2017年06月30日

障害者、あるいは、リベラリズムをめぐるオリエンタリズムとモラハラ帝国主義あたりの話


前回に引き続きバニラエア這いずり搭乗事件について。てか、自分的にはこの事案、および、これを出汁に行われてる左/右?のアレゲ点にいるひとたち同士のモラハラ合戦みたいなのは興味もなく、この件についてももともと一般的なニュース程度にしか興味ないので該当ケースの事実関係だけインストールしたら撤退したい感じ。いちお言及してコミットしたのでそのぶんおべんきょーはするけど、ぐらい。今回日記的に思考/試行をとどめたいのはその件を受けた喧々諤々合戦というのがなぜああもつづいてるのか?ということについて。彼らは「障害者のため」みたいなことをいいつつ自分たちの正義を通すために障害者を出汁にしてる印象がある。実際の障害者の便益、ぢみな迷惑は度外視して。そういうのは好かないのだけど自分もこの件を端緒に「なぜ喧々諤々が生じるのか?(もうちょっと冷静に、事実ベースのみの情報交換と対話で終わらんのか?事実ベースだけじゃなくてももうちょっと冷静に。。」について思考を進めようとしてて、まあそれもこの件を出汁にして語ってると言えばそうなのだけど。


いちお今回のメインは当事者の出演したsession22のインタビューだったのでそれを中心に。あとは倉橋弘さんという専門家のかたによるCiiNii論文とか。

前回の日記での疑問として残っていた「(車椅子仕様などの障害者が公共交通機関を使う場合、職員の介助やスペースの確保が必要なので)事前連絡が必要と会社側から要求されてるけれど、なぜ事前連絡をしなかったのか?」「ゲリラ的に乗り込みが許されたとしても、窓口で職員と半ば約束となっていたはずの『身体を抱きかかえられて搭乗するならおk』を反故にしたのはなぜか?」辺りが自分的な関心のメインで。

前者については「事前連絡すると予約を断られるケースが過去に他の会社であったから」「急な用件で事前連絡もできないような場合もあるし」「そもそも介助を要求するほどのものでもなくひとりで搭乗できるので(会社側にはなにも用意される必要はない)」あたりが回答として上がっていた。このなかでも「介助を要求するほどでもないと思っていたので」あたりが「事前連絡をしない」という行動選択をした一番の理由と思われる。

後者について。「なぜ身体を抱きかかえられる、のではなく、車椅子ごと抱きかかえられようとしたか?」。回答としては「そういうやり方でほかの航空会社ではだいじょうぶだったので」とのこと。そのあと身体を抱きかかえられるのではなく這いずって搭乗したのは当人の意志と選択によるもので、「海外の他の航空会社だとそれがふつーだし、いままでもそうしてきたし、それを屈辱とかと思うこともなくふつーだと思ってたので」との回答だった。それでもダメって止められたらしいのだけど。まあでもそこではそんなに喧嘩になったり、クレーマー的にふるまうこともなく、該当職員の方と手打ち的におわった、みたいな話を木島さんはされていた。

んでも大阪に戻ってから「そもそも最初の段階で搭乗拒否ってどうなの?自分で勝手に搭乗できるのに?」あたりでムカムカして国交省に連絡したらしい。メールやら電話やらで。まあたしかに、「介助とか必要ないなら最初から断るのどうなの?」とはなるだろし。つっても最初から断ってたかどうかはけっきょくはブラックボックスで、航空会社側のタテマエ的回答としても「そういう件で『一律に』乗車拒否はしておりません」ということだったけど。なので乗車拒否のケースも有り、その選択には航空会社側の恣意性があるということだけど。まあそこは営利企業だし、該当の法律的にも「努力義務」規定されてるので法律的には問題ない。いちお。ただやっぱこの件でガーッと言ってこられると嗚呼…ってなって国交省側が対応したらしい。5日後ぐらいに。そうするとしばらくして航空会社側からも連絡あって、謝罪とともに「今後は、簡易な車椅子昇降機付けますから」ということで手打ちになった、と。まあなので当人間では終わった話だったらしい。

いちおここでちょっと止まると、木島さん側もクレーム入れた理由として「(独力で乗り降りできるのに)最初から断るってどうなの?」を上げてたけどこれってあとづけで、本来なら(ゲリラ的にせよ)搭乗は(しぶしぶ)ゆるされていたので復路で問題がなければ木島さんとしても訴えることはなかったのだろう。ならば本当の理由は復路の応対にカチンと来たからということなのだけど、まあテクニカルにはこっちのほうが訴えにしやすいからなあ、というところ。いわゆる「当該交通機関の合理的配慮が必要ないのに乗車拒否されるのってどうなの?」ということ。「合理的配慮」というタームはこの分野を語る上でキータームになってるようで、それを巡ってのやりとりが係争上ではポイントになっていくみたい。合理的、すなわち、「航空会社側にもそれでペイされるか?やらコスパやらいろいろな事情はあるだろうからいちいちめんどくさい客にかまってられないだろうけど営利企業だし、んでも、そういった事情があるにせよ『このぐらいだったらペイできるよ』って教会はあるはずで、その範囲内で配慮すべきでは?」みたいなの。乙武さんも木島さんもそのへんを問題にしてたわけだけど。まあ本来ならバニラエア側も合理的配慮の範囲内で配慮してたのだろうし、復路まではいちお問題なかったのだろうけど復路で該当職員が強行にダメっていったってのが問題化した、のかなあ。。まあその強行にダメって言ったのにも現在のところ語られてないなんらかの理由があったりするのかなとおもうけど。あと、この件に関わった下っ端職員かわいそうだねえこの先も含めて、みたいなの。


まあこの件はここまでとして、これからの連想として。

けっきょくこれって当人間では手打ちで終わってたのにしばらくして朝日新聞の該当記者が掘り起こして記事にしたらしいのだけど、その際のやり方、焦点化の仕方が煽りっぽかったのだろうなあ。。「障害者に階段を這いずってあがらせて!」みたいなの。まあ自分も最初に見たときは(´・ω`・)エッ?逆蒲田行進曲か?とかおもったのだけど。そこでいろいろ切り落とされて、なんかみょーに「障害者にやさしくない社会」「障害者に優しくしろ」みたいなのが規範的にくっつけられて、「(障害者に優しくないのは安倍政権の弱者排除政策がー)」みたいなのが暗に含まれる感じでモラハラ合戦に燃料を注いでる、のではないか?まあとりあえず「障害者にもやさしくしろ」「バリアフリーを目指せ」というのは望ましいことだと思うのだけど現状不況で福祉政策的にもびみょーなかんじになってるわけだし、そのせいで福祉予算削られて補助金でないので営利企業としてもカツカツなのかなと思うのだけど特にこういう格安航空会社は。「そういう大々的な補助金でなくてもストレッチャー程度でよかったんですよ!」っていうのは後付な話で、こんな形で大騒ぎになったらけっきょくはご立派な昇降機を購入しなければならなくなり「それはペイできるのか?」といすみ鉄道の社長がいってたようなことが気にされるのだった。まあお上の査察が入って下手したら潰されることを思えば、ってことではあるのだろうけど。下っ端職員の命運が…(再)


で、

そういった流れがあったと仮定した場合、それが暗黙の下地になってモラハラ合戦続いてるのかな―、と。そんでその際の全体の差別と逆差別の構図、あるいはその構図を元にした権力の流れみたいなのをボケーッと思ったりした。読んでた本に絡めて。「読んでた本にからめて」な話なので以下はぼんやりとした話になるのだろうけどまあそれが思考であり試行であるのでm(_ _)m自分の試行的な思考なのでヒトサマに強いるものではないです。単に「思った」だけ。思うのは自由なので。

朝日新聞とか毎日新聞とかにそういった流れ、安倍政権打倒でー、みたいな流れがあるとした場合、それは菅さんのときに大コケしてマニフェストで勝負できなくなった民主党が「安倍政権はファシズムだ―」一本で戦うことにしたからかなーと思うのだけど、その選挙戦術?みたいな民主党戦術にマスコミも乗っかってステロタイプ的な言説が固定化してしまってるのかなーという印象がある。まあそれはひとつのやり方としてあっても良いのかなと思うのだけど、こういうのにもそういう影響があるとするとちょっとステルス的になっててイデオロギーぽいのでやめてほしい。。気づくまで遅くなってムダにモラハラ喧々諤々するので。逆に最初から「これはPRです」みたいになってれば「ああPRなんだねー」ぐらいで済ませれるし、わかっててそれを選択するのも自由だろうし。

サイード「オリエンタリズム」的にはこういうやり方もオリエンタリズムというか、一種の異化からの言説の膨らましなのだろうなあという印象。すなわち、かつて西洋(オクシデント)列強が東洋(オリエント)にエキゾチズムとともにみょーな偏見と期待をもったように、「リベラル」を聖化←異化するひとたちは最初からそれをみょーに聖化して一切の妥協をゆるさなくなる。そして、その反照としてそういった「リベラル」の規範に従わないものは野蛮で無知な下等民として扱うようになる。いわゆる「反知性主義だー」とか「もっと謙虚になりなさい」とか彼らがいう(わりには漠然としてよくわからん)あのへんの心性というのはそういう背景から出来てるのかなと思われる。で、特に生活的実態や実感とつながらない彼らの言説だけがみょーに暴走していき、それがゆえに内容がなく対話の取っ掛かりがなくなっていく。その流れに無自覚に関わった人たち、知識のない良心の人たちは彼らのモラハラをもって「自分はそういうのにやさしさをもてない『悪い』ひとなんだ…」と己を苛み反省する。彼らが言うように「謙虚に」なろうとする。結果として、四角四面の教条主義だけでは矛盾が生じても、あるいはちょっとした生活的違和感が生じてもそれは捨象されていく。そういった違和感をもつことは「悪い」ことなので。良心の人たちの「界隈」から弾かれたくないので。

なるほど、それが「権力」というものかなーとなんとなく思う。そしてその偏見にもとづいた文化領域への侵略こそ(ハードパワーに対する)ソフトパワー的な寝食なのだ。文化領域、というか、一定の規範とそれに基づいたモラルを人質としたモラル領域への侵食。文化領域へはその派生的な流れとしても侵食するのだろう。いわゆるりべらるな読み物として。そういう(対話不可能な価値)を中心とした文化領域(上部構造でありイデオロギー)を中心とした帝国主義的侵略というのはアメリカがある意味宗教国家といわれるのにも似てる。彼ら「りべらる」を自認するひとたちの規範とは宗教的な典範のようなものなのだろう。まあなので彼らのやってるのは宗教なのだ。岩波-朝日的なサヨク的なりべらる文化帝国主義。

まあもともと文化人類学とかも帝国的な軍による植民地支配のための研究領域のスピンアウトだしな―。予算としても軍のこういう研究が一番付くわけだし現在のアメリカでも。そのアナロジーからだとたとえば「リベラル」な文化帝国主義におけるわれわれ下等平民の位置というのはポストコロニアル的な抵抗ということになるのかなーとブレンジンスキーの古典を読みつつ改めて思ったりしたのだった。いやあ帝国主義帝国主義


































































































オリエンタリズム〈上〉 (平凡社ライブラリー) -
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ブレジンスキーの世界はこう動く―21世紀の地政戦略ゲーム -
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「鉄血のオルフェンズ」の終幕とガンダムサーガについて | m_um_u | note
https://note.mu/m_um_u/n/n2cf69d06e9d7




posted by m_um_u at 20:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

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