2016年05月21日

漂白される社会





漂白される社会 -
漂白される社会 -





読み始めたばっかのときに「とりあえず共感するところ / 自分の問題意識的に重なるところがあったのでその引用をメインとしてメモ的にエントリしとこう」と思ってつくっておいた草稿。

もう読み終わったのでなんか付け足してエントリにしても良いのだけど、これはこれでこのままで良いのでメモ的に置いとこう。なんかいいたいときにここからの関連でなんかいったり言わなかったりするかもだし。




社会のいたる所で「周縁的な存在」から何らかの偏りや猥雑さ、すなわち「色」が取り除かれ、「周縁的な存在」にとっても、その外部にとっても「自由」で「平和」な状況ができつつあること。また、それに支えられた「豊かさ」が、ある種の均衡状態を構築し、多くの人々を「幸せ」にしていること。

そして、その「幸せ」こそが、人々を不安、不信、さらには「不幸」へと追い落としもするということを―。


その構造に気づき、これまで見てきた対象を再度振り返った時、それらに共通する社会のあり様をまとめるためには、「漂白」という言葉しかないと考えるようになった。

原発は、かつて30年で潰されるはずであったにもかかわらず、40年を超えてもなお稼働されることになり、多大なリスクを抱えている。また、スカウト行為への規制が強化される歌舞伎町の路上で生き抜くスカウトマンは、悩みを抱えて占い師のもとを訪れる女性客の存在に目を付け、彼女たちを風俗店に斡旋していった。原発や歌舞伎町、そして本書に掲載した様々な対象は、「漂白」された「周縁的な存在」という一つの軸でつながりあっている。


これらは全て、自らがそのリスクにさらされない限り「見て見ぬふり」をできてしまう。「漂白」された「周縁的な存在」が、社会の表面にせり出してくることはないからだ。





「彼ら」は「周縁的な」存在や出来事を「見て見ぬふり」する



「もう終わる、すぐ終わる」「あれはダメだ、それを潰せ」「変わる、変えなければ」と、社会の中で相対的に目立ってしまった「ネガティブな何か」を探し出しては、そこを回転の軸にしながら、社会はいまだかつてないほど大きく、思いの他活発に動いているように感じられる。それは、「ネガティブな何か」が大きければ大きいほどなおさらのこと。

こうして、浅はかな「希望」が生まれては崩れてを繰り返し、それを取り囲んで起こる「祝祭」が非日常を演出する。その時々に選ばれた「敵」の象徴と、それなしには支えられない「友」の象徴が社会を浮遊し、人々の想像は暴走する。そして、非日常への熱狂の後には、退屈な日常が舞い戻り、以前と変わることのない日々は続いていく。


現代が、例えばかつてのように「暴利をむさぼる資本家」「民衆を抑圧する権力者」「克服すべき貧困・差別・暴力」という「絶対的な巨悪」を想定できる時代ではなくなったとするならば、それは、「闇の中の社会」だと言える。なぜならば、「絶対的な巨悪」があってこそ、それを打ち破り、困難を乗り越えた先に、眩いばかりの光の存在を感じることができるからだ。

そして、その光を目指す高揚感のなかで、社会は一つの秩序をもって営まれてもきた。現代とは、その秩序が失われた社会だとも言えよう。




光の存在をどこにも感じることができない、闇の中にある時代がもたらす不安は、人々をある種、宗教的な社会現象へと再編する。単純でわかりやすい言葉・経典(答え)を求めては、「これを信じろ」と社会は凝縮し、価値観の異なる「異教徒」を(でっち上げてでも)探しだしては叩き潰す。そして、「あいつらはおかしい、とんでもない」、あるいは「こちらを信じれば救われる。さもなければ、もはや……」と、「陰謀論」や「終末論」の発生にドライブがかかり、そこに浸ることで、生きる意味と充実感を得る者が現れる。



「彼ら」は「単純でわかりやすい言葉・経典を求めて」は「価値観の異なる異教徒を探しだしては叩き潰」す。水素水やホメオパシーやアベシンゾーや。そして、その場その場のわかりやすい規範に従う。


今、求められているのは、安心できる象徴を闇の中にでっち上げたり、ありもしない光を無理矢理に想像することではない。先行きを見通せない閉塞感のなかで立ち止まった時に、そこに芽生える現実が示す、その恐怖感から逃れてはならない。

目を凝らしながら、闇を闇として見つめ、少しずつでも歩みを進める。手の届く範囲にあるものに軽率に飛びつくことをやめ、複雑なものを短絡的に単純化すべきではない。ろくに手足を使っていないにもかかわらず、わかりやすい答えが見つかりそうになったとしたら、それは先入観や偏見でしかないと拒絶すべきだ。

丹念な作業の末に、闇の中にも目が慣れてくると、巨大に感じていた「見えない化け物」が、たとえ自らの手で扱えるものでなかったとしても、自分と同じような「何か」であることにも気づくはずだ。





それは端的には言えば「快との接続可能性が高度化した社会」であるとともに、「不快との共存が許容されなくなった社会」でもある。

ITの発展のみならず、政治・経済を含めて様々な要因が絡みあいつつも、確実に人もカネもモノも流動化するなかで、これまで存在してきた価値ヒエラルキーは崩壊し、独立的(=閉鎖的)な集団群が形成され、その背景にある歴史的な連続性は断ち切られた。そして、一方で、これまではそれぞれの「ムラの論理」(同一性)の中で生き、「他のムラの論理」(他者)と出合わずにも済んできた人々も、かつてとは違って他者と"出合ってしまう”状況が進み、他方で、これまで「ムラの論理」から逸脱したものを規律・訓練してムラに組み込み直してきたメカニズムが、「別々のムラの論理を持つ者同士」の共生(多様性)を高度化した資本や技術によって管理・統制するメカニズムに代替されつつもある。


その前提のなかで、人々は「葛藤し合わない」形でのみ社会的に包摂され、「葛藤し合う」もの、すなわち「あってはならぬもの」は社会から排除・固定化、もしくは不可視化される。

ここで述べるような包摂(inclusion) / 排除(exclusion)という枠組みは、ジャック・ヤングの議論を踏まえてなされている。あまりにも大雑把なまとめになってしまう(それぞれの概念を精査し、詳細は稿を改めて検討したいと考えている)が、ヤングは、社会から逸脱するものを社会に同化し安定性を求めていく包摂型社会が、後期近代(1960年代後半以降)には、個人主義や多様性を重視する価値観が広まるなかで、社会から逸脱するものを排除する「排除型社会」へと移行していったとする。

そして、排除する側・される側の消費や労働に関する価値観が近づき、その境界線が曖昧化することで(文化的)包摂と(構造的)排除が同時に起こる「過剰包摂(bulimia = 過食症)」(例えば、一部の者が特権を享受しているにもかかわらず、不平等や格差が見過ごされるような状況が起こることなどを示す)が起こっているとも言う。それらは、ここまで見てきた「固定化」や「不可視化」を起こす要因の一つとして踏まえるべきだ。

ここまで述べてきた「あってはならぬもの」とは、「共存が許されなくなった、不快に思われるもの」だった。「あってはならぬもの」がなくなれば、確かに快適で、便利で、安全な生活が訪れるようにも思えるのかもしれない。そして実際に、社会はそうなってきているようにも思える。

しかし、起こっている事態は"それだけ”なのだろうか。








戦後社会において、セーフティネットとは、「教育」や「社会福祉」のような法制度として政治的に用意されるものだったのかもしれない。しかし、現代日本に生まれつつあるのは、市場メカニズムが用意する、セーフティネットとは認識されにくい「グレーなセーフティネット」であり、それが住居や職探し、心の安住につながる人間関係を用意し(第三章)、あるいは、社会的に排除され、いわゆる「包摂策」として提示されているオプションからも排除される者を、戦後育まれてきた行政・制度に接続することも行う(第四章)。終身雇用・年功序列の社会で、幸せな家族でマイホームに住むことは、限られた者にとっての選択肢としてしか存在しない。

無論、社会的排除に対する社会的関心それ自体が失われているわけではない。むしろ、その時々に喧伝される「絶対的な聖域」をめぐって大きな議論がわき起こり、また、政治や行政はある方針を打ち立て、「快適・便利・安全」な社会につながるかのような「正論」の側にポジションをとった者が、その中で優位性を確保することにも似た状況ができる。

しかし、実際はむしろ「叩いていいもの」となった、その「絶対的な聖域」の「理解できない」こと・ものの内実には誰も触れないが故に、本来そこに存在した「あってはならぬもの」が抱える「改善されるべきこと」は、改善されるどころか、むしろ関心の対象として排除・固定化され、より不可視化される(第五章)。

そして、不可視化された「あってはならぬもの」は、二つの方向に進みながら生きながらえる。一つは、以前からあった人間同士のつながりと情報技術が相まった新たな対応システムで、性や規範の網をくぐり抜ける方向だ。対応システムに対する規制要因は常に生まれるが、その規制を常に乗り越える形で新陳代謝が起こる。

もう一つは、あらゆる経済的資源が縮小するなかで、これまで偏って存在していた顧客や利害関係者をより拡げる方向だ。様々な「障壁を下げる方策」によって「普通の人」を取り込みながら、「あってはならぬもの」は維持される(第六章・第七章)。

ただ、それは「ソフトランディング」である。より具体的な形で社会に対抗的に存在してきた「あってはならぬもの」、つまり、より「生々しい暴力性」を示してきたものは、明確かつ短期間のうちに崩壊を迎えているからだ。

「豊かさ」が達成された結果、それは政治・経済・行政・法・メディアなど様々な社会を構成するシステムから排除され、今では消え入りそうになっている。その内部にわずかに残る資源が、そこに生きてきた人々の最低限の生活を維持させる「包摂」機能を持つように見えることもあるが、もはや持続しえないようにも見える。生きながらえるのは、「生々しい暴力性」の牙を抜かれ、器用にも市場で一定のポジションを確保した一部の「強者」のみになる。

しかし、その「強者」とは、「快適・便利・安全」な「正論」のプラットフォームの上でのみ存在する「強者」に過ぎない。不可視化されてきた「あってはならぬもの」は、社会の変動要因となるという意味において無効化されてもきた(第八章・第九章)。

何かに熱狂しては溜飲を下げてを繰り返すなかで、変動しない社会、「快適・便利・安全」な社会は、強者のみで成立する社会でもない。当然、その快適さを下支えするシステムもまた形成される。






「信頼」が揺らぐなかで、「安心・安全を望む気持ち」が社会に存在し、時に増大することは確かだが、現実的にはもはや「客観的な安全」を社会に見出すことは、科学者にとっても、そうではない一般の人々にとっても難しい。「安心・安全を望む気持ち」が満たされないところには「不安」や「不信」が生まれる。両者は本来、「安全」や「信頼」の回復によって満たされ得るが、それもまた困難な状況にある。

そのような状況下において、「安心・安全を望む気持ち」、より正確に言えば「主観的な安心」は宙吊りにされ、絶えず人々の心の中に「不安」や「不信」を生み続ける。しかし、その情念は、回復が困難な状況にある「信頼」や、その前提の一つである「安全」に向かわず、また向かったとしても満たされず、彷徨うことになる。

その結果、ただアディクショナルに「自由のようなもの」や「平和のようなもの」は、その時々で偶発的に選択される。その選択の条件はすでに述べた「多数の人々」にとって選択し得るものであるかどうか、という点だけだ。そして、その原因であると同時にその結果として、時に「リスク」は「周縁的な存在」に分配され、それを排除・固定化・不可視化する。

不安と不信に基づいた無意識的な不快の中で、そこから逃れることを目指す力がアディクショナルに「自由」と「平和」を求め、「自由」で「平和」な社会が用意され……という循環が社会を構築していく。現代社会とはそんな社会であるらしい。







以下はこの本の元となった連載(一番下の方に一覧がある)と

第1回取り残された「売春島」に浮かぶもの 現代社会のリアリティ|開沼博 闇の中の社会学 「あってはならぬもの」が漂白される時代に|ダイヤモンド・オンライン http://diamond.jp/articles/-/19501


スピンアウトの対談


対談 漂白される社会 http://diamond.jp/category/s-hyouhakushakai

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2016年05月06日

石牟礼道子、『苦海浄土』



「苦海浄土」を読んでなんかいろいろうわぁ、、てなったのだけど感想にまとめにくく、じゃあこれはエントリするのでもなく自分の中に留めて流してしまおうと思ったのだけど「引用としてなら留めておいてしばらくしてまた見ても良いのかもしれない」と思い直した。


新装版 苦海浄土 (講談社文庫) -
新装版 苦海浄土 (講談社文庫) -
苦海浄土 わが水俣病 (講談社文庫) -
苦海浄土 わが水俣病 (講談社文庫) -


なので以下はだいたいが本書からの引用となる。それ以前にnoteに感想的な断片は載せていたのでこちらにもいちお載せておく。


「苦海浄土」ひとくぎり / 藤棚の季節の終わる前に|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n330f1adc07e7

早めに帰ったので風呂って読んでいた「苦海浄土」にまたズッポリとやられる。奥歯を噛み締めたくなるような悔しさと、涙が出そうになるような気持ちをぢっと耐えつつ、その静謐な怒りや悲しみ、諦観のような文体に身を任せる。聴いてるプレイリストが Jeremy Summerly のミサ曲なせいもあるのだろうけど。受難とか救いとか。


読み終わったり、あるいはぜんぶ読む前でも一区切りことになんかいいたい気持ちになるのだけど、これを生なかな言葉で感想するのもどうかなとおもったり。あるいは、批評的な視点や言葉で斜めに見るのも違和感がある。

単に味わい、自らのなかに沈殿させていけば良いのかもしれない。貧乏臭くいちいちアウトプットしなくても。特に「伝えなきゃ」でもなくこれほどの本なら知ってるひとは知ってるのだろうし、知らない人・関心がない人はそのままだろう。

全体的にヒロシマの被爆体験の話をみるような懐かしい温度、空気感がある。

外部から見るとフィクションにおもえるような想像を絶する悲惨。そういう言葉でさえ通り一遍等の形式的なもの、上っ面なものに思えてしまうような。そういう重い事実と生と死。

だからなかなか言葉に表しにくい。

フィクションに思えるといえばこの本自体がフィクション、SFにおもえるような構成もしている。「アルジャーノンに花束を」の「けーかほうこく(経過報告)」を想わせるような水俣病に関する医学的な、あるいは裁判資料的な記述。それが各被害者・罹患者のひとりがたり的な語りのルポルタージュの間にモンタージュされる。

ちょうど写真における白黒モノトーンとカラーの使い分けのように。その2つが交じり合い、別々の文体・語り方で表されていることでメリハリとなったリズムを生み出している。彼らの生が生きながらにして神話となっているような。あるいは、もうすでにそこにない生を慈しみ、惜しむかのようなまなざしや感情が全体を覆っている。




そのぶん、明日の昼には晴れるだろう|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n3cf60b636e21

「苦海浄土」についてまとめ的な感想とか批評めいたことは書きたくないなあとおもったのだけど、自分的に印象に残ったことばたちを留めるためにエントリしてもいいかもなあ、とか。引用メインで。
あとがきをみていたら、「あれはじつはルポルタージュではなく石牟礼さんのフィクションなのです。全面フィクションというか、彼女がインタビューした人の様子から紡ぎだした『この人ならこう言うだろう』というもの」、みたいなのを見てやっぱりなあと思う。やっぱりなあ、ていうかルポルタージュとしては受け止めていたのだけど、出来過ぎててフィクションというか、構成的にSFみたいだ、とかおもった部分がこのへんだったのかなあ、とか。

「石牟礼道子はこういったことばたちの巫女なのです。語りえぬ人々の、声にならない声の巫女なのです」

そういうのをみて自分もそういうのあるなあ / 感心されたなあそういや、とか。あと、特に知りもしない人のふところに潜り込んで話し聞くのもけっこう得意だったり。まあそれも合う合わないはあるのだけど、いわゆるとっつきにくく滅菌殺菌された東京都会人みたいな人じゃなければけっこうお話したりする。まあ話し聞いておもしろそうだったらだけど。

「断片的なものの社会学」とかみてても思うのだけど、こういうの自分もできるのかもなあ、とかなんとなく。

まあなにもないところでふだんからそれをやるのはちょっとハードル高いのだけど、ネタとしてみたいなインセンティブがあればそれなりにおもしろいのかもしれない。






以下は「苦海浄土」からの引用




潮の満ち干とともに秋がすぎる、冬がすぎる、春がくる。

そのような春の夜の夢に、菜の花の首にもやえる小舟かな、などという句をものして目がさめると、うつつの海の朝凪が、靄の中から展けてくるのだ。

そして「春一番!」という名の突風が一夜吹き荒れる。船の碇をひきちぎってゆくほどの風である。そのような風が来てしまえば、菜の花の朝凪とこもごもに、東風が吹き起こる。春の漁は不安定だ。だから、春は祭りや嫁取りの時期だ。ひとびとは忙しい。

水俣川川口の八幡様の舟津部落、丸島魚市場、二子島梅戸港、明神ケ鼻、恋路島、まてがた、月ノ浦、湯堂、筏道、磯ぞいの道をつないで歩けば海にむけて、前庭をひらいた家のどこかの縁に腰かけて、男たちが随時な小宴を張っている。理由は何でもいいのだ。雨憩(よけ)、風憩、日中憩、船底を焼いた後の憩、その他片っぱしに思いついただれやみ(疲れなおしの酒)を、二、三杯やれさえすれば、通りかかったものは呼びこまれる。

― おる家(が)の前を素通りする法があるか。挨拶に呑んでゆけ。

男たちは湯呑み茶碗をつきつけ、通行者が外来者で若くて焼酎にむせたりすれば目を細める。けろりと飲み干せばたちまち身内になれるのだ。そのような縁先に女房たちがいて、女客であれば、どっぷりとキザラや白砂糖を入れたシロップ様の番茶の馳走ににあずかるのである。砂糖は家々にホクソに(ふんだんに)使うほどあり余っているわけでもない。子どもたちが砂糖を盗みこぼしたりしているのをみつけると、女たちは大声をあげて追いかけまわす。

不知火海を漁師たちは"わが庭”と呼ぶ。だからここに、天草の石工の村に生まれて天草を出て、腕ききの石工になったものの、"庭”のヘリに家を建て、家の縁側から釣り糸を垂れて、朝夕のだれやみ用の魚を採ることを一生の念願として、念願かなって明神ケ鼻の"庭”のヘリに家を建て、朝夕縁先から釣り糸を垂らしていて、初期発病患者となって死亡した男がいても、庭に有機水銀があるかぎり不思議ではなかった。





ひととき、トラックの列が途絶え、小暗くかげった道の向こうはしに、雌雄判じがたい銀杏の古樹が、やはり根本からその幹にいつからこびりついたともわからぬ泥をべったりかさねて立っていた。

悠々とともってゆくような南国の冬の、暮れかけた空に枝をさし交わし、それなりに銀杏の古樹は美しかった。枝の間の空はあまりに美しく、私はくらくらとしてみていた。

突然、戚(せき)夫人の姿を、あの、古代中国の呂太后の、戚夫人につくした所業の経緯を、私は想い出した。手足を斬りおとし、眼球をくりぬき、耳をそぎとり、オシになる薬を飲ませ、人間豚と名付けて便壺にとじこめ、ついには息の根をとめられた、という戚夫人の姿を。

水俣病の死者たちの大部分が、紀元前三世紀末の漢の、まるで戚夫人が受けたと同じ経緯をたどって、いわれなき非業の死を遂げ、生き残っているではないか。呂太后をもひとつの人格として人間の歴史が記録しているならば、僻村といえども、われわれの風土や、そこに生きる生命の根源に対して加えられた、そしてなお加えられつつある近代産業の所業はどのような人格としてとらえねばならないか。独占資本のあくなき搾取のひとつの形態といえば、こと足りてしまうか知れぬが、私の故郷にいまだに立ち迷っている死霊や生霊の言葉を階級の原語と心得ている私は、私のアニミズムを調合して、近代への呪術師とならねばならぬ。




わたくしが昭和二十八年末に発生した水俣病事件に悶々たる関心とちいさな使命感を持ち、これを直視し、記録しなければならぬという盲目的な衝動にかられて水俣市立病院水俣病特別病棟を訪れた昭和三十四年五月まで、新日窒水俣肥料株式会社は、このような人びとの病棟をまだ一度も(このあと四十年四月まで)見舞ってなどいなかった。この企業体のもっとも重層的なネガチーブな薄気味悪い部分は"ある種の有機水銀”という形となって、患者たちの"小脳顆粒細胞”や"大脳皮質”の中にはなれがたく密着し、これを"脱落”させたり"消失”させたりして、つまり人びとの死や生まれもつかぬ不具の媒体となっているにしても、それは決して人びとの正面からあらわれたのではなかった。それは人びとのもっとも心を許している日常的な日々の生活の中に、ボラ釣りや、晴れた海のタコ釣りや夜光虫のゆれる夜ぶりのあいまにびっしりと潜んでいて、人びとの食物、聖なる魚たちとともに人びとの体内深く潜り入ってしまったのだった。



安らかにねむって下さい、などという言葉は、しばしば、生者たちの欺瞞のために使われる。

このとき釜鶴松の死につつあったまなざしは、まさに魂魄この世にとどまり、決して安らかになど往生しきれぬまなざしであったのである。

そのときまでわたくしは水俣川の下流のほとりに住みついているただの貧しい一主婦であり、安南、ジャワや唐、天竺をおもう詩を天にむけてつぶやき、同じ天にむけて泡を吹いてあそぶちいさなちいさな蟹たちを相手に、不知火海の干潟を眺め暮らしていれば、いささか気が重いが、この国の女性年齢に従い七、八十年の生涯を終わることができるであろうと考えていた。

この日はことにわたくしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがたかった。釜鶴松のかなしげな山羊のような、魚のような瞳と流木じみた姿態と、決して往生できない魂魄は、この日からわたくしの中に移り住んだ。




うちのような、こんなふうな痙攣にかかったもんのことを、昔は、オコリどんちいいよったばい。昔のオコリどんさえも、うちのようには、こげんしたふうにゃふるえよらんだったよ。

うちは情なか。箸も握れん、茶碗もかかえられん、口もがくがく震えのくる。付添いさんが食べさしてくれらす、そりゃ大ごとばい、三度三度のことに、せっかく口に入れてもらうても飯粒は飛び出す。汁はこぼす。気の毒で気の毒で、どうせ味もわからんものを、お米さまをこぼして、もったいのうてならん。三度は一度にしてもよかばい。遊んどって食わしてもらうとじゃもね。

いやあ、おかしかなあ、おもえばおかしゅうしてたまらん。うちゃこの前えらい発明ばして。あんた、人間も這うて食わるっとばい。四つん這いで。

あのな、うちゃこの前、おつゆば一人で吸うてみた。うちがあんまりこぼすもんじゃけん、付添いさんのあきらめて出ていかしたから、ひょくっとおもいついて、それからきょろきょろみまわして、やっぱり恥ずかしかもんだけん。それからこうして手ばついて、尻ばほっ立てて、這うて。口ば茶碗にもっていった。手ば使わんで口を持っていって吸えば、ちっとは食べられたばい。おかしゅうもあり、うれしゅうもあり、あさましかなあ。扉閉めてもらうて今から先、這うて食おうか。あっはっはっは。おかしゅうしてのさん。人間の知恵ちゅうもんはおかしなもん。せっぱつまれば、どういうことも考え出す。

うちは大学病院に入れられとる頃は気ちがいになっとったげな。ほんとに気ちがいになっとったかも知れん。あんときのこと、おもえばおかしか。大学病院の庭にふとか防火用水の堀のありよったもんな。うちゃひと晩その中につかっとったことのあるとばい。どげん気色のしよったじゃろ、なんさまかなしゅうして世の中のがたがたこわれてゆくごたるけん、じっとしてしゃがんどった。朝になってうちがきょろっとしてそげんして水の中につかっとるもんやけん、一統づれ(みんな揃って)、たまがって騒動じゃったばい。あげんことはおかしかなあ。どげんふうな気色じゃろ。なんさま今考ゆれば寒か晩じゃった。

うちゃ入院しとるとき、流産させられしたっばい。あんときのこともおかしか。

なんさま外はもう暗うなっとるようじゃった。お膳に、魚の一匹ついてきとったもん。うちゃそんとき流産させなはった後じゃったけん、ひょくっとその魚が、赤子(やや)が死んで還ってきたとおもうた。頭に血の上るちゅうとじゃろ、ほんにああいうときの気持ちというものはおかしかなあ。

うちゃ赤子は見せらっさんじゃった。あたまに障るちゅうて。

うちは三度嫁入りしたが、ムコ殿の運も、子運も悪うて、生んでは死なせ、今度も奇病で親の身が大事ちゅうて、生きてもやもや手足のうごくのを機械でこさぎ出さした。申しわけのうして、恥ずかしゅうしてたまらんじゃった。魚ばぼんやり眺めとるうちに、赤子のごつ見ゆる。

早う始末せんば、赤子しゃんがかわいそう。あげんして皿の上にのせられて、うちの血のついとるもんを、かなしかよ。始末してやらにゃ、女ごの恥ばい。

その皿ばとろうと気張るばってん、気張れば痙攣のきつうなるもね。皿と箸がかちかち音たてる。箸が魚ばつつき落とす。ひとりで大騒動の気色じゃった。うちの赤子がお膳の上から逃げてはってく。

ああこっち来んかい、母しゃんがにきさね来え。

そうおもう間もなく、うちゃ痙攣のひどうなってお膳もろともベッドからひっくり返ってしもうた。うちゃそれでもあきらめん。ベッドの下にペタンと坐って見まわすと、魚がベッドの後脚の壁の隅におる。ありゃ魚じゃがね、といっときおもうとったが、また赤子のことを思い出す。すると頭がパアーとして赤子ばつかまゆ、という気になってくる。つかまえようとするが、こういう痙攣をやりよれば、両の手ちゅうもんはなかなか合わさらんもんばい。それがひょこっと合わさってつかまえられた。

逃ぐるまいぞ、いま食うてくるるけん。

うちゃそんとき両手にゃ十本、指のあるということをおもい出して、その十本指でぎゅうぎゅう握りしめて、もうおろたえて、口にぬすくりつけるごとして食うたばい。あんときの魚は、にちゃにちゃ生臭かった。妙なもん、わが好きな魚ば食うとき、赤子ば食うごたる気色で食いよった。奇病のもんは味はわからんが匂いはする。ああいう気色のときが、頭のおかしうなっとるときやな。かなしかよ。指ばひろげて見ているときは。





あねさん、この杢のやつこそ仏さんでござす。

こやつは家族のもんに、いっぺんも逆らうちゅうこつがなか、口もひとくちもきけん、めしも自分で食やならん。便所もゆきゃならん。それでも目はみえ、耳は人一倍ほげて、魂は底の知れんごて深うござす。一ぺんくらい、わしどもに逆ろうたり、いやちゅうたり、ひねくれたりしてよかそうなもんじゃが、ただただ、家のもんに心配かけんごと気い使うて、仏さんのごて笑うとりますがな。それじゃなからんば、いかにも悲しかよな眸(め)ば青々させて、わしどもにゃみえんところば、ひとりでいつまっでん見入っとる。これの気持ちがなあ、ひとくちも出しならん。何ば思いよるか、わしゃたまらん。

こりゃ杢、爺やんな、ひさしぶりに焼酎呑うで、ちった酔いくろうた。

杢よい。

こっちいざってけえ、ころんころんち、ころがってけえ。





あねさん、魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を暮らす。

これより上の映画のどこにゆけばあろうかい。

寒うもなか、まだ灼け焦げるように暑うもなか夏のはじめの朝の、海の上でござすで、水俣の方も島原の方もまだモヤにつつまれて、そのモヤを七色に押しひろげて陽様(ひいさま)の昇らす。ああよんべはえらい働きをしたが、よかあ気色になってきた。


かかさまよい、こうしてみれば空ちゅうもんは、つくづく広かもんじゃある。

空は唐天竺までにも広がっとるげな。この舟も流されるままにゆけば、南洋までも、ルソンまでも、流されてゆくげなが。唐じゃろと天竺じゃろと流れてゆけばよい。

いまは我が舟一艘の上だけが、極楽世界じゃのい。











といったふうに続けられる対話が、まさか現実の対話の記録であるとは誰も思うまい。これは明らかに、彼女が見たわずかの事実から自由に幻想をふくらませたものである。しかし、それならば、坂上ユキ女の、そして江津野老人の独白は、それとはちがって聞きとりノートにもとづいて再構成されたものなのだろうか。つまり文飾は当然あるにせよ、この二人はいずれもこれに近いような独白を実際彼女は語り聞かせたのであろうか。


以前は私はそうだと考えていた。ところがあることから私はおそるべき事実に気づいた。仮にE家としておくが、その家のことを書いた彼女の短文について私はいくつか質問をした。事実を知りたかったからであるが、例によってあいまいきわまる彼女の答えをつきつめて行くと、そのE家の老婆は彼女が書いているような言葉を語ってはいないということが明らかになった。瞬間的にひらめいた疑惑は私をほとんど驚愕させた。「じゃあ、あなたは『苦海浄土』でも……」。すると彼女はいたずらを見つけられた女の子みたいな顔になった。しかし、すぐこう言った。「だって、あの人が心のなかで言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」。


この言葉に『苦海浄土』の方法的秘密のすべてが語られている。それにしても何という強烈な自信であろう。誤解のないように願いたいが、私は何も『苦海浄土』が事実にもとづかず、頭の中ででっちあげられた空想的な作品であるだなどといっているのではない。それがどのように膨大な事実のデテイルをふまえて書かれた作品であるかは、一読してみれば明らかである。ただ私は、それが一般に考えられているように、患者たちが実際に語ったことをもとにして、それに文飾なりアクセントなりをほどこして文章化するという、いわゆる聞き書の手法で書かれた作品ではないということを、はっきりしておきたいのにすぎない。本書発刊の直後、彼女は「みんな私の本のことを聞き書だと思ってるのね」と笑っていたが、その時私は彼女の言葉の意味がよくわかっていなかったわけである。

患者の言い表していない思いを言葉として書く資格を持っているというのは、実におそるべき自信である。石牟礼道子巫女説などはこういうところから出て来るのかも知れない。




















関連でいまはこれらを読み進めてる。

石牟礼道子 ---魂の言葉、いのちの海 (KAWADE道の手帖) -
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食べごしらえおままごと (中公文庫) -
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「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか -
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漂白される社会 -
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