2015年06月27日

「芸術起業論」「芸術闘争論」「日本列島現代アートを旅する」


このへんからの続きて引き続き現代アートについてお勉強していたのでヲクサンずへのお知らせも兼ねて


小山登美夫、2008、「現代アートビジネス」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/420849770.html


いちお村上隆さんの本も読んでみた


芸術起業論 -
芸術起業論 -

芸術闘争論 -
芸術闘争論 -


結論としては「まあたしかに、、それが第一線の現代アートプレーヤーの感覚ってことなんだろうけど、、それってなんかビジネスとかプロスポーツとか、入試≠クイズみたいだよね?」てことで自分的にはあまり



「柑橘類と文明」、「芸術起業論」を読み終わって|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nf50ec2b5d394




このあと続編の芸術闘争論のほうも読んでみて、起業論よりはアクの薄い、講義的な文体(口語的な)と内容になっていていて一部タメになるところもあった。たとえば現代アート(特にニューヨークを中心とした海外のマーケット)の文脈に沿ったテーマ、画面構成・視線の誘導の計算についてとか、ギャラリーの種類や選び方とか。それらは「実際にプロの現代アーティストとしてデビューする場合なにが必要か?」という視点からまとめられたものでこの本もそういうのを目指す学生たち向けにまとめられた予備校テキスト的なものとしてはわかりやすくおもしかった。

ただ、やはり「これはアートなの?」てかんじというか、すくなくとも自分が求めるものではないなあとおもった。

それらはたしかにアメリカやヨーロッパで成功した富豪のリアリティや嗜好には沿うものなのだろうけど、すくなくとも自分はそういうものは要らないし好まないし、そして自分の嗜好に合った現代アートはいくらでもあるので。テクストとしては李禹煥のそれとか。

なので、それらはアメリカとか世界的な富豪マーケットにおける「現代アート」であって自分が求めるものとは違うのだろう。それらは厳然と別れるものでもなくゲルハルト・リヒターなんかはそういうのにも含まれるようだけど。

この本自体の印象、あるいは村上さんの印象としては「プロヲタクになりきれなかったヲタクがアートの分野で宮台節を繰り広げた」みたいな感じだった。実際、「影響受けた」みたいなことはこの本の中にも書かれてたし。



なので、アートにそれ以上のものを求めるものとしては特に見るところもないのだろう。作品としては。

ただ、プロモーションとか若手養成のための仕組みみたいなところでは参考になるのかなあとか。



あと、現代アート方面で昨今「日本の現代アートはMANGAとかANIMEだ」みたいな風潮があって、ジャパニメーションがどうとか攻殻機動隊がどうとかもそういうのに含まれてるのだろうけど、そのへんの言語化とかプレゼンスの先駆けが村上さんのこのへんだったのかなあとか。本書の中でしっかり「日本の現代アートはマンガ・アニメです」ていってるし。そんでMOTでちょこちょこやる宮ア駿展とか、上野の進撃の巨人展とか、あるいは新国立で最近やってるやつとか。

新国立でやってるらしい日本のマンガ・アニメ展、マンガ・アニメの系譜としては体系的に不十分らしくてけっきょくは「マンガも現代アートの一部(日本ではむしろ現代アートはマンガ・アニメなんだよ」というところに甘えて「現代アートとしてあつかってやる」て展示なのかなと思うんだけど、そういうのをやるのは集客の理由もあるんだろうけどさいきん日本の現代アート界隈だとそういうのがチラホラで、自分て気にはそういうの見てもマンゾクないだろうなと思う。現代アートとマンガ・アニメ的なものは越境している、みたいなのは自分が現代アート的なものを見だした以前から思っていたことだからイマサラてかんじだし、その土台としては「現代アートとは何か?→(現代)アートなんか自由でいいじゃん解体していいじゃん」て60から70年台に隆盛を迎えたニューヨークを中心とした抽象表現主義に依る脱構築な文脈があるのだろうけど、脱構築だけだったら現代思想やってる人間的には新しいものでもない。

そんで(現代)思想≠(現代)アート的には「脱構築以後の思想・アートとはなにか?」ということになるんだとおもうんだけど、そうすると現代アート的には惰性で構築されたものをある程度解体しつつもその内部、あるいはローカルな圏域で意味と文脈(あるいは強度)をもったものを出さないとわざわざアートとして表す意味がないように思える。

アートとして表す意味というのは「言語では表し難いものを表す」ということで、そこに現代思想における「言語(の恣意性)以前」というテーマが絡んでくるわけで、きちんとした現代アートの人たちはそのへんを体現してるからおもしろいのだけど、村上さんは多分そういうのがわかってなくて、先達の成功者たちのガラをなんとなくなぞってるうちに成功したぽい。なのでバーネット・ニューマンに対する解釈も浅薄なものに思えた。






そういったところからするとつづけて読んでるこの辺で紹介されてるものはそういうのを表してくれてぽくおもしろい。



日本列島「現代アート」を旅する (小学館新書) -
日本列島「現代アート」を旅する (小学館新書) -



著者は直島のアートプロジェクトや家プロジェクトに携わった人で、直島のチーフキュレーター、地中美術館館長、金沢21世紀美術館館長を歴任されて芸大美術館館長・教授も務めてる、とのこと。


なので直島周りとか金沢21世紀美術館周りの紹介が多くなってるというところもあるんだけど、でもそこでの説明をみると自分的には見とくべきなのだなあと思うし見たいな、と。


紹介・解説されてるのは

イサム・ノグチ『エナジー・ヴォイド』、マーク・ロスコ『シーグラム壁画』、アントニー・ゴームリー『ANOTHER TIME XX』、三島喜美代『Newspaper08』、ロン・ミュエク『スタンディング・ウーマン』、レアンドロ・エルリッヒ『スイミング・プール』、安田侃『アルテピアッツァ美唄』、ジェームズ・タレル『ブルー・プラネット・スカイ』、内藤礼『母型』、ウォルター・デ・マリア『タイム/タイムレス/ノー・タイム』

なんかでいずれもその場の環境と一体となってアートしてる作品な感じ。


秋元さんはほかにも直島美術館についての本とかデ・マリアについての本とか出されてるようなのでこれらもぼちぼち読んでいきたい。





現代アートに関するテクストを読んでると「けっきょくはこのへんてなんとなくの雰囲気で売ってきたところだからはっきりとした定義とか方向性とか型が決まってなくて、その部分はテキストにするとよくわかるのだな」とおもう。まあ日本における人文≠現代思想と同じだけど。


なので、その部分で海外で売れるという実績を残し、はっきりと「(雰囲気うんたらでイイネーイイネーしとってもガラパゴスで)売れるための現代アートはこうや!」ってまとめたのは村上さんの功績だったかなあとかおもうけど、さっき言った理由でそれは反面教師的なものだったのかなあとか。


まあこのへんは民俗学的な現地の人の証言収集という感じで「彼らはこのように現代アートを認識し語っている」てかんじでみていくとおもしろいだろうからそういう方向で続けていこうとおもう。



あと、ワタリウムで現代アートを振り返るなやつやってるようでこれも気になるので8月か9月ぐらいに落ち着いたらいこうかなあ。。(村上さんの本で気付かされたけどワタリウムのこういうのの歴史はけっこう長いらしく村上さんのデビューもワタリウム主宰の現代アート大学からだったそうな




現代アートをおさらいする好機! ワタリウムの展覧会。|NEWS(ニュース)|HOUYHNHNM(フイナム)
http://www.houyhnhnm.jp/news/012993.html



西洋絵画のひみつ -
西洋絵画のひみつ -


中野京子と読み解く 名画の謎 対決篇 -
中野京子と読み解く 名画の謎 対決篇 -

名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366) -
名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366) -

怖い絵  (角川文庫) -
怖い絵 (角川文庫) -


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2015年06月17日

小山登美夫、2008、「現代アートビジネス」





現代アートビジネス (アスキー新書 61) -
現代アートビジネス (アスキー新書 61) -




noteで済ませても良かったしなんだったら文章にせずにメモなとこだけぶくましようかぐらいな感じだったけど「なんでこれをエントリする気になったんだっけ?」とよみかえしてるうちにヲクサンずに日本の現代アートの配置についてお伝えしとこうとおもったのを思い出した。あるいはこの本自体の主眼としては「(日本の現代アートでトップをはしるとおもわれる)村上隆や奈良美智ってどうなの?なぜ評価されるの?」的なの。そういった意味だとむしろこないだnoteにアウトプットした日記でもう要点書いてるかもしれない。


「現代アート」って斜に構えるのではなく|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/ne13c13c1df6a


いちお巻末の2010年当時の日本の現代アートギャラリーリストのメモ写真も載ってるし。


てか、「現代アートを買おう!」「現代アート経済学」のシリーズは小山さんのこの本の内容を受けてそれをビジネスマン的な客観性から伝わりやすく表したものだったのかな。そういう意味だと内容的には重複してくる。


繰り返しな内容になるので楽してこないだnoteにした内容から抜粋引用


この本を読むまでは正直「村上隆とかー現代アートとかなんぼのもんじゃいー」て感じもあったようにおもう。「知や感性を競う」というか。門外漢が足元をすくってやろうというか。

でも、宮津さんの語りから垣間見える「現代アートというのはそんなスカしたものではなく、単にぼくらがあの時代に『なにか新しくて格好いいもの、おもしろいもの、感性をくすぐるもの』を求め、それに捧げていった結果、現在のような形になっただけで」というような話を見てるとそういうのも阿呆らしいというか、少し恥ずかしく思った。

MOTも未だ建ってなかった時代、現代アートも日本に根付いてなかった90年代初頭に少しずつ挑戦と努力を重ねて自分たちの好きなものの場を作っていった。そして、単体の作品の価値というよりも、それを囲む人と人とのつながり、文脈、歴史のようなもののほうがむしろ大事で、現代アート的な作品はそれらのその時点での記念碑的なものだということ。

そんなことが感じられた。

小山さんの本を読んだら村上隆さんの本を読むつもりだけど、たぶん宮津さんの本を読んでなかったら「なんぼのもんじゃい」的な姿勢の読み方に傾いて貧しい読書体験に終始してたんじゃないかとおもう。




MOTも未だ建ってなかった時代、80年代後半から90年代初頭にかけて「日本にも現代アートの殿堂を」という動きがあった。白石正美さんなんかが中心となった東高現代美術館はそのさきがけ


東高現代美術館:現代美術用語辞典|美術館・アート情報 artscape
http://artscape.jp/dictionary/modern/1198701_1637.html



小山さんもこの時期に白石さんのもとではたらくなかで村上隆さんとも縁をもつようになったみたい。

当時の村上さんはまだ芸大の日本画博士課程で、でもそのころから自らの作品をどう売っていくか?ということに積極的で小山さんにも「こんどプレスを紹介してくださいよ」て接触していったみたい。


その後、小山さんが独立して自らのギャラリーをもって、村上さんや奈良さんを海外のアートフェア周りの市場から売っていくことに契機を見出していったながれが描かれている。「あの頃がいちばんおもしろかったね」とたまに会った奈良さんとはよくいうとのことで、なんとなく椎名誠の本の雑誌血風録的な青春時代を想わせた。



あとはギャラリーとオークション・アートフェアが中心となって現代アート的な価値はつくられていくという過程について。このへんは宮津さんの本にももうちょっと詳しく解説してあったようにおもうけどこちらがさきにザラッと説明された感じだったのだろう。長谷川祐子さんのはなしでもあったけど、現代アートにおける市場とのつながりは作品の国際的な紹介・流通という意味ではかなり重要になる。そこにうまく入り込めていけないとこの部分で国際的な関係性から外れてしまい「現代」アートでもなくなってしまう。あるいはあたらしい作家の発掘とか。

市場とつながることはアートに投機的な価値・意味合いが生まれ、単なる投機的な対象として扱われることでアートの価値がかえって損なわれる(バブル的な投機対象になってしまって現代アートが単なる「現在」アートになってしまう)という危険性はあるし、実際に好景気に賑わう中国のアート市場・作品評価にはそういうところがあるみたいなんだけど、だからといって現代アートのすべての作品が「本来意味のないガラクタに箔をつけただけのもの」みたいなものでもない。

宮津さんのことばだったか小山さんの言葉だったか忘れたけど、現代アートが現代アート足りえるのはそれが現代の問題・リアリティを作品としてきちんと表わし関係性を持っているから、ということ。


「なので村上さんの作品も奈良さんの作品もそういった文脈からきちんと現在のリアリティにコミットし、それまでのアート的な技法・表現の仕方も踏襲しつつ計算したものであるがゆえに海外コレクターの間で受けている」とのこと。


自分もそうだったけど村上さんの作品はヲタ的なアイデアを劣化コピーでシミュラークルしてるアイデア窃盗なだけじゃんて見方があるけど、あそこで村上さんがあらわしてるのは造形や表現方法ではなく、ヲタフィギュア的なものに先鋭される現代(日本)の(男性の?)欲望なのだそうな。なのでみょーに乳袋の強調でミニスカートな女の子(例のカフェ制服ぽい)がニコニコわらい、マイ・ロンサム・カウボーイはありえない量の精液を性器から放出し、それが龍を象る。



そうはいわれても自分的にもまだ「村上さんの作品てそんなに良いのかなあ?(実物みるとちがうの?アウラとかが?)」て半信半疑なんだけど、そういう説明ならコンセプトとしては理解できる。何十年かしてこういう文化が廃れていたとして、でもアート作品は残ってて、そこでこういうものを見た人が「こういうのでこんな欲望もってたんだねえ。。(それでこんな表現に」ておもうのかなあ、ってかんじ。


あとは小山さん世代の以前からの現代アートの主要画廊なとことか(西村画廊、佐谷画廊、かんらん舎、ギャルリーところ)、白石さんのスカイ・ザ・バスハウスとか。

村上さん主宰のGEISAIとかトーキョーワンダイーサイト、アートアワードトーキョーなんかもいってみないとなあ、とか。


アートフリーペーパーの「フェイヴァリット」とか。






そんなかんじかなあ




posted by m_um_u at 20:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2015年06月04日

「現代アート経済学」から簡単にメモ



現代アート経済学 (光文社新書) -
現代アート経済学 (光文社新書) -
現代アート経済学 (光文社新書) -
現代アート経済学 (光文社新書) -





サラリーマンのコレクター:宮津大輔はハーバート・ヴォーゲルの日本人版? | BLOUIN ARTINFO
http://jp.blouinartinfo.com/news/story/882107/sararimannokorekutagong-jin-da-fu-hahabatovuogerunori-ben-ren


『現代アート経済学』 宮津大輔著 評・開沼博(社会学者・福島大特任研究員) : 本よみうり堂 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20140825-OYT8T50112.html



著者は「一般企業に勤めながら有名なコレクター」「昼食を削りつつコレクションした」てひとなので従来の批評然なアート紹介(ちょっと衒学スノビズム)とは違った視点からコレクション、キュレーション、ギャラリーの関係が説明されていてわかりやすくおもしろかった。ビエンナーレの経済効果とか予算とかも。「ギャラリスト・キュレーター・コレクターの三位一体でアートは価値付けされている」というこの部分は以前のエントリの長谷川祐子さんの問題意識とリンクしてわかりやすい。

https://twitter.com/m_um_u/status/606063756137754624/photo/1

美術手帖3月号から「現代アートの文脈」「現代アートは流通である」あたり: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/417862119.html




世界のギャラリー、プロデューサー、オークション、パワーコレクターなどの関係の基本としてソレ系の人には参考になるだろうから手元に置いといて重宝しそう。有名ドコロについての脚注がそれぞれあるし。


全体として面白いしわかりやすい本なので長文できちんと説明してもよいのだけど「ほかにも読むもの溜まってるし、まあ自分的なメモがメインでなんだったら人様と共有程度だしなあ。。」ということでメモ中心で。

















アーティスト別年間落札の図からも伺えるように国際的に中国のアーティストのプレゼンスが高まっている。わりには自分的にもあまりしらないのでメモ的に写メっといた。あとでpinterestあたりから検索してほぅほぅとか思おう。ちなみに、近場だと横浜美術館での展覧会が気になってる。





世界的に有名なアートフェアとしてのヴェネツィア・ビエンナーレの紹介。アートのオリンピックとして2年に一回開かれる。ヴェニスがたまにニュースに移って華やぐのはこういうの。自家用ジェットで富豪がかけつける。個人用コレクションにもなるし転がして資産にもなるので。ヴェネツィアで見てバーゼルで買う。

ヴェネツィア・ビエンナーレと双璧をなすのがドイツのドクメンタ。5年毎に開かれる。もともとはナチスドイツの芸術焚書への反省から。ひとりのアートディレクターに依るディレクションという方式をとりだしたのはドクメンタからとのこと。ドクメンタでは毎回ディレクターが強いメッセージを発し、それに沿ったディレクションが展開される。ナチスの芸術焚書から逃げるためにアメリカに芸術・研究的才能が集まってMoMA(ニューヨーク近代美術館)のプレゼンスが増した。パリからニューヨークへ。



日本だと横浜ビエンナーレ、あいちトリエンナーレ、越後妻有アートトリエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭など。

瀬戸内国際芸術祭は春(3月20から1ヶ月)、夏(7月20から9月1日)、秋(10月5から1ヶ月)の3期に分けて開かれる。


日本のアートフェアとしては以下がある。主に春先。


東京アートウィーク

G-tokyo
現代アートギャラリー15軒 春先

アートフェア東京
古美術から現代アート  春先


TOKYO FRONT LINE
千代田
3331

六本木アートナイト




オークション - アートフェアのプレゼンス的には中国、シンガポール(東南アジア)が大きくなってきている。経済成長→中流層の増加を背景に。アートとオークションをいちから根付かせるのは難しく特に中国なんかはそんな感じだったけど中国の方は中国人ディレクターがコツコツと、シンガポールの方はアートバーゼル出身の豪腕ディレクター(ロレンツォ・ルドルフ)がシンガポール政府と協力してつくりあげていった。


あと有名ドコロなディレクターとしてはハロルド・ゼーマンとか‥まあこのへん





カタールとか増してきてて中東の興隆とか想わせる。






日本の現代アート系有名ギャラリーとて


小山登美夫ギャラリー、ギャラリー小柳、タカ・イシイギャラリー、シュウゴアーツ、アラタニウラノ、山本現代、イムラアートギャラリー、TAKE NINAGAWA、ミサシンギャラリー




posted by m_um_u at 22:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2015年06月03日

長谷川郁夫、2014、「吉田健一」



600ページほどの本だったので2週間ほどかけて読み終わった。


吉田健一 -
吉田健一 -

感想としてはちょこちょこnoteに書いていたし


そこに彼らがいた|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/na38a84799925


(長谷川郁夫「吉田健一」から)日本の「近代」文学界隈とその時代|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n1f95a8aafc22


「吉田健一」を読み終えたお通夜として|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nae76a0baa2dc


記憶術、ユリイカ、blackbird|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n9dc2ee2b77dd




noteにも記したように本書は批評的な内容でもないのでまとめるのも難しく特にエントリせずに終わってもいいかなあと思ったんだけど、あとで振り返るときのためにメモ的に引用して残しておきたいところもあるのでいちお。



吉田健一についての批評的な箇所は中村光夫に依る吉田健一評のところぐらいで、それは以前に読んだ河出書房のムックの内容も想わせた。「吉田健一には嫉妬やルサンチマンのようなものが感じられない」「飄々とした魅力とそこはかとない色気がある」みたいなの。


吉田健一の流儀: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/415497312.html

「吉田健一」を読み終えたお通夜として|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nae76a0baa2dc


昭和32年「文藝」1月号での中村光夫による吉田健一論から




 一.「あなたの言葉には自分自身のすることに気づいてない人の魅力があります。酒の呑みかたからものの考へかたまで、あなたのやり方はまことに個性あざやかで、独特なものですが、この独自性にあなたがまったく気づいてゐないところに、あなたの随筆の面白みがあります。あへて可笑味といつてもいいでせう」、「あなたがそれに自分で気づいてゐないから、そこに生れる滑稽はさらに倍加されます」

 一.「この間の交際を通じて、僕が一番あなたに敬服したのは、あなたの自信です。自信といつてもありふれた己惚れや野心とはまつたく違ふ、なにか天与といひたいやうな精神の内部平衡です。あなたくらゐ或る意味で謙遜な、人を素直に尊敬することを知つてゐる人はない、自分で自分を虐めつけるといふ裏返しにされた青年の傲慢を、あなたほど徹底的にやつた人はない、(中略)しかしそれでゐて、あなたくらゐ自然に自分を信じられた人はないのです」

 一.「僕はあなたの強靭な精神の平衡を、真の意味の教養の賜と思つてゐます。美に対する感受性と熱情にめぐまれた者が、たまたまそれを源泉から汲む幸運にめぐりあひ、そこから生活にたへ、進んでそれを楽しむ糧を得てゐる人に独特の強みです」

 一.「あなたが批評家としてなぜもつと早く世にでなかつたかは、僕等がみな不思議に思つたことです。しかし今から思ふとあなたには、他の条件はすべて備はつてゐたが、ただ批評家にもつとも大切な資格が欠けてゐたのです。それは文学への観念的陶酔と表裏する或る餓渇、あるひはさもしさといつたもので、それにかりたてられて、彼は自己の文学映像を他人に納得させるために努力するのです」、「僕自身さういふ青年であつたから、それはよく知つてゐます」、「あなたには、さういふ餓ゑがまつたくなかつた。しがつて野心も。文学とはあなたには何かもつと血肉化した、人生を快適にするものであり、この自適のなかかから外にむかつて発現する衝動は生れなかつたのです」



それを変えたのが戦争と戦後の生活だった。

「吉田健一にとって文学は、野心とかさもしさとかといったものではなく、もっと血肉化した人生を快適にするものだった」という指摘は吉田の批評、あるいは文学の味わい方が詩を中心とし、全体の意味や内容というよりも謡としての詩を重視していたことにも通じるように思う。音楽であり時間。それは吉田晩年の時間論にも通じ、日本の、あるいは日本語の古典的な感覚、歌としての会話にも通じるのかもしれない。吉田の文章に句読点がなく読みづらいことに対して「古文は句読点はないでしょ?」と答えたというけど、そう思うと吉田の文章はそういったもので、ひとつひとつの意味というよりは全体のイメージや流れを味わうものなのかもしれない。





付箋を貼ったところを見なおしていると三島との喧嘩、三島が割腹自殺したことについての吉田のコメントもとどめておきたく思ったので軽く引用しておく。


三島との喧嘩の経緯についてはこちらに記した。

「吉田健一」を読み終えたお通夜として|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nae76a0baa2dc


「新潮」46年2月号「三島由紀夫追悼特集」より

「その死は事故による」、「例へば交通事故で死んだものがあつた時にそれで改めてその思想とか生前の行状とかを云々するのは無意味であり、さうした死んだといふことが先に立つての詮索は週刊誌風の好奇心の仕業にすぎない」、「人間は死ぬ時に死ぬのであり、誰でもその時が来るまでは生きてゐる」、「もしここに豊かな天分に恵まれてゐて別にさうした騒ぎが仕事の邪魔にならず、逆に騒ぎによつて世相を掴む術に長け、その騒ぎの快感を仕事の刺戟に用ゐることも出来る人間がゐたらばどうだらうか」、「或はその仕事の世界での自由は仕事と騒ぎと全く切り離すに至るかも知れなくて、その点に達するならば騒ぎは騒ぎで自分から自分の楽みに、或はこれも或る形での生き方と心得て焚き付ける方向に進むといふこともあり得る。もしそのまま文学の仕事が続けられるならばその人間が文士であることに変りはなくて、ただ一流の仕事をする文士で情事が道楽であるのが媚薬の量を間違へるといふことがあつても別に驚くではない。或は蝶気違いの文士が崖に蝶を追つて墜落死することもある。先に大で示した通り、以上は三島さんのことでもある」


三島の文士としての才能は買っていたけれどその性格から名士としてちやほやされるという快感を追い続けコントロールしきれなかった。それは蝶を追って崖から落ちたような事故であり、当人の仕事を貶めるものではない、と。












あとは当時の銀座や文壇界隈の様子が伝わってきてよかった。東京の昔でありトキワ荘的なもの。その頃の銀座や東京の様子をもうちょっと省りみたくなった。


そこに彼らがいた|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/na38a84799925

銀座に川があった頃 - 新・読前読後
http://t.co/EscWpCE9dv


あるいはこういった教科書からは伝わらない日本文学 / 文壇の様子について記したものとか。江藤淳「小林秀雄」もよかったけどああいうもの。とりあえずこの辺を読んでいこうかと思っている。



江藤淳と大江健三郎: 戦後日本の政治と文学 (単行本) -
江藤淳と大江健三郎: 戦後日本の政治と文学 (単行本) -
日本文学史早わかり (講談社文芸文庫) -
日本文学史早わかり (講談社文芸文庫) -









「時間」からいくつか



時間が経っていくことを知るのが現在なのである


言葉が働きかける時にそこに常に現在がある


近代の倦怠を意識の上で堰き止められた時間の流れの圧力と見ることも出来る


一冊の本もそれそのものが時間であり、或いはそのうちにも時間があってその本も刻々と経つことが解る


もし時間がなければ一篇の詩もない



時間の存在を認めなければ喜びも悲しみもない




時間が人間を老いさせるのではなくて、その老いる人間も老いた人間も時間なのである





時間の流れがあって空間が生き、それで我々の暮らしもそれが世界で取る形も、或いは、我々の暮らしに即して世界が取っていく形もそのあるべきもの、我々が現に知っているものになるのだということは繰り返して言っておくのに値する





その夜会もサロンも舞踏会の音楽もあって、その虚しさは人生の空しさであり、それは従って一転して充実であった


刻々にたって行く時間の現在にあってそれを悲しむというのは充実の極みとも考えられる














われとともに老いよ


最上のものは、これから先にある



それは生命の最後である




生命の最初はそのために作られたのだ









金沢・酒宴 (講談社文芸文庫) -
金沢・酒宴 (講談社文芸文庫) -
時間 (講談社文芸文庫) -
時間 (講談社文芸文庫) -
英語と英国と英国人 (講談社文芸文庫) -
英語と英国と英国人 (講談社文芸文庫) -
英国の近代文学 (岩波文庫) -
英国の近代文学 (岩波文庫) -
ヨオロッパの世紀末 (岩波文庫) -
ヨオロッパの世紀末 (岩波文庫) -
訳詩集 葡萄酒の色 (岩波文庫) -
訳詩集 葡萄酒の色 (岩波文庫) -
英国の文学 (岩波文庫) -
英国の文学 (岩波文庫) -
交遊録 (講談社文芸文庫) -
交遊録 (講談社文芸文庫) -
三文紳士 (講談社文芸文庫) -
三文紳士 (講談社文芸文庫) -
吉田健一 -
吉田健一 -
乞食王子 (講談社文芸文庫) -
乞食王子 (講談社文芸文庫) -





ドナルド・キーン、三島由紀夫、中村光夫、河上徹太郎あたりも読んでいこう







--

東京の「おいしい」の昔から|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nb6fd1ccec764



うつくしい日々: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/409837761.html



三浦雅士「文学史とは何か」(丸谷才一全集 第7巻解説) - 日々平安録
http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20150516/1431788111

posted by m_um_u at 14:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

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