2016年08月13日

「男子の貞操」




この辺を見てて読んでみようと思ったのだった。


「風俗」と「射精介助」、どう違うのか?<障害者にとっての<性>と<生>を考える>上野千鶴子/坂爪真吾 - 幻冬舎plus
http://www.gentosha.jp/articles/-/5920

貧困女子の生態を消費するブームに乗っかっている自覚は、おあり?<障害者にとっての<性>と<生>を考える>上野千鶴子/坂爪真吾 - 幻冬舎plus
http://www.gentosha.jp/articles/-/5996



上野さんは元指導教官ということもあり、あるいは彼女の性格とかマッチョ女性的な考え方もあるのでフルボッコ的な言い方をしてるけど。その中でも「男子の貞操」と「性風俗のいびつな現場」はおすすめされてたので。「性風俗のいびつな現場」は次回以降の読書とする。関連で荻上チキさんの「彼女たちの売春」なんかも読んでみても良いかなと文末の関連図書付録を見つつ思った。








「インタビューで興味を持った」以外に、この本を読んでみようと思ったのは男性のセクシャリティみたいなのをきちんと語る、考えるという意味で興味を持ったので。そういうのはこのblogの依然としたテーマの一つであるし。

フェミニズム-女性学みたいなものに対抗して?たてられた男性学みたいな語りがあるのだけどなんかしっくりこない。どうも弱者男性論と接続してみょーにねじれた感じになって。あるいは、フェミニズムを批判しつつもフェミニズムの悪い部分を踏襲したようなポジショントーク的な感じがするので。そういうのに対して、もうちょっとスッキリと自身のセクシャリティとかリアリティを俯瞰できないかなあ、と。「男もつらいよ」的な語りはそれを中立に行った後で良いだろうし。

その意味でこの本は完璧、というわけでもないけど同じような視点とか問題意識にあるのかなあとか。女性なんかが男性のこういうのを知ろうとするときには良いかもしれない。「感じない男」的な男の子の性意識に関する内情語りとして。


森岡正博、2005、「感じない男」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/52482268.html





ふたたび「男子の貞操」について。結論からいうとちょっとお利口ちゃんにすぎるかなあという印象だった。自分的には。

大意としては、<男子のセクシャリティ、性に関する欲望なんかはだいたいが現代社会のエロメディアの価値観に汚染されてるので、それをまず相対化し、目の前の『ふつー』の女性との日常行為としてのセックスに戻るべき>、というもの。「エロメディア的な価値観はジャンクフードみたいなもの。ジャンクフードはやめてもっときちんとしたセックスをしよう」「女性との付き合いはその社会、コミュニティにおけるふだんの関係性の結果でありそのボーナスようなものなので焦らなくて良い」とか。後者はたとえばその職場・コミュニティできちんと仕事してて関係ができて尊敬されるようになってくれば付き合いは自然発生する、みたいなの。

まあそりゃそうだよねー、って感じなのだけどジャンクフード食べるのってそんなに悪いことなのかな?ッて感じに。食をめぐる価値観にも通じて、すべてを手作りスローセックス・スローフード的な自然食みたいなのにするのも宗教がかってるというか、まあ手間もかかるし飽きっぽくなる。なのでそういうのも選択の一部として選べればよいかなあって結論。食べ物うんたらと同じく。


阿古真理、2013、「昭和の洋食、平成のカフェ飯」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/424606203.html

遠藤哲夫、2013、「大衆めし 激動の戦後史」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/425007585.html



んでもまあこういうのも世間一般のエロ、あるいはグラビア的な男性欲望・価値観のステロタイプに汚染されたひとがみるとそういうのが相対化されてよいのかもしれない。


そんなこといいつつ今日もAmazonアンリミテッドでゴミのようなエログラビアザッピングとかするわけだけど?( ・?・)? ?? 。○(まあでもあれもおやすみ前のちょっとした「お楽しみ」があの程度で済むようになって便利っちゃ便利なんだけど(最近は筋トレで疲れさせてさっさと寝ちゃえ、にしつつ
















セックスの哲学 - Wikipedia

セックスの哲学(英: Philosophy of sex)とは、セックスや性愛に関する研究を行う応用哲学の一分野である。売春、レイプ、セクシャルハラスメント、性的アイデンティティー、同意年齢、同性愛のような現象についての倫理学的考察や、「セックスとは何か?」のような問いに対する概念分析が行われている。また、セクシャリティや性的アイデンティティーにまつわる問いや、ジェンダーの存在論的地位についての問題も扱う。現代のセックスの哲学者として代表的な人物には、アラン・ソーブルとジュディス・バトラーがいる。

現代のセックスの哲学は、西洋フェミニズムの影響を受けている場合が多い。フェミニストが問いただしているジェンダー間の差異、性の政治学(ポリティクス)、また性的アイデンティティーの本性といったテーマは、セックスの哲学においても重要な問題となっている。







上野千鶴子、1989、「スカートの下の劇場」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/388711171.html

「恋愛とセックスの経済学」 / 「家父長制と資本制」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/427900360.html

意味―性―愛: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/414101268.html

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2016年08月10日

シン・テッポウ? / 対膝痛トレーニングとしての四股とスクワット


以前にした四股・テッポウエントリの続き的なものとして


四股やら腰割りやらとウォーキングやらランニングやらについて: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/437377800.html


テッポウと膝関連で進捗?あったので経過報告的に。



テッポウについてなんとなく最近わかるような感じになってきた。「わかる」っていうかこれが正しいのかわからないけど効果として実感できる感じ。

ポイントとしては単純でテッポウの開始位置のときの壁に手を当ててるとき、掌をできるだけ壁面から離し、人差し指の付け根辺りだけで体重を支えるようにする、「付け根あたりだけで」っていっても壁面を使った斜め腕立てみたいな体勢になってるから足でも体重を支えてるんだけど、感覚としては「指付け根だけで」って感じ。指の付け根で相手を喉輪してるような。壁面についた指と指の付け根の角度が90度になるように。

ここから「落とす」ように始動することでぜんぜん効果が変わる感じ。全体重が確実にかかってる感じでウッと声が出る。寸勁とかと似た感じの理合いなのだろうか?この荷重を肩甲骨剥がしに利用する。


肩甲骨はがしストレッチ 首、肩、腰の痛み、体の不調が消える! -
肩甲骨はがしストレッチ 首、肩、腰の痛み、体の不調が消える! -

肩甲骨剥がしはよくわかってなかったけど要するに「肩甲骨というのは鎖骨だけでジョイントされてるものだけどほうったらかしにしてると肉に埋まって機能しなくなってる(ので肉から剥がして可動域を広げる)」というもの。

「鎖骨だけでジョイントされてる」というのを解剖図的なので見せられ意識するようになるとテッポウで荷重をかけるときにもどこまでやって良い / やるべきかがイメージされていい感じになった。





膝関連は四股とかスクワットで。




以前のエントリにも書いたかもだけど膝を痛めているので四股に期待してるのは炒めてる膝でもできるような足に負担をかけない筋トレあるいはストレッチということで、じっさい四股を意識してするようになって膝の調子がよくなっていた。でもその理由がよくわからなかったのだけど、今回Amazonアンリミテッド経由などで膝痛に関する本をブラウズしてみて膝痛の原理みたいなのを理解し、四股踏んでるとなぜ膝痛が緩和したのか?も理解できた。



膝、復活: 立つ、座る、歩く、人生の晩年は、膝で決まる (片寄斗史子聞き書きシリーズ―100歳までいきいき生きる国民医のアドバイス) -
膝、復活: 立つ、座る、歩く、人生の晩年は、膝で決まる (片寄斗史子聞き書きシリーズ―100歳までいきいき生きる国民医のアドバイス) -


ひざの激痛を一気に治す自力療法No.1 (軟骨が再生する脅威の運動大判ポスター付き!) -
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膝痛にも色いろあるのだけど要するに大腿骨と脛骨が直接にこすれて神経が刺激されるのが膝痛で、大腿骨と脛骨のあいだのクッションがなくなっていくのが原因。高齢化にともなって生じるのはそういうのだけど、自分の場合は故障で生じた。たぶん膝の内側靭帯か半月板が損傷してる。O脚だとこの辺を損傷しやすいらしい(日本人の大部分はO脚)。なので、この部分を再生、あるいはなにかクッションを入れる必要があるのだけど、膝痛系でよくみる「膝を伸ばすようにしなさい」というのはここに潤滑液をためるためなのだそうな。そうすると車なんかにおけるハイドロうんたら現象と同じ感じで潤滑液がクッションになる。あるいは潤滑液自体に軟骨なんかの再生作用があるらしい。スポーツをして膝を傷めた人で「膝に水が貯まる」とかいうのもこれのことらしく、危機察知した身体の過剰反応として潤滑液を出しすぎて「水が貯まる」ということになるらしい。なのでそれ系のひとたちは水抜きとかする必要があるのだろうけど、そこまでいってない場合はふだんから膝抜き / 伸ばしをして潤滑液をためたほうがいいみたい。


名医が図解! 腰痛・膝の痛みは解消できる! (3) 膝の痛みの原因と対策 impress QuickBooks -
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やり方としては簡単で、いちばん簡単な座ったままできるものとしては膝振り子運動というのが紹介されていた。まあ座った状態で足をブラブラさせるのを50回ずつ3セットぐらい繰り返すというものだけど。自分的にはこういう構造を理解したうえで四股とヒンズースクワットを日課とすることにした。


膝痛の対策のもう一つのものとして「膝周りを補強するような筋肉を強化する」といわれるのだけど大腿四頭筋が膝の最強の装具なのだそうな。大腿四頭筋、つまり太もものアウターマッスル部分全般。

四股なんかだとインナーマッスル意識だったけど今後はこの辺も意識してやっていく。具体的には振り上げ足のつま先をすね側に縮ませることで大腿四頭筋に効かす。これも膝振り上げ運動の一環として紹介されていた。その際、かかと親指をきちんと意識して使う。O脚なんかの悪いところは脛の構造的に足の外側に体重をかけがちになってしまうことで、歩くときにもきちんとかかとで着地し親指で蹴りだすようにしたほうがよいのだそうな。ここに体重が一直線に乗るように意識して。そいやちょっと一休みの時に足を交差させて立つ楽だったりするけど、あれもO脚だからなのだろう。両足の外側に体重をかけやすいので自然とそういう体勢をとってやすみやすいようにしてる。そういう体制をとってる人がいたらO脚ということなのだろう。




ヒンズースクワットはただしくやるとこういうのに効果するらしくやり終わった後に膝が抜けてる / 伸ばされた感じがする。体重を落とすときに膝に負担がかかり過ぎないか心配だったけど正しくやるときには前に伸ばした腕によってバランスをとるため膝への荷重にはならないぽい。体重を落とすときにはできるだけ後ろに、膝に負担がかからないように意識してかかとに落とす。なんだったらつま先が浮くぐらいでやってる。





全体としては大腿四頭筋に効く。ストレッチ的には膝を伸ばし、筋トレとしては大腿四頭筋に効く。





あとはカーフレイズなんかで鍛えにくい脛・ふくらはぎを。フィニッシュの時にかかとが下がるぐらいの段差があるとこでやるのが良いと見たのでそういう感じでやってるけど足裏に痛いのでマット敷いてやってる。



全体的にストレッチ重視できちんと伸ばしたあとに筋トレ的な感じ





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2016年08月09日

シンゴジラが壊したものはなんだったのだろうか?




シンゴジラについて。もうちょっと評論めいたことを書きたい(思考したい)、あるいはそういったものを読みたいとおもっていたところでこのエントリで刺激されてなんか書きたいと思ったのだった。

希望の時代の中で―『シン・ゴジラ』雑感 ≪ SOUL for SALE
http://blog.szk.cc/2016/08/01/in-the-hope-age/


書き方は異なるけど似たようなことを思ったのだろう。つまり、「ゴジラというものは何の象徴だったか?」そして「それは現代でも通用するものなのか?」


「ゴジラってなに?」というとビキニ環礁の核実験から生まれた怪獣で、文明の負の遺産でありシステムに対する怒りであるってかんじなのだけど、それがリアリティをもったのはそういったシステムが戦後のカタストロフの中から立ち上がり構築されていった時代だったのだろう。

最初に構築されたシステムなのでスマートでもなくさまざまな問題を抱えつつ乱暴で暴力的で、それがゆえに市民の生活の方に問題が溢れていった。公害問題とか。

なので初期のゴジラは具体的には公害の象徴的なものだったともいえる。まあシステムの圧力によって生まれた問題の代表的なものが公害だったのだろうからそれだけがゴジラ的なものに代表・象徴されていたわけではないだろうけど。

この時代の人々がゴジラ的なものにマンゾクした背景にはそういったものがあったのだろう。逆らってはいけないオカミ的なシステムに暴力的にNOをつきつけていく存在。力道山と白人レスラーの関係にも同じ。

ただ、彼らがそういったイデオロギー的な理由から作品を鑑賞し満足していたかというと単に目に映る怪獣の光景が新鮮でおもしろかったからというのもあったかもしれない。プロレスも当時は斬新で刺激的な暴力ショーだったのだろうし。

ゴジラのリアリティの初期というのはそういったものだったのだろう。未だ怪獣のリアリティが通じていた時代。

そういったリアリティ、未だ消費財的なものが新鮮で、コンテンツ的にも新鮮なものがあふれていて、未だ見ぬ未来の発展をいずれ来るものとして信じられていた時代のリアリティ。初期から中期にゴジラ映画を愉しめていた背景にはそういったリアリティがあったように思う。

しかし、そういったリアリティも必要な耐久消費財が整い、物があふれ、あらゆるものが新規性を失い、退屈でシラケたものになっていった。いわゆる後期近代であり不可能性の時代へ。われわれは未来を信じる可能性を失っていった。

ゴジラ的なもの、あるいは怪獣的なものやSF的なものはそんな感じで、予定調和されシラケきった現在-未来の中で一般の人には受けるはずもない不可能性を抱えている。一部のヲタとかなら別だろうけど一般には「ゴジラなんか怪獣映画きょうみなーい」というのがふつーの反応になる。

ただ、今回の「シンゴジラ」が評判をもって受け入れられたのはそういった怪獣映画の系譜を継ぐものではなく、ゴジラを背景にした人間ドラマだったからだろう。われわれがなかなか見ることのない官庁の専門職の人々の様子。そこには未だ優秀で信じられる人間がいるということにリアリティをともなった希望・胸熱を感じ、あるいは311では到達できなかった未来を垣間見せられたことでカタルシスを感じられた。


(怪獣映画という)不可能性のなかで未来への希望を感じられる可能性が生まれた。


それはかつて楽天的なSFのように望まれた<未来>とは異なった、シビアな現実主義の時代を通り抜けた上でのかすかな<希望>ということだろうけど。ただ、その「希望」も過度のロマンティシズムに基づくものといえる面もある。




ついったでは何度か言ってたけどシンゴジラのストーリーラインというのは自分的にはそんなに斬新でもないのだけどなんかみょーに持ち上げられてるの見るとうーんてなっていた。

庵野秀明・樋口真嗣、2016、「シンゴジラ」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/440705100.html


好きだし面白いと思うんだけど稀代の傑作みたいな言い方されてるの見ると。。(まあ人の評価とか印象はそれぞれだから良いのだけど一般論じゃないよねソレってかんじ。ヲタ的な怪獣とかウルトラマンとかの特撮の系譜を踏まえた上でのオマージュ-お約束、と、そのうえでの自衛隊他のヲターマニア心くすぐるアレのあたりはわかるし、内閣府あたりの骨太描写もその一つといえばそうなのかなあと思うのだけど。あれってここ最近人気の「日本はまだまだやれる」系の企業ドラマの描写の仕方のように思える。「下町ロケット」とかそういうのと同じような(或いはソレに属する「龍馬伝」的なのと同じような)。それと311を想わせるものをからませたので思ったよりカタルシス(あったらよかった現実)になって一般的なとこに遡及したのかなあとは思うのだけど。「ALWAYS 三丁目の夕日」がハイパーリアリティ的な昭和ロマンティシズムといわれびみょー感持たれるのと同様、一連の企業ドラマってそういうのの系譜なんだとおもう。




「趣都の誕生」を読んでいると都市の建物というのはその時代、その都市の人々の未来観を反映するものだという。

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ -
趣都の誕生 萌える都市アキハバラ -


「未来」でありその時代環境の欲望や理想を体現したのが都市の建物のデザインということになる。

ただ、オフィスビルの外観というのはある時から時間を止めているらしい。ほとんどはレイクショアドライブ・アパートメント様式になってる。看板方式でシュッとした長方形のガラス張りのビル。ルードヴィッヒ・ミース-ファンデルローエのデザインなのだそうな。団地に共通するデザイン(ユニテ・ダビタシオン)の元はル・コルビュジエだとか。




そういったビル、都市計画というのは官の主導であったが、だんだんと民も加わっていった。いわゆる森ビルとか、あるいは渋谷や池袋への西武の出資とデザインとか。都市デザインの官から民への時代。

アキハバラはそういった都市ビルのデザインの進歩を無視し、そんなに魅力のないビルに個々人の趣味としての垂れ幕がテンプレされていった。その意味で都市デザインは官→民の時代を経て「個」の時代になったとか。まあそれはデザインされたものではなくデザインを放棄した場にバラバラの趣味が表出され趣味と趣味がリンクされたという程度なのだろうけど。

シンゴジラの終盤、ゴジラを囲んでいた高層ビルは未だ建てられていない建物なのだそうな。それをCGでつくりだし破壊しゴジラに浴びせかけた。そのゴジラもまたCGでつくられたものだった。

そのことを象徴的に読みとると、われわれはもはや現実へのリアリティを失い、あるいはCGのなかでに期待される先取りされた未来をさえなんだったら破壊して差し支えないほどの決断力を有したといえる。それをモッタイナイと躊躇するのではなく、その期待に思考停止するのではなく。

かつてゴジラやモスラが壊したもの、あるいは壊そうとしたものはその時代のシステムであり未来の象徴だったはずだけれど、シンゴジラでゴジラがが壊したものはなんだったのだろうか?

未来、ではあるけれどけっしてゴジラなどの虚構の存在を通してしか破壊できないようなシステムと直結した構築物としての未来、ではない、なんだったらわれわれの決断によって破壊し修正できる未来。

それは「ゴジラが壊した」、のではなく、「われわれが壊した」のだった。

そして、

だからこそわれわれが建てなおしていける      
                    











                       のかもしれない





















8月6日  /  意味のテンプレ|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n8c315a1d618d

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2016年08月03日

庵野秀明・樋口真嗣、2016、「シンゴジラ」



昨日「シンゴジラ」を見てきた。シネマ会員カードでちょっと安い日だったしついったのTLでみょーに評判で、RTとか連弾でされてきてうざいなあという感じだったので、「見ずにうざいっていってるのもなんだし」「まあこれも縁起物」ということで。

シン・ゴジラ - Wikipedia

このウィキペディア、ついったに流れてきたtwからすると「ネタバレを過分に含む」ということでページ上部にも「このページは荒らしや編集合戦などのため、方針に基づき編集保護されています。現在の記述内容が正しいとは限りません」「現在、削除の方針に従って、この項目の一部の版または全体を削除することが審議されています」な但し書きな異様感があるのだけど、そんなにネタバレかあ?これって感じがするし、だいたいあの映画ってそんなにネタがバレて興ざめするようなものだったのかな?とかおもったり。

ここでのネタというのがどの部分を指すのかわからないのだけど、ストーリーということだと自分的にはそんなに新鮮でも斬新でもなかった。好きな型のストーリーではあるのでおもしろかったけど。知ってる型なのでお約束的な物語の流れを楽しんだ、ぐらい。

まあ言ってしまえば、「日本という国の病理は組織病であり、そっちのほうが怪獣とかよりも問題だ」「その病は緊急時に危機感が持たれることに寄って初めて解かれ、皆が利害関係を廃して協力するようになる。共通の敵に対して」、というもの。後者は「インディペンデンス・デイ」なんかでもおなじみの。

前者は先日来noteの日記でも言ってるもの。「政策-選挙っていったってけっきょく官僚は変わらないのだし、そういった組織の部分の空気や意思決定機構を換えないかぎりどうともならないだろう」。ここから「じゃあ一度全部壊してそこから立て直したほうがいい」とすると「オールドテロリスト」と同期する。その意味で、ストーリーラインやそこで描かれる政治経済的なディテールというのは村上龍の一連の関心に属してるものに思えた。「五分後の世界」とか「ヒュウガ・ウイルス」とか。あるいは、そういった村上の政治経済ものの端緒としての「愛と幻想のファシズム」。

愛と幻想のファシズム(上) -
愛と幻想のファシズム(上) -
愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫) -
愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫) -
五分後の世界 (幻冬舎文庫) -
五分後の世界 (幻冬舎文庫) -
ヒュウガ・ウイルス―五分後の世界 2 (幻冬舎文庫) -
ヒュウガ・ウイルス―五分後の世界 2 (幻冬舎文庫) -
希望の国のエクソダス (文春文庫) -
希望の国のエクソダス (文春文庫) -
オールド・テロリスト -
オールド・テロリスト -

「新世紀エヴァンゲリオン」が「愛と幻想のファシズム」のパクリというわけではなく、同作品が庵野の血肉となってるとこからの派生であり結果なのと同様に「シンゴジラ」と「オールドテロリスト」の位相が同期したのだろう。「シンゴジラ」制作進行中に「オールドテロリスト」を参照していたわけではないだろうけど結果的に問題意識や視点として同期した。

ただ「日本という国(腐った組織)を根本から壊してつくりなおす(スクラップアンドビルド)」としたとき、その手段としてテロを選ぶか怪獣を選ぶかで違っていた。というか、ゴジラというギミック、SF的舞台が選ばれたのはたまたまで、ゴジラという要素がなければこの映画のストーリーラインとしては「腐った国を立て直す」→「だったらテロもしくは革命だ」といったものだったのだろう。そこから逆説的にこの映画におけるゴジラは革命やテロ的なものの象徴として機能しているともいえる。
なのでこの映画はゴジラが主体の怪獣映画、ではなく、日本の組織や空気、その改革をメインとした群像劇といえる。その意味で「踊る大捜査線」の雰囲気にきわめて近い。単にゴジラの舞台の大部分がウォーターフロントで、「室井さんの怒り顔がゴジラに見える。。」というのもあるのかもだけど。

また、全体的に3.11 → 原発事故における政府対応がイメージされた。特にゴジラ≒核の恐怖から疎開する住民の姿が。直接に3.11や原発のことを描こうという意図があった作品ではなかったのだろうけど、日本という国で直近でもっとも政治的に分かりやすかった事案がそれだったのでモデルとなったところはあったのかもしれない。核つながりでもあるし。

物語的にはそういった政治的、あるいは密室の組織的なとこでの群像劇なのでこの映画のストーリーをもって賞賛してる人の大部分はそういった部分に惹かれたのだと思う。なので、なにか感想なりを述べるときにも素直にその部分について賞賛しとけば良いと思うのだけどこの映画の裏の部分、ヲタ的なギミックの部分への賞賛と混ざってなんかよくわからない合理化がされたりしてる(「庵野はアニメーター的な職人気質でミリ単位のカメラワークを要求した」とかそういう)。

そうはいいつつも自分も物語的な部分で上がるとこはあったし、最後の怒涛の意思決定と協力な部分で「よっしゃ╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ 」と心のなかで叫んでたりもしたのだけど、あそこでの感動やカタルシスの大部分は長谷川博己の演技の説得力に依るのではないかと思える。特に最後の方の演説の部分。なのでこの機会に「鈴木先生」見てみようかなあと。ちょうどアマゾンプライム動画で無料で出ててウォッチリスト入れてるし。

映画 鈴木先生 -
映画 鈴木先生 -
「この映画は群像劇であり怪獣劇ではない」とはいったもののこの映画のB面的な部分はきちんとそこがメインとなっている。特撮系のヲタ知識に乏しいのでこの辺の知識はわからないのだけど、ゴジラを初めとした一連の怪獣SF、あるいはウルトラマン的な特撮のお約束を踏襲してるような雰囲気はカメラワークやカメラに映し出される色味からも感じられた。怪獣な場面になるとみょーに昭和的?とおもえるような撮り方がされてるとこがちょこちょこあったので。たぶんああいうのはお約束なのだろう。
あとは戦車や飛行機などメカニカルなとこや、鉄ヲタや地下建物ヲタもうならせるようななんかがごっそり入ってた予感。なにせ「あの」庵野の作品なので。むしろこの部分を撮りたかったがゆえにゴジラ案件を受けたのかもしれない。その意味では群像劇的なストーリーはこれを載っけるための理由や型に過ぎない、ともいえる。


監督不行届 (Feelコミックス) -
監督不行届 (Feelコミックス) -

そういう意味ではこの映画は怪獣映画としても機能していたのだろうし、むしろこれをディスクで買って手元に置く人というのはそういうところで価値を見出して何度も楽しんでいくのだろう。スルメのように。


印象としてはシンエヴァ制作で救急としたなかで「巨神兵東京に現わる」を受けて東宝から持ちかけられた話をゴジラアナザーストーリー的に表したぐらいのものだったのだろう。巨神兵にゴジラをテンプレした感じの。なので「巨神兵」≒「使徒のプロトタイプ」のアナザー的なものがゴジラとして描かれて終劇する。

ストーリーとしてもそんな感じで、巨神兵的なもの、あるいは自衛隊などのヲタギミックを大量に投入するテンプレとして適したものがストーリーが選ばれた程度だったように印象するのだけど、まあこんな感じであまり練らないほうが却って大衆受けしやすいというのはあるのかもしれない(サザンオールスターズのいとしのエリーとかTSUNAMIみたいに



あと石原さとみがエロ、というか知的セクシー格好いい感じでよかったです(ヽ´ω`)ああいうのもできるんだねえ。。(そして庵野作品はああいうのがちょこちょこ出るのだけどなんかあるのかねえ。。リツ子さんとかミサトとか知的にデキるけど性にも奔放みたいなの)











「エヴァ破」をめぐる「父性」「母性」「愛」のあり方と行方みたいな話: muse-A-muse 2nd http://muse-a-muse.seesaa.net/article/223289573.html

「進撃の巨人」を7から17まで一気読みしてみてうんたらかんたら: muse-A-muse 2nd http://muse-a-muse.seesaa.net/article/430031910.html


ネコ、じょじょに回復 /  サガミハラ|m_um_u|note https://note.mu/m_um_u/n/n0e9b6854a42a

暑中一休 / いのちの値段|m_um_u|note https://note.mu/m_um_u/n/n450c07d20e22




村上龍最良の後継者であり震災後文学の最高傑作としての『シン・ゴジラ』(飯田一史) - 個人 - Yahoo!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/iidaichishi/20160803-00060706/









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