2015年08月29日

遠藤哲夫、2013、「大衆めし 激動の戦後史」


前回のエントリに続き「日本の食事の変化」みたいな関心から、「家庭の食事の変化っていったらそういやこれ読もうと思ってたなあ」ということで読んでみた。


大衆めし 激動の戦後史: 「いいモノ」食ってりゃ幸せか? (ちくま新書) -
大衆めし 激動の戦後史: 「いいモノ」食ってりゃ幸せか? (ちくま新書) -



『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声、その4。南陀楼綾繁と木村衣有子の評: ザ大衆食つまみぐい
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2013/12/4-2086.html

南陀楼さんは、本書に述べられている、70年代にどう工業社会型の食生活が訪れたか、その揺り返しのように21世紀に入ると叫ばれた「食育」や「スローフード」などの安全志向を、例によって的確に要約したのち、こう述べる。

「しかし著者は「便利な食」と「安全な食」のどちらが正しいと決めつけることはしない。それよりも、生活の中の料理とは何かを考え、「ありふれたものをおいしく食べる」という食の基本に立ち返ることを提唱する」

ここは、どちらが正しいか結論めいたことを書かないように、おれが最も気を使ったことなのだ。いやあ、さすが、南陀楼さんは大事なポイントをはずさないと思った。

「食の混乱」がいわれるが、「混乱」というより「多様化」であり、多様化の中では、二者択一ではなく、それぞれが自分の生活の現実から考える。そういうそれぞれをお互いに尊重しあう。「うまい、まずい」をこえて、「自分の美味」を持つこと。それが本書の「立場」なのだ。




前回の阿古真理さんのそれがスローフードとかカフェ飯的なものによりがちな結論だったのに対して遠藤さんの場合はあくまで「大衆食堂」「飯」にこだわってそういうシャレオツを退けてた感があった。まあでも否定するわけでもなく「けっきょくはTPO的にそのときうまいとおもえるものをうまく食べれれば良い」みたいな感じだったけど。

歴史的知識としては70年代以降に大衆食が変わり始めた経緯、あるいはそれ以降の代表的な大衆食の登場・変化などの文脈や当時の印象などが語られていておもしろい。

たとえば「なぜ70年代から変わったか?」といえば60年代に高速道路網が張り巡らされコールドチェーン(低温流通体系)が完成、これとモータリゼーションによって産地から遠いところでも新鮮な食物が味わえるようになった。これと同時にいわゆる「旬」は失われていくことになる。これは日本料理の意味、家庭料理との関係との変化にも関連していくのだろうけど後述。


コールドチェーンに加えて家庭用冷蔵庫も大きくなり、冷凍食品なども普及、キッチン環境も変化。これに加えて文化的憧れや政治経済的な貿易関係から家庭料理の洋食化が進んでいった。


こういった大衆食の変化の歴史語りと並行して「家庭料理の変化」ということを考える中で暗黙の前提とされていた「日本食=和食=家庭料理」についての考察が進められる。「日本食=和食=家庭料理」というか「日本食>和食>家庭料理」のような「家庭料理や大衆食堂の飯のようなものは料理としては下賤で、それと日本料理は違う。ほんとうの料理=日本料理ってのはなぁ」みたいな価値観に対して。料理人だった江原恵の唱える料理哲学を遠藤が受ける形で日本料理や和食、日本の家庭料理について語られていく。


庖丁文化論―日本料理の伝統と未来 (1974年) -
庖丁文化論―日本料理の伝統と未来 (1974年) -

食通以前 (1977年) -
食通以前 (1977年) -

まな板文化論―生活から見た料理 (1975年) -
まな板文化論―生活から見た料理 (1975年) -


それによると日本料理というのは「素材の味をできるだけそのまま活かすために加工をそれほど施さない料理」ということになる。それのポリシーは日本料理の代名詞的な「割烹」という言葉に集約される。「割烹」とは「割る」と「烹ずる」を表す。すなわち「包丁で切る」と「煮る」。ただ、「割烹」の中には「割主烹従」という言葉が前提とされるようで、「割 > 烹」すなわち包丁で切る技術が煮ることよりも重視される。日本食における料理の技術とは刺し身に代表されるように素材をできるだけ傷つけず、素材の味を活かし、その自然な風味を客に供す、ということになる。その際、「煮る」も素材がスープ状に煮崩れするまで煮るのではなく素材の風味を汁気に出しつつ、素材の食感や風味を残すに留める。割烹というのはもともとそういう意味らしいのだけど、ちなみにいうと割烹と料亭の違いというのは後者が芸者を招いて遊べるところ、前者は料理のみ楽しむところということらしい。日本料理というのはもともとそういう酒の席の食事ということでいわゆる「おかず」とは異なるものとされた。なので、たぶんこれに関連するおせち料理も酒の供ということを前提につくられおかずという感じでもない。

「素材の味をそのままに伝える」「必要最小限の味付けで」「切ることが最重要となる」ということで日本料理における切る技術、包丁の価値は高まった。

知らなかったのだけど包丁式というものがあるらしく、見ていると日本の古武術、抜刀術のそれを模してる感じだった。そこにおける文化とか伝統とかをなんかよくわからない価値観と因襲で固めたり守ったりしてる様子も。ちなみに神田川俊郎さんは包丁式四条流の免許皆伝な方なのだそうな。



小説 料理の鉄人〈4〉「道場六三郎対神田川一門」 (扶桑社文庫) -
小説 料理の鉄人〈4〉「道場六三郎対神田川一門」 (扶桑社文庫) -

日本料理法大全 (1965年) -
日本料理法大全 (1965年) -

日本料理法大全 -
日本料理法大全 -



日本料理が「素材の味を出来るだけそのままに」というような思想でつくられていったのは一説では「日本が外国に比べ旬の食材をすぐに味わえる環境にあったから(海、山が近く四季がある)」とされる。特に魚なんかはそんな感じだったのだろう。

しかし、であるがゆえに冷凍保存・輸送技術が発達していっていわゆる「旬」がそれほど意味をなさなくなっていくと「旬ってなんだっけ?」的な感じになっていった。いちお日本料理的価値観からそれは来ていたのだろうけど、元々どういう条件や文脈からそういった価値観が奉じられるようになったのか定かではなかったのでその価値だけが浮き、なんとなく「やっぱ旬のものは良いねえ」ぐらいで残っていった。日本料理についても。

まあもちろん冷凍技術・輸送技術が進んでも産地でとれたての旬のものの味にはかなわないところはあるのだけどとりあえず置く。





こういった「和食の頂点に立つちゃんとしたもの」とされつつも一部の人のみ愉しむ料理として家庭料理とは隔絶したところにあった日本料理に対して、70年代以降家庭料理は変化していった。70年代にはファミレス一号店が軒並みオープンしていって外食のあり方、家族の食事のあり方や内容も変化していった。





短くまとめるとこんな感じだけど、関連で読みたい本とかリンクがついてたのでメモ的に貼っておく。



男子厨房学(メンズ・クッキング)入門 (中公文庫) -
男子厨房学(メンズ・クッキング)入門 (中公文庫) -

男子厨房学(メンズクツキング)入門 (文春文庫 (322‐2)) -
男子厨房学(メンズクツキング)入門 (文春文庫 (322‐2)) -

料理の四面体 (中公文庫) -
料理の四面体 (中公文庫) -

「料理の四面体」について

この本の特徴は、簡単にいえば、「料理とはこういうものだ」という本質と原理を、構造的に、わかりやすく三角錐の四面体にまとめて見せたことだ。日本料理だろうが、西洋料理だろうが、中国料理、アフリカ料理、なんでもござれ、あらゆる料理に共通する料理の構造を解いて、きわめて理論的なのだが、それが三角錐の四面体なのでわかりやすい。

これがわかれば、レシピなどに頼らず、いろいろな料理がドンドンできる、料理が楽しくなる。ひとつひとの料理のコツをか覚えなくても、自分がつくりたい料理のコツがわかってしまう、魔法の四面体。


三角錐の四面体の角はそれぞれ「火」「油」「水」「空気」が設定されている。




料理というのは化学変化でありその知識の実践なわけだけど、基本的に料理の素材というのは人が味わう時に加熱すると旨味が増す。なので「火」によって焼いたりするわけだけどそこでの加減や方法によって焼き方も「グリル」「ロースト」「燻製」などに分かれていく。これに「水」を加える事で「茹でる」「煮る」などが可能となる。さらに「油」を加える事で「炒める」「揚げる」などの料理法が出てくる。

料理というのは基本的にこの4要素で成り立っており、料理法としてもその応用としての「焼く」「茹でる・煮る」「炒める・揚げる」ぐらいとなる。あとは味付け方法の違い。


「料理の四面体」ではそのへんを構造的、理論的に説いたようなのだけど「男子厨房学入門」ではそれをもうちょっと実践的にわかりやすくした実践書とのこと。


みんなの大衆めし (実用単行本) -
みんなの大衆めし (実用単行本) -

日本の大衆めし=代表的日本食をわかりやすくまとめたもので台湾で中国語に訳され販売もされてる、と。


あとはシノドスのこの特集とか読んどこ

リスクを決めるのは科学ではなく、社会だ / シンポジウム「みんなで決める安心のカタチ 〜 ポスト311の地産地消を目指して」 | SYNODOS -シノドス-
http://synodos.jp/fukkou/764

みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年 -
みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年 -



あと、日本食=和食≠家庭料理?関連でこのへんも


「和食」って何? (ちくまプリマー新書) -
「和食」って何? (ちくまプリマー新書) -





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2015年08月22日

阿古真理、2013、「昭和の洋食、平成のカフェ飯」



最近はこれを読んでいて



昭和の洋食 平成のカフェ飯―家庭料理の80年 -
昭和の洋食 平成のカフェ飯―家庭料理の80年 -


直近の話題に反応してうだうだゆったりしたんだけど


メシマズやら孤食やら|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nbaa25a4e201a



うだうだでやめといてもいいんだけどここで紹介されていたレシピに関する各コンテンツの解説がわかりやすかったのでそのメモも兼ねてエントリしとく。



本の内容としてはまえがきにまとめられてるものをそのまま引用する。


 なぜ、昭和に洋食が広まり、平成にカフェ飯が支持されるのか。和食は再発見されなければならないのか。その理由は、経済や政治その他の社会的背景から裏付けることがデキる。最大の要因は、長く台所仕事を担ってきた女性の変化である。変わり続ける女性と周囲とのギャップが、食卓に何をもたらしてきたのかが、次第に明らかになってくる。
 
 時代の区切りは五つ、昭和元年〜20年を昭和前期、昭和21年〜50年を昭和中期、昭和51年〜昭和64年と平成元年までを昭和後期として分類し、平成は2年から11年までの1990年代と2000年以降で分けた。

 昭和前期は、かまどで炊くご飯を中心にした食文化の中に、新奇なものとして外国料理が広まった時代である。昭和中期は、敗戦によって過去の文化に自信を失った人々が、外国文化を積極的に取り入れた時代である。昭和後期は、家庭料理がより手の込んだものへ向かうと同時に、外食化が進んだ時期である。1990年代は、戦後築き上げた昭和の価値観が崩れていくと同時に新しい文化が芽吹きはじめる。2000年代以降がさらに進んで新しい現象が起こり、昔の食文化が再発見される。並行して起こる食文化の変化の、何が勝者となるのか。

 歴史をたどって見えてきた現在の食卓へご案内する。




この短い文章の中に本書のエッセンス、というか背景となる流れは詰まっているように思うのだけど未だ読んでない人用にもうちょっと膨らませて説明しとこう。

昭和前期、昭和元年から20年、朝の連続テレビ小説「おひさま」の時代はまだかまど炊きがふつーな時代で庶民としてはだいたい毎日同じものを食べていた。鰯の煮付けとかそういうのと御飯と味噌汁と漬物とか。キッチンの仕様から作れるもの・作りやすいものも限定されていたし、それもあって洋食なんかは庶民が普段の食卓で食べるものではなかった。オーブンなんかもないわけだし。洋食はいちぶのお金持ちが食べに行ったり供されたり、あるいは料理教室的なもので習い社交の一部として使うものだった。


昭和中期(昭和21年から50年)、いわゆる戦後は未だ食糧難の時代ということもあったけどアメリカ主導で外国の食文化も入ってきていた → 知識の民主化に応じて食文化も民主化されたのか、あるいは外国文化への憧れからか洋食「文化」が積極的に取り入れられていった。とはいえ未だこの時代には洋食の知識も一般化したものではなかったので外国料理は未だありがたく高級なものだったし、料理研究家とか料理を教える人なんかもそれに準じ「きちんとした料理をきちんと教える」ということでホテルの料理長とかお金持ち貴族の奥様なんかが教えるものだった。


昭和後期(昭和51年から平成元年)は洋食がもっと庶民化していった。冷蔵庫の普及、キッチンの構成やレンジほか調理器具の普及によって家庭でも洋食をつくり日々の献立とするのが当たり前となり、それもあって和食や「きちんと出汁をとる」ということも忘れられていった。女性の生活としても1984年に男女雇用機会均等法が施行された周辺で家事だけが女性の仕事ということではなくなり、むしろ仕事と家事の両立の忙しさから家事は後景化していった。




いわゆるメシマズな問題というのは昭和後期以降の生まれの世代の問題であり、背景としてはその親に当たる世代(昭和中期世代)から料理知識が継承されなかったことが要因となる。そのためメシマズ個人を笑って済まされるものでもないのだけど。

では、なぜメシマズの親からメシマズへ料理知識が継承されなかったか?

それはメシマズの親世代もその親世代からきちんとした料理知識が継承されなかったから、ということになる。


メシマズの親世代が子どもの時というのはちょうど戦後のドタバタの頃で満足な食料もそれを料理として整えるための環境も時間もなかった時代で、それ以前の「夕飯周辺の時間になると女の子はお母さんと一緒に台所で過ごし自然と料理を覚えていった」ような余裕や時間、場所はなかった。


加えてこの世代は「女性も仕事を得て社会に出ていく」第一世代にあたり忙しかった+そういう女性をサポートするような簡単調味料やレシピが提供されていったためますます基本から遠ざかっていった。


家族構成としても都市部への人口移動、家族形態の変化(核家族化)、ライフスタイルや文化の変化がすすみ、祖父母が同じ世帯にいる環境は稀となっていった。つまり、前世代からの普段の知識の継承の機会が減じていった。



日本人の食生活はそういった背景から変わっていった。



洋食が若い世代に支持されて一気に家庭に入っていった昭和半ば、本格的な外国料理に取り組んだ主婦たちの時代、エスニックの要素が入り込んだ平成のカフェ飯。その間、繰り返し再発見される和食。料理の紹介の仕方によって、その時代に何が新しく、何が危機的とおもわれてきたのか映し出される。食卓を描いた人気の小説やドラマ、マンガは、当時何が人気の料理だったのか、懐かしい場面とともに伝えている。






「和食」って何? (ちくまプリマー新書) -
「和食」って何? (ちくまプリマー新書) -







小林カツ代は昭和後期の女性のライフスタイルの激動期を代表する料理研究家だったといえる。


それまでの料理教室的なコンテンツが格式張った内容だったのに対して、小林は肉じゃがをはじめとしたもっと庶民的な和食を再発見し、簡単に作れる術を伝えていった。



メシマズやら孤食やら|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nbaa25a4e201a

彼女が主婦ではなく料理研究家を名乗り、料理の内容としても「簡単だけどきちんとつくっているもの」を旨としたのは前時代の権威に対するものだったみたい。また、核家族時代で失われた「家庭の和食的なアジの作り方」を簡単に教えるためでもあった。

そこには女性の社会進出第一世代の矢面に立った女性たちの「主婦≠女性を馬鹿にするな」的な側面もあった。

それに対して栗原はるみはもはやそういう時代も過ぎた頃、敢えて「自分はひとりの主婦です」と名のれる頃にでてきた料理研究家だった。

これらの話は続編の「小林カツ代と栗原はるみ」にもっと詳しくあるようなのでそのうち読もう。小林カツ代な話も。




小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代 (新潮新書) -
小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代 (新潮新書) -






以下はこの本で紹介されていた各時代を代表する料理系コンテンツ。


自分的に名前はしっててもどういう内容のものか知らないものがけっこうあったので、今後の参考のために。






Hanako(ハナコ) 2015年 9/10 号 [雑誌] -
Hanako(ハナコ) 2015年 9/10 号 [雑誌] -


80年代、働き始めて自分のお金を得るようになった女性ちの消費よくを盛り上げるべく1988年に相関された首都圏情報誌。その影響力の大きさはハナコ族、ハナコ世代という流行語を生んだ。若い女性が男性のエスコートなしに高級レストランや通な店に行けるようになった。


オレンジページ 2015年 7/2 号 [雑誌] -
オレンジページ 2015年 7/2 号 [雑誌] -

オレンジページ 2015年 7/2号 [雑誌] -
オレンジページ 2015年 7/2号 [雑誌] -

1985年創刊。当時のトップスーパーダイエーが出した雑誌はスーパーで手に入る食材を使った料理をたくさん紹介し、買い物ついでに手に取れるレジ横に置かれた。一つの食材や定番人気料理のジャンルを特集の切り口としてさまざまな味付けのバリエーションを提案。コツが必要なプロセスについては写真と文章でていねいに説明する。主婦の鏡をめざす精神論より実用に徹する料理を中心とした生活情報誌という分野を広げて定着させた。



Mart(マート) 2015年 09 月号 [雑誌] -
Mart(マート) 2015年 09 月号 [雑誌] -

Mart(マート) 2015年 09月号 [雑誌] -
Mart(マート) 2015年 09月号 [雑誌] -


食べるラー油の火付け役ににもなった主婦向け情報誌。「もっと生活遊んじゃおう!」をキャッチフレーズとしあたらしい消費を紹介する。たとえばカルフールやコストコ、カルディコーヒーファームなど。「マート」読者はこういった店でほかのスーパーでは売っていない珍しい調味料や食材を買い、目先の変わった珍しい味をたのしむ。ル・クルーゼの鍋も「マート」で繰り返し推されている(人気に火がついたきっかけは2003年に出版されたレシピ本『「ル・クルーゼ」だから、おいしい料理』から)。「マート」の読者はあまり料理が得意ではないらしいがブランドの味は好き。


作ってあげたい彼ごはん (e-MOOK) -
作ってあげたい彼ごはん (e-MOOK) -

作ってあげたい彼ごはん6 (e-MOOK) -
作ってあげたい彼ごはん6 (e-MOOK) -

レシピブログ全盛期を代表する本(ブログ)。基本的にはカフェ飯を中心としつつ「女のコがはじめて料理をつくろうとした時に自分でも食べたことのある/つくったときに正解かどうかわかるような定番メニューを簡単においしく作れるように。その積み重ねで料理が好きになるように」を基本とする。



NHK きょうの料理ビギナーズ 2015年 09 月号 [雑誌] -
NHK きょうの料理ビギナーズ 2015年 09 月号 [雑誌] -

「きょうの料理」の放送に5分プラスする形で、男性もターゲットに含めた初心者向けの料理解説につとめる。切り方や野菜の選び方、茹で方、使い切りレシピなども紹介する(Eテレ、21時25〜)。

「きょうの料理」は長い間、研究熱心な主婦によって支えられ、基礎も教えつつ手の込んだ応用編も多かった。ビギナーズでは幅広い層を視野に入れた教科書のような作りで大胆にハードルを下げた。




太一×ケンタロウ 男子ごはんの本 -
太一×ケンタロウ 男子ごはんの本 -

男子ごはんの本 その5 -
男子ごはんの本 その5 -

2008年からテレビ東京系で始まり人気となったレシピ番組。国分太一と(小林)ケンタロウによる日常的な雰囲気・生活のなかでの料理を愉しむというコンセプトな内容で人気を博した。それまでの料理コンテンツにあった堅苦しい雰囲気、教科書的、「教える」というスタンスからもっとゆるく料理を愉しむことを提案し間口を広げた。その前身として城島茂が出演していた「愛のエプロン」がある、と。




ku:nel (クウネル) 2015年 09月号 [雑誌] -
ku:nel (クウネル) 2015年 09月号 [雑誌] -


天然生活 2015年 09 月号 [雑誌] -
天然生活 2015年 09 月号 [雑誌] -



2003年創刊。食品偽装や孤食、食の貧困→健康状態への憂慮といった背景からスローフード・スローライフな生活が提案・発見されていき、その流れを受けて創刊された。スローフードブームに火をつけたのは2000年にベストセラーとなったノンフィクション「スローフードな人生!」であり、雑誌「ソトコト」によって全面バックアップされていった。


スローフードな人生!―イタリアの食卓から始まる (新潮文庫) -
スローフードな人生!―イタリアの食卓から始まる (新潮文庫) -

スローフードな人生! −イタリアの食卓から始まる− (新潮文庫) -
スローフードな人生! −イタリアの食卓から始まる− (新潮文庫) -


SOTOKOTO(ソトコト) 2015年 09 月号 -
SOTOKOTO(ソトコト) 2015年 09 月号 -





おべんとうの時間 -
おべんとうの時間 -

おべんとうの時間 3 (翼の王国books) -
おべんとうの時間 3 (翼の王国books) -

ソトコトの出版社から2010年に発売されたビジュアル本。写真家の安倍涼が立ち上げた、全国各地の働く人々が食べるお弁当を撮る企画は、2007年に全日空の機内誌「翼の王国」に連載されて人気を得、「いつかは写真集に」という夢が実現した。たぶんNHKの同様番組「サラメシ」の元ネタ。






ほかにも「すいか」→「かもめ食堂」や「きのう何食べた?」、「美味しんぼ」「クッキングパパ」などの解説(内容とどういう文脈や背景から受け入れられていったか)もあるけど割愛。ほんとはこの本の魅力はそういった料理にまつわるコンテンツの解説を通じてその時代を回顧することにあるのだろうけど。そのへんは興味持ったら各自で読んでみるとよいと思う。



最後に著者はスローフードの文脈から「クウネル」や「おべんとうの時間」の紹介してこのように締める。


 
スローフードという切り口から、食の風景を見てみると、21世紀の食卓は、さほど悪くない。昔ながらの食文化が完全に廃れたわけではない。

 蒸した料理もお米の料理も、日本人が昔から好んできた料理だ。私たちが取り戻したかったのは、当たり前の暮らしだ。そしてそれは、遠い外国や過去に求めなくても、すでに手にしている人はちゃんといる。当たり前すぎるから気づかなかっただけなのだ。
 
 問題ばかりを見ていれば、絶望したり将来を悲観したくもなる。壊れたものや、失ったものを見て嘆いていても、立ちすくむばかりだ。今、手にしているもの、生まれてきた可能性に目を向けることも必要ではないだろうか。一人ひとりが、食べること、つくることを大切にし、自分や家族の心と体をいたわることで、変えていけることはたくさんある。




「基本となる出汁のとり方とかきちんとした料理が失われたみたいな危機感が出たときもあったけど、スローフードな流れを見てると案外だいじょうぶな感じもする。簡単調味料を活用する現代版家庭料理なんかも含めて」というところだろうか。

自分なんかもメシマズ世代で簡単調味料な時代に育ってるので手抜きできるところは手抜きして、たまにちゃんとつくるときにはつくろうかなあとか。そんな感じ。







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南直人、1998、「ヨーロッパの舌はどう変わったか」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/384995687.html




最近の料理本2つ:「強火をやめると、誰でも料理がうまくなる!」「築地市場のさかなかな?」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/416382880.html




石毛直道、2006、「麺の文化史」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/384598908.html




おさらいキッチン
http://www.osarai-kitchen.com/


テレビ番組のレシピ横断サイトぽい




昭和の洋食、平成のカフェ飯|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n795bbbc7b0c9


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2015年08月01日

ヴィム・ヴェンダース、2014、「セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター(The Salt of The Earth)」




サルガド×ヴェンダースだし映画の日に休みもあったしということでBunkamuraに見に行った。


セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター | ル・シネマ | Bunkamura http://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/15_loveletter.html


といってもほとんど寝てた(きょうは二時半頃起きた)のでエントリは控えようかなあと思ったのだけど、ふと原題のThe Salt of The Earthが気になってぐぐって出てきた言葉が気になったので。





「地の塩」とは、「地の塩、世の光」と対になっていることも多いのですが、他の回答者様がお答えのとおり、キリスト教の新約聖書、マタイによる福音書に出てくるイエスキリストの言葉です。

マタイによる福音書5〜7章の山上の説教(または垂訓)では

「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなればその塩は何によって塩味がらつけられよう。もはや、何の役にもたたず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

上記のように述べられています。

いろいろな解釈がなされているのでしょうが、ごく一般的な解釈を記します。

塩は食物の腐敗を防ぎ、光は暗闇を照らし出します。塩のように世の中の腐敗を防ぎ、光のように悪の浄化する存在になるよう、イエスキリストが山上で信徒に語りかけたとされています。




「地の塩」という原題は映画のはじめのほうに示され、とくに解説もされずにすすんでいく。「地球へのラブレター」とかいう少し気恥ずかしいタイトルには違和感があったので原題にしっくりきつつ、「このタイトルの意味を解題することがこの映画の理解につながるのだろうなあ」とか思って映画を見ていたのだけどけっきょく最後まではっきりとタイトルの意味について説明されている箇所はなかったようにおもう。まあ後半分ぐらい寝ながら見るという不真面目鑑賞ではあったのだけど。

んでも上記引用の説明と映画の前半部で表されていたことでなんとなくわかったようにおもった。

映画はサルガドのキャリア、生い立ちに沿って語られていく。ブラジルの片田舎から大学院にいって留学し、ロンドンの国際コーヒー機関にエコノミストとして職を得たサルガドは建築家の妻が仕事の必要から購入したカメラに惹かれていく。そして夫婦にとって大きな決断をする。安定したエコノミストという職を捨てて職業カメラマンとしてやっていくことを。


原題「地の塩」には以下の経験が深く関係しているように想われた。


今週末見るべき映画「セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター」 (3/4)
Excite ism(エキサイトイズム) http://ism.excite.co.jp/art/rid_E1438156218129/pid_3.html


1973年、ニジェール。1974年から1984年に撮影、初の写真集が「アザー・アメリカ」だ。エクアドル、ペルー、ボリビア、メキシコを撮る。サルガドは謙虚である。「写真を撮ると、被写体を少し理解出来る」、「目は大いに語り、表情が訴えかける」、「ポートレートは私ひとりで撮るのではなく相手から貰うのだ」。



職業カメラマンとしてのキャリアの最初の大型プロジェクト「アザー・アメリカ」で南米の奥地に取材旅行をしていくなかで、サルガドは現地部族のひとりから「おまえは天から遣わされて俺たちを録り(見)に来たのだろう?」といわれる。

「彼らの時間はひどくゆったりとしていて、そういうことを本当に信じているようだった」

ここでは「彼らはそれを本当に信じているようだった(そして彼らの生活もそういった信仰を日常に生きていた」というような言い方だったようにおもうけど、サルガド自身もこういったことに深く影響されて実際にその役割を生きようとすることになったのだとおもう。話の流れとは直接関係しないけどここでのサルガドの様子は文化人類学者のようだった。「一方的に撮影(シュート)して終わり」というのではなく「まず現地の人と親交を深めて、それから生の表情を見せてもらう」的なの。マグナムと袂を分かったことやポートレートに対する考え方(「ポートレートは相手から与えてもらうんだ」)もこういうことと関係してるのかもしれない。


いくつか解釈はあるのだろうけど「あなたたちは地の塩、世の光」というとき、それは天命というか天職(beruf)のようなものを表しているのだろう。単にお金とか日々の糧を得るためのそれというか、ただしく生きることを通じて得られる光や塩味のような。

塩が塩としての塩味をもち、光が光としての輝きを保つとき、それ自体が自分自身はおろか周りも引っ張っていく。


photo-grapherとしてのサルガドにとって、人々の営みは地の塩(塩の花)であり、彼のこの世における役割が世の光を写しとるもの、ということなのかもしれない。


「金ではなく天職のようなものを」という考え方、あるいは人々の苦しみや日々の営みに寄り添い、それらを慈しむような視点に行き着いたのはどういった経緯からなのかと思うけれど、それについてもはっきりとは語られてなかったので断片的に語られた彼の来歴から類推するに留める。

フランス系報道ジャーナリスト出身かと思っていたので自分的には意外だったのだけど、サルガドはブラジルの片田舎の農場で生まれて大学に行くために上京するまでお金の使い方も知らないような生活を送っていた。大学生活を通じて、あるいは生涯の伴侶となるレリアとの出会いを通じた影響からか学生運動にも身を投ずる。このときの経験が彼の写真のマルキスト的な視点にも表れているのかなあとか思えた。というか経済学を学んだことがそういった視点につながった、て映画ではいっていたけど。

結婚後しばらくして生まれた次男はダウン症だと分かる。このときサルガド夫妻はひどく落ち込んだようだけど、しばらくして次男には次男なりの、通常の言語コミュニケーションは不得手だけどそれ以外の感情の通わせ方があることを知り、サルガド家族はそれを学んでいく。それは世間的に見れば不幸だけれど、それを手放さず、日常として生きていくこと。一般的に不幸と想われるようなことが日常に当てられた時、人生の意味や運命について考える時間が増えるようにおもう。それらを通じて、いわゆる弱者への視点にも深みが増したのではないか?単に被写体としてそれがあるのではなく自らも不幸を日常とした弱者のひとりとして。



「なぜそこまで金にならないような、あるいはギリギリの危険が伴うような仕事(構図)にこだわるのか?」



そういうことを映画を見終わってしばらくしてから思ったのだけど、見ているときは半分寝ていたのもあってかその答えのようなものはわからなかった。なのでそのうちもっかいみたいなあと思うし、天命とか天職のようなものについて元気づけられたいときに見られると良いのかなあ。


蛇足だけどヴェンダースにもそういう傾向(光とか天使 - 静謐)があり、そういうとこもあって今回の映画でマッチしたのかなあとか。もっともヴェンダース色みたいなのはそんなに出してなかった?ようで、もっぱらサルガドのドキュメンタリー / モノローグ的な構成だったけど(白黒画面でサルガドアップの訥々としたモノローグが眠りを誘う)。互いに「撮るもの」のプロとして余計な編集を加えないことがサルガドに対する敬意の表れだったのかもしれない。



パリの断章 --- Mémentos à Paris: 映画 "Le Sel de la Terre" を観る
http://paul-ailleurs.blogspot.jp/2015/02/le-sel-de-la-terre.html












セバスチャン・サルガド写真展「Genesis」in ロンドン | 甘くて辛くてほろにがいイギリス
http://bit.ly/1KGpFXT




サルガド展にいってきたよ  アフリカという神話と複製技術の行く末: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/134989378.html




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