたのは日露戦争からっぽい


日露戦争当時、主に農家出身の兵士たちに白米を食べさせることとなった帝国海軍・横須賀鎮守府が、調理が手軽で肉と野菜の両方がとれるバランスのよい食事としてカレーライスを採用、海軍当局は1908年発行の海軍割烹術参考書に掲載し、その普及につとめた。肉は主に牛肉、太平洋戦争時には食糧事情の変化で豚肉も使われた。







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関連:
muse-A-muse 2nd: ヤキニクヤケタカ?

※前にまとめた焼肉の歴史エントリ。上記してきたように日本はしばらくのあいだ肉禁忌だったこともあって肉をうまく食べることができなかったのでモンゴル(cf.ジンギスカン)の影響で肉食に慣れていた朝鮮系の人々によって日本の焼肉文化が開拓されていった、というのはなんかおもろい。とはいっても、肉解体業は朝鮮でも卑しい職業とされていたわけで、日本でその仕事に従事した人たちは「仕方なく」ってことみたいだったけど



日本の肉食文化の変遷(History of MEAT-EATING in Japan)

※検索してたらたまたま見つけたページ。上記でエントってきたことが具体的な事例あげて書いてある




posted by m_um_u at 13:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビューこのエントリーを含むはてなブックマーク
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