2016年04月30日

四股やら腰割りやらとウォーキングやらランニングやらについて




四股は以前から踏んでたのだけど最近やってなかった。膝をいためてるので冬場だと四股でもちょっと痛かったので「ムリすまい」とかおもって。んでもちょっと考えなおして再開した。それで筋トレとしてきちんと日課にしてやることになったところでついったのTLでダイエットとかプロポーションとか気にする女子ずがちょこちょこ「スクワットしなきゃ」みたいなこと言ってるのに「四股しろー」botでちょっかい出してるうちに自分もけっこうお勉強になって、四股ほかのやり方も見なおしたのでちょこちょこnoteに書いていた。「お勉強になった」というのは「知らない相手に伝えるにはそれなりにきっちり伝えないとね」ということで一般人がトレーニングとしてやる場合の四股についての本なんかをちょこちょこ読んで、そこから四股のスポーツ生理学?的な効果とかやり方なんかを見なおして自分のやり方も修正したから。それでnoteなんかにはそれについてちょこちょこ書いてたのだけど今回あらためてこちらに再編集してエントリすることにした。まあ腰割りやテッポウなんかは未熟で自分でも修正してる部分はあるので他人様に大発表というのもどうかなと思うのだけど、まあいいかなーってことで。


直近だとこのへんがいちおのきっかけになる


四股とかテッポウの効用(機構)|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nc9ba6597cf12


このnote自体が四股の初歩についてのとぅぎゃったーみたいになってるのでこっちに飛んで見てもらってもいいのだけど画面遷移もめんどうだろうからいちおその中でも特にポイントと思われる箇所を抜粋すると


やり方としてはこんな感じになる

【夏合宿】四股の踏み方講座!!皆さんもやってみて下さい!|現役力士「普天王」どすこい大相撲日記 Powered by アメブロ
http://ameblo.jp/futenou/entry-10003634881.html


まあ間違ってはないのだけどこれだけだと入り口としてはキツイだろうからこのへんの知見も含めてもうちょっと解説すると


1日1分のシコトレで股関節からカラダが整う! -
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お相撲さんの“テッポウ”トレーニングでみるみる健康になる (じっぴコンパクト新書 81) -
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お相撲さんの“腰割り”トレーニングに隠されたすごい秘密 (じっぴコンパクト新書 053) -
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腰痛・ひざ痛がみるみるなくなる! 腰割り体操 (ヤエスメディアムック455) -
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まず「片足だけで立つ」というのが最初の段階だとたいへんでよろめくだろうけど近くになんか支えになるものがあったらそれに捕まったりしていいと思う。よろけたりしたら。てか、このときよろけるのは重心のかけ方、腰の落とし方(スタートポイント)が違ってたりするからだろうけど。

四股は腰割りの次の段階だから本来なら腰割りから説明すべきなのだろうけど簡単には「腰割りの姿勢(中腰)のまま片足ずつに重心を移動して上げる」ということになる。

腰割りの姿勢というのはまた後述するかもだけど、肩幅に足を開いてつま先は外側に向けて、上半身をそのまま落とす運動。足をよく開いたハーフスクワット的なものと思っていい。これをできるだけ身体を落として行う。まあできるだけっていうか股関節に効いてるなあって思うぐらいまで。あまり無理しない程度に。このとき足が外側に向いてることで膝に負担がかかるのだけど、これもこれによって膝に負担がかかりすぎる(痛い)ようだったらあまり無理して外側に向けなくて良い。要は股関節に効かす・股関節を柔軟させるというころがポイントなので。ちなみに股関節というのはこの辺


20120212203257a85.jpg


骨盤と大腿骨をジョイントする辺になる。


感覚的には腰割りとか四股とかでここをポコッとポコッとジョイント部から浮かせて拡張する感じ。腰割り、四股のときには前かがみにならないように注意して上半身をそのまま下に落とす。そうすると腸腰筋やらに効いてくる。まあリンパとかヒップアップとかにも効くのだろうけど。

よろける場合は肩甲骨をぎゅっと真ん中に寄せるようにしてバランスを保つ。あるいは足裏の重心の移動、重心をかけられるポイントをイメージする。

足裏の場合、体重というのは足の外側(足刀部分) → かかと → 親指付け根の順番でバランスされるようで、特に腰割り・四股なんかでよろける場合は足の外側をイメージするとけっこうもったりする。四股なんかで片足立ちになったときも、足の外側がエッジになって思いの外もつ。あと後ろに倒れそうだったらかかととかイメージするとか。親指付け根は足(←地面)から発力するときにイメージされるかな。かかともだけど。


戻ると、四股は腰割りの足のポジション・中腰の姿勢ではじめる。このとき、軸足の股関節に体重をのせることをイメージすれば足は勝手に上がりバランスされる。「足をあげる」のではなく「軸足股関節に体重を載せる」ようにする。そうすると振り子の要領で勝手に足は上がる。それで上がった足・体重を利用して、足を開いた姿勢で股関節で体重をキャッチして股関節を広げていく。あるいは肩甲骨もつかってバランスさせる。肩甲骨は真ん中に絞る。上半身の前傾を制御できる。




内容重複するけど最初のnoteの該当箇所もいちお引用

四股とかテッポウの効用(機構)|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nc9ba6597cf12

要するに、四股の効果、あるいは筋トレ・ストレッチ部位というのは股関節と腸腰筋(太もも付け根外側から臀部にかけての筋肉)でそこから連動して腰部につながる。全体的には深層筋(インナーマッスル)が鍛えられるのはいわずもがな。

意識としては、とくになれないうちは「足をあげる」というほうに行きがちなのだけど、リンク先の解説にもあるように、「足をあげるというつもりでもなく、軸足の方に体重をかけると自然とあがる。ちょうどシーソーのように」、みたいなとこはある。ただ、これも股割りとかできていて可動域が上がってれば自然とそうなりがちなのかもだけど、最初の段階ではむずかしいだろうから上げる方の足の腸腰筋を意識するとあがりやすいしより効果がある感じがした。あとは下ろすときに上げた方の太もも裏あたりに力を感じつつ振り下ろす。断頭台とか鎌みたいな感じで。体重+筋肉の力が加わった重みで股関節をストレッチする。

最近はコーヒーを淹れつつ20回ずつで80回とか、あるいはなにかちょっとした湯で / 煮ものをしつつ50回とかがふつーになった。で、日に200回とか。

解説を見てたらやはり古武術的に身体の基礎に通じるみたいなことが書いてあって、まあ続けとくのは地味に良いだろうなあ、とか。



断頭台みたいな鎌みたいにして下ろす、とか書いちゃったけどおろすときはあまり力いれなくてもいいかも。特に最初のころは。ヘンにグキッとなってあぶないかもだし。足裏とかアキレス腱なんかも痛かったり痛めたりするかもだし。できれば下ろす足はつま先からゆっくり下ろすぐらいで。まあ最初はこれもバランスがうまくとれない(軸足股関節にきちんと体重が乗ってない)かもで大変かもだけど。



スクワットの場合は大腿筋とよくてハムストリング(太もも裏の筋肉)が鍛えられる程度なんだけど腰割り・四股の場合は腸腰筋とか尻裏の筋肉とか、単にアウターマッスルじゃないところが鍛えられる。スクワットの場合、筋トレって感じで太もも太くなっちゃって女性的にはびみょーってのもあるのだろうけど、腰割り・四股の場合はストレッチ的なものがメインなのでそういう意味でも気楽だったりするかも。あとスクワットみたいな筋肉痛・痛めたりしない。回数にもよるだろうけど。

自分は膝を痛めてるのでスクワットの場合はどうしても膝に負担が来て却って痛くなってたりしたのだけど四股だとなんかうまいこといく。却ってよくなってきたり。それはヒザ痛の該当箇所に依ったり、最近ヒザ痛に効くというキューピーコンドロイザー飲んでるせいだったりもするかもだけど。まあとりあえずまた走れるまでになった。


かっぱさん、朝に翼(走る)を取り戻しもりもり食べる、の巻|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n09888b1b0f91



このへんからは四股の話とは別になるので四股の方法とかだけ気になる人は読まなくていいんだけど四股から走るなアレについて。

これは四股なんかの見直しで?膝が回復してきたせいもあるのだけど、四股に関しての元・一の矢関と内田樹さんの対談を見てて「昔の飛脚の走りって体幹(コア)ランニングだったのかなあ」とかおもって実践していってるので。



飛脚の走り方と体幹|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/na7de20538277



ナンバ歩きとか言われてた秘密のアレはどうも「左手と左足が同時に出て」ってことでもなく踏み出す足と同じ側の半身を前の方にひねりこむということらしい。体幹をうまく維持して骨盤を回転させることで半身をねじり込む。つまりテッポウ→すり足と同じだし金哲彦さんがいってるのに近いのだけど。あるいはベアフットランニングとかでいわれてるのと。まあこのへんの「飛脚の走り方の実際」については上記noteでそれなりにまとめたので特に引用せず。部分引用しにくかったし。興味あるひとはリンク先飛んで見てみてもらうと良い。


応用で体幹ウォーキング・ランニングについても簡単に


早朝散歩 / 体幹・肩甲骨・股関節|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n1dc7d4b49421

早朝読書で金哲彦さんの体幹ランニング・ウォーキングをザラッと読む。内容としては金さんが以前から言ってる話をもうちょっと細かくというぐらいで、以前に金さんの本を読んで習熟していた自分的にはすぐに読めて理解できた。
ただ、「肩甲骨を動かしてください」「肩甲骨で身体をひっぱりあげるんです」「羽のようなイメージで」、のあたりがより具体的にわかりやすくなってたように思えた。以前にも説明されてたのかもしれないけど。
具体的には肘を引いて肩甲骨をぐっと真ん中に寄せる感じ。走ってるとき、あるいは歩いてる時はこの引っ張る動きを片側ずつする。そうすると反作用で逆側の身体(半身)が前に出る。
これに加えて股関節を内側に寄せるのを意識しておくとおなじように身体が前に出やすい。とくに足の筋肉を意識しなくても。
あとは骨盤を前傾にしとけば身体がちょっと前傾になってるので勝手に前に進んでいく。

以前にこれを本で読んで実践してた時は肩甲骨で上に引っ張り上げる(地面からのダメージを軽減する)のを意識してるだけだったのでこういうローリングするようなのはできてなかったようにおもう。もちろん股関節のも。

そんなことを思いつつ一本歯でのウォーキングで実践したり、あるいは、日常でちょっと走る場面とかで実践したり。膝を痛めてるのでこういうのをやるとすぐに膝に影響があったのだけどそういうのもない。最近のストレッチが効いてるのかもしれないけど。足に直接にダメージがいってない感じはある。




金哲彦のランニング・メソッド -
金哲彦のランニング・メソッド -

「体幹」ランニング (MouRa) -
「体幹」ランニング (MouRa) -

「体幹」ウォーキング -
「体幹」ウォーキング -



いまはこのnoteのときよりもうまくなって地面を滑るようなかんじになってる。


石花 / 影を追う・影に追われる|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n332e673a0f37

体重のかけ方、姿勢なんかは先日来言ってるのと同じく「地面からのダメージは股関節で受け、足を前に踏み出す、のではなく、軸足から体軸を一本に保つようにして軸足を内側にねじり込んだら自然に反対の足は前に出ている」というもの。水泳と同じで体軸(コア)を一本に保つことが大事で、あとは基幹部分をねじる・回転させれば自然と推進力がつく、というもの。重心(骨盤)は低くして斜めにする。てか、尾てい骨を上げる感じにする。そうすると(体軸が一本に保たれていれば)身体は斜傾するので勝手に推進力が着く。感覚的には骨盤を中心に身体がシーソー(テコ)みたいになっていて、上半身の斜め前の地面への重みで足が浮いていく感じ。テコの原理で。昨日までも調子が良くなるとこの感覚が出ていたけど、今回はより各部位を意識して、理論的にこの感覚が実感できた。いままでも調子がよくなるとこういうのはあったのだけど、各部位ごとに理論的に理解・実践・定着していたわけではなかったのでどう調子をあげてよいのかわからなくなってたりしたのだけど今後は最初からこの姿勢をキープするようにすればこのパフォーマンスが出るということ。

下半身、股関節でキャッチして骨盤(尾てい骨)を回し(あげ)、足を内側にねじり込んでストライドを稼ぐと同時に前に足が出ている。下半身と連動して上半身を一本に保つようにしつつ、だんだん胸の辺りを地面に近づけていくイメージ。上半身を斜め前の地面に放り出すような感じで。放り出された身体は地面を這うように、舐めるように滑っていく。



走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫) -
走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫) -




あとは応用でバイクとか自転車とかゴルフとか

バイクと股関節|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n84eaa2e807ae

股関節と自転車 / 搾取される若者の風景|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n627025b4c4e0

疲労・回転・ゴルフ?・木の芽時|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n68913727866a


バイクのはサスペンションとしての股関節周りが柔軟されると地面からのダメージも吸収しやすいのかな?ってこと。あと姿勢もいろいろ取りやすいかな。

自転車も似たとこあるけど、股関節周りの可動域が拡がるので体軸からの体重を乗っけやすくなるとかありそう。

ゴルフはまあモロに体幹な競技なので。。




だいたいそんなかんじ  m(_ _)m  (テッポウについてもまとめなおそうかと思ってたけどまあいいやこっちは未熟だし)






posted by m_um_u at 15:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2016年04月20日

日常に侵入する自己啓発 ― 地震・PC・家事・こじらせ




昨今のついったのTLで震災関連の「これやっちゃいけないのにー」的な優越感ゲームうざいな、とか、女子をこじらせての是非うんたらうぜえなとか思いつつ、こういうのも包括的には今回読んだ本の対象範囲となるのかなあ、とか。



書評:日常に侵入する自己啓発―生き方・手帳術・片づけ [著]牧野智和 - 荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2015052400012.html

 果たして自己啓発書に、いかなる社会的機能があるのか。本書は、膨大な自己啓発書を整理しながら、その流行変化が社会の何を映し出しているのかを考察する。人は、手帳術を学ぶことで「時間感覚」を、片づけ術を学ぶことで「空間感覚」を再編する。男女、年代の違いによっても、「自己啓発」に求めるものは異なる。男性向けのものは仕事や趣味における上昇志向を刺激し、女性向けは美の追求を通じて自分磨きを要求する。典型的なイメージながら、人はそれに癒やされる。直接読むと「うへぇ」と投げ出しそうだが、本書のように客観的に分析されると、雑多な書籍たちが星座を形作っているように見えて面白い。
 「片づけ本」を整理した5章は最近でもベストセラー多発の分野だけあってタイムリーだ。主に男性経営者向けには、精神浄化の儀式としての掃除を。主に女性向けには、ありのままの自分を取り戻すための片づけを。現在の自己に不満を抱く人は、何かしらの儀礼を求めている。片づけのように些細(ささい)なことであっても、大層な儀式に変わってしまうものだ。




日常に侵入する自己啓発: 生き方・手帳術・片づけ -
日常に侵入する自己啓発: 生き方・手帳術・片づけ -



新聞の書評らしく短くわかりやすい紹介なのだけどもうちょっというと「自己啓発書にいかなる社会的機能があるのか」というか「○○のための道具のひとつとして現代日本では自己啓発書が用意された。さて、では自己啓発書の類は○○のためにどのように機能しているのか?」という話。前著からの課題・射程の具体ということになるらしい。


自己啓発の時代: 「自己」の文化社会学的探究 -
自己啓発の時代: 「自己」の文化社会学的探究 -




「○○のため」の「○○」というのは「自己のテクノロジー化」とか「内面の技術対象化」ということになる。ざっくり言えば、後期近代の現代人・都会人にとって必要な近代的な規律を自ら内面化・自己訓練化していく過程、ということぽい。具体的にはたとえば「優秀なビジネスマン・社会人になるためには○○するべき(しなければならない)」とか「デキた主婦・女性となるには○○であるべき(しなければならない)」とか。そういったものは簡単には自己啓発書の類で「○○のような考え方をスべき」とか示されるわけだけど、そこで一般化のために示される数値、たとえば年収とかスリーサイズとか体重とか、そういうものでデータ還元的に人の実存がスポイルされていく。最終的に。そういうのは近代人にとって指標としてはわかりやすいのだろうけど、それにとらわれ過ぎると却って窮屈になる。趣味のジョギングでみょーに数字にとらわれすぎて、とか、ダイエットでみょーに体重やカロリーにとらわれすぎて、とかそういうの。ダイエットが脅迫神経的になれば拒食症・過食症になるし、それは個人の問題としては心の病といえるのだけど「近代社会による女性への暴力」といえる。


なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学 -
なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学 -



「こじらせ女子」というのは、元の定義があいまいなのであれなんだけど、これも現代日本における理想・モデルとなるように提示された女性像とそこから選択するベキ行動・規律に対する脅迫神経的な態度・容態なのだとおもう。女性誌などではしばしば「理想の女性像」は「ステキな彼」をゲットするために提示され目的のひとつとされるのだろうけど、こじらせ女子たちは意識した異性を前にするとその目的からすると甚だ非合理的な行動や態度をとってしまう。いわゆるツンデレ的な不可解な行動とか態度とか。そしてそのことを後で死ぬほど後悔し自嘲したり涙したりする。あるいは、異性を意識しない、「(ステキな女性らしい)わたしらしさ」の演出のための女性像の獲得のためのアイテム選びなんかでもこの辺の「こじらせ」は顕れる。たとえば「あの服はあたしにはハードルが高すぎてムリ。。(合わない」とかそういうの。

彼女らがしばしば自ら「こじらせてる」と自嘲していうようにその選択が非合理的になり結果として部分を修正するのではなく全体をリセット・拒絶してしまうのはちょうどダイエットに脅迫神経的になった女性が過食・拒食に陥っていく過程と似ている。そして、その意味では彼女たちのゴール・軟着陸とされるべき地点もだいたい共通する。ダイエットのオーバードライブによる過食・拒食に対して「食自体を楽しめるようになるとよい」ように彼女たちも「女であること自体を楽しめるようになると良い」ということになる。まあ拒食症の人たちはそれも最初からわかってるのにこじらせた行動・態度をとってしまうので深夜にきれいなAV女優の姿を見て彼我の差に涙するようなのだけど。加えて言えば、過食・拒食の理由がある程度一般化できるとはいえそれぞれのひとによって異なるように女性が女子をこじらせる理由というのもそれぞれのひとによって異なるだろう。その意味で先行するこじらせ女子が後発のこじらせ女子に対して「あんたのはこじらせじゃない(本質的な悩みではない)」とかいうのも無理があるように思う。特に「こじらせ」の定義が曖昧であるとき。まあ「一般的なこじらせがあるとしてもそれに対してわたし固有のこじらせと似た容態を問題としているのだ(一般論ではなく私個人、あるいはそれと似た背景を持ってる人を想定・対象としているのだ)」というなら別だろうけど。






話が応用編にそれたので戻すと


そういったものが具体例・現象・事例として、本書ではそれにつながる自己の規律訓練化に関する道具としての自己啓発書を分析・考察する。あるいは自己啓発書に類するもの。たとえば女性誌や手帳、掃除術なんかもそれに当たる。男性の場合は仕事・仕事の成果・出世がベタな自己啓発の目的地となるのでそのための簡易な道標として自己啓発書がツール化されている。対して女性の場合はだいたいにしてそういった「出世」とは別の所をその界の目標としているのでいわゆる自己啓発書は分析対象とはならない。その代わり女性に用意されるのは女性誌やそこからスピンアウト的に出版された書籍となる。女性誌では往々にして自分磨きの目的・目標は「わたしらしさ」の演出のためとされる。「わたしらしさ」の反対地点として「おばさん」(所帯じみた)があり、このゲームでは「おばさん」になってしまう / そのように見られると「負け」ということになるらしい。またいわゆる出世街道から降りた / 上がった / 干された男性群なんかもこの「わたしらしさ」をゲームの目標としていったりもする。


mixi → fbなどでよくみられた / まだ見られているキラキラ女子たちの衒示、優越感ゲームというのはこういうのが背景にあったのだなとよく分かる。ついったなんかでもそういうのはみられるけど自分のTLにはそういう人たちはいないように調整されていて、かわりに?彼や彼女たちはPC(ポリティカル・コレクトネス)的なものをしばしば掛け金としているぽい。「被災地に○○をするのはジョーシキ的にいって○○だぁ」とか「○○するやからがいてけしからんので晒(RT)してみなさんに周知・羞恥させとくだぁ」とか。これが衒示だとすると彼らが「良い人」を目指すというところが最終目標で、それに対して「ダメだよm9(^Д^)」て優越感ゲームなのかなと思うのだけど、いい子ブった振る舞いをしてるというわけでもなくその辺の逸脱を見るとどうしてもガマンできなくなって脊髄反応するという人たちもいるぽい。まあそれは彼や彼女たちが育った環境の倫理の規律訓練と、そこからの公正世界観に依るものなのかなとおもうのだけど。そういった「どうしても脊髄してしまう」というのと別にm9(^Д^)て感じでそれ自体が優越感ゲームの道具・ネタとして機能してるひとたちもいるように見受けられる。端的には「まず正義感があってm9(^Д^)プギャーとか■━⊂( ・∀・) 彡 ガッ☆`Д´)ノする/してしまう、のではなく、たんにm9(^Д^)プギャーとか■━⊂( ・∀・) 彡 ガッ☆`Д´)ノしたいのでネタとして正義とかPC的なものを弄んでる」みたいな人たち。まあ両方共自分からはそんなに近くないのでそういうひとたちがいる / そういうひとたちのなかでも本気なひとたちと弄んでるぽいひとたちがいる(あるいは両方が混ざってる感じもある)ぽい、というところで留保しとくべきなのだろうけど。





また話がそれたので戻そうかと思うのだけど、本書を詳しく語るという場合は上記したように「社会的成功、あるいは、<わたしらしく>あるために自己啓発書やそれに類する女性誌がどのような言説を提示し、それらがどのように変遷しつつユーザーに選択されていったか?(彼らにどのように影響していったか?)」ということの具体例を上げるということになるのだろうけど、それをしてると冗長になるので割愛。まあめんどくさい。そういうのはこのへんで詳しくやってくれてたようなのでいちおリンク貼るにとどめとく。


自己啓発書とは何なのか、そこから炙り出される社会の側面とは、今年一番の面白さだった!! 牧野智和/日常に進入する自己啓発:生き方・手帳術・片づけ - 学びや思いつきを記録する、超要約ノート
http://digima.hatenablog.jp/entry/2015/05/22/115640


あるいは著者の前著である「自己啓発の時代」の元である博論が早稲田から公開されてるようだから詳しく見たいならそれをぐぐってみれば良い。もちろん本書をみるのもてっとり速いけど。



こんな感じで本書の内容まとめはだいたいリンクとかに頼りつつ、自分的に気になったところだけ感想したり、このエントリ用に置いといた本書のレジュメなんかを最後に貼っつけたりしてこのエントリは済ませとこう。



自己啓発書、あるいはそれに類する女性誌の影響みたいなのは前著からの流れというのもあって本文中にも「前著でも語ったが」とかちょこちょこでてて「あ、前著みたほうがいいなこれは」てかんじだったのだけど、そこからの本書のオリジナルというか白眉みたいなのは本書を紹介してた武田砂鉄さんのcakesの対談でもちょこっとあったようにほぼ日手帳の位置づけだった。

ほぼ日手帳、あるいはほぼ日というのは現代の言論空間だと良いポジションをとってるように見えて、ちょっと見なんの問題もなくそういうのに関心がある人のちょっとした関心・視野を広げていく / 生活を豊かにしていくのに寄与してるように思えるのだけど、ある程度それぞれの分野に詳しくなった人から見るとなんかビミョーな感じがする。自分もほぼ日には期待してて、現代におけるゆるやかなジャーナリズム、あるいは、言論空間というのはああいうのが理想なんじゃないかなあと思ってた時期もあった。んでもいまからするとビミョー。そのビミョーさをなんとなくマッピングできた / できてるように見えたのはおもしろかった。


「ほぼ日」「手帳」における「手帳」のほうは自己啓発→デキるビジネスマンな流れからの時間管理を目的とする自己啓発系ということになる。古くは60年代ぐらいで、近年ここまで普遍化したのは野口悠紀雄さんとかのアレの影響とかなんとか。そしてこれらも時間管理→自己の規律化における「見える化」されたマトリクスということだとわかりやすい。ただ、そういうのもやり過ぎると自らの生活がキツキツになって、、ということへのオルタナとして提示されたのがほぼ日手帳ということだったらしい。「仕事だけにいきる、合目的に生きて「自分」が失われるのはまずい」ということで手帳のなかに意識的に余白が設定される。「この余白はなにをしても良いのだよ―」という感じで。ただ、その余白 / 自由 / 無計画、自体がそのメタレベルでは計画された自由だ、ということがびみょーだったり。「わたし」らしさを担保するために用意される「自由」「余白」がすでにして設定された「自由」であるという不自由さ。W.ギヴスンとかだったら「蓋然性の壁を突破できないんだよあんたらは」というようなそういう感じの。最初から計画され、しつけられた冒険・野生みたいなの。量産化されるヴィレッジヴァンガードとかスタバとかそういうの。あるいは量産化される『前衛』芸術。平坦な戦場。

そういうのは広く後期近代の課題なのだろうけど、ほぼ日にもそういうのが表れてるんだなあとか今回おもった。



あとはそれぞれの界における「らしさ(モデル→規律)」、と、承認欲求の関係についてもうちょっと詳しく考察・腑分けしてもいいかなあと思うのだけど、「まあだいたいこれらは同じ対象領域なのだろうなあ」ぐらいに止めとこう。ベタには、「なんらかの界を選びそこでのモデルと規律があるとして、承認欲求というのはその界において賞賛されるようなふるまいがされたときに喝采が与えられる、喝采が与えらるれることでそこを自分の『居場所』として同定でき安心できるようになる(つまり(自らが是しとする)『居場所 - アイデンティファイ』とそこでの承認を求める欲求が承認欲求ということになる)」 ← そのようなものが生じるのはそもそも近代人のアイデンティティの寄る辺なさが背景としてある、ということになるだろう。

なので、そういった界の承認・正当性に振り回される以前に「自分」、あるいは、その界以外の界が設定されていればそういったところでの承認・優越感ゲームというのはどうでもいい話となる。






あと、テクニカルなあれとして、本書の元ネタ(大きく依った)お話というのはフーコーとかなのかな?とおもってたのだけど、前著を読み始めたらニコラス・ローズとのことだった。あるいは本書的にはイルーズとかか。



まあともあれ自分的にはフーコーをそろそろちゃんと読むための前哨戦としてちょうどよさそう。あと、文化社会学とか理論社会学とかやっぱおもすれーからちょこちょこ読んでこう。







以下レジュメ:






自己のテクノロジー化

内面の技術対象化

・自己啓発メディアが創りだそうとする「自己」  :前著「自己啓発の時代」

・そのような「自己」を自ら演出するときにどのような対峙の形式をとるか




感情的ハビトゥス


男性性  仕事での出世、報酬
女性性  「わたしらしさ」の演出   → 「おばさん」(所帯じみた)ら負け
時間感覚  手帳的時間管理
空間感覚  片付け、掃除的空間管理


仕事の諸局面、人間関係、消費行動、恋愛、家庭生活、美容・健康から、手帳の利用や掃除・片付けといった日常の諸ルーティン

→ 仕事における習熟・卓越や自分らしさの実現という問題に接合し得る

(※アイデンティティゲームの持ち札として)



自己啓発メディアを通じて多様にさしだされる「自己」、とそこからの「自己」の選択
それらをめぐるアイデンティティゲーム≒優越感ゲーム@承認


→ ※承認欲求ゲーム、優越感ゲームのツールとして上記の持ち札が使われる。 fb や mixi などにおけるセレブな生活感の発表と衒示

それらは「見せびらかし」であるだけではなく自らのアイデンティティを確かめるためのコンサマトリーなツールとしても機能している

「自己啓発メディアは純粋な自己反省を促すのではなく基底的な参照項(再帰性の打ち止まり地点)を残したうえでそれを促している」

cf.仕事だけにいきる、合目的に生きて「自分」が失われるのはまずい 
→ 「わたし」らしさを担保するために用意される「自由」「余白」がすでにして設定された「自由」であるという不自由さ

(←再帰的になんらかの構造にとりこまれている、あるいは、みずからがそのような構造の再構築に寄与している


ex.「わたしらしさ」で演出されるジェンダー区分け(女性は「わたしらし」く、男性は仕事バリキャリで














あらたな文化的母型(cultural matrix)≒新興宗教的なものとしての自己啓発

イルーズ(Eva Illouz,2008, Saving the modern Soul: Therapy, Emotions, and the Culture of Self-Help)


読者の選択・解釈を伴った自由度の高い応急処置の「パッチ」を今日提供することのできる稀有な文化的母型







断捨離
自分のほんとにもってよかったと想えるもの・ほんとに好きなものだけで自分の周りを囲む
→ 自分だけのパワースポットをつくる(やましたひでこ)



掃除は精神的浄化、修養に繋がるとする自己啓発的企業姿勢はローヤル(現イエローハット)創業者の鍵山修三郎が行っていた早朝掃除から(1961年)。松下幸之助の便所掃除→人間のあり方、とか。








※こういう自己啓発的なものの具体として雑誌プレジデントがあるだろうけど、そのプレジデント自体で依頼されて連載してたというのがちょっとおもしろかった








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岡崎京子の時代: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/414413825.html



「である」人と「する」人 ≪ SOUL for SALE
http://blog.szk.cc/2016/04/08/a-person-who-is-or-do/



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2016年04月06日

例の日本( ゚Д゚)<氏ね!周りについてのうんたら(セイギのひとたちが構造に取り込まれていく感)




本来こういう話題は当ブログでは扱わないようになってきてるのだけど弁当さんの一連のあれをみてちらっとつぶやいて、「ある程度つぶやくのならブログでステイトメントとして残しておくのが筋なのでは?」、とおもったので。


極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/


待機児童と「保育園落ちた。日本死ね!」なあれ。


最初に、自分的にはこの問題はそんなに関心がない。

関心がないといっても日本社会的に大きな問題で、TL的には同年代の人たちが実際たいへんって話をみてるし、そういうのについてm9(^Д^)でもなく共感する面もあるのでそのぐらいの関心なんだけど。テレビを通じてこの問題がみょーに話題になってこれだけとりあげられていったところにびみょーな感慨を抱いている。まあこの辺に比してということなんだけど


非正規女性が見た「自己責任」で傷つけあう社会 - 一橋を出てニートになりました
http://nyaaat.hatenablog.com/entry/2016/03/16/072339


自分が子無しというせいもあるだろうけど、できるだけそれを差し引いて考えるようにしてもこの問題に関心がある人、あるいは、この問題をネタに神輿を上げる人たちがいうほどにこれが「日本の最重要課題だ」「もっともかわいそうで大変な問題なのだ」って感じでもない。むしろそういうのを見ると(´・ω・`)てなる。あるいはイラッと。まあ彼や彼女たち全員がそういう言い方をしてるわけではないのだけど、たとえばこの問題を次の参院選の得票のためのネタにするために焦点化してうんたらするひとたちの様子に(ヽ´ω`)てなるし、同様のことを「保育園落ちたのはわたしだ!」とデモる人たちにも思う。

自分のリアリティとしては非正規雇用なんかの差別的待遇、あるいは、ブラックな環境で働かされる若者や女性たちにリンクしてるのでそこからするとッて感じではある。まあこういった話は「そこからするとマシ(なんだから我慢しなさいよ)」てことでもなく不当な扱いをされてる人たちはすべて救われるべきだと思うし自分もそういう意味でこの問題の改善を願うのだけど。それでもやはり持ち上げ過ぎだなあという風には思う。特に外野的なイマキタな人たちが。

あるいは彼らは「待機児童問題以外のそういった人たちの不幸も含めての声なのだ!」みたいなことをいうのかもだけど、自分的にはそういうのもなんとも胡散臭いなあとおもってる。とりあえず修辞的に良い子チャンしたいのでそういうことはいうかもだけど、その時点で本気で待機児童について訴えてる人は自身の待機児童問題の優先度が高いのは当たり前だし、その人が非正規雇用ほかの問題に現実的に生活が関係してなければそんなに関心がなくてもアタリマエなので。事実、自分はこういった問題が出るたびに何度もついったで言ってるけど、TL上の待機児童問題うんたらのひとたちはスルーしてる。まあそれは儀礼的無関心というもあるだろうけど。ちなみに自分的にはこの問題は「保育園に関する規制をもっとゆるくすれば良いのでわ?(保育士の数をそんなに揃えなくても、保育園の面積があまりなくても開業できるように、とか)」て感じだし、現状は非認可のとこでも有効だろうから自分もそういうのあったら託すのだろうなあということでだいたい弁当さんと同じなかんじ。昔から寺とかはそういう感じだったしなあ。。(ついでに爺婆があつまって子供の世話したり、世話されたりして揺りかごから墓場までがうまいことすればいいんじゃまいかという希望的観測)。




この問題は待機児童問題として政策的課題のひとつで、その是非や妥当性をめぐっての具体的な試案、それについて市民社会的にどう考え、投票などを通じて政治参加していくかというのが本筋なのだろうけど、外野的な人たちはこの部分を離れてみょーに持ち上げたり焚き付けたりしてるように見られる。あるいはこの話題を道具的に用いてマウンティングしあって優越感ゲームみたいな。まあ「おまえはわかってないんだよ」「これはなぁ−y( ´Д`)。oO○」みたいなマウンティングゲームというのはネットでよく見られる光景なんだけど。特にはてなとか、あるいはついったなんかでもそうだけど。


今回の極東ブログ周辺でもそういうのは見受けられて、「(´・ω・`)ふつーに政策的課題として対応策の試案を考えて、その有効性を議論すればよいのでは?(みょーにウヨサヨとか、それまでのエントリ主にたいする印象とかマウンティングとかにとらわれずに)」、とかおもった。具体的なことはこのエントリの後段で書かれていて、けっきょく今年の予算案には間に合わないのだから『財源は企業が負担する「事業主拠出金」の新年度からの引き上げによる約27億円なので、焼け石に水の状況にある』てことなのだろうけど。構造的、あるいは環境的に現在はそれが限界なのだけど、デモってる人たちの声に応える形で民進党とかがイケイケどんどんな話をすすめ、自民党は自民党で「可及的にすみやかに対応しました」とか言う。実際は焼け石に水的な予算で済まされるのだろうけど。そしてデモった人たちはそれなりに満足して1年後には忘れてる。あるいはなんかわるい印象を抱えたまま参院選を迎える。



こういう予定調和みたいなアレって「構造に取り込まれていく」ってことで「ハマータウンの野郎ども」みたいだなあとおもった。


ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫) -
ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫) -


彼ら(の一部)はこれに正義を託してるみたいだし、それ自体は表面的にはタダシイコトなのだろうけど、それが構造的に取り込まれていく。軽い祭りとアジを飛ばしてそれでカタルシスして終わり、みたいな。

まあまだ一年後にどうなってるかわからないし、一年と言わずこれが五年後、十年後に繋がる契機となる可能性もあるのだけど。

でも、どうしてもこういったセイギをいう人達に薄っぺらなものを感じてしまう。それは自分の偏見なのかもしれないけど。





まあだいたいそんなかんじで、特に世間様に発表するようなことでもなく自分的には「ふつー」の内容なので普段ならエントリするようなものでもないのだけど、たまにはこういうのも良いのかなあとか思いました(一言居士的なぶくま・ついったに留めるのでもなくブログ公論的なものとして)


posted by m_um_u at 10:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

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