2016年10月26日

河P直美、2007、「殯の森」



先日なんとなく再見してみたら以前に見たのと印象が変わっていた + わかりにくい映画なのでいちおこちらにもエントリとして感じたことを残しておこうとおもった。




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殯の森 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%AF%E3%81%AE%E6%A3%AE

殯(もがり)は日本の古代に行なわれていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでの期間、棺に遺体を仮に納めて安置し、別れを惜しむこと、またその棺を安置する場所を指す。「喪(も)上がり」から生まれたことばだとされ、類義語に荒城(あらき)がある。河瀬監督は物心がついたころ、亡くなった知り合いが動かなくなったことを不思議に思い、その後の経験を通して本作を構想し、生き残った者と死者との「結び目のようなあわい(間・関係)を描く物語」を目指したという






ふつーのあらすじの解説は他サイトからの引用に任せる。


映画『殯の森(もがりのもり)』ネタバレあらすじ結末【映画ウォッチ】
http://eiga-watch.com/mogarinomori/

山間の田畑の広がる風景の真ん中を通り過ぎる葬列。誰のものかは不明。老人ホームで働き始めた真千子とホームの老人たち。共に畑仕事などをしている時はもっぱらホームに入所している老人が介護師に指南している。帰宅するとお線香をあげる真千子。子供の写真が飾ってある。ホームに話をしに来た僧侶に、しげきが「私は生きているんですか。」と尋ねると、寝る食べるなどの肉体に生きているということと、生きている実感の有無による精神的に生きているということについて話す。習字の時間それぞれ名前を書く。真子と半紙に書き続けるしげきは隣で自分の名前を書いていた真千子の半紙の上から書きなぐり台無しにしてしまう。真子というのはしげきの妻で33年前に他界していた。僧侶は三十三回忌についてしげきに亡くなった真子さんはあの世に行ってもう帰ってこないと言うことを話す。他の入所者は生まれてくる前はどこにいたのだろう、など、それぞれに話をしている。


喫茶店で、真千子は元夫になんで(息子の)手を離したのか責められる。彼女が謝るものの、花瓶の花を投げつけられ、なぜ俺が生きていて息子が死んだのかと自分を責め、真千子を責めた。おやつの時間にしげきの誕生日を祝う面々、介護師の一人が彼に誕生日プレゼントは何がいいか聞くと、彼は真子と繰り返す。他の入所者は、真子が既に亡くなっている事やしげきに子供がいないことをそれぞれ話し始める。その夜しげきは自室でピアノを弾く彼の左側には在りし日の真子が座っており、生前二人で弾いていたであろう曲を、しげきは右手、真子は左手で弾く。しげきが躓く所を教え、彼が一人で弾き始めると、真子は去る。そこへ真千子がゴミ箱のゴミを集めにやってくる。しげきは近くに置かれたリュックサックに触れられたと思い、怒りのまま真千子をはたく。結果、真千子は手首を傷め、同僚が来るまで送ることに。車中、気落ちしている真千子に、こうしないといけないことはないのだと、彼女を慰めた。翌日ホームに出勤すると、しげきが庭の木に登って枝を取ろうとしてた。しかし、転落した彼は茶畑の方へ逃げていってしまう。それを追う真千子としげきは茶畑でしばしかくれんぼじみた事をする。昨日の事などなかったようにしげきは真千子に笑顔を見せた。


真千子の運転する車でしげきは山へ出かける事に。しかし道中の畦道で車が動かなくなってしまう。真千子はしげきに絶対に車から出ないように一人で待っているようにと言い含めて近くの民家に助けを求めに行くが、サイドミラーに映る真千子が遠ざかる姿を見ていたしげきは車から降りてしまう。車に帰ってきた真千子はしげきがいないことに焦り、無人の畑を探し回る。すると、しげきはスイカ畑の案山子の後ろに隠れていた。しげきは真千子に追いかけられるまま逃げた畑の脇道で転びスイカを割った。それを二人で食べた後、しげきは山の森の中へと入っていく。道なき道を行くので道が間違っていないか、大丈夫かと真千子は何回もしげきに問うもののどんどんと森の中へと行ってしまうしげきに、どこへいくのと問えば真子の所と答えるのみ。やがて携帯電波の通じない所まで来てしまい不安になる真千子は、同じ場所をまわっていないかと苛立ち始める。すると、森のぬかるみでしげきが転んでしまう。彼を起こしながらちょっとでいいから休もうと提案するが聞こうしないしげきに、自分より大事なの?と、背負われた重たいリュックを掴むが、そんな真千子の心配は露知らず雲行きが怪しい中、しげきは森の奥へと進んでゆく。そして雨が降り出し森の中に小川が出来る。真千子は渡ったらいけないと止めるがしげきは渡ってしまう。するとごく小さな鉄砲水が起きる(おそらく水難で息子を亡くしたと思われる)真千子は「いかんといて!」と泣き叫んだ。真千子の声にしげきはやっと振り返り小川を渡りうずくまった彼女のもとに戻る。


森の中で焚き火をし夜明かしをする二人。しげきは、よかったな、さむかったな、あったかいなと繰り返し、やがて火のそばで横になる。心配になった真千子はしげきに声をかけお茶を飲ませる。寒さに震えるしげきを抱きしめてさすりながら、生きてるんだなといいながら夜が更けていった。翌朝、目をさましたしげきは森の中に真子のすがたを見つけ、二人で踊る。そんなしげきを起きた真千子が見つめる(真千子に真子は見えていない)。再び歩き始めた二人は森の中で縄の巻かれたご神木らしく樹齢のいった木を通り越しさらに奥へ進むと、墓標のように突き刺さった棒に行き当たる。しげきはそこでリュックからオルゴールと妻の死後記していた日記をリュックからとりだし、棒のそばに穴を掘り始める。真千子は手渡されたオルゴールを回していたが、しげきが地面を掘るのを手伝う。そして、掘った穴の中に自ら入り蹲るしげきを真千子は撫で再びオルゴールを鳴らし始める。「殯」についての数行の辞書的説明の後、エンドロールへ





先立たれた妻への思い?で精神を壊しそれでもなお生き続けているしげきさん、と、息子を死なせたことに罪悪感を持ちしっかりと別れ/かなしみ/悼みを果たせないまま抜け殻のように生きる真千子。あるいは硬い殻をかぶって心を閉ざして。


「やらなくちゃいけないことなんてないのよ?」


どこか生きづらそうな真千子に先輩職員がいう。

それは同時に「やっちゃいけないことなんてないのよ?」を含み、段々と真千子を解放していく。しげきの逸脱した行動に導かれて。

森のなかでの遭難、大雨の中での鉄砲水を通じて真千子は自らのトラウマとなった場面を追体験し感情を吐き出す。それは真千子の心への鉄砲水となって殻を壊していく。あの日からきちんと泣けなかったこと、泣くことさえ許されなかったこと。

あるいは目の前で精神を壊してもなお変わらぬ妻への愛と悼みを示すしげきの様子を見て、そしてそれを手伝えることに自らの存在意義を見出していく(しげきへの「ありがとう」という言葉にはその気持が込められている)。

泣いてかなしみを吐き出せたことが真千子のもがりの契機となっていく。



しげきのほうに感情移入しにくかったのだけど、それは「精神を壊して空虚に生きる」「情緒と認知が断続的になっている」ということがリアルに表現されていたからかもしれない。

そんなしげきが最後の場面、妻と、妻への思い出という自らの心の最後のよすがを埋めるための掘る場面ですこしだけこの人物の内面がわかったような気がした。進撃の巨人の巨人たちのようにあらぬ目線で笑っているような表情をしつつ一心不乱に土を掘るしげき。妻への思い出だけで生きている男が妻への思い出のよすがを「埋める」というとてもつらいはずの場面。しかし、しげきはもはやかなしみや怒りさえ一般的な形式として表現できなくなっている。だから笑っているような表情にも見える。それでも妻への思いだけは残っていて、それだけで生きている/かろうじて生かされている男の様(「わたしは、生きているんでしょうか?」)。そしてそれさえも土に埋めてもがりを完結させようとする。もがりが完結すれば、妻との思い出を閉じればもはや自らが地上にとどまる必要もなくなる。自ら掘った穴に入りうずくまるという行動はその気持の表れと言える(「これでもう、いいよなぁ?」)。


そういった内面が垣間見えたように思えた。







そうはいっても全体的に説明不足な映画なので一般には理解しがたい / この解釈もあってるかどうかわからないだろうけど、少なくとも似たような体験をしたひとには伝わるような質量を持った映画だったといえるように今回再見しておもった。


まあとりあえず茶の畑でのおいかけっこが天国の光景のようで印象には残ると思う。




posted by m_um_u at 16:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビューこのエントリーを含むはてなブックマーク