2008年06月26日

世界にひとつだけのナベアツ

あまり興味ないって言ったら興味ないんだけどついったでklovかなんかがみょーに反応してたような気がしたので

「世界のナベアツ」というお笑い芸人のネタ、「○○でアホになる」が教育現場で問題になってるみたいで


学級崩壊!? ナベアツ人気で小学校教員が悲鳴(日刊ゲンダイ) - Yahoo!ニュース


糾弾の理由づけとして「障害の人のことも考えろ!」、と


全ての人を笑わせる笑いってないけどさ・・・ - NC-15



まぁ、よくあるPTA的教条主義っていうか、過剰なフレーミングなんだろうなって程度なんだけど。ベタに斜め読みすると「お笑いはPTAで問題にされてこそナンボ!」でありダウンタウンやらタモリやらも通ってきた道だもんなぁ。。

つってもそういうの免罪符にしてことさらに差別表現をするってのは間違いだと思うけど、件のナベアツの人ってそういうの意識してやったんじゃないんじゃまいか?「アホ」の顔真似やってたら見てるの一部から「障害者に見える!」って言われただけかなぁ、とか。(まぁ、この人のこと知らんのんだけど

そんで、そんな感じでメッセージを発する人や受け手の大多数が「差別」とか特に思ってないのに一部の人がそのように騒ぐことによって却って差別が助長されるというか、被差別者が自分は差別される存在として気づくことによって傷つくということもあるかなぁ、とか思ったり。

あまり関係ないけど子供の頃に「女神転生」ってゲームやってて初めて捕まえた仲魔ヨモツシコメが嬉しくて、姉のことを「ヨモツシコメみたい」っていったら母が過剰反応してそれによって姉がオレに悪感情を持ったと思われるようなことがあった。こちらとしては好意で言っていたのだが…(まぁ、デリカシーがなかったといえばなかったんだけど


そんな感じでメッセージを送る人には悪意がなくても受け手によって曲解されるというか、受け手の一部がことさらに反応するってのもあるかなぁ、とか思う。中にはそういうの気づかないでふつーに面白がってるだけの人もいるのだけど、こういう人たちが「問題意識」とやらを出すことによってみょーに問題になったり、ってこと。

てか、この人たちが「差別表現だ!」っていう以前にこのネタを見た子供たちが障害を持った子供に対していじめをエスカレートしていた、ということがあるなら別だけど、「そうなったらやばいじゃん?」って話だもんな。まぁ、「○○される人のことも考えろ!」ってやつなんだけど。それ言うんだったらこれを指摘することによってヌルーされていた差別意識を刺激するかもしれないことも考えろ!とか思うんだけどどうなんだろう…。その後のケアとかできてるのかな?

たとえば「差別というのはどういうものか」とか「平等とはどういうものか」とかそういう意識を教条的な形ではなく教育していくだけの受け皿みたいなのを用意した上でそういう発言してるのかな?

なんかこの手の発言する人って「問題だ!」って言った後丸投げな気がするんだけど…(ウチの母はそうだったし



そんでうにうに考えてたらなんとなく以前にaozora21さんが「世界にひとつだけの花の表現が気になる ><」とか言ってたのを思い出した。この辺


uumin3の日記:社会的役割 ※コメント欄

ここでaozora21さんは「世界にひとつだけの花を過剰に嫌う理由ってなんなんでしょね?」みたいな話してて「メタメッセージを感じちゃったんですかね?「ナンバーワンにならなくてもいい」には「身の丈を知れ」的な」ってとこに落ち着いてる。

ふーん…って感じ。自分としてはあの歌はマキハラの復活劇うんぬんとダブるものなんだけど。なので歌のメッセージとしては、「ヒットチャートとか気にせず(あせってクスリなんかに手を出さずに)コツコツと自分の楽しいことをやっていこう!」的な感じで殊勝ですね、ぐらいのものなんだけどそれでもいろいろ感じてしまう人はいるんだなぁ、と。まぁ、SMAPが関わって売れすぎてその後みょーに持ち上げられていろんな文脈くっつけられたってのがあるからなぁ。。「千の風」と同じだべなぁ。。

自分的には「気持ち悪い」っていったらそっちの過剰な持ち上げのほうなんだけど、これって今回の事件にも似てるというか、最近の個人的な違和感に通じる。「送り手のメッセージは無視して受け手が既存のフレームからメッセージを誤解(あるいは曲解)、自分たちの語りたいことを語って事案を消費、結果的に問題とされた部分はなにも解決されずにみょーな疑心だけ残して揉め事が収束していく」って感じ。まぁ、受け手側によるマッチポンプなわけだけど。


繰り返しになるけど、今回のナベアツさんの件でもし「お笑いにおける差別表現によってなんらかの差別生じることが懸念される」っていうんだったら差別とかいじめのような衝動が生じるような環境があるということが問題なのだからそちらのほうを見つめなおし改善するほうが良いように思うけど。



あと、あまり関係ないけどお笑いにおける差別表現、ギリギリの表現というのは生活圏における悲惨への対処法(悲惨に対して深刻になりすぎて折れないように笑いによって自らの立ち位置を相対化するという方法)の結晶化したものである場合もあるので一概に悪いとは言えないでしょうね。モノにもよるけど、放送禁止歌的なナイーブさがあるように思う




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関連:
muse-A-muse 2nd: 差別をめぐる審級について (あるいは「人権と国家」)

※「差別ってあるライン(常識)に対する過剰性の問題だよね?」って話



muse-A-muse 2nd: 差別をめぐる審級について (あるいは「人権と国家」)

※『今「ひょうきん族」と同じことすれば、手ひどく批判される』だろうねぇ。。



posted by m_um_u at 22:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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