2008年10月06日

小熊英二、2002、「<民主>と<愛国>」

「民主と愛国」よんだので簡単に感想みたいなの


〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性
小熊 英二
新曜社
売り上げランキング: 21811
おすすめ度の平均: 4.5
4 戦争体験が思想にどう影響したかを、ナショナリズムを中心に分析した本
5 自分であること
5 俺って愛国者だったんだ。
5 確かに『私たちは「戦後」を知らない』と言える
5 「心」と「言葉」から迫った戦後史



全体の話の流れとして戦後の日本の思想史を概括しつつ、<戦後民主主義は誤解されてるのでもう少し見直されてもいいかも>、って話。具体的には丸山真男、竹内好辺りの読解に誤解があったのではないか、と。

丸山真男は全共闘辺りで戦後思想の権威の象徴として糾弾されちゃったんだけどそれとは逆にもちあげられた竹内好と目指していた地点は同じだった。具体的に言えば両者とも公へのコミットメントの重要性を説いていた点で共通していたが竹内のほうがやや分かりにくくロマンチックな言葉使いだったため全共闘受けが良かったのだろう、って話。

公へのコミットについては戦後しばらくは「個人の欲求(エゴ)を廃して全体に寄与する」って路線と「全体の奴隷にならずに個人主義を全うする」って路線の2つに分かれてたみたいだけど丸山は「個を確立しその上で国家について考えることこそが本当の愛国」って感じで両者を止揚したみたい。(ウロ覚えながら)竹内はその逆方向から考えてたみたいだけどやっぱ「国とか社会のこと考えんといかんよね」ということでは共通していた。


その際、大衆の参加をどうとらえるかということについて戦前派、戦中戦後派、戦争を知らない戦後派で考え方が変わってきてた。

和辻なんかに代表される大正時代からの知識人の系譜を受け継いだ人たちは「エリート」って感じで大衆の参加なんか考えなかったみたい。戦前には西欧風の暮らしをし教育を受けていた人たちってのはごく少数で庶民からは隔絶された暮らしをしていたようなので無理もなかったのだろうけど。そんで戦後も「戦前の自分たちの暮らしが戻ればいい」ってことだけ考えてたみたいで丸山らに批判されていった(つか、袂を分かっていった)。

そういう世代は年寄りだったので戦争にも参加しなかったけど丸山たちみたいに戦争に参加し実際に前線に配置された世代はそこではじめて大衆というものに触れ、その考え方や残酷さに接した。要はエリートってことでいじめられたんだけど。その経験もあって大衆の残酷さとか、いざというときに一つの方向に向かっていく暴力性みたいなものを実体験した。戦後は「あの経験がなんだったのか?」「戦争はなぜ起こったのか?」って疑問を原動力に日本人や日本社会に対する社会科学的関心がもたれていった。それは丸山たちのような一部のエリートだけではなく社会全般にもあった。「世界」に掲載された丸山の論文「超国家主義の論理と心理」があれほど影響力をもったのはそういう背景からだったらしい。(社会全体が活字に飢えていたってのもあったみたいだけど

それからしばらくして日米安保と55年体制ができることで日本は経済的発展だけを目指せるような土壌が整い一気に高度成長に突入していく。人口がガンガン増えたせいで大学はかつてのような少数エリートなき感ではなくなり、それを期待して入った世代の不満がつのっていった。それと同時期にかつてA級戦犯とされた岸信介の主導のもとに新日米安保が締結されようとしていたので旧来の権威ともども「粉砕せよ!」ってことになった、と。

てか、彼らの欲求というのは当人たちも具体的にわかっていなかったようで、突き詰めていくと批判対象とされる丸山と似たようなこといってたりとよくわかんない要求だったみたい。要はマンモス化→受験戦争のフラストレーションの発散をしたかった、ということだった、と。

そんでここで担ぎ出されたのが吉本隆明。彼のテクストは独特の詩的文体から「なにいってんだかわかんない」って感じなんだけどそれがゆえになんかロマンティシズムをのっけるのにはちょうどよかったようで学生受けしたらしい。あと、吉本自身が戦中世代とはいっても理系大学すすんで兵役免除だったため戦争に対してみょーなロマンティシズムやら過剰な糾弾意識をもっていたようで、ひとつ上の世代である丸山らを攻撃していたのでちょうどよかった、と。

吉本たちの世代が一個上の世代にコンプレックスもってたのは高等教育を受けるべき時期に戦中だったためろくな教養が身につけられなかったから、ってのもあったみたいだけど。たとえばひとつ上の世代では当然とされたヘーゲルうんぬんとかそういうの。ヘーゲルうんぬんてのもいわゆる京都学派な人たちがこの辺を誤読して「国家>個人」てしちゃったのでしばらく誤解されてたみたいだけど。



まぁともかく、そんなこんなで日本における「個人と社会の関係」についての思想的なものは全共闘時代にいったんリセットされてしまったらしい。んでもベ平連運動辺りでふたたびその萌芽みたいなのが見えたみたいだけど。


その萌芽ってのは「上からあたえられたなんらかの正義」的なものではなく自分たちの頭で考えるってこと。自分たちの生活、大衆的な感覚の中から生じてくる普遍的な良心を共通項にしつつ国籍や階級、組織にとらわれない自由な連帯を志向するということ。そういうことだったみたい。

そういうのはいまでも難しい、っていうかいまだと突発的オフみたいなの頭に浮かぶけどアレは社会的コミットとか政治性とかないしな…。でも、ああいう自由な繋がりが「なんちゃって」って感じでつながっていくのが現代的ということなのかもな





posted by m_um_u at 21:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビューこのエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。