2012年04月23日

<啓蒙主義 → 社会契約説にもとづいた国家の民主(議会)化がただちに国家の近代化を意味するということではない>

ぼんやりとここ最近の「西欧の近代周りの特殊性」「近代資本主義」「啓蒙主義」「国民国家」周りを黙想する。

なんかの本でも読めば正しい事実踏まえた理路は記してあって、それをインストールしたほうが早いのかもだけど。間違っててもいいので自分で考えたからそういうのに当たったほうが染み込みやすいように思うので。なので以下も後から修正の対象になるかもしれない



近代ヨーロッパの特殊性、あるいは近代の特殊性というのは一言でいって「機械化」というようなことに集約されるのではないかと思う。

数式的、あるいは論理性をもった形式的合理主義に沿うように…有効なところに無駄を省いて、画一的に、規則正しく、反復的に攻撃を行うような。軍事の場合は攻撃、経済の場合はプランテーションや鉱山労働のような画一・規律・反復的生産活動とそれへの資本の投下。

産業革命以前に商業革命というか、金融革命みたいなのが起こって経済全体の機械化、極端な合理化が進み、お金を稼ぐのに効率的なところに機械的投資がなされる様になった。

ゲマインシャフト的ないい加減さをなくした規則的活動、とそれら全体を覆うエートス

それは人間の機械化といえる。


産業革命というか蒸気機関に代表される産業機械はその理路を具現化しただけ、と思える。


<メディア(蒸気機関、工場)はメッセージである>というような



そこでお金と商人、というか第三身分の一部ブルジョワの存在感が増したのは分かるんだけど、それを背景としつつ社会契約説 → 主権在民的な考えが出てきた経緯がよくわからん。。



当時、というかその少し前の時代の政体を包み込む幻想の全体的な流れとしては「神聖ローマ帝国=キリスト教的な神に依存した主権の正統性、という旧世代の体質を啓蒙しつつ、王権・公権あたりで主権の正統性を止まらせる」はずだった。

王権の正統性を主張する政体のあり方は後の世からすると「絶対王政」ともいわれるが、実質的には諸侯に対する王の権威を確立するために、社会的プレゼンスを増してきていた第三身分のブルジョワを後ろ盾とした社団国家体制だった。

したがって絶対王政の根拠とされる王権神授は、タテマエ的には奉じられていたかもしれないが、実質的には意味をもたないものだったはず。


いわば「金融革命の流れの中で力を付けたブルジョワが実質的には首根っこを掴んでいた」社会体制の中で、なぜ後の世には国民国家と言う名の全体主義として利用されていくことになったと思われる「国民主権」という考えがブルジョワ側から賛同を集めていったのか?

(※ここでは当時の「国民国家」とは、「国民」という幻想を創りだすことで領域内の異なった人種・民族を統一的帰属意識をもたせ、「国民(nation)=国家(state)」とすることで従来なら銃後であった領民を皆兵員とし、あるいはその代わりに税を納め易くした方便(擬制)として捉えている。戦争もしくは財政(主に税収)への領民による全体主義的協力を自主的にさせるためのイデオロギー)


ここでブルジョワ側が「主権在民」ていう必要なかったように思うんだけど、、マグナカルタ辺りの記憶と目の前の王の目に余る暴政とかあったのだろうか… 特に財政




社会契約説が「国民主権」つーか「国家財政の自分勝手な運用から商人的な合理性を備えた官僚的運用への移行」を唱えたものだったとしたなら、当時の趨勢的になんとなくわかる感じだけど・・・まぁこのへんは「社会契約説」を読み進めていく際のポイントにしとくべきか


社会契約説
http://note.masm.jp/%BC%D2%B2%F1%B7%C0%CC%F3%C0%E2/


社会契約 - Wikipedia
http://bit.ly/JzEtWK



啓蒙主義からの社会契約説の流れはそのまま民主主義につながってるように思われがちだけど、啓蒙君主なんかが「啓蒙主義」を表層的に利用しつつ「国民=主権」を「では主権をもった国民が国を守れ」という風に利用して行った様な…

啓蒙専制君主 - Wikipedia
http://bit.ly/JzENEN

たとえばプロイセンのフリードリヒ2世(大王)


このとき、人文主義-ギリシャ哲学的な人間の「自由」をイメージしていた啓蒙主義の「啓蒙」は、「(国家のため、軍事、工場労働に就くための)最低限のリテラシー教育が国民には必要」という風にスポイルされていた。



それと本来の社会契約説が含意していたもの、との違いかのぅ。。

それも社会契約説が目指していたものが「国民皆民主主義」つか「一部のブルジョワ、官僚に依るもの」だったかで思想的帰結が異なってきそうだけど(ルソーとロックの違いもあるの




そんで、そんな感じで展開されていた政体を包む幻想(ジオカルチャー)と、下部構造的な経済の構造変化との関連


<「土地」「土地所有者」を中心とした経済構造とそれを奪い合うための手段としての「戦争」> という社会構造が <生産・貿易・流通・金融を通じてお金(先行生産)をふくらませることを中心とする経済構造とそれをサポートする手段としてあるいは「戦争」が用いられる>という社会構造へ変化していったこと


それがどのように社会契約説のような思潮に反映されているか


予想では、<(当時の経済合理性を中心とした社会環境への変化の風潮から)国家財政への恣意性をなくし、官僚制と財政の透明性、それに対する国民審査を徹底させるように社会契約説みたいな考えがでてきた>、ということだけど、おそらくはそれが前時代的な「国家とは君主を中心とし、君主とは臣民を守り戦争によって奪うことを基本とする」というような思潮と折衷だか化学反応する中で<国民国家>という幻想ができあがっていったはず。


具体的には18〜20cのイギリスとプロイセン、ロシア辺りの国民国家、主権在民、国家財政のあり方比較になるのかな…? フランス革命も反動ぼいけど


フランス革命 → ナポレオン革命は派手だから、一見するとそれが近代型国家や民主主義の基本になったように思われるけれど、分析的に眺めていくと、まだこの段階では近代型国家として立ち上がるための腱をもっていない暴力革命だったのでは?革命後の国家運営・財政に対する具体的な考えや組織体制がなかったため、平民を後ろ盾にブルジョワが政権を奪取しても持続性がなく王政復古(ウィーン体制)の流れになっていった。ナポレオンの遠征なんか見てるともろに「国家とは君主を中心とし、君主とは臣民を守り戦争によって奪うことを基本とする」って感じだし。


というか、同じように啓蒙思想・社会契約説・市民革命を経験してもイギリスとフランスで差が出たのは、社会契約・民主主義などの思潮とは関係のないところでイギリスがヘゲモニーをとり、その過程で国家運営に財政的思考が固まってきていたから。そこから考えると当時の社会契約説→議会制民主主義というのは国家運営的には必ずしもプラスではなかったといえる。

民主主義を標榜しつつも時代に即した国家財政のあり方が根本的にはイメージできていなかったフランスは革命後、前時代的な国家運営→帝国主義を模索していったが持続性がなく、結果的に衰退していったわけだし。


では社会契約説とは国家にとっては具体的利益のない話を国家にとって有益だとすり替えたものなのだろうか?「国家主権が或る首長にあることの根拠」であり「大義」の話ということにはなるだろうけど。「王権神授」ではなく「国民主権神授」「なので国家の首長は国民の信託を受ける必要があり議会が必要」みたいな論説になるのかのぅ。。



ロックの社会契約説までの流れを見ると名誉革命が関わってるみたい


ピューリタン革命と名誉革命
http://members.jcom.home.ne.jp/spu/032.htm


ここで「コモンロー(慣習法?)やそれにもとづく議会が王に対して優位する」((王は)君臨すれども統治せず)と確認されたのはあたらしい王がオランダ由来だったからだろうけど、それがそのまま社会契約説としてフランスなどの他の国にも普遍化していったのはどうしてか?


ブルジョワが強くなってきていてブルジョワの意見がより通りやすい政体への改革が志向される、という当時の趨勢があったからか

フランス革命も大元をたどれば、オランダを中心としたヘゲモニー、それをめぐったイギリスとの競争によってできあがった負債が不況の根源となっていたのだけれど、表面的にはルイ14世からの王室の散財・よくわからない政策の失敗が<この失敗の全ては絶対王政の責任>という形で認識され議会制民主主義が求められたから


だとすると、この時代の君主の自分勝手さは国家運営にとっては問題であっただろうから一般的で明示的な法と議会の力でそれをしばろうとする流れはよかっただろうけど、縛ろうとする議会のほうに当時の国家運営の失敗の原因、国際経済→国家運営の変化に対しての具体的なイメージがなかったことがフランスの失敗だったか



そう考えると社会契約説のもとに議会制民主主義が認められていったことは国家運営の透明化―健全化ということでは意味のあることで、それを直ちに、<社会契約から主権在民が派生し、そこから国民国家 → 半全体主義が派生していった>、とするのは拙速な流れといえる。


「国民主権」から「国民国家」の擬制が生まれた可能性があるのだとしたら、そこはまた別の回路から検証の必要があるのだろう



ここではとりあえず<啓蒙主義 → 社会契約説にもとづいた国家の民主(議会)化がただちに国家の近代化を意味するということではない>、というに留めておこう


社会契約説とかがアジテーション的なものだとすると、実態としては国家と元首を縛る法の体系、それに基づいた国家機構であり、政体における「近代化」という場合はそれらがどのように細密化していっていたかを見たほうがいいような気がする。比較しないとその辺わかんないだろうから前代までと比較かのぅ


そしてそれらを背景に金融化の時代状況を鑑みた国家による財政意識への本格的な目覚め(cf.重商主義)や機構の構築もできていくか





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なんとなくぐぐってたらこの辺も似たような話になってるのな


民主主義の過剰 - 『一般意志2.0』(池田信夫) - BLOGOS(ブロゴス)
http://blogos.com/article/25576/


「民主主義が悪い」っていうか「国家運営のあり方を認識してる人の意見が国政に反映されなければ意味が無い」であり、その意味ではブルジョワによる寡頭政の是非みたいなことにもなるのだろうけど。あと、<正しい意見が反映されやすい装置のあり方とは?>みたいなの(すくなくとも機械的多数決だけだとオピニオンリーダーであるブルジョワの意見をなぞるだけになりそう


あと、社会契約説というのは「囚人のジレンマ状態における暫定的合意をどのようにとりつけるか?(→<国>という機構ができていった)」みたいな話のようで

社会契約 - Wikipedia
http://bit.ly/JzEtWK

全体的には神授されたとされていた皇帝権や教皇権、王権を一度相対化し、原始状態を仮定する中であらたに王権と契約を結ぶか?それとも王権以前に「国」としての契約があって王がすえられたもの、として王権を否定しつつもCEOとして頼るか?辺りを議論するための考えみたい


結果的に<囚人のジレンマを超えるための暫定的協調の装置として「国」≠「法」ができていった>というところでは一致するような


「法」→国家の機械化というところでは官僚制と関わってくるか(官僚制のためには法を設計図にした透明な運営が必要?)



リバタリアニズム - Wikipedia
http://bit.ly/I4L2SK


考えてみれば17cのオランダはリバタリアンの理想郷ぽい。当時のオランダ的政体からすると社会契約という考え自体が言わずもがなな感じ。経済原理主義的な国家規模の共同体運営だから。でも保護貿易と国家財政政策固めていったイギリスに後塵を拝した

イギリスのは福祉国家的でもなかったのでリベラリズムとも言いがたいのだろうけど。


一般意志2.0あたりの話というのは不況の中での財政リストラをリバタリアニズム的な観点から進めようという人々をリベラリズム的な公正・福祉を基本に批判しつつ、具体的な財政についてはノータッチという話のような印象がある




Amazon.co.jp: 中世君主制から近代国家理性ヘ (愛媛大学法学会叢書 12): 南 充彦: 本
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4792304253?tag=museamuse-22


「キリストを中心とする王権」→「法を中心とする王権」→「政体を中心とする王権」 王の身体が人格化するにつれて強制力をともなわない国民化が。立憲以前の王と国の理性的統治
http://bit.ly/Jryx3H

書評 (PDF)
http://bit.ly/JryiWv




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(続)「西欧資本主義が特殊化し近代型国家ができていった背景とは?」: オランダにおける流通・金融システムの洗練とイギリスにおける近代型財政の構築: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/266137238.html


現代において革命が生じる条件とは?(仮): muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/265583904.html

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2012年04月22日

(続)「西欧資本主義が特殊化し近代型国家ができていった背景とは?」: オランダにおける流通・金融システムの洗練とイギリスにおける近代型財政の構築





読み進めてたら以下のエントリで勘違いあったようなので修正


近世から近代初頭のなんとなくのポイントとして「西欧資本主義が特殊化し近代型国家ができていった背景とは?」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/265961953.html




エントリ的には「分裂国家でも商売的合理性あれば中央集権に勝つ効率性があるよ」とし「国家の近代化にとって啓蒙主義は関係ない(それが関係あるとされたのは後付けの進歩史観的イデオロギーではないか?)」としたのだけれど、この辺りの捉え方がビミョーぽい。


17cオランダのヘゲモニーが破れていったのは国家財政的な強さを構築できなかったから。それは国家の戦争の借金処理として80年戦争周辺のオランダが(税金ではなく)公債を利用していたのに対してイギリスが国債を利用していたことなどに表れてくる。早熟の商人経済(近代経済)ではあったが近代的経済国家ではなかった。

よく理解してないけど、オランダのような商人連合の短期的収益への合理性(功利主義)が結果的に総和していったものよりも、長期的視点から国家を財政として整え、国家経営・運営を考える方が国家としては強くなる、ということか。そういった統一的国家運営のためには中央集権が必要になる。


中央集権をしつつも前時代の恣意的な王権のようなおーざっぱな国家運営をさせないためには中央集権だけではなく議会制民主主義を認めさせるような言説が必要だっただろうけど、そういったものは啓蒙主義的思考の系譜の中ででてきたのだろうか?


あてずっぽうでいうとロック、ルソーなんかその辺になるのかなと思うけど。ちなみにロックやデカルト、スピノザなどといった思想家は黄金時代のアムステルダムに住んでいたようで、「近代国家とは議会制民主主義と中央集権」+「そのような考えは啓蒙主義(の中でも新しい政体-国家を創りだそうという思考潮流)によって培われた」とするならばロックがオランダの国の組織づくりに影響をあたえなかったことには疑問が残る。

あと、社会契約論とかで国家のまっとうな運営については具体的に論じられていたのかなぁ、とか


いちおまとめると

<近代型経済は流通・金融に関わる商業システムが洗練・共通化されていくことによってオランダで形成されたが、近代型国家の基盤としての財政制度などはイギリスで構築されていった>




ほかに前のエントリではヨーロッパの資本主義のそれまでのものとの違いとは<プランテーションや工場労働などのモノカルチャー的富の無限増殖による>としたんだけど、そうではなくてもっとぢみに、<「商業活動にシステムが洗練され、統一フォーマットになって行くことで取引コストが減って行ったから>、とかなんとか

・・?それはヨーロッパ国内における経費のリストラクションであって中国との貿易とは直接関係ないのでは?・・って貿易差額的あたまだとどうもピンとこないんだけど、中国とかから富を吸い出せたのは中国とも世界経済として一体化してたから…かなぁ?




あとは本のメモ的に箇条書き


--

(17)銀はヨーロッパからアジアに流出していたが1750年ごろからそれが逆転した。

※この頃からヨーロッパ経済がアジア経済に勝っていった数字的証拠?



(20)この頃にヨーロッパが発展した3つの要因と思われるもの


(1)経済成長に対する国家の介入:

国家が保護によってすることによって商人の取引費用減る → そのぶん交易が盛んになり関税収入が国庫に入る

イギリスのような保護貿易の後の繁栄を説明するには好都合だが…



(2)商人ネットワークの拡大:

商業帳簿・通信文・契約書類などといった同質性を持った商業作法・商業システムがヨーロッパ内で共通化することで取引コストが減った。




(3)中立国・中立都市の役割

戦争が生じても中立国の端を掲げれば入港でき取引が続けられた


※(1)(2)(3)の理由からだと<商売を円滑・持続的に進められる仕組みをつくったのでアジアよりもヨーロッパのほうが富が集積していった>と読める。




※オランダ発展スタートダッシュの条件的なものとして


最初に16ー17cの人口増加(1500年8100万人 → 1600年1億400万人)に対応する様にポーランドからの穀物(小麦)、バルト海(スウェーデン)からの船舶用資材輸送で流通利鞘稼ぎ

それがピークに達するのと交代する様にスウェーデンに鉱山開発技術をプロデュースしてドイツ・スペインに代わる武器材料国を確保

武器製造産業を発達させ80年戦争そのものを食い物にした(戦費用に借金しつつも公債などの金融システム、武器製造産業の発達、中心的ゲートウェイ港として中継貿易の手数料を稼いだ  (貿易差額ではなく流通業の取引コスト収益で稼いだ)

そこで蓄えた富を投資アイテムをいくつかつくって回し膨らます(デリバティブが生まれたのも当時のオランダ)



※当時のオランダは商業資本主義(貿易差額による利ざや)、対してイギリスは産業資本主義であり、<単純な貿易利ざやに終始し産業資本主義を興せなかったオランダが後塵を拝した>、とされがちだがオランダは商業取引ではなくハブ港としての手数料収入を中心として稼いでいたみたい。あとハブとして情報や金融の仲介業を行ったり。武器貿易の中心としてあつまった軍事情報をうまく戦争に利用してすくない資源(兵員)で効果的に戦争に勝っていった。



--
なぜ、オランダは17cになって急にイタリア都市国家に代るようになったのか? - Togetter
http://togetter.com/li/289478


※ヴェネツィアからアントワープ、アムステルダムに商業中心地が移る経緯を複数から。フランドル・ブルゴーニュ公が絡んでブリュージュが開発されていったことからの流れぽい。


posted by m_um_u at 18:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク

2012年04月21日

近世から近代初頭のなんとなくのポイントとして「西欧資本主義が特殊化し近代型国家ができていった背景とは?」



▽土地(戦争)から貨幣(商業)・金融へ


こないだからちょっとモニョモニョしてて、それは近代初頭がなんとも捉えにくく、自分的になんか引っかかってるからなんだと思うんだけど。いちおちょっと前までで近世の終わりまでの自分なりの見方はメモっといた


(自分的に)古代から近世終わりまでの見所復習: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/264513531.html



ここまでは「国」(あるいは皇帝、王、諸侯)、「軍隊」、「土地」という関係が中心でそれらを覆うようにキリスト教的大義があるというだけでけっこう分かりやすい。

「王や諸侯のもとにある領域国家的なものは他国に対して戦争しかけて勝って土地や報奨金を貰うのが一番の政策」みたいな流れ。この時代はお金や金融というのは軍事-戦争の周辺の「手段」である感じだった。

金が出てくるのも「王が教皇などに対抗するために傭兵を集めようと借金する」って場面程度で、国家の商業-経済的関心は低かったように思う。


戦争の形態としても技術よりも人口に頼ったものだったし、それを養うための食糧生産力(備蓄力)がそのまま国力に直結していたような社会。食料生産力はそのまま保有する土地(領域)の広さと等しくなる。つまり保有する土地(荘園)の広さが経済力、武力に直結するような。「力を持っている」というのは土地を所有しているということだったのだろう。土地は第二身分までしか持てないものだったので「力を持つもの」も限られていた。



そういった食料自給に基づいた社会構造に対して徐々に「交換」-「商業」の存在感が大きくなっていった。その過程で交換材としての貨幣の重要性も増して行った。


「力」の指標が土地保有率から貨幣保有率に代わって行くにつれて、土地にバンドリングされていたモノやヒトが土地からアンバンドルされていった。兵も食糧も衣服も土地を離れて交換されるように。そこでは土地をたいしてもってなくてもカネをもっていれば多くのモノ(豊かさ)を所有できるようになっていった。


中世-近世を通じた宗主たちにとっては土地を中心としたヒトと食糧の生産、略取を通じた土地や貨幣の交換が国力という認識であり、それは農本主義的なものといってよかったのだろう。そういった華々しい国際舞台、戦争ゲームの裏で貨幣や為替などを通じて豊かさが擬似的に交換されていっていた。




・・というか、商業は13cからあったか。ヴェネツィアを中心とした地中海貿易とか。そこまで大々的なものじゃなくても貨幣を仲介とした商業はそれ以前にも形成されてきていただろうし。


ただ、地中海貿易を中心としていた時代と大航海時代を通じて東インド洋、大西洋、バルト海などが交換先として加わってきた時代とではヨーロッパ全体の豊かさや国力も違う。それは交換されるモノとカネの総量の違いだろう。





・・なかなか言語化しにくいけど、印象としては1500年ぐらいまでのヴェネツィアを中心とした商業の時代というのは、商業的な物流・それを内部循環させる金融経済はあったにせよ、それはオスマン以西の地中海に鎖国された限定された規模に限界されたものであったように思う。まだ貨幣・金融の自由度が発揮されてなく、ヒトやモノといった生産物が土地の大きさに依存(バンドル)した社会構造。 

新航路・新大陸発見以降は交換されるモノやカネ、それを受ける人口の総量が増えていった。それまでヨーロッパという限定されたものー土壌とそこを基本として生産されるモノ・ヒトの総量に依存していた経済が、アジアのより多くのモノ、富を吸収しふくれあがっていった。

土地の大きさに依存した経済圏という意味では大航海時代、インド航路発見以前は一部の大商人を除けば土地所有者の権勢のほうがまだ強い時代だったといえるだろう


▽工場型タコ詰め労働、ゲゼルシャフト的な分業・規律に基づいた近代資本主義。ヴェネツィア中心のときにもすでに南ドイツ鉱山労働やロードスなどの砂糖プランテーションにみられたが、それが大航海時代を経てよりあからさまに拡大し一部の資本家に富を与えていった(ヨーロッパ近代資本主義の特殊性記述試み)




『要はヨーロッパでだけ土地所有者や王の力が弱くて商人や会議の力が強かったのはなぜか、ということではないか。それがなければジェノヴァやヴェネツィアに始まる資本主義システムもなくオランダ・イギリスに始まるヘゲモニーもなかった。』
http://d.hatena.ne.jp/killhiguchi/20120407#1333779588



そうではなくて徐々に商人の力が増していったというグラデーションはあるにせよ、ヨーロッパでも土地所有者や王の力が強かったのだけれど、1500年ぐらいを境にそれが実質的に変わっていった、ということ。タテマエ上はブルジョワ革命ぐらいまでは王権のほうが強い、ということにはなっていたか。


1500年ぐらいまでは「商人の力が次第に強くなり、実質的には王権や教皇権にプレッシャーをかけるほどになっていた」といってもメディチやフッガー、ウェルザーなどといった大商人・銀行家ぐらいしかそこまでの力はもてなかったのだろう。為替を使った富の自家増殖・時間操作も一部の商人にしか縁のないものであったように思う。


対して、インドや新大陸への新航路開発 → 航海のリスクをヘッジするために生まれた株式会社という形態は資本投下先を新たにふやすことで投資家の間口を増やした。新大陸の銀鉱発掘などを通じて貨幣鋳造量を増やし、仮想的にせよ先行されたヨーロッパの富はバルト海周辺の食糧や衣服、武器、インド航路によって開かれたアジア圏のモノを吸い込んでいきヨーロッパの経済圏全体の富を増やしていくことになる。
http://t.co/7dUojzwt


そして貨幣鋳造や貨幣の素となる地金の発掘、投資で膨らんだマネー(富)の先行入力に対応するようにプランテーションや工場労働が自家増殖的な富の開発が進められていったのではないか?スーパーマリオの無限増殖のような富の自家増殖。バルト海やインド航路貿易だけでは贖い切れないほど膨れ上がった富の先行入力を埋め合わせるように。

あるいは計画的で単一の目的合理性に基づいた自家増殖的富の生産体制、プランテーション的なものや工場労働的なものが前時代に比べて展開され根付いていったのは金融と投資というシステムが洗練され先行投資的に膨らまされた富を埋め合わせるためだったのではないか?

の前時代のゲマインシャフト的労働体制に比べたら計画的で型にハマった(≠つまらない)分業体制。フッガー家などが仕切っていた鉱山労働にもその原型が見られる。また、そこから展開される鉱山労働者への日用品販売の経済圏は資本主義的経済システムの萌芽というかビオトープのような役割を担っていたようにも思われる。



ゲマインシャフト / ゲゼルシャフトということだと、後者の目的合理性と工場・軍隊労働に関わる規律、一見つまらない規律を当然のこととして内面化していく精神を涵養する全体的な構造にウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の話が関わってくるのだろう。


フッガー家はもともとは東方に綿と麻をブレンドした織物を売って一財産儲け、そこから鉱山商売に手を出した。ハプスブルクの鉱山、銀行取引を一手に率い、ハプスブルクの没落とともに消えていった(贖宥状を教皇に薦めた、絡み
http://t.co/TccGsGH2


Weber, Max『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
http://www.arsvi.com/b1900/0400wm.htm



ウェーバーの議論において「資本主義的成功者の精神は形式的には複式簿記やそれに基づいた共通取引フォーマット(ex.帳簿、通信文、契約書類)にもとづいた合理主義と、その派生としての啓蒙主義とに基づいている。しかし、その源泉には非合理的合理主義がある」
http://bit.ly/HToIXf
http://www.lib.fukushima-u.ac.jp/ootsuka-koen/se-koen4.htm


カトリックにおいては「金で金を生むような商売はダメ(金貸しはダメ)」といわれ、それらをごまかすためにメディチに代表される商人たちは美へのフィランソロピーをしていた。「煉獄」という概念はこのような商人たちに向けて生み出された。にもかかわらず、フッガー家のような商人はそこからの救済的タテマエとして「贖宥状」という擬制を自ら編み出した。商人の業というか、商いの合目的性のためには自らの首を締めることも辞さないということで、この辺りも非合理的合理主義とやらにつながってくるのかと思う。


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http://www.rui.jp/ruinet.html?c=400&i=200&m=212134


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まぁ宗教改革を含めてあの辺というのは叙任権闘争を中心に「商人」「王(あるいは諸侯)」「皇帝」「教皇」が固定的な派閥というわけでもなく、仲悪くなったり裏切ったりと政治的に振舞っていたようだから「商人が商人の首しめた」っていうのも変だろけど(しかけたフッガーは贖宥状なんか方便だったのだろうし)



「宗教改革の下地として人文主義があり、その系譜に啓蒙主義がある」ということで言うと人文主義 ← ヘレニズム的に東方からギリシャ哲学的思考が還流してきたということで1453年のコンスタンティノープルの陥落はここでも意味を持ってくる。

コンスタンティノープルの陥落の文化的影響としてはかつて東ローマに流出していたギリシャ・ローマ的思考や美、建築などといったものが再びヨーロッパに還ってきたことにあるだろう。それとは別に経済的影響としてはそれまでヴェネツィアが中心として築いていたオスマンを介したアジア貿易が衰退していったことにある、とされる。これと入れ替わりにスペイン・ポルトガル東インド新航路・新大陸発見のインパクト → 貿易主要港(都市)の変化(リスボンやブリュージュ→アントワープへ)があげられる。

ただ、経済的変化も文化的、あるいはイデオロギー的変化と同じく1453年を境にいきなり「近世」的な先進性をもつようになったわけではない。

経済、商業面でいえば1453年以降もヴェネツィアを中心とした地中海貿易と、リスボン(ポルトガル)・アントワープ(オランダ)を中心とした大西洋・東インド貿易のヨーロッパ貿易全体に占める割合はそんなに変わらなかったようだし。「新大陸発見によって見つかった新たな銀鉱の発掘がヨーロッパ貿易の中心をヴェネツィアからスペイン→アントワープへと代えていった」といっても南アメリカの新鉱山発掘からしばらく10年ぐらいはヴェネツィア-南ドイツ(フッガー家など)を中心とした銀鉱→銀の採掘量とそんなに同じぐらいの割合だったり。


中世末期・近世初頭のドイツ鉱山業と領邦国家(瀬原義生)PDF ※1
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/585pdf/sehara.pdf





こういう流れが数字的に変わるのはおーざっぱには16〜17cのヨーロッパの急激な人口爆発のころ。人口が増加した理由はよくわかってないらしいんだけど、急激な人口増加で食糧と木材が不足にな。このときヴェネツィアの従来の貿易ルートからでは十分な食糧と造船などに使う木材を確保→供給できなかった。それに対してアントワープではバルト海貿易の権益を抑えることでまず食糧(ポーランド産穀物 + ニシン、タラなど)をそしてスウェーデン経由で木材、武器貿易用の武器の材料を集められた。ここで貿易の中心地が移ったと言われる。

このとき相関するように新大陸の銀鉱の採掘総量がヨーロッパの総量に比べて4倍以上になっているので一概に「オランダにヘゲモニーが移ったのは、スペイン・ハプスブルクによる新大陸銀鉱の影響(価格革命)に依るのではなく、食糧危機が起こった際に食糧を集められたからだ」ともいえないかと思うけど、とりあえずここで交換に必要な要素である貨幣(のもとの地金)とモノ(食糧など)の両方の中心がヴェネツィアからアントワープに移った。




このようにして経済の中心地が移行していくのに従って、ヨーロッパはそれまでの資本主義とは異なった規模と性格の資本主義(プランテーションや工場労働、それらを支える投資・金融)、自家増殖・無限増殖型の資本主義を作り上げていった。また経済の中心地の以降にともなって思想の中心地も移行していった



▽啓蒙主義、革命、国民国家をめぐる誤謬  〜資本主義は帝国主義を当然としない?


後期人文主義(1490) → メディチ(フィレンツェ)、ボルジア(スペイン・ローマ)の時代


北方ルネサンス・人文主義:エラスムス、トマス・モア15-16c(1478〜1530)
http://bit.ly/JetYuB
http://bit.ly/Jeu0m2

宗教改革 1517〜28〜
http://bit.ly/nRMpOS

↓ ブルジョワ化

啓蒙主義(17後〜18cイギリスから)1680〜1780
http://bit.ly/JetRiE



これらの啓蒙主義に至る歴史は従来、「旧来のローマ・カトリックとそれを包み込む政治空間の中からできあがっていったイデオロギー(蒙)を啓くべく昔の自由主義が参照されていった」、とされるものだと思うんだけど、実質的に王権や教皇権などといったアンシャンレジームに対して商人が思考し対抗していく際の道具立てとしてどれぐらい有効だったのだろう?

実際に金融や商業などによって権力の中心にいたメディチやフッガー、あるいはボルジアなどにとって「ローマ・カトリックを中心とした教えは汚れている」などということは当たり前のことで、「そういった空間を利用してどれだけ自分たちが権勢を高めていけるか?」ということが彼らの主目的だったのだろう。だから「理性主義によって蒙を啓く」というのは、部外者に向けてのアジテーションやプロパガンダの表象としては便利だったかもしれないけど、当事者であるメディチやボルジアにとってはほとんど意味を持たなかったのではないか?むしろ「それを言ってしまうとKY的に権力中枢から外されるので黙っておこう」ぐらいの言わずもがな。


フランス革命なんかのベタな説明見てると「特権的第二身分までに代わってブルジョワが政治空間で発言力を持つようになっていった」+「第三身分が発言力を持つようになった背景には啓蒙主義による理論武装があった」みたいなのがあるように思うけど実際は逆の順序で、人文・啓蒙主義以前に商人たちが経済力を身につけていく過程で必要な東方伝来の実践的な知や思考を身につけていき、アンシャンレジーム的な主義や思考が結果的に相対化されていったのだろう。

それらは16世紀文化革命の流れにあり、商人や学者のほか職人など非ブルジョワな実際家の仕事の用として広がっていったわけだけど、ブルジョワ的な思想史では人文主義や啓蒙主義が目立つのみでそういったものが取り上げられないように思われる。神学やキリスト教的思考や知識を相対化するために編み出されていった人文主義や啓蒙主義とは別の思考、一部のブルジョワ向け人文哲学思考とは別の実践知とそこから編み出されていった思考や精神の体系


山本義隆、2007、「16世紀文化革命 1」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/229813934.html?1318389838


産業技術や商業・金融技術、あるいは軍事・科学技術が生まれていった背景としては俗語革命を基盤とした数式や形式的合理主義的思考の運用があった。それらに基づき近代ヨーロッパはより複雑で大きな数、金、エネルギーを扱えるようになっていった。


そういった実践的リアリズムに基づいた思考と実践からすると、啓蒙主義というのは結果的に一部プチブルの利益誘導のためのイデオロギー的側面があったのではないか。なにせ革命が終わった後に利益を得ていたのはプチブルだけで、プロレタアートな平民は依然として貧乏だったわけだし。フランス革命もその背景としてはオランダに叶わなかった英仏国内で不況→不満が生じ、そのストレスのガス抜きとして生じた一過性の暴力革命のように思える。農民などの平民は不満のターゲットを設定されてうまいこと乗せられただけだったのかもしれない。もっともネタがベタになってその後のブルジョワ革命まで持続的な大義・中心言説として機能し、そこから「平等」的思考が展開され、より民主的な方向へと政体が変化することへ影響した面もあっただろうけど。

ともかくも英仏の2つの市民革命が絶対王政的中央集権と交差し国民国家という半全体主義への道に通じていく。

従来の政治学だと「このように北方ドイツ、イタリアでは王権が弱く都市国家が多かったので中央集権できなかった」みたいな言い方がされる。しかしフランス革命や国民国家の帰結を思うと「できなかった」というよりは「ならずに済んだ」ともいえるかもしれない。英仏に重商主義や農本主義があったことが当時のオランダのヘゲモニーに対して英仏が焦っていたことの証左ともなるだろう。オランダという経済中心主義の国家連合に対してなんかしらないけど「?あれ?なんかうまくいかないぞ? こっちも(軍事だけではなく)商売も重んじてみるか」って保護貿易に走ったのが重商主義であり、農本主義もその亜流といえる。彼らが勘違いしていたのは自由経済・貿易を選択するのではなく、経済を理解しないまま国が経済を保護・操作しようとし、その決断の失敗を補填するように戦争を選択していったことだろう。重商主義といいつつもけっきょくは戦争が基点となっていたという点。それは前時代の領土略取的思考の延長にあるといえる。

しかしこの時代はまだ戦争という選択肢に対して現在ほど縛りがなく、かつ有効性をもった政策であったため戦争に注力するようなシステムに国家組織を集中することでヘゲモニーの転換がはかれたのだろう。絶対王政に基づいた指令のピラミッド化、中央集権、国民国家、税制の強化、徴兵制(銃後の兵も皆兵に)、帝国主義という半総力戦の流れは、前近代的な土地=略取モデルの最後の徒花だったのではなかろうか。


そういった軍国主義的なものに対して、17cのオランダ都市国家同盟は経済的なヘゲモニーがはたらいていたため自由な貿易と経済を展開でき、それに基づいて商業的自治権が固まっていたので中央集権する必要がなかった。もしくは高度に複雑化した商業組織・制度運営が複数に自律していたために、いまさら一つの組織体として中央集権しても効率が悪かったため、ピラミッド構造として中央集権するのではなく、権力をネットワーク化し指令のミスというリスクを分散していたのではないか?


ここで啓蒙主義の掲げる「自由」ということに関して、特に啓蒙主義を掲げていなかった商人を中心とした都市国家同盟のことを思うと中央集権型の国家に比べてよほどローマ・カトリックの教えを相対化し、自らの頭で考え行動し、自由な貿易・商売ができていたのではなからろうかと思う。身分制・階級制などといった自由度の低い組織制の印象も特になく、領域を統べる首長のプライドや人間関係、恣意性などに左右されるところも従来の領域国家に比べれば少なかったように思えるし。

中央集権になれば一定の方針がその時代に適している場合、たとえば「税金を奪取して軍備につぎ込み戦争に勝つ」という方針がその時代にマッチしていれば有利だろうけど、そもそも「戦争をする」ということがひどく不経済なわけだし…。

それに対しては<資本主義は戦争とともに発達してきた>(ゾンバルト)とする見方もあるかもだけど、これは戦争が経済のオプションとして、「昔は戦争という経営選択をとることが他国からも当然とされていたため」、資本主義を牽引する主要アクター(商人)も戦争を前提とし、国家が戦争を選択しても利益をとらるように行動選択をしてきた結果的なもの、といえるか。要するに「まだ世界経済的にも国家経営的にも未完成な時代だったので、戦争という短絡がとられていた」時代があり、そういった時代には中央集権は便利だったのだろう、と考えられる。


イギリスのヘゲモニーとオランダのヘゲモニーの違いは、あるいは「かつてのオランダの状態はヘゲモニーと呼べるのか?」という議論もあるが、そういった議論も含めて両者のヘゲモニーの質的な違いにあるように思われる。

「イギリス型のものが代表的なヘゲモニー状態であるとすると、たとえば英仏植民地戦争-1763パリ条約に代表されるように、ヘゲモニーは、<生産・商業・金融>という勝ちパターンを握る初期段階で戦争を前提に生産面でのアドバンテージをとらなければ成り立たないような、世界経済としては未成熟段階的なものではないか?」という疑問がもたげる。対して、オランダ型のものは生産面でのアドバンテージにおいても戦争を特に条件としない。このことから同じヘゲモニーという言葉でくくられつつも両者の間に質的な違いが浮かび上がる。あるいはヘゲモニー=(軍事的威力による強制を伴わない間接的)覇権にもいくつかの種類があるのではないか?もしくは、そもそもヘゲモニーという未完成な概念でくくる必要があるのか?

その辺りの違いに軍事・経済といったパワーポリティクス的要素だけでは測りきれない文化的要素としてグラムシが従来つかっていた意味でのヘゲモニーという言葉が指す領域が絡んでくるのかもしれない。グラムシ的にはヘゲモニー、ウォーラースティン風にいえばジオカルチュア、ウェーバー的にはエートスといわれる領域。政治体制のいしずえとなるような政治的インセンティブ(大義)を構成する精神と、それらにもとづいてつくられた政治制度や政治制度の素となるような思想・教育(ex.文化教育、市民社会、民主主義)。

そういったジオカルチュアの構成の変化が政治的大義の変化としてあらわれ政治的決断の最終決定のよすがとなっていたのだろう。具体的にはキリスト教的大義から近代国家的大義への変化、近代国家的大義のなかでも「国家的大義の初期としての神授された王権の霊威を受け継ぐ国家の大義」と「商人的自由主義という大義」の相違。そういった違いがそれぞれの国家幻想のいしずえとなり、それをもとに国家体制がつくられ、時として戦争という選択肢もとられても大義のもとに賛同を得ていった。


以上から絶対王政や中央集権、国民国家やそれらの部分条件としての啓蒙主義も「合理主義」や「近代」に向かって絶対に必要だったものではなかったように思われる。それらは戦争がまだ優位な選択であった時代に適した選択肢であっただけで、一定の偶然が絡みつつそれが成功し、相対的に勝ちパターンに達したというだけだったのだろう。

そこからすると啓蒙主義や中央集権、国民国家を歴史の必然とする考え方は、パクス・ブリタニカ時代のイギリスの覇権を<進歩>として後付け的に正統化するためのアングロサクソンを中心とした進歩史観だった、ともいえるかも。





▽ウェストファリア条約を政治史側面からというよりは経済史側面からの近代化の記念碑としてみる



そういった視点から見ると80年戦争、ウェストファリア条約の意義もまた違ったものに見える。

ウェストファリア条約はおーざっぱにはハプスブルク神聖ローマ帝国と教皇権からの他の国の独立(主権確立)であり、それまで父なるキリスト教の家に同居していた兄弟が巣立っていった記念碑と思えるけど、そもそもあの戦争が生じた大きな流れとしてはあらたな都市国家と商人同盟勢力(ネーデルラント→ユトレヒト)がそれまでの皇帝権やその御用同盟(ハンザ)からより自由になることを目指したことにある。

皇帝や王、あるいは教皇といったカトリックの宗主たちがプロテスタント系商人資本にきつく当たったのは、宗旨が違うということもあるだろうが、自分たちが商人に莫大な借金を負っていたことからの引け目もあったのではないか?そこからすると80年戦争は「領邦国家による主権独立の記念碑」のみならず「商人(資本、ブルジョワ)が王や教皇、皇帝といったところからより自由になれた記念碑」ともいえる。それは単にオランダによるスペインからの独立戦争というだけではなく…。

背景として、大航海時代の到来から株式会社が設立され投資先が増え、同時期に新大陸からの銀鉱増加、人口増加に対応してヒト・モノ・カネ(商業)の規模が増え、複雑化し商人のプレゼンスが増したことなども考えられる。

英仏の重商主義はネーデルラント→ユトレヒトに代表されるこのような商人力の台頭についていけなかったことからの対抗策、国家を上げての対商人主義であった、のでは?


商業や金融をもとにどのようにして商人が力をつけ宗主(皇帝、王、教皇、領邦諸侯)の首根っこを握るようになったか。



ここに至るまで「近世→近代化は商業化」みたいな見方、中世のヨーロッパ経済についてはレーリヒの「中世の世界経済」辺りがスタンダードのようだからぼけーっと復習していこう








(借りにくいけど。。)


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※1:「中世末期・近世初頭のドイツ鉱山業と領邦国家」(瀬原義生)PDF

太陽の没せぬ国の頃のスペイン・ハプスブルク、カール5世は南ドイツの大商人フッガー家などに対する独占非難の勅令を出す。鉱山独占非難についての勅令。

当時のヨーロッパの鉱山はケルン周辺・エルベ川流域(プラハ北)・イン川南に広がっていた。具体的な地名としてはマンツフェルト・南ザクセン・ボヘミア・ドイツ(シュヴァルツシルト、ティロル)・ハンガリー辺り。

国は貨幣鋳造用の地金を廉価で購入→地金と造幣金額の差が大きな国庫収入になっていた。ほかに鉱山保有権(税)が鉱山保有者から支払われ後の十分の一税につながる。

商人の方の利益としては鉱物の先買権を利用した利ざや商売、プランテーション的な鉱山労働周辺の日用品販売の経済圏の構築などがあった。

先買権は金融とほぼ近い形でたとえば5グルデンで買った銀の先買権は最終的に10グルデンの価値→2グルデンの儲けに

これらであがった利益でフッガー家などが戦争材用の銅を買い付けたりしていた。

鉱山労働はほぼ工場労働やプランテーションに近く労働者不満が溜まっていった

フッガー家のほぼ排他的ともいえる独占状態に対して南ドイツとヴェネツィア商人は連携して対フッガーラインを築く

フッガー家はヴェネツィアへの銅輸出を禁じられアントウェルペンへ拠点を移すも、ハプスブルクの没落とともに衰退していった








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近世における世界の一体化 - Wikipedia
http://bit.ly/HTnIBZ

この時代の国際関係史、出来事表としては分かりやすいけど、新大陸銀鉱発見からの価格革命中心な感じ。「新大陸の銀発掘が地中海からバルト海沿岸にヨーロッパの貿易拠点を移させた要因となった」とする価格革命は現在あまり信ぴょう性がないみたい。オランダのスタートダッシュに関わるバルト海貿易への記述もない




80年戦争、あるいはオランダヘゲモニーへの経済史的背景として(仮) - Togetter
http://togetter.com/li/290952

※ヴェネツィア+南ドイツからブリュージュ、アントワープ、アムステルダムに移っていった流れに関するちょっとしたメモ。銀鉱の中心地、基軸通貨の中心の変動、フッガー、




「ヨーロッパ中世の手工業と商業(瀬原義生)」
http://t.co/f3Xe4O3G
http://t.co/IDQjPG6H
http://t.co/gZS1yaqg

※フッガー、ウェルザーなど



基軸通貨(商業中心地)の流れ
http://www.onyx.dti.ne.jp/sissi/erz-143.htm

グルデン(フィレンツェ、1252〜)→ターラー(チロル、1486〜)→ターラー(ボヘミア、1520) 以後、当時のオーストリア系銀貨は「ターラー」




なぜ、オランダは17cになって急にイタリア都市国家に代るようになったのか? - Togetter
http://togetter.com/li/289478


※ヴェネツィアからアントワープ、アムステルダムに商業中心地が移る経緯を複数から。フランドル・ブルゴーニュ公が絡んでブリュージュが開発されていったことからの流れぽい。まだ途中なので以下でバルト海貿易との関係とか確認しつつ









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※蔑視の対象だった商人への視線が肯定へと転換していくトポスの変容。利息関連、近代的銀鉱の源流モンデ・ディ・ピエタの設立までの商業精神史


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※14半〜15c初のトスカーナの商人・商業の実態が知れるもの。羊毛工業→商業→国際的大商社、金融業 に関わっていた商人のプライベートライフについて



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2012年04月19日

現代において革命が生じる条件とは?(仮)

なんかもぞもぞ溜まってるのがとれないのでメモ。本来ならエントリ前のメモ丁度なのでいつもにも増して粗い


革命発生の3つの条件〜フランス革命の背景まとめ | Kousyoublog
http://kousyoublog.jp/?eid=2598


既存体制の衰退

暴動(民衆蜂起)

新しい政治集団になりうるものが存在すること




ここであげられてる3つの要因がそれぞれの項のタイトルとしてあげられていることに対してなぜ腑に落ちないのか?と自問したところ、「これはフランス革命という事例における現象面をみたものであって、革命一般の構造的要因を見た見解ではないから」と結論。
より具体的には<啓蒙主義(上部構造)の意識浸透の結果>というところが暗に示されているように感じられた、のに対して自分的に経済的理由(下部構造)を推す。

以下、「革命一般の構造的要因」について、現在の手持ち札から自分なりに考える



構造面では?:

不況(cf.世界経済との関係)

新しい政治集団になりうるものが不況の原因を旧体制に求める

新しい政治集団が暴動に参加、もしくは支持。新しい政治集団が生まれる経済的土壌の変化

経済的土壌変化が生じる経済ルールの変化(cf.「土地(レント - 第二身分まで)から産業資本へ(貨幣・金融 - ブルジョワ)」)

イデオロギー(ジオカルチュア)面での変化




※主に世界経済との関係からの不況説明

「フランス革命の背景と第三身分(平民)の興隆」あたりについてのよもやま噺 - Togetter
http://togetter.com/li/288664







フランス革命:
<啓蒙主義(イデオロギーの変化)が牽引したのか、経済的不満が牽引したのか?> → 両方だけどどっちがより強い要因か


<(プチ)ブルが牽引したのか?農民など基本的に資本をもたない平民が牽引したのか?> → 両方だけどどっちがより強い要因か

※農民など資本をもたない平民、プチブル文化資本とつながる啓蒙主義のようなものと関係なければ現代でも革命の兆しがあるかも、だが







(世界システム内での位置変化:次代のヘゲモニーの基点となる資源争い(←金融資本の取り込み ※1)に敗れる)



不況 → <既存の政体とイデオロギーでは豊かさを維持できない>と判断される

※判断された背景としては、既存のイデオロギーに対してあたらしいイデオロギーの台頭していたから。(ジオカルチャー(世界経済を支えるイデオロギー)、エートス?の変化 )

ex.啓蒙主義 ←ルネサンス・ヘレニズム・東方からの影響、俗語革命の影響で啓蒙主義がでてきた流れもあるか? →調 16世紀文化革命あたり?)






既存の政体とそのサブシステム内での階級固定 ← 不満(具体的なターゲットとしては「第二身分までの税制免除」が挙げられる)  → 階級変化の兆し




※政体的な階級差と違う面、経済的な面で階級変化の兆しがでてきていた。経済的な階級変化が意思決定面での変化につながっていく
(←経済体制の変化を受けた経済構造の変化、近代型資本主義の台頭)







経済ルール(構造)の変化    

はじめに暴力革命があるにせよないにせよ、革命が持続するにはその時代の新興成金を取り込んだ階級変化が必要
(cf.チュニジア「革命」は持続しない)

→ 経済的身分差の変化が政治的発言力の変化に反映



平民による政治革命が生じなくても、中核あるいは準中核国における新興ブルジョワ・プチブルを基点とした経済革命が生じ、そこからの国際的流れとしてヘゲモニーが変わる可能性はあるか





※1

日本の場合はバブル期に金融資本の取り込みはできていたはずだけどなぜかヘゲモニーをとれなかった。有効投資先をみつけられなかったからか、それともインフレを御せれなかったからかよくわからないけど、そのあたりの説明がここら辺で成されてるかどうか cf.山下範久

世界システム論で読む日本 (講談社選書メチエ)
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もしくは、ヘゲモニーシフトの際の金融資本の移転はインフレの御し方となにか関係があるのか?歴史的にどうか? cf.飯田靖俊

歴史が教えるマネーの理論
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スペイン銀鉱発掘→価格革命については載ってる。あと第一次世界大戦後のハイパーインフレ(cf.アメリカとの関係)







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途中で革命の要因考えてるのかヘゲモニーシフトの要因考えてるのか混ざってきてるけど、


ヘゲモニーシフトの要因¥戦争

             ¥革命

             ¥インフレなど


がある感じか


posted by m_um_u at 18:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2012年04月14日

(自分的に)古代から近世終わりまでの見所復習


たまには久々にお習字的に



休んでる間も相変わらず世界史には興味持ってて流れで歴史小説とかハプスブルクとか100年戦争あたり見てたんだけど、流れで歴史物に興味持ってるので「?あれ?そもそもどういう関心だったっけ?」と思い、新しい鉱脈読み進める前にいちおブックマーク的にまとめとこう。



(現在はどうか分かんないけど)学校の世界史の授業、重大事件とか重要人物、年号の羅列と暗記的なものだと分かりにくいような、「ナニがドウなってこういう結果になった」って歴史的事柄の意味、関係性を物語ってくれるようなもの。最近の関心はそういうものだったのだなぁ、ってあらためて。

その中でも代表的なものとして、<なぜ、科学や資本主義を基本とした市場経済で西ヨーロッパは覇権をとっていったのか?>、というのがある。

ヨーロッパなんかは世界史的に見れば弱小なところで、古代でもローマが興隆するまでは東方騎馬民族や北方のゲルマン、海賊やらに脅かされていたし、中世に入っても北方からの海賊、東のオスマントルコなんかにやられてきた。オスマンに関していえば近世ぐらいまではずーっとやられてきたわけだし。。

なので、「中央アジアや中東に遅れをとってきたヨーロッパがいつの間に?」、ってなる。

そういうのに対しては「火薬と羅針盤ゲットして大航海時代、植民地とってきてなんか産業革命してるうちに科学で先行して(∩´∀`)∩ワーイ ヨーロッパは神に祝福された土地だからハッテンして当然だったもんねー」みたいなのがなんとなくの理解なんだけど、、それだと「なんで植民地とれたんや?」とか「なんで産業革命できたんや?」「なんで科学根付いたんや?」とかの疑問は説明されてない。

なので、その辺も含めて「ナニがドウなってこういう結果になった」って説明が欲しくて世界史見直してる、というか、歴史を見直す中で普遍的パターンを見出して現代に適応できないかなぁ、って思ってるわけだけど。まぁ社会システムの歴史的考察みたいなの。そのあたりの関心で世界システム論とかぶるんだろけど、世界システム論だと世界経済システムが中心で軍事史のほうの理由は弱いように思い不満だったり。なので最近見つけたW.H.マクニールというのは鉱脈だったなぁ、と。マクニールだと「ナニがドウなってこういう結果になった」って説明がありそうなので(ヨーロッパ中心でもなく、中国やらオセアニア、インドも含めた世界の関係性の連関から)。ただ、ウォーラスティンやその元ネタのブローデルも「ナニがドウなってこういう結果になった」って説明を他の角度からしてくれてるみたいなので地味に見ていきたいなぁ


まぁ、なので未読段階でぐちゃぐちゃいうよりもそれらを読んでいって「覚えきれないところ」「書き出さないと自分の中でうまく整理できないな」ってところだけblogにでもしてけばいいのだろうけど。とりあえずおーざっぱなヨーロッパ史(つか、世界史からんだヨーロッパ史)の流れみたいなのでできるだけ資料見ないで書いてみよう。


以前にいちおまとめたのがこの辺


ヨーロッパ中世から近世の終わりまでのおーざっぱな流れ: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/223715899.html


「古代」だとペルシャがまず強くて、それに対してギリシャとかスパルタがバルカン半島ら辺りでワタワタしてて… そこからしばらくしてほかの民族からは見捨てられてたマイナーな土地からローマが興隆していく。ローマなんかも最初は弱小だったけど、エトルリアとかギリシャとかほかの国の良いところを取り入れてなんとなく強くなっていった(@塩野七生)



(ローマはあまり見てないので飛ばすとして)そんな感じで共和制から帝政経て経済・人口・行政・軍事のバランスがうまく保てなくなったローマが瓦解、西と東の2つに分かれる。そのうち東はそのまま独立してて東ローマとかビザンツ帝国とかになってったんだけど、西ローマは事実上瓦解、後ろ盾を失ったローマ教皇庁が困る。デーン人とか来るし…。ここで北のほうでけっこうな版図を誇っていたフランク王国に頼ることになる。フランク王国も相続問題で国が分かれて西・真ん中・東の3つになる。ネウストリア(セーヌ流域)、ブルグント、アウストラシア(イン側流域)、それぞれ、フランス、イタリア、ドイツの基礎となる。ブルグントはブルゴーニュだけど、アウストラシアなんかもそのまんまオーストリアなんだろか?…まぁそれはいいとして、この内、東フランクのカール大帝がローマ教皇庁の求めに応じてローマに上洛、西ローマ帝国皇帝として戴冠する。と言っても、この頃にはまだ東ローマがあったわけだし、その意味ではほんとのローマ正統は東ローマだったのでローマ皇帝とはいっても偽ものだったのだけど…。ともあれ、「ローマ」の継承が成されて「中世」がはじまる。800年ぐらい。

(神聖)ローマ帝国と並行するように、セルジューク朝(トルコ)をいつの間にかすっ飛ばしてオスマン帝国が興隆、ぢみに力をつけていく。(神聖)ローマ帝国(というか連邦)はそれと競うように発展していく。

東のほうはそんな感じで(神聖)ローマ帝国の皇帝を中心とした連邦国家 vs. オスマン帝国て感じだった。ちなみに「神聖ローマ」の「神聖」は「教皇にご免状もらってなくても最初から神聖なる霊性を備えた皇帝が統べる帝国」の意味らしく王権神授ぽい。教皇 vs 皇帝な叙任権闘争の流れから出てきたもの。「帝国」のほうも後世から見るとそこにつらなる国家(領邦)は特に絶対的忠誠誓ってたわけでもなく、封建領主として皇帝の意にそわないことも多々あったようなので「緩やかな連合」みたいなイメージぽい。オスマン帝国と同じ(か、オスマンのほうが中央集権できてたか)。

中世から近世終わりまでのこの時代の政体は、



神聖ローマ-皇帝      ローマ教皇庁-教皇


選帝侯           枢機卿





伯(公爵>伯爵>男爵)   司教


              司祭(司祭>助祭)



みたいな感じだった


最初に教皇庁がカール大帝に頼ったとき、諸侯から大王→皇帝という権威付けと引換にその要請を受けた。

中世というのは諸侯による下克上上等な暴力世界なので。封建しているからといって単なる土地と軍事出動の双務的契約関係なので裏切るし、二君に仕えたりもするし。なので、王や皇帝というのは常に諸侯による背反に手を焼いていた。そういった背反に対する権威付けとして皇帝の位は必要だった。

また、もう少し時代が下ってからは領邦を守り行政するための監督官として「伯」(日本の守護大名みたいなの?)を置いたのだけど、これらが相続のうちに自分たちの土地を拡大していって王権の対抗勢力になるのを恐れて、「一代限りの監督官」として司教を当てることとした。カトリック司教は妻帯できないので。

こうして皇帝側は司教を地方行政官として自由に叙任したくなったのだけどそれを教皇庁側は許さず、また「皇帝の戴冠も教皇が司る(=皇帝より教皇のほうが上)」としたため「世界のほんとうの王」の座をめぐって皇帝-教皇間の叙任権闘争がつづいていくこととなる(cf.カノッサの屈辱、アヴィニヨン捕囚、薔薇の名前)。この叙任権を基本としつつ実質は荘園や王権などの相続権をめぐった駆け引きが王や諸侯も巻き込んで続いていく。ちなみに司教など坊さんも荘園持つことできて、大司教なんかは実質的には大公みたいなものだから大貴族の次男なんかがなってた。なので「神学を修めて司教になる」は単に「坊さんになる」というよりは政治的な意味があった(cf.「チェーザレ」)


「主権」というのはこういった叙任権やらをめぐって「一定の領邦(cf.国)」に対して皇帝やら教皇やらに文句言わさない、って権利。「オレの縄張りについては他の国から文句言わさない」っていってもいいけど。


しばらく時代が下ると「俗界の王としての皇帝は教皇の叙任を待たず」みたいな感じで皇帝は8人の大貴族や司教による選帝侯から選ばれるようになった(cf.金印勅書)。同様に教皇は枢機卿によるコンクラーヴェによって選ばれる。枢機卿は教皇庁の実質的な行政の最高長官、大臣、外交官みたいなものか。後にリシュリューやらマザランやらがフランスに輸出される。



その他、社会保障-弱者救済のNGOとか、知識・文化の中心として教会が機能してたところもあったのだろうけど



そんな感じでゆるやかに「キリスト教連邦」みたいなのが外枠を包み、その下に「神聖ローマ(元東フランク)帝国領」「西フランク王国領」「ブルゴーニュ-フランドルライン」みたいなのがあり、それらを皇帝や王が封建的に統べ、公爵や伯爵が下克上を狙う。皇帝や王はそれらに対抗するために「特権」を付与する代わりに有力商人や他の貴族、坊主の協力を仰いだ。


そういったヨーロッパ政体システムの相転移みたいな形でオスマン帝国の政体があった。あるいはその逆にオスマンの相転移がヨーロッパのシステムだったか。



なので教科書的に有名な中世の大きな事件というのは「夷狄」「異端」「相続」「新しい領土」なんかに絡む。たぶん、この時代は農業が産業の中心だったから「土地(荘園)」と「人口」=「財産」て感じでほかに財産的なものがなかったので、そのあたりをめぐっての争いが中心になったのだろう。


「夷狄」であり「異端」だったのがオスマン帝国との戦い。十字軍は基本的にオスマンとの争いだったが、東ローマの都コンスタンティノープルの陥落をもって一旦「中世」は閉じる。

「異端」という名のもとに十字軍を派遣しヨーロッパ内の新たな領土統合になっていったのがカタリ(アルビジョア)派討伐とフス戦争だったかな。カタリ派にしてもフス派にしても特に悪魔信仰というわけでもなく、当時、俗に腐敗しきっていたローマ・カトリックに対して原理主義的清貧を説いただけのようだったので後のルター派やカルヴァン派の宗教改革とそんなに違いがなかったように思うんだけど、あの時代では「異端」とされて潰された。多分この辺はそこで語られていた内容の是非ではなく、当時の政治経済的背景から「異端」ということで周りが合意し、戦争を起こして分捕ることで領土を増やそうとしたのだと思う。実際、アルビジョア十字軍の意義は、異端討伐というよりはそれまで手つかずだった南フランス(オクシタニア)地方をフランスが統合できたところにあるようだし、フス派のボスニア(チェコ西)は当時のヨーロッパの銀鉱山の中心だったし。

「相続」に絡んだイチャモンとして有名なのはいわゆる「英仏100年戦争」。100年戦争というのは後世に付けられた便宜的な呼び方で、当時戦ってる人たちにはそういう意識もなかったのだろうけど。発端としてはフランスの西海岸、ブルターニュ・アキテーヌ辺りの相続権問題。当時は政略結婚で近親相姦上等だったんだけど、本来禁じられていたそれを金の力で教皇庁にゴリ押ししつつ、「なんかイケそう」ってときになると外側から「オレのほうがそこを相続する正統な権利がある」といってみたり…。100年戦争ももともとはフランス西海岸の相続権問題だったり、あるいはもっと古い「ノルマンディー公の領土としてのイングランド」絡みな話が掘り起こされたり。イングランド側が「あそこの嫁と結婚してるからアキテーヌの相続権はオレのもの」といえばフランス側が「っつーか、そもそもイングランドはノルマンディ公領だからフランスの領土だろ?」みたいなこといって、逆にイングランドとしても血筋的にフランスの王としての権利みたいなのを主張してぐちゃぐちゃになってたんじゃないかな。。(うろ覚えだけど) なにせ近親相姦上等だから主要王族は兄弟的な感じだったし。 そんでまぁぐちゃぐちゃ長々と継承権戦争、つかなんのために戦争してるのかも忘れた頃にようやくフランスが最後の戦争に勝ってアキテーヌもブルターニュもフランスのものにした。あと、この戦争で騎馬戦術に対する長弓戦術が確立されて行ったり。

なので、俯瞰で見るとハプスブルク神聖ローマ帝国を中心とした連邦がオスマンと戦っていたのに対して、フランスはイングランドほかと戦う中でうまいこと自分の領土を西と南に拡大していった時期だったといえるかも。まぁ、その後ハプスブルクはスペインと婚姻し、うまいこと新大陸の銀鉱やフランドル地方の毛織物技術をゲットしたのだけど…(ブルゴーニュ以外かな)



教科書的にはその辺が中世の重大事件なのだろけど、そういった政体絡みの事件よりも重要だったように思えるのが農業や軍事技術上の革新。

中世はペストなんかで大幅に人口削られたけど、レンズ豆の開発で一旦落ち込んだ人口が回復、さらに倍みたいになったり。あと、麦なんかもあるのかな?まぁ、この辺はマクニールの読むけど

軍事的には馬の鐙(アブミ)が開発されたことで両手を離して馬に乗れるようになり、馬に乗ったまま槍で突っ込むランスチャージ戦法が戦争の中心になった。もそっと正確には「両手を離して馬に乗れるようになり」というよりは「ランスチャージ後の反発衝撃を鐙で受け止められる様になったので、振り落とされず全力突撃できるようになった」。



そんで、コンスタンティノープルの陥落で「近世」になっていくのだろうけど、この時代は政体的には宗教改革が中心事件となっていく。というか、宗教改革を発端とした「ローマ教皇庁-神聖ローマ帝国」の旧体制(アンシャンレジーム)からの脱却。なので「ハプスブルク=神聖ローマ帝国の黄昏」と「絶対王政の確立」辺りが近世の終わり。その意味で30年戦争の決着(ウェストファーレン(ウェストファリア)条約)が「近世の終わり」的なメルクマールになるかと思うんだけど、ウェストファリア条約が結ばれたからといって即神聖ローマ帝国が瓦解したわけではないし、教皇庁の影響力もある程度健在だった。ウェストファリア以降の様子は「ハプスブルクの宝剣」でも描かれれていてハプスブルク-神聖ローマは健在だったし。 

これはあくまで従来の「近世」などの区切りが政体を中心とした話であって、経済や技術などの区切りに依ってないからのように思う。なので、実質的に時代の変化(エポック)としてインパクトがあったことと、いちお教科書的大事件として扱われることに差が出てしまうのかも。なので経済史(世界システム論の歴史観とか)、農業史、軍事史など、なにを中心として見るかによって時代区分は異なってくる。


「近世にあったこと」でふたたびつづけていくと、農業的には三ぽ制とかこの辺だったかな?(うろ覚えで余り覚えてない。レンズ豆の時期だったかも。まぁマクニールのみつつ復習するし) まぁとりあえず農業技術が上がると人口増える。


経済的にはスペインの新大陸-銀鉱発見による貨幣鋳造量の増加が資本主義経済の礎になったみたい。それまではオスマンのほうが商業的にも優れていたようなんだけど、銀が足りなかったので貨幣を多く作れずにデフレかなんかでモノがうまく回らず。対して貨幣を多く作れるようになったヨーロッパでは、人口増加にあわせてモノをどんどんつくっても経済的に勘定が回るようになった。(この辺の事情はヴェネツィア辺りの話に詳しいのだろうか。。) これで貨幣経済や資本主義、市場経済が回るように。


軍事的には長弓と長槍と軽量歩兵の混合運用がランスチャージを破っていった。

これらは独立運用ではなく軽量歩兵と合わせて、騎士の攻撃をそらしふせぎ(軽量歩兵)組織的近接防衛で槍で絡めたり叩き落としたりして足止め(パイク兵)長弓で狙い撃つ、という運用だった。長槍はローマのファランクス(密集)戦術の改良(ex.スイス・パイク兵、スペイン・テルシオ、マウリッツ方式、グスタフ・アドルフ方式)、長弓・長槍ともに農民兵から生まれていった。このように騎兵のランスチャージへの対抗戦術が増え、戦場における騎兵-騎士のプレゼンスが下がっていった。

この時代、騎士は従者などを含めて6人の戦闘員が必要で、騎士=最低5人の戦闘員をオプションする封建領主って感じだったんだけど、ランスチャージ戦術のプレゼンスが下がっていったということはそのまま封建領主の権勢が下がっていったことと相関する。対して、王は特権と引換に商人から借り入れた金で傭兵を雇い諸侯に差をつけていった。


また、王は常備軍を養うことで、あるいは養うために税制を確立させていった。それまで封建領主への年貢みたいなのはあったのだろうけど、定期的な税が当然ではなかった領民に、「王による税は当然」としたのがシャルル5世。これは「イングランドとの戦争のために非常時ゆえにやむなく」というのが最初だったのだろうけど、税によって王が常備軍を組織することが可能となっていった。ちなみに常備軍と傭兵では士気や戦術理解的にも格段の差がある。シャルル5世のときのベルトラン・デュ・ゲクランなんかは2000の常備兵(+封建領主の協力隊)で万の軍勢相手にできたようだし、オスマン帝国はヨーロッパに先んじてそれを取り入れていたのでヨーロッパに先行していたようだった(cf.イェニチェリと税制と中央集権)。常備軍によって戦力的に差を付けた王は中央集権を可能にし、封建諸侯に対して絶対王政として機能するはずだったけど。。フランス的にはちょっとコケる。近親相姦で阿呆のコが生まれていたので。けっきょくフランスの絶対王政は(戦争大好き)ルイ14世 と 官僚宰相コルベールによって達せられる。シャルル8世のときにも惜しかったように思うけど、税制を整えてなかったのかその後に続かなかった。

税制を中心とした「きちんと計画的に経済する」みたいな考えが「国家」て意識にも関係していったか。法制度と経理意識、それを基盤とした官僚制が行政にしっかり取り込まれていった(cf.コルベール辺り)


絶対王政(absolute monarchism)というのはなんか誤解しやすい言葉で、パッと聞くと「国内において王に逆らうことのないほどの強権的な中央集権」のように思えるけど、実質は社団国家だったらしい


絶対王政 - Wikipedia
http://bit.ly/IHQIhy



つまり、中世の公式「皇帝と教皇の勢力争い」+「諸侯の下克上」→「そこから抜け出るために皇帝や王は商人を利用する」なアレと同じく、「絶対王政」とはいいつつ封建的契約内容の対象を「騎士や諸侯に封土を与えることによって戦争時に騎士を派遣することを契約させる」ことから「商人ほか新興勢力に特権を付す(あるいは権利を許可する)ことによって金を出させる(それによって王は傭兵を雇ったり、常備軍を養ったりする)」ということに変えたみたい。いわば封建制度の「封土」の部分「権利」に変え、代価としての「武力」の部分を「金銭」やそれを持続的にもたらす「統治への協力」に変えたもの。背景としては資本主義と市場経済の発展や大航海時代の富によって商人ほかの一部の第三身分勢力が強くなっていたことが考えられる。

なので「絶対(absolute)王政」ってのはなんか変な感じがする。「土地封建からお金・統治協力封建へ(王はちょっと中央集権進んだ)」みたいな感じ。・・端的に「社団国家」でいいか。



あと、近世後期に入って行くと銃や砲などの火器が戦闘に使われるようになっていった。両方とも火薬を移入した結果だけど、この派生として弾道計算が必要となり関連する科学的知識(重力関連)が発達していく。



山本義隆、2007、「16世紀文化革命 1」
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/229813934.html


重力・引力関連というと火薬のほかに有名な羅針盤なんかも絡む。その中心の磁石-磁力というのはこの時代にはありえない力だった。「触れずに物体が動く」というのが考えられなかったから。なのでそのあたりのことはなるべく考えないように、あるいは神の存在に絡んで説明がつくようにされていたわけだけど(cf.「薔薇の名前」)、実践的な場で方位磁石を使う船乗りが磁石が一定の方角を指すときに常に少し斜めに傾くことに気づいた。これをもとに「地球ってもしかしたらまっすぐ平面なんじゃないんじゃないか?」って考え方が演繹されるようになった。


これらは神学的な考え方に対する科学的な考え方ってことだけど、そういった考え方が可能になっていったのは、アラビア圏から伝わった抽象言語「数字-数学」の影響があったか。恣意性の低い数字を用いることでより多くの数(より多くのエネルギー、資本の流れ)を扱えるようになった。

科学的知識、合理的考え方、あるいは理性に基づき自分で考える思考の下地となったものとして、数字と数学の他に俗語革命の影響も強かったのかもしれない。

それまでは知識というのはラテン語を中心に教会から聖書を通じてしか学べないものとされていたけれど、俗語の文字使用によって自分たちの経験知を反省し、相互共有し、演繹して思考を深め、実践的に確かめ記録していけるようになったこと。それらは宗教改革へと至る検証意識の礎を築いたし、啓蒙主義と呼ばれる理性主義へのきっかけともなっていったのだろう。


ただ、ルネサンスと呼ばれる文芸復興はよくわからないところがあるけど。あれは復興・再生ということだと「(中世の暗黒からの)ローマ(のような文化的豊かさへの)回帰」ということになるのだろうけど、たぶん俗語革命的な時代性も絡んでアラビア圏の知識の応用とヨーロッパ的知識の融合みたいなところがありそうな。透視図法関連の話はちょっと忘れたけどそんな感じじゃなかったかな。。まぁ「ヘレニズムはルネサンスに多大な影響を与えた」とかいうし。あと、やっぱ経済的に豊かになったからそういうのできたのだろうな、と(cf.メディチ銀行とか




この時代で一番重要だったのは「スペインの新大陸-銀鉱発見 → 資本主義経済の礎に」ということだったように思う。



この辺、ふつーは貨幣量上がるとインフレになるだけのように思うけど、


価格革命 - Wikipedia
http://bit.ly/InhWdF


価格革命(かかくかくめい、price revolution)とは、大航海時代以降の世界の一体化にともなって、16世紀半ば以降、メキシコ、ペルー、ボリビアなどアメリカ大陸(「新大陸」)から大量の貴金属(おもに銀)が流入したことや、かつては緩やかな結びつきであったヨーロッパ等各地の商業圏が結びついたこと(商業革命)で需要が大幅に拡大されたことで、全ヨーロッパの銀価が下落し、大幅な物価上昇(インフレーション)がみられた現象をさす。なお、川北稔は、価格革命の要因を16世紀西欧における人口急増に求めている[1]。

これにより、16世紀の西ヨーロッパは資本家的な企業経営にとってはきわめて有利な状況がうまれて、好況に沸き、商工業のいっそうの発展がもたらされたが、反面、固定した地代収入に依存し、何世代にもおよぶ長期契約で土地を貸し出す伝統を有していた諸侯・騎士などの封建領主層にはまったく不利な状況となって、領主のいっそうの没落を加速した。それに対し、東ヨーロッパでは、西欧の拡大する穀物需要に応えるために、かえって農奴制が強化され農場領主制と呼ばれる経営形態が進展した。

また、それまでの銀の主産地だった南ドイツの銀山を独占していた大富豪フッガー家や北イタリアの大商業資本の没落をもたらした。




結果的に落ち着き、その後のヨーロッパのジャンプアップにつながったということはマネーに見合う農業技術の革新、生産増加とかあったのだろうか?(東欧が西欧の食物庫になった、みたいに書いてあるけど)

あるいは、商業革命つか喜望峰ルート確立でオスマン帝国飛ばして商売できるようになったことでマネーに見合うモノを輸入できるようになったのか?


大航海時代 その9 商業革命と価格革命 - 今を知る為の歴史探求
http://blog.goo.ne.jp/abc88abc/e/d899f812e848ecca935642185c710f2f


それでも「人口養うだけの食料は?」って疑問は残るけど…プランテーション作物なんかが食料需要満たしていったのかのぅ。。





16世紀価格革命についての疑問(飯田泰之「歴史が教えるマネーの理論」) - 玄文講
http://d.hatena.ne.jp/under5/20070920/119098733


ここ的には「貨幣量の増加は南米の影響以前に中欧の銀採掘量が増えていたこともある。あと、貨幣の改鋳も増えた」ってある






とりあえずこれで「固定した地代収入に依存し、何世代にもおよぶ長期契約で土地を貸し出す伝統を有していた諸侯・騎士などの封建領主層にはまったく不利な状況とな」り、「資本家的な企業経営にとってはきわめて有利な状況がうまれて、好況に沸き、商工業のいっそうの発展がもたらされた」ってことなので、この時代の宗教改革が「異端」で片付けられずに影響力をもっていったのはこういった新興勢力の経済的台頭が背景にあったからではないかの。




ウォーラースティンの世界システム、世界経済の一体化論の見方は「経済基盤が地代収入から資本家的な企業経営に変わっていった」ということなんだけど、これによって「封建騎士的な『土地の地代収入のために戦争する』という考えから、企業経営に有利なリソースを獲得するために戦争も一手段として考える」という風に国家政策のパラダイムが変化したのだと思う。<戦争(暴力)から経済へ>っていうか<直接戦争して略取しなくても稼げることを意識して、戦争オプションを含んだ外交戦略を根本的に変える>というように。





アブミの時代から槍や飛び道具の時代へ変わることで騎士の時代が終わったように、土地とレント(地代)というモノを主な収入源とした時代から権利と資本という概念的なものに基づいた時代へ変わることで貴族から有力商人へと権力のイニシアティブが移っていったか





世界の一体化 - Wikipedia
http://bit.ly/HTnTNr




近世における世界の一体化 - Wikipedia
http://bit.ly/HTnIBZ











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関連:

学校「世界史」のわかりにくさと「歴史の見方」みたいな話
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/223226126.html


佐藤賢一、1999、「双頭の鷲」
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/223054960.html


「近代」と軍隊の官僚制
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/219164793.html



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2011年10月15日

意味と社会のあいだ  〜 理解社会学ら辺

ここしばらくの興味関心がなんか統合された感じなのでメモ的に



直近だとこの辺でうなうな言ってて


ゲゼルシャフトと母性  (あるいは日本的市民社会と母性の話) - Togetter
http://togetter.com/li/195808


「実存は本質に先立つ」 されど、秘蹟の価値は…? - Togetter
http://togetter.com/li/199311


独我論と言語と自意識と存在への予感(ネコ) - Togetter
http://togetter.com/li/199794



基本命題としては、「自他の境界がないとき、他も自もないのだから自己犠牲的利他行動をとってしまうのではないか?(そこからすると自己保全的利他意識というのは偽善であり欺瞞では?)」、ということだったんだけどすっ飛ばし過ぎなのでちょっと噛み砕いとこう。


まず最初に「ポストモダン的な野放図なエゴの氾濫というのは子供のワガママではないか?彼らは近代はすでに終わったというけど未だ近代は完成していない」ということからゲゼルシャフト的な価値と知識体系、およびそれのテクネーとしての反映を受けて生活が向上することを期待するということが基本線となる。科学+技術の発展と生活の関係、あるいは法制度やその収斂として?の国家の発展と生活の関係。

それに対して「システムと生活世界」的な視点から「政治経済システムの合理性によって生活世界の価値観および個人の実存-価値観が侵食されて行ってしまう」的な問題意識が生じるのだけれど、ではそういった「社会」と個々人の価値観との摺り合わせというか落とし所のようなものはなにか?

たとえば、家族や恋愛といった生活(親密圏)の問題も「社会」的規範がモデルとして援用されていくことがしばしばあるわけだけど、結果として個々人の自由が窮屈になって妨げられてるとあまり意味がないような。。だったら野放図にそれぞれのエゴを追求すればいいか?というとそれではどうも生活の満足が高まらない感じ。なので囚人のジレンマ的摺り合わせがいるのか?というところなんだけど…


そういう自動化された最大公約数的な流れに対して、人は個々人の価値に基づいた行動選択を主体的にしていくのではないか?その相互作用(コミュニケーション)を介してそれぞれの社会(「社会」の素)が作られていくのではないか?



<人の行動選択は既製の社会のコピーやゲーム的な自動化された機構ではない。主体としての意志が関わる>


という問題意識がこの辺



M.ウェーバー、1919、「職業としての政治」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/211827975.html


屈せざるものたち: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/212059486.html



大国 対 小国のような国家間のリアリスティックな物量差や、「神は死んだ」という圧倒的なアパシーを前にしても人は自らの意志で立ち運命を変えていく。


「システム」やそのサブディレクトリとしての規範や明示化された法は制度として屹立して当然化し、まるでハードなモノのように人に規範を強いる(物象化)こともあるのだろうけど、物象化しルーチンとして固まる以前のおぼろげな意味の交換が主体としての人のあり方であり、その資源としての意志と根っことなるような価値(エートス)があるということ。個々人間の意味の交換の集積が(制度以前の)社会を作っていく。




独我論的に言えば私を中心としたセカイと世界の関係(妥協?)は「同じ世界にいる」という幻想のもとに成り立っているように思う。論理的に突き詰めていけばどこまでいっても人は「この世が夢ではない」ということから確信を得られないし「目の前にあるモノや他人とされているものが、痛みや喜怒哀楽といった感触や感情でさえなんらかの刺激によって誘発された夢のようなもの」という認識から出られない。「夢と何となく違う」というのは蓋然的な感覚の違いだろうけど、「現実」として認識されている物自体が高次の自分からすると夢のようなものなのかもしれない。

だから<他者>というのもどこまでいってもフィクションなのだろう。存在と時間の関係と同じく。人はその瞬間瞬間に生成されまた消えていく。それでもなお変わらないもの(アイデンティティ)があり、それを中心にたましい(実存)が構成されていく。金剛界の「現実存在」として自らがアイデンティファイした「己」としての肉体と精神の構成。その認識を基本とし、外部からの刺激によってたましい(実存)が構成-了解されていく。「存在」としての「己」はもっと奥のほう、自他の境界のないところで人の基底になってる(のかな。


そして、おそらくそれが存在論的には正しい  (>そこからすると自己保全的利他意識というのは偽善であり欺瞞では?)しかし、「人」としては正しくないのだろう。あるいはエートスとしてはそこに甘んじない。


なぜこんな複雑な「自/他」の形式をとってるのかよくわからないんだけどそれは置くとして、とりあえずの認識としては「基本的に突き詰めれば独我なのだろうけど、それらがまた同じような円として交わるためにコミュニケーションがある」って感じ。言葉は不自由なものだからいろいろノイズがくっついたり、精確に自分の思いを表せなくて話がそれたり、相手の理解度もあって伝言ゲーム的に意味がズレて行ってしまうものだけど。とりあえず、そういう不自由なツールを介してとはいえ、意味の領域で理解が近づいていけば、独我の円はやがて重なっていく。


んでも、システムが複雑化し、システムとして安定すると言葉や制度が物象化され人の理解に慣性を作る。制度が再帰的に参照され「目の前の個人を理解する」ということが軽んじられていく。繰り返しになるけど人の生活というのはそういった制度と個々人の実存の間に作られていくものだと思う。近代的「市民」というのはそういうものなのだろう。たとえ科学(エピステーメー)的に正しくなくても、個々人の生きられた経験から了解されている価値観と哲学がある。それが文学作品なんかで反映されているところなのだろうけど




 米国的には方向性としては、パーソンズみたいな変なのもあるけど(しいて言えばだけどね)、数値で実証的にみたいな方向が好まれるし、ネットなんかでも、数値で統計というのが社会学と思われている。

 まあ、ネットレベルの議論だと物事熟考しない人が多いので、白黒わかりやすいくらいでないとしかたないんだろうと思う。

 が、実は、社会学というのを作ったのは、マックス・ヴェーバーなんですよ、というあたり、まあ、それもドグマでしょみたく言われるけど、なのでもうちょっと限定的にいうと、理解社会学ということね。

 極論すると、理解社会学とはなにかがわかるということが社会学ということなのな。


 いやもちろん、理解社会学なんか無視しても数値だけで社会学はできますよ。しかし、これはちょっとめんどくさい議論になるけど、出てきた数値とやらは、ようするに常識に合致、あるいは驚きの数字であっても常識判断に合致するということが前提になって、ようするにその常識なる社会理解に循環的に包含されてしまう。

 つまり、それは、社会学的な常識が前提になるんだけど、それ自体が近代の特異な現象であることはガチ。じゃあ、そういう近代の特異な合理的常識、つまり社会的定見みたいなものが歴史のなかでどうして出現したのかと問わないと、実は、その合理的常識のなかに潜む社会的な問題に気がつくことができない。

 これに、ヴェーバーが気がついちゃったというのが、彼の天才でもあるし、病理でもあったということで。で、それは何かというと、呪術からの解放ということ。die Entzauberung der Weltというやつね。

 なぜかしらないけど、近代西洋が脱呪術化を行った(かのように見える)ということを内省的に了解していくということが、つまり、世界の文明の総体的な理解になるんだよということ。そしてそこに人類意識に課せられた課題があるんだよということが、ヴェーバー先生わかってしまったということ。


http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20100623/1277252206



Togetter - 「M.ウェーバー、1919、「職業としての学問」」
http://togetter.com/li/131779


実践(プラクシス)について: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/199514356.html


山本義隆、2007、「16世紀文化革命 1」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/229813934.html?1318389838




 もちろん、そんなの比較文化論でもわかるし、オリエンタリズムみたいな視点とかカルチャラルアホーズみたいな視点からでもわからないでもない、みたいなフラットなことも言えるけど、その手のポストモダンな阿呆どもは、その内在に潜む倫理性の魔みたいなものを前提に無視したから、むしろ世界の側の力に圧倒されるか、「知性」というかいうお商売に隔離されてしまい、学が学たらんとする世界に起立する意志を失ってしまったのな。

 で、ヴェーバーは、ほいじゃ、このEntzauberungに前段として、理解社会学とはどういうものかというのを示すためにプロ倫を書いたわけですよ。

 で、理解社会学が恐ろしいのは、これをよく主観とか阿呆な理解されがちなんだけど、数値客観とかすると実はそのインタプリテーションは主観的云々というループになる。で、ヴェーバーのいう理解というのは、英語でも、understandingとかinterpretationとかに誤解されるけど、そうじゃなくて、エートスというのが一種の社会意識という特殊な実在性の問題だということ。というか、およそ、存在の意味性の根拠性は、この社会性の意識のなかにある。このあたりは、言葉というものの命名の不思議を考えると、愕然としてくるものがある。

 ということで、基本的に現象学的な構図を持っているんだけど、べたにその方向で進めたシュッツとかは、まあ、ダメ。また、反対にパーソンズとかも一種の神学にしてしまった。

 どっちもそうなるのはわからないでもないというあたりに、ヴェーバー学の深淵みたいなものがある。ようするに、では理解というのは何かというのは、理念型の議論になる。エートスを構造化するということ。そのあたり、実は、構造主義というのとヴェーバー学は近いところにあるはずなんだけど、日本とかおフランスな構造主義はそのあたりわかってないのでうまくかみ合っていない。



http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20100623/1277252206



(この辺の話ぶつけてくりゃよかったんじゃねーの?と思うにまぁあの時点で先験的理解に基づく感情 → メタなところでの知識系の選択のズレみたいなのがあったのだろうから仕方ないと思うに)





Socius_社会学感覚03行為の意味を理解する
http://www.socius.jp/lec/03.html


「社会的存在の客観性を人間の主観性との関係において把える」こと。制度と意味の弁証法としての人の実存を各々の「意味」から捉え直す、ということ。

「めんどくさい」というのは近代の都会人の最大の障壁だし、怠惰とか欲望への流れからの不合理な行動選択なんてのも人類のボトルネックのように思うんだけど、それを突破するためにそれぞれのエピステーメーに沿ったエートスがある、ということなのかな。

だから、エートスというのは一見、現行システムへのフィードバックを促す合目的行動の基本ルールとして捉えられがちだけど、それ以前の個々人の実存を介した内部規律のようなものではないか?それを通じて人は内省し、己の行動に恥や誇りを思い律する。そしてエートスはエピステーメーとの相関かなんかで夫々の時代環境で異なっていく。



 すでにふれてきたように、さまざまな社会的事実を人間の行為にまで還元してその主観的意味[動機]を探るべきだと提唱した代表的な社会学者がマックス・ウェーバーだった。「理解社会学」(verstehende Soziologie)と呼ばれるウェーバーの社会学構想については省略するとして、ここではかれの壮大な具体的事例研究を紹介してそれにかえよう。第二章で紹介した『宗教社会学論集』(全三巻)におさめられている「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」――通称「プロ倫」という――がそれである▼1。

 (1)問題提起――ウェーバーが「プロ倫」を書きはじめた一九〇四年あたりの初発的な問題関心は、近代資本主義の根源の探究にあった。これはのちの一九一九年に『宗教社会学論集』のために改訂されるが、そのときウェーバーの問題関心は、近代資本主義だけでなくそれをふくむ西欧の壮大な合理化過程に拡大され、その人間的な起動力の解明を構想するものとなっていた。いずれにしても「プロ倫」であつかうテーマは明確である。すなわち「インド・中国・イスラムなど高い文明をもっていた文化圏がいくつもあったのに、なぜ西欧世界にのみ近代資本主義が成立したか?」である。

 (2)資本主義と近代資本主義――ウェーバーによると資本主義は中国にもインドにもバビロンにも古典古代にも中世にも存在した。高利貸し・軍需品調達業者・徴税請負業者・大商人・大金融業者たちの「資本主義」である。しかし、これらと西ヨーロッパおよびアメリカの「近代資本主義」――より正確には「近代の合理的・経営的資本主義」――とは決定的に異なっていた。後者は簿記を土台として営まれる合理的な産業経営の上になりたつ利潤追求の営みであり、これは大量現象としては西欧近代にのみ発生したものだったのである。



世俗内禁欲にもとづく積極的かつ合理的な職業活動は、皮肉にも小商品生産者を結果的にもうけさせることになった。なぜなら、かれらは利益の少ない一定の低価格で良い商品を規則正しく販売し正直な取引をしたからだ。これがおなじみの顧客をつかむことになったのだ。こうしてえられた富は天職の結果なのだから神の恩恵として認められた。しかし、かれらは貴族的消費を嫌悪していたから、この富は必然的に投資に向けられることになる。こうして期せずして資本が形成され、合理的産業経営の機構組織がつくりあげられた。このあたりのメンタリティが「資本主義の精神」にほかならない。資本主義の離陸もここからはじまる。




宝くじのように儲けられた富は「ふつう」なら怠惰に過ごされて浪費されても良いものだけれど、それを投資へと誘因したのがその時代の「エートス」となる。当時のシステム的な合目的性では現れていなかったはずの誘因→行動。それが人々の意味の系から現れた、ということか?生物の利他行動における協働関係が1/20で現れたように。(囚人のジレンマ的状況で)各個体が自分と関わりを持つ相手を自由に選ぶことができ[=移動]、彼らの成功を模倣するだけの賢明さを持つ場合、協調行動が発現し、全体に広まっていく。


利己主義と裏切りが支配する世界に「協力」が生まれる条件は:シミュレーション実験 ≪ WIRED.jp Archives
http://bit.ly/ouvcVB


利他的行動 - Wikipedia
http://bit.ly/pfFnil


「利他的行動は戦闘で進化」:コンピューターモデルで分析 ≪ WIRED.jp Archives
http://bit.ly/qPKJ0t



そこからするとここでの「利他」という価値は制度的規範以前の集団的な価値と個人の意味との間のおぼろげな収斂といえるのか。完全に個人の価値的なものでもなく、かと言って社会的なものの単純なインプリンティングでもなく。(もちろんゲーム理論的「適応」というだけでは理解しがたい主体性もある)





Socius_社会学感覚03行為の意味を理解する
http://www.socius.jp/lec/03.html

社会形成のプロセスにとって「意図せざる結果」はつきものだ。なぜなら、そこにはかならず「軸の転回」(Achsendrehung)と呼ばれる現象が生じるからである。「軸の転回」とは、もともとの目的や意図などの内容をふくんだ生の全体から、しだいに形式が分離し、やがて自律性をもつようになることだ。これ自体は社会形成の必然的なプロセスである▼2。

 たとえば、「生きるため」という実践的目的の知識から自己目的的な学問=科学が生じるように、生活全体に融合していた美的要素や遊びから芸術やゲームといった活動が自立するように、また諸個人の活動を相互に規制しあう調整から法が自立するように、そして経済の純粋な手段としての貨幣が今度は絶対目的としての貨幣に転換するように、もともと目的を達成するために生じた媒介手段が、自己目的をもった自律的世界へと転回してしまうことである。

 問題なのは、この「軸の転回」が「文化の悲劇」と呼ばれる事態と表裏一体だということだ。



 ウェーバーがジンメルの「文化の悲劇」概念をうけつぐなかでつけくわえた強調点のひとつに「意味喪失問題」がある。ウェーバーはいう。「『文化』なるものはすべて、自然的生活の有機的循環から人間が抜け出ていくことであって、そしてまさしくそうであるがゆえに、一歩一歩とますます破滅的な意味喪失へと導かれていく▼7」と。

 その典型的事例がほかならぬ近代科学である。科学は「われわれはなにをなすべきか、いかにわれわれは生きるべきか」というトルストイ的問いに対してなにも答えない。これらは問題外とされる。これについてウェーバーは近代医学を例にあげている。医学は著しい発達をとげた。しかし、その前提には生命の保持という単純な前提があるのみで、生きる意味も死ぬ意味も問題外である。



ここは「物象化」として問題になる部分


ジンメルによると、社会とは本質的には「諸個人間の心的相互作用」だという。これが反復的になされ、さらに緊密化して恒久的な枠組や組織――これを「社会形象」という――へと結晶化するのである。肉体にたとえると、社会形象は心臓・肺・肝臓.胃などにあたる。資本や国家や宗教のような制度とか社会的事実のことである。ところが、ひとたび結晶化した社会形象においても、この心的相互作用は脈拍のようにたえず運動しつづけており、それによってそれぞれの社会形象に統一性と弾力性をあたえている。それは臓器だけでは生命にならず血がかよっていなければ生きられないのと同じである。

 したがって、社会にはふたつの相があるといえる。第一に社会形象に結晶化する相。第二に社会形象をいきづかせている働きの相。ジンメルは後者の側面を「生起としての社会」と呼んで重要視した最初の社会学者である。



ここはメディア論(¥社会情報学)における「コミュニケーションメディア(ハード)の基礎(cf.社会的認識の変化のような受け皿)」に近い(cf.キットラー)


山本義隆、2007、「16世紀文化革命 1」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/229813934.html?1318389838



とりあえずそういう形で「システムと生活世界の知の循環、パラダイムの循環作用」という長年のモデルと、「イノベーションや社会運動、あるいは意思決定への誘因とはなにか?」あたりの話が一気にまとめられてるようなのでこの辺中心に見ていこうかと思う。





橋本努講義レジュメ ウェーバー「理解社会学のカテゴリー」
http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Resume%20on%20Weber%20Kategorie.htm


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http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/faqg6.html


あとはシステム論的に理解社会学を組み直して、コンピュータシステム論の理解とか意味論との相対化→統合みたいなのだなー


プログラム意味論 ≪ Cruel to be kind
http://www.funclang.net/cruel/?p=218

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あと、python本とか

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2011年10月10日

山本義隆、2007、「16世紀文化革命 1」



<ヨーロッパ近代の覇権の礎となったものとはなにか?>と問われたとき、「科学」は間違いなくその答えの一つとなるだろう。「科学」というか「科学技術」。

ただ、「科学技術」といっても単に知識体系が変わっただけでは構造的には宗教と変わらない。では、科学と宗教を分けるもの、とはなにか?


山本は応える、「それは単なる理論部分の挿げ替えではなく…


「科学」と「技術」ではなく、客観的法則として表される科学理論の生産実践への意識的適応としての技術



こそがこの時代のパラダイムシフトであった」、と。



こちらの言い方をなぞればエピステーメーとしての理論(体系)とテクネー(技術)としての実践知



一六世紀文化革命 - 池田信夫 blog(旧館)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/88ea8eb285d35a891527985519ab84fd

16世紀というと、ルネサンスなどの芸術や人文学についてはよく知られているが、近代科学はまだない時代だと思われている。著者は一次資料を使ってこうした通説をくつがえし、16世紀に起こった文化革命が科学革命の基礎になったとする。その最初のきっかけはグーテンベルクによる印刷革命であり、それによって起こった宗教改革、そしてラテン語から日常語による出版という言語革命である。


それまで職人の勘と経験で継承されてきた技術的知識(ギリシャ語でいうテクネー)が、日常語で出版されることによって学問的知識(エピステーメー)と融合したのが16世紀の特徴である。特に経験を実験という科学的方法に高めることで、それまでの演繹的推論だけで構築されてきたアリストテレス自然学を帰納的に反証する方法論が確立した





ちなみに「エピステーメー」という語彙を使用した時点でこの捉え方は間違ってるわけだけど



エピステーメーというのはこちらにもあるように


ミシェル・フーコーの「エピステーメー」について誰か分かりやすく説明していただ... - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1218534207

http://bit.ly/qyjjOT


メタ認知領域での一定の知の枠組みがあるとして「それが時代ごとに変わる」という問題認識を含む語彙。だから、この語彙をつかった時点で「科学」も「宗教」(キリスト教)も構造的には同じという相対主義的感覚がでてこないとおかしい



実際、西洋の知というのはそういうふうにできあがってきたようで、理論-論証知の領域としてはキリスト教-神学の文化圏が担ってきた知の表出された部分が科学的な語彙に変わったにすぎないところがあるように思う。おーざっぱな理解だとラング/パロールのパロールの部分の語彙が変わっただけ。知のディレクトリ構造としてはそんなに変わってない。

また、神学の内部でも近代哲学や科学に通じる形而上学と経験主義間の論争(闘争)が行われていた。


坂部恵『ヨーロッパ精神史入門――カロリング・ルネサンスの残光』、坂口ふみ『〈個〉の誕生――キリスト教教理をつくった人びと』 - 旅する読書日記
http://d.hatena.ne.jp/katos/20111007/1317981119


「薔薇の名前」と普遍論争
http://bit.ly/qpyBvi

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本書の問題意識というのは「エピステーメー」の説明リンク先にあるような単純な進化論的視点、知の単線的進化論的視点への相対主義も含み、同時にエピステーメーとしての「科学」がいかに偶然的に時代を代表する知の体系となっていったか、ということを改めて素描しなおしているところにある。


大事なのでもう一度言うけど「進化ではなくて適応」であり「必然ではなくて偶然」なのだ、現在我々の居る科学文明とは。



科学とは科学的なエピステーメー(理論)と、その樹形図的知識を掘り下げていく技術的な知の実践といえる。前者は数学(抽象言語)や自然言語によって論証過程を経た後「科学理論」として体系づけられ、後者は実験やそれぞれの専門職でしかるべき過程を経た後に実証されていく。後者の「しかるべき」過程が複雑なため専門的な知識、すなわち技術的な知識が必要となる。


一部の理系は「科学=実験的実証」としての認識しかないため後者の過程ぐらいしか頭にない。実際は物理学でもおーざっぱに理論と実験に分かれるようだけど


大学の物理学科について急に語りたくなったので語る。
http://anond.hatelabo.jp/20110929232831






さきほど「科学と宗教は構造的にはそんなに変わらない」「時代を代表する知の代名詞がすげ変わっただけ」みたいな言い方をしたけど、「現場・実証的知識が理論にフィードバックされるようになった」というところでは違いがある。それまでは形而上に造られた神の法としての自然の摂理、完全なる「第一原理」を読み解くことのみが「学ぶ」ということで「それを修正する」という発想はなかったので。あとは物語的恣意性のもとに限界が定められていた抽象的思考の領域(ディレクトリ)が拡げられた、ということ。この辺りが前時代の知識体系との違い、といえるのかもしれない。



そういう意味で言えば16世紀周辺におこった宗教改革的ラディカリズムもそういった「実践知の理論への反映」という機運を受けたものであったと言え、「宗教の時代から科学の時代へ」とトレードオフしたのではなく、宗教も含めて知の体系全体に変化があったのだといえる。だから「科学/宗教」っておーざっぱな区分けもおかしくて、知識体系の変化、として考えたほうがスマートなように思う。おそらくウェーバーが射程に入れていたと思われる知の体系の根本的変化と社会構造の変化の相関。あるいはマンハイムの知識社会学 / 構築主義的な「社会のその時点での知のパラダイムは一見定式的で固定的、必然的なものに思えるが幻想である」という認識


社会構築主義 - Wikipedia
http://bit.ly/hwhkko


知識社会学 - Wikipedia
http://bit.ly/qg1Sp7

カール・マンハイムはシェーラーの非歴史的な人間論に批判を加え、歴史的に拘束される知識を分析しようと試みる。またマルクス主義のイデオロギー論を発展させて知識社会学の柱とした。マルクス主義のイデオロギー論では、自身の立場に敵対する思想が存在の拘束を受けたイデオロギーとして暴露される。マンハイムはそのような党派的な論難の道具としてイデオロギーを捉えるのではなく、自身の立場をも含んだあらゆる思想的立場をイデオロギーとして把握する。意識の存在拘束性という観点を党派的な立場から解放し、研究方法として用いようというのである。すなわち、自己の立場にも存在拘束性を認める勇気をもつことで、イデオロギー論は一党派を超越した一般的な社会史・思想史の研究法としての知識社会学に変化するというわけである。

こうして、マンハイムの場合、イデオロギーは思想的武器としての意味合いを払拭され、存在に拘束された一般的な「視座構造」を意味するようになる。マンハイムはこうした知識の存在拘束性の理論としての知識社会学の担い手を、階級的帰属による束縛から免れていると彼が考えた〈自由に浮動するインテリゲンツィア〉に求めた。組織化されたインテリゲンツィア(マンハイムが念頭に置いていたのは修道士)は権力を有する特権的な知識人の学説に追随することしかできないが、組織から解放された自由なインテリゲンツィアは、特権による知識の改竄の呪縛から逃れて自由に発言できるというのである。




形而上的な思弁的知識、論証知(理論)は本来「イデオロギー」のように「権力の一定の座から一方的なベクトルで発せられる恣意的なもの」ではなく、もっと中立的で構造的な運動性を持つ。それが一定の座に固定されてしまうのは知の希少性と権力-組織的理由に依る、ということ。現在だと被曝や原発に対する不安を契機とした専門知に対する希求と、知の権力の関係から知識共有がうまくいかない現状があるけど


民主主義と学者・専門家の役割 - Togetter
http://togetter.com/li/195281




おーざっぱにはゲマインシャフト(農村的社会における思考および価値の体系)からゲゼルシャフト(都市型社会における思考および価値の体系)への変化。そして、あるいはその先の知の枠組みの大々的な変化(弁証法的発展)があるのか?と予感させるもの




それが某人に「何がいいたいのかさっぱりわからず」「大して斬新な話ではなく」といわれた山本の問題射程のように思うけど、これも個人的な関心が挟まってるので勝手な読み込みと言えるか。




とりあえず以下は上記してきた大風呂敷の各論に移る。











▽形而上学から形而下学、ギリシア的「頭」の理論から手の技術の再評価へ



中世の知や行政組織などの体系はローマのそれに依る、ということで。行政組織はローマに倣っただろうけど学問的な体系の基本はギリシアに依る。人文知の基本はギリシア的な「神-自然の法則を読み解くこと」であり、そのための術理として自由七科が設定された。「文法・論理・修辞(レトリック)」という自然言語を使って思考するための基本「3学」と「音楽・数学・天文学・幾何学」という自然を知るための「4科」。前者は内面からアウトプットするための学、後者は環境からインプットするための学問(術理)といえる。


リベラル・アーツ - Wikipedia
http://bit.ly/o7RJ6X


いわゆる「教養」はこれらを処源とするわけだけど、以前に見たようにもともとギリシアのストア学派から収斂していった弁論術ほかの思考の技術は実践的な知を目指していた


古東哲明、2005,「現代思想としてのギリシア哲学」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/218962376.html


中世のそれはソフィストの精神を忘れ、ギリシアのものが表面的に受け取られ教条化し固定化してしまったために当初の目的の実践知から外れて行ってしまった。「中世の暗黒」のままヨーロッパ内部は混乱したまま、ヨーロッパの外界からの知識は「蛮族のもの」としてなかなか受け入れられず知識・文明的に周辺地域に対して劣位にあったのが中世→近世までのヨーロッパ。ギリシアの知はイスラム的マイナーチェンジを受けつつスコラ学に受け継がれ「大学の知」として継承されていった。つまり、ギリシアの知を形式的にのみ踏襲し、学としての内容を深めないまま教条化していたのが中世→近世の形而上学。そこでは医学も絵画も数学も製鉄理論も実践的な感覚から遠のいていた。



「神が作りたもうたものは完璧」「技術はそれを模倣するのみ」(人は自分では作れない) → 「神の理論(考え)、第一原理を理解することこそが本質的に意義をもつ」 → すなわち「手技は模倣に過ぎず、神の付された法則を読み解く頭脳の技こそ尊いものだ」

そういった考えに従って職人的な知識や外科医の技、商人的な実践数学も軽蔑の対象となっていた。絵画においても大部分は教会からの一定テーマの依頼であり、絵師はそれらのテーマを象るだけの「職人」であり、現在のような「芸術家」的な認知のされた方ではなかった。

絵師が芸術家として認知され始めたきっかけとして、当時の南イタリアが貿易的に栄え始めていた、ということもあるだろうけど「絵師が独自の専門知と専門技術を身につけ、模倣とは言わせないだけのオリジナリティを発揮しだしたから」といえる。その基本となったのが透視図法(遠近法)という絵画技術の開発であった。


二次元平面に3次元空間の情景を射影する技術、遠近法(透視図法)の発見はブルネレスキに始まる。最初は絵師ギルドの秘伝的技であった透視図法に幾何学的な基礎を与え、絵画を学問たらしめていったのはアルベルティ。職人と言うより人文主義的学者であった。


遠近法 - Wikipedia
http://bit.ly/q0iRfK

レオン・バッティスタ・アルベルティ - Wikipedia
http://bit.ly/n039V0


後にサミュエル・エドガートン・ジュニアをして「16世紀知覚革命」といわしめた遠近法の発見と理論化により、透視図法は分解組み立て図法、断面図砲、透明図法、画法幾何学などに応用され工学や機械学、建築設計の基礎を作っていった。

数学としての幾何学的な空間把握 → 2次元上での3次元把握はルネサンス当時ですでに現在のコンピュータグラフィックに通じる表現を可能にしていた。デューラーによる直行三平面への平行射影や図像の回転変換は、現在のコンピュータグラフィックにおいて一度ひとつの物体を措定すれば数値変換によって様々な角度からそれを投影できる技術に通じる。


アルブレヒト・デューラー - Wikipedia
http://bit.ly/oF0Day


アルブレヒト・デューラー-主要作品の解説と画像・壁紙-
http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/durer.html


ルネサンスの代表的偉人はレオナルド・ダ・ヴィンチのように思われがちで、レオナルドの代表的な仕事は絵画や彫刻などといった芸術作品にあると思われがちだけどこれは二重に間違っている。

たしかにレオナルドはある意味天才であったが、それは分析的な探究心を中心にした野放図なものであり、それらを通じて蒐集していった知識は体系だてられず、ほとんどは彼のみが判読可能なメモのようなものたちだった。レオナルドは芸術家というより職人であり技術者であった。その上に博識がくっついたわけの分からない香具師。なので、いっときイタリアの傭兵成り上がりスフォルツァに仕えていた時のセールスポイントはすべて技術者としての能力や発明の才能であった。絵画や彫刻は末尾の付け足しのように書かれているに過ぎない。そのときの様子は「チェーザレ」にも少し表されている。





レオナルドの知が解剖学的探究心に通じていたことから芸術的なものの骨格は解剖学と捉えられる向きもあるのかもしれないが、それはレオナルド個人の科学的・技術的興味・探究心に終始し、そこからの発展は望めなかったものといえる。


大事なところなのでもう一度きちんと言えば、絵画が「学」としてきちんと体系付けられ、定式化した基礎は解剖学ではなく数学(幾何学)にある。


レオナルドの解剖学的関心は解剖学そのものとしては意義があったともいえるけれど、3次元投影技術の透視図法の理論的発展にはあまり意味を持っていない。解剖図においてレオナルドが編み出した前面、背面、側面の三方向からの視点をならべて表すレイアウトや、骨格図にたいして、射線で陰影をつけることで立体感を表現する手法は解剖図の描写にとってエポックであったといえるが、その段階ではこの方法はまだ彼独自の職人的な技であり、知識として敷衍していなかった。透視図法の理論的発展と敷衍に役立ったのはデューラーの書物であり、それは従来秘密にされていた絵画ギルドの専門知、直行三平面への三次元物体の投影法をオープンソースとした。レオナルドはどちらかというと印刷や「他人に伝えること」をバカにしており理論の発展には寄与しなかった。



透視図法の工学や機械学、建築設計、解剖学への応用は当時まだ字が読めなかったり、あるいは文字だけでは伝わりにくい技術を絵画表現によって伝えることに役立ち職人の知識共有を助けていった。これらは後の外科医や建築家の専門家的地位向上に寄与したといえる。




もうひとつそれぞれの職人(ギルド)の知識が専門知として認められるようになった基礎となったのは知としては数学がある。

当時を代表する数学は神の意志を反映すると思われた恣意的な形而上学であった。そういったいわば衒学的な数学と商人たちが実践的な計算手法として必要とした数学は異なったものであり、後者は軽蔑の対象となっていた。

商人の数学を代表するものがインド・アラビア数字を中心とし数字それぞれに記号としての中立性をもたらした単なる計算のための道具としての数学。それに対して当時の形而上学的な数学は自然をひとつの生き物(神の生んだそれぞれに意味的連関をもった物語)として見、物の本質と原因を問う定性的なものであった。そういった世界観においては例えば「3は三位一体の数」、「6は完全数であって神が天地創造に要した日数」、「10は十戒の数」などとそれぞれの数字に恣意的な意味が付され、それに基づいて抽象的思考や計算の自由が奪われていた。

しかし、おそらく王権と豪族との関係から商人の権益が高まったり、戦争などを通じた中東世界との接触を通じて貿易の富と商人的知としての算術計算が広まっていった。


学校「世界史」のわかりにくさと「歴史の見方」みたいな話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/223226126.html


ヨーロッパ中世から近世の終わりまでのおーざっぱな流れ: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/223715899.html



そこで必要とされた実用的な数学は代数学だった。貿易を通じてより大きな富、数字を扱う必要が出てきたために代数学が発展していったのか、それとも代数学が発展いったからより大きな貿易ができるようになったのか定かではないが、ここで編み出された2次方程式、3次方程式を通じてヨーロッパはより大きな数を扱えるようになっていった。









▽パラダイムシフト、あるいはエピステーメーの変化はいかにして起こったか?




上記で駆け足で説明してきたように絵画にせよ商業にせよ、その界の知が学として体系化していった礎は数学と実践知、実証過程にあった。あるいはギリシア、ラテン語といった「高尚な言葉」からドイツ語、フランス語といった俗語への知識ツールの変化、もしくは詳細な絵画を介した伝達手法の研鑽、あるいは印刷技術+出版取次の発達…などなど。「知の枠組みが変化する礎となったもの」と思われる要因としてはおーざっぱにこれだけある。

そして、こちらのエントリにも記したように


bunkamura「ブリューゲル 版画の世界」展へ行ってきたよ: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/158036122.html


明示的なモードやリテラシーの変化に対応するためには、社会的認識の変化のような受け皿側の変化のようなものが必要だったりする。おーざっぱに「時代精神」とでも言えるような。あるいは、キットラーだったらより細かく「新しいモードが浸透するためには、その前のモードを介した何回かの反復が必要 (ex.文字メディアの下地の音読による浸透)」というところか



むーたん:キットラー概説メモ + 音読・黙読 ら辺
http://morutan.tumblr.com/post/20792167/m-um-u

メモ2:たんぶらーのキットラー関連のつぶやき再考
http://tinyurl.com/3oj5v4c

ルーマン周り
http://morutan.tumblr.com/post/21158375
http://morutan.tumblr.com/post/21160877


キットラー対話―ルフトブリュッケ広場
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ただ、それらはある程度規定要因になったかもしれないけれど決定要因ではなかった、ということに留意したい。本エントリ冒頭述べたように、活版印刷や俗語への変化といった明示的なわかりやすい要因だけでは歴史は必然的に変化したとは言えない。明示的リテラシーの受け皿としての下地のモードの変化などといったいくつかの要因が偶然的に絡まって、すべてのメーターがちょうどいい具合に高まった所で現在の文明(システム)からすると「進化」ともいえる変化が起きた。


具体的に言えば外科的知識や職人知が共有されるためには印刷技術の発展、ラテン語から俗語へのシフトのみならず「ペスト、80年、30年戦争などの影響により実践的な医術(外科医)が見直され、社会的評価が高まっていった」ことや、その前段階として「火砲が主力武器となっていったことにより高度な計算式がいるように成った → 16世紀軍事革命 → 近代力学の形成へとつながる数学的な力学と機械学 → 戦争の拡大」などがあった。知識は「知識の系内部で自律的に発展していった」というよりも偶然性の高い外部要因によって医術や数学が発展、再評価されていった所がある。そういった機運を受けて専門知の需要が高まっていき、需要に応じてより多くの職人が必要になった。そのため元来ギルドの閉鎖的知識とされていた職人知の印刷→出版というオープンソース化が許された。単にハードとしての印刷技術ができあがったからといってトントン拍子に知が普及し発展していったわけではない。

加えて言えば活版印刷の主要技術である鋳造活字のための父型製作には金属の取り扱いに習熟した甲冑職人の技術が応用された。戦争と鉱山の街(ex.ニュルンベルク)が活版印刷を産み、この街で印刷と職人的気風に幼少期から慣れ親しんでいたためにデューラーは知識を職人に敷衍することに抵抗がなかった。




そういったいくつかの偶然のめぐり合わせで職人・商人・医者の実践知の基礎として数学や透視図法が発展していった。それらが礎となってやがてくる大きな波、後世に「科学」(science)として伝わっていく知の体系や考え方の大元を構成していったのだ。












--
実践(プラクシス)について: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/199514356.html


ギリシア的なイデアを目指す知と実践知の関係。学問が知の権力に流されてしまわないために




中世ヨーロッパの都市世界 - Togetter
http://togetter.com/li/170441


流通・知識職人としての商人とその知識伝承のために要請された大学(ユニバーシティ)の成り立ちなど



スティーブ・ジョブズはどこにでもいる
http://research.ascii.jp/elem/000/000/066/66264/

直近だと「ジョブズってレオナルドみたいだったな」ということで。パッケージャー+ディストリビューターということだとヒエロニムス・コックのほうが近いか




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2011年09月29日

共依存とブラック企業   〜 適切な関係と「異常」な関係、適切な介入について


「自分の一番好きな人が」「自分の事を一番好きになってくれる」 たったそれっぽっちの条件なのに どうしてなの 永遠に揃わない気がする このままずっと ずっと (山田あゆみ/chapter.11)


どうしてこの世は「持つ者」と 「持たざる者」に分かれるのか どうして「愛される者」と 「愛されない者」が在るのか 誰が それを分けたのか どこが分かれ道だったのか (根岸達夫/chapter.55)


なぁ山田 何でオレなんかスキになっちまったんだよ オレは お前が可愛いんだ だからいつかお前に好きって言われたら ちゃんと断らなきゃって思ってた でも断ったらお前は どっか行っちまうんだって思って―――― だからずっと お前から逃げ回ってさ… (真山巧/chapter.13)


恋がこんなに つらいなら 二度としたくないと 本気で思った ―――なのに どうしたらいいの ぜんぜん もう わからないよ   この人が帰って来てくれて とても嬉しい ――そして とても苦しい (山田あゆみ/chapter.53)





ボクはこの人が苦手だ ボクはいつもコトバを選んで 選んでは 口をつぐんでしまうのに この人はこんなに たどたどしくても カッコ悪くても 一生けんめいコトバを尽くして キモチを伝えて あっという間に 母をさらって行ってしまった (竹本祐太/chapter.10)


オレは かしを作りたいんでも恩を売りたいんでもない 縁あって一緒になったんだ――だから ちゃんとあんたらの人生にかかわらせて欲しいだけなんだ そしてそゆことを 迷惑とは言わねんだぞ? (カズさん/chapter.32)



俺は はぐのこと精一杯大事にしようって そう決めてきた ――でも本当はどこかで不安だった こんな東京にひっぱり出してきて… 本当に良かったんだろうかって 本当にはぐの為になるのかって ただのオレのエゴなんじゃないかって… (花本修司/chapter.14)


何も返したりしなくていいんじゃないかな ………それは 先生が自分で見つけるべきものであって ――はぐちゃんがあげるものではないんじゃないかな そして先生は それを ちゃんと見つけられる人だと オレは思う (竹本祐太/chapter.64)





山田さん どうしようもなくなったら オレを呼びな (野宮匠/chapter.50)


バレちゃってる片想いって不毛だけどラクだもんね 罪悪感で相手は優しいし もうこれ以上ヒドイ事は起きないし 新しくキズつくこともない (野宮匠/chapter.35)


何が「ムリしちゃダメですよ」だ するっつの あっかるい声出しやがって ………信じらんねえっ 9時間かかんだぞ!? (野宮匠/chapter.48)


君の願いが どうか 粉々に 砕けますように きれいな思い出になんてすると 空にのぼって いつまでも 星みたいに輝くから (野宮匠/chapter.50)




他人から見たらどんなに情けなくても みっともなくても 真山を想う この気持ち たったひとつが 冷たくて明るい 私の宝物だった (山田あゆみ/chapter.53)


修ちゃんの人生を私にください ごめんね返せるかもわかんないのに こんな事言って でも でも… 私 描きたいのずっと だから 一緒にいて 最後の最後まで(花本はぐみ/chapter.61)


ただ あの時オレは 胸いっぱいに 幸せだと思ったんだ ありがとうって思った ――――でも あげられるものなんて 心くらいしかないから 君にわたそうと思った  (竹本祐太/chapter.47)





―――そうして 私は話しかけたのだ その光に 「もしも私が描く事を手放す日が来たら」「その場で この命をお返しします。」―――と……… あの時 私は「約束」をかわしたのだ ――たしかに 目には見えない 私の神さまと (花本はぐみ/chapter.60)


治らなくても 何も残せなかったとしても いいの わかったの 描きたいの これ以外の人生は 私には ないの ゆうべ言ってくれた事 ほんとに嬉しかった 忘れないね 私もずっと あなたの事見てる (花本はぐみ/chapter.61)


「努力する」か「諦める」か どっちかしかないよ 人間に選べる道なんて いつだってたいていこの 2つしかないんだよ (花本修司/chapter.30)








しっかり食べて ちゃんと寝て キチンと起きて せいいっぱい仕事して あなたが ほかの人をどれだけ大事にしていても それを見せつけられても ポキリと折れずに 生きて行けるように (山田あゆみ/chapter.47)





















▽「愛と依存ってどう違うんですか?」




恋愛というのは幻想で、病気みたいなもので、社会的に「これ!」って正しい形とか「ふつー」の形のものはなくて、人によってその目指すところや満足は違うわけだけど一般的に見て明らかに不具合が生じてることもある。


不具合というのはその関係の不健全さみたいなのから双方が一般的に健康な最低限の生活や満足を送れなくなってしまうような状態。



共依存……カウンセリングを受けたい - メンタルヘルス - 教えて!goo
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3172894.html

「恋愛も共依存みたいなもので、それが過度で将来性にとって不健全な場合は問題。実際に生じている不具合をお互いに認識させ、それをお互いの話し合いの中で自立的に解決させていくことが肝要」、と



おそらく、恋愛という感情に基づいたバンドリングな関係が経済合理性なんかを中心としたエゴイスティックなシステムを考えた場合ちょっと異常なものなのだろう。

たとえば性や金や子供を財としたとき、そのリソースに対してそれぞれがエゴイスティックにセルフュッシュに利益を追求していき、それを神の手が調停することによって需要と供給のバランスが自然にできていくのが恋愛や家庭を単純なシステムとしてみた場合の理想的な形だろうけど。でも、人は「愛情」という非合理な情緒を持つ。愛情に基づき、人はときに自身や種の保存といった観点における単純な利益からするとマイナスになるような行動選択をしてしまう。ロマン主義者ならば「その燃えるような愛の不条理さこそが人間だ!」というところだろうけど



そんな感じで恋愛は経済合理性だけでは割り切れない不条理を含む。だから依存も恋愛も果実と言えるだろうけど、それが過度になって明らかに不具合が出てくると困る。恋愛にaddict/abuseしてるウチはそういう不具合も気にならないのかもだし、それは個々人の自由な意思決定の領域ということで他人がどうこう言うのは大きなお世話(内政不干渉)ともいえるだろうけど




共依存が生じてしまうのは片方の「愛してほしい」って意識が「ふつー」より強い場合みたい。

「自己愛・自尊心が低いため、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、共依存関係を形成し続けることが多いと言われる」
http://bit.ly/niYXxi

「愛してほしい」という渇望と「自分は愛されない存在なんだ」という不安が「ふつー」より強いために「愛されてる?」という不安を絶えず持ち続け、より安定的で本質的な「愛」を求める


共依存という言葉は、学術的用語でなく、明確な定義はない。当初の定義としては、アルコール依存症患者を世話・介護する家族が、患者自身に依存し、また患者も介護する家族に依存しているような状態が見受けられることから見出された。これはアルコール依存症だけではなく、ドメスティックバイオレンス(DV)や虐待などにも見られる現象であると言われている。

この状況では、アルコール依存症患者が家族に依存し、また介護する家族も患者に依存するために、その環境が持続すると言われている。典型例としては、アルコール依存の夫は妻に多くの迷惑をかけるが、同時に妻は夫の介護などに自分の価値を見出しているような状態である。この共依存は、患者の自立する機会を阻害し、家族もまたアルコール依存症患者を回復させるような活動を拒んだりする。

現在では、単にアルコール依存症患者との関係だけでなく、「ある人間関係に囚われ、逃れられない状態にある者」としての定義が受け入れられている。例えば、暴力を振るう夫とそれに耐える妻の関係、支配的な親と愛情を受けたい子供の関係、相手から愛されることが目的となっている恋愛関係などがある。この観点からDVや虐待、自立できない子供や人格障害、それに恋愛における自己愛的な障害にまで共依存の概念が検討され、使用されるようになっている。


共依存の二人は、自己愛の未熟な人間が多いと言われたり、パーソナリティ障害であるケースが多いと言われているが、これはアルコール依存症やアダルトチルドレン、それにパーソナリティ障害の精神病理から導かれたところが多い。それは何故かと言えば、共依存者も被共依存者も、他者の価値に依存する傾向が多いからと言われている。

例えばアルコール依存症の家族では患者のアルコール依存を認めるような家族の傾向が認められる。それが患者のアルコール飲酒をさらに深める。またアダルトチルドレンにおいては、両親が自分の評価のために子供を利用したりする。そのため子供は大人になっても両親からの自立に困難が生じるようになる。自分自身の力のみで自立が出来ないのである。またパーソナリティ障害においては、そもそもの親が子供に依存的なケースであることが多い。アダルトチルドレンと同様、大人になると子供は他者に依存して、その他者に自分の要望を過度に期待するケースが見られる。

共依存の問題点は、被共依存者が回復する機会を失うことだけでなく、共依存に巻き込まれた者が、ストレスを抱え込み、精神的な異常を訴えたり、さらには関係性に悩み自殺する場合がある。よって、共依存を引き起こさないためには、医療関係者、専門家、援助者が、共依存を引き起こす者と接する場合には、一定の距離を取り、個人的な関係にならないことが必要である。



ぼへーっと自分とメンヘラのひととの付き合いを思い出す。


彼女もどこまでいっても根源的不安を抱えてるようで、いくら言葉を尽くしても、あるいは言葉を尽くそうと持ちかけても彼女自身が自分の根源的不安の理由をうまく捉え切れないようで、けっきょく二人の問題として解決できなかった。それを埋めるために体のつながりによる言外の説得力に頼ろうと思ったけど、それも自身の肉欲的エゴと半々な理由だったのかもしれない。


そして彼女はいまも無限の愛(甘え)を乞うているのだろうか……



そういった不健全な甘えに巻き込まれると付き合ってる人はバランスを崩してしまうのかもしれない。見えない不安が根底にあるからそれを解決するまで目の前の愛に納得することはないんだけど、往々にして愛を乞うひとは自身がなにを不安に思ってるのか?(どういった形でそれが根本的に解決されるのか?)ということに向きあうことができない。だから目の前の愛では足りなくて、常に不安をもたれてしまったパートナーや家族はバランスを崩してしまうのかも。その時点で依存者が求めている甘い愛はアルコールのようなもので建設的ではないのだろうし。


だから本当にきちんと付き合う場合は、問題解決のために一緒に不安に挑む決意のようなものが必要なのだろう。

そういった傷に向きあうのは依存者からすると勇気がいることだろうから、パートナーや家族が寄り添って支え勇気の手助けをしていく。



あるいは、第三者として援助する場合には過度に密接になり相手のペースに巻き込まれないように注意しつつ依存者当人の自立を促す。


共依存の原因となる被共依存者への対応としては、一定の距離を置きながら援助される。被共依存者は、援助が少ないことに見捨てられた気持ちを抱く可能性もあるが、「自分の人生は自分で切り開いていくしかない」と気づかせることが、結果として被共依存者の回復に繋がる。被共依存者は、支援を受けることに感謝し、関係者を操作することなく、自分自身の置かれている境遇を受け入れることが、回復の第一歩である。




共依存のめんどくさい問題としては、「共依存」と診断されることで依存者が「共依存だからいけないんだ」と過度の自責を感じること、あるいは関係者を操作することで自分に居心地のいい依存関係を構築してしまうことらしい。

後者は依存者当人も半ば無意識のウチにやっていることもあるのだろうからやはりパートナーや家族、もしくは距離的に余裕のある第三者的支援者が一定の律をもって「甘え」を抑制し自立を促すように接しなければダメなのだろう。

ただ、そうはいっても過剰な依存が生じてしまうのは、その背景として常軌を逸した過去を背負っているからであって、その重みについてきちんと理解することが肝要で、拙速に自立を促すような対応は誤りに思われる。ともに当人の問題の重みを見つめ、その克服に要するエネルギーを負担しあっていくような、、、単なる頭ごなしのラベリングではなく、当人の実存的な問題として共に考えていく(共有する)姿勢。それが依存者との信頼関係の醸成につながる。



「自立」の目安のひとつとして、『「愛してほしい」から「愛して満足」に自然に移行できれば』、があるみたい

http://www.counselingservice.jp/lecture/lec402.html

「他にも問題を起こす人と問題を代わりに解決しようとしてあげる関係性も、共依存と言えます。」

「対等に慈しみ合っていける関係になるにはお互いに自立することとお互いが与えそして受け取ることができる状態になったときに手に入るのです。」



ただ、これも「愛して満足」という感覚が当人の想像力や感受性に起因した個性的なものかもしれないので、いちがいに「愛して満足になれば自立」とも言えないと思う。なので「これがふつー」って押し付けるようなものでもない



「共依存関係は、機能不全家族などで育った人々が陥りやすい」らしい



機能不全家族 - Wikipedia
http://bit.ly/kLVBOs

機能不全家族とは、「子育て」、「団欒」、「地域との関わり」といった本来家庭に存在すべき機能が、健全に機能していない家庭の問題を指す。そしてこの機能不全家族で指摘される問題は、家庭内の不健全な事実が存在する問題よりも、むしろその機能不全家族の中で育った子供への悪影響が指摘されることが多い。つまり、機能不全家族内で育った子供は、機能不全な環境や考え方が一般的であると認識し成長しやすく、また幼少期の重要な人格形成において愛情を得る機会が非常に乏しくなり、自己愛・自尊心、他者への共感、他者の苦しみに対する理解等に欠けた人間にもなりやすい。この結果、機能不全家族により、社会と健全な関係を築くことができない大人が輩出される。

機能不全家族となる要因としては、代表的なものとして、家族構成員のアルコール依存、虐待、共依存などが挙げられる。また、このような機能不全的な家庭となっている場合は、その家庭を構成する親、または祖父母などが、機能不全家族で育った経歴がある可能性も高い。


そして、ともすればそういった負の業が連鎖していく

このような家庭問題(家族崩壊)の中で育った子供が、育った環境の不健全さに気づいた場合、過去に学んだ不健全な生活習慣からの脱却に向けて、莫大なエネルギーを費やして、回復の努力をしなければならないことが多い。しかしながら、機能不全家族の一番の問題点としては、機能不全家族の中で育った子供が、育った環境の不健全さに気づかない場合に、自己の配偶者としても同様の歪んだ価値観をもったパートナーを選ぶ場合が多く、成人してからも同様に不遇な人生を選んでしまう場合が多々あることである。また、機能不全的なパートナーを選ばずとも、自らの機能不全家族の経験や、健全家族の経験の欠如から、世代間連鎖によって、新たな機能不全家族を生み出す場合も多く、自己の人生においても、不遇な、または破滅的な人生となる場合が多い。無差別大量殺人を始めとする凶悪事件などで犯人の精神鑑定を行ったり、生い立ちを探っている際に犯人の家庭や親の思考、家庭教育が非常に歪んだものであることが発覚するケースが多いが、個人情報やプライバシーの保護の観点からこうした側面はほとんど報道されないことが多い。


知らず知らずのうちにパートナーにもそういった素養の人を選び、あるいは子供にその業を背負わせていく


機能不全家族で育った子供には以下の特徴がある、とのこと

* 自己愛が発達していない。子供の頃に健全な発達ができなかったため、他者と擬似的親子関係を形成する。

* 他者を信じることができない。他者の苦しみに対する理解ができない。

* 自尊心が低く、ポジティブな自己イメージを持てない。

* 人間関係に常に問題が発生する。

* 怒り、不安、絶望の感情になりやすい。

* 他者と孤立しやすい。

* 無慈悲。

* 常に真面目で、子供らしさを持ち合わせない。年齢以上に早熟する。

* 機能不全な関係を他者と築く。

* 機能不全家族の行動を自分の子供に実行し、機能不全家族の世代間連鎖を引き起こす。



幼年期に子供らしさを享受できずに一定の役割を演じさせられ、健全な親の愛を受けられなかったため、ということのようだけど。



これらも過剰に「逃れられない業」「わたしの人生お先真っ暗」のように意識するのもどうかなぁ、と思う。


人は誰しも異常であり千の貌をもつものであって、こういった凸凹も特徴といえば特徴なのだろう。


自分の中にも双極性障害(躁鬱)的傾向はある。ただ、それはなんとなく5段階とか10段階ぐらいにメモリが分かれてて普段はレベル1とか2ぐらいなのだろう。トップギアで欝の方になったときはけっこう大変だったし何回か死にそうになったけど、いまはそれも「そういう傾向がある身体(スペック)に生まれたのだから注意しなくちゃなぁ」程度にとらえてる。躁に入った時のエネルギーを利用すればいいだけだし、欝は最近はないように思う。まぁ、ずっとローギアだから他人からすると欝の状態が平常なのかもだけど。けっきょくあの部分で「自分は異常なのかも。。(ふつーにならなきゃ(しあわせになれない)」みたいに自己抑圧するのってどこかにまだナルシシズム、「わたし(´・ω・)カワイソス」な自己憐憫な物語を紡いでるところがあるのであって、「そんなこといってもこのスペックで配牌されててレース始まってるんだから仕方ないじゃん」って決めたら「そういう性能のもの」として許容できる。

身体的な特徴の違いなんかは単に操作する車の車体性能的な問題であって、それもうまく生かせばレースに勝てるのだろうし



「他人と比べて」ってレースでもなく、自分の中の目標に達するレースみたいなのに



最終的には意志の問題なのだろう



自分(´・ω・)カワイソスしてるのではなく、(´・ω・)カワイソスでもなんでもそのレースに勝つ(あるいはその車体の性能をいかんなく発揮する)という意志の問題。







▽<恋愛と仕事は似てる>  → ドツボにハマった恋愛はブラック企業みたい


「依存も恋愛も果実」、(外野から見てある程度、異常に思われても)「個々人の自由な意思決定の領域ということで他人がどうこう言うのは大きなお世話(内政不干渉であるべき)」というところからブラック企業や「やりがいの搾取」をめぐる話を思い出したり


「恋愛、もしくは生計を共にして継続的なパートナーシップを築いていくことはビジネスのようだ」とこちらでもいったけど


愛とはどういうものかしら? 〜 恋はおわるが愛情は続く: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/227459492.html?1317282159


共依存とかDVとかで不健全状態になってる恋愛関係というのはブラック企業に喩えられるかもしれない。


「やりがいの搾取」とは「社会の一定水準から算定すると、そこで与えられている対価や保証は明らかに平均より低いのに、『( ゚Д゚)<自分が楽しいと思って選んだ道だろ?いまは辛いかもしれないけど楽しいことできてるなら本望だろうし、将来的には食えるようになるかもだからいまは耐えろ!』」とするような話。「やりがいのある仕事」を「自分で選んだ」のだから「耐えろ」っていう自己責任論。


自己責任論は通常、抑圧されている個人に対して外部の既得権益から発せられるものだけれど、恋愛あるいは継続的パートナーシップにおいて同様の心理構造にある人は自己責任を内面化しているところもあるだろうか。

共依存をやりがい搾取なブラック企業とした場合、そこでの「やりがい」は何になるのだろう?

関係当初に持った「好き」という気持ちとかそれに付随する幻想とか?


「現在を耐えれば将来的にはなにか良いことがあるかも」って期待とか?


過去の「好き」や未来の「希望的満足」を支えに現在を犠牲にする。建設的な「投資」ではなく、対価の回収の望めない「犠牲」。


あるいは、現在に至るまでに結び付けられた「情」的なつながりや、そこまでにかけられた掛金(サンクコスト)と将来的期待値を思って現在の損を切れない状態


そうやって生まれた損益による「悲惨な自分」に向きあうのを回避するために「でも、彼(社長)ったらいいところもあるのよ」って物語(イデオロギー)を紡ぐ。そこで直下の心理的ストレスを誤魔化す。


その損益はしばしば生活的なぢわぢわとした小粒なもので、当人からしてみると「耐えられないものでもない」なので一つ一つの損については鈍感になっていくのだろう。そしてそれがいつの間にか積み重なっていき、あるとき積み上がったストレスに耐え切れなくなって心のダムが決壊する。




それらの改善点として、損をしている当人の意識改革のようなものが必要ということがまずあるだろうが、損をしている当人が『それでいい』と言っている場合は道義的に外部からの干渉が必要になる。しかし「外部からの干渉はどこまで正当性をもつのか?」ということになる。


子供のように意思決定や客観的認識が乏しく主体形成ができていない存在であれば外部からの介入は妥当とされるかもだけど、大人の場合はそれはしばしば難しいことになるか。



それでも、一定の客観的水準に照らして当人が損を被り続けている、ということが外部にも当人にも納得させられたら介入の妥当性はあるだろうけど




そこでもやはり介入する第三者は過剰な熱意に燃えて過干渉するのではなく、一定の律と距離感をもって臨むべきなのだろう。









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騎士と愛: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/226697368.html





タグ:恋愛 家族
posted by m_um_u at 20:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2011年09月25日

愛とはどういうものかしら? 〜 恋はおわるが愛情は続く


性的行動とその決定因、またそこから発生する効果・作用の分析が生物学と経済学の臨界で生まれる。と同時に、道徳的・宗教的勧告や徴税といった伝統的手段を超えて、夫婦の性的行動を、経済的かつ政治的に協議された一つの行為に仕立てようとする組織的な作戦が現れる。

−知への意志−




権力は下から来るということ。即ち、生産の機関、家族、極限された集団、諸制度の中で形成され作動する多様な力関係は、社会体の総体を貫く断層の広大な効果に対して支えとなっている。このような効果が、そこで、局地的対決を貫き、それを結びつける全般的な力線を形作る。

−知への意志−





精神は、身体の周りで、その表面で、その内部で、権力の作用によって生み出される。その権力こそは、罰せられる人々−より一般的には監視され訓練され矯正される人々、狂人・幼児・小学生・被植民者、ある生産装置に縛り付けられて生存中ずっと監督される人々に行使されるものだ。

−監視と処罰−





主体を問い直すということは、その現実的な破壊、その解体、その破壊、全く別なものへのその転換、こうしたものへと到るような何かを経験することを意味している。

−M・フーコーとの対話−














▽「めし」の話 → 言葉以前の了解の交換




昔、「別れる気がないならめしは作り続けろ」と母親に言われた。さらに、子供については「何があっても手作りのお弁当だけは欠かしてはならん」と先輩のお母さんに言われた。家族のことでアドバイスもらおうとすると、めしに行き着く。。。。


http://twitter.com/que_sera/status/99427422713294848



これ自体はよくある話で、ふつーに「( ^ω^)まぁ日本の家庭生活の伝統的智慧だよねぇ。そういうものだ」って感じだったんだけどめんどくせー連中が「ああ、それは旧世代的な古い考えだよねー。非合理的だし、近代的生活にとっては因習だしー」みたいな感じでちょっと絡んでるの見つつ「いや、これはこれで合理性あるんだろうけどね。。合理性ってのはそれぞれの文化圏によって異なるものだし…」ってモニョったり

きちんと記述されてないだけでたぶんこういうのは「おばあちゃんの知恵袋」な民俗学的合理性があって、それが現代的な都会の経済合理性と合わないだけなんだと思う。



なんとなくのおーざっぱな妄想だと<言葉-理性でのコミュニケーション以前に「めし」が効く>というのはノンバーバルコミュニケーションということでブルデューのハビトゥスみたいな地味な効果があるのではないか?言葉以前に、身体を通じて実践していることが地味に規律というか、発想の発端部分まで影響していく、みたいなの。ロジック以前の議題(関心)設定の部分や、そこから生まれる感情や思考を規定するような。ヤコブソンの言語(あいさつ)の交話的機能な話のように「言葉でのコミュニケーションは本来ディスコミュニケーションを孕み」+「内容以前に発話を交わすことにぢみな意味があったりする」というような



承認や理解を志向しないゆるいコミュニケーション: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/76094661.html


論理的思考様式と詩的思考様式 (アナログ的思考の可能性、「魂の座」ら辺): muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/78303131.html



「内容理解」以前に存在を認めるということ。


他人の考えてることなんか完全に理解るわけなくて、そういうことが理解できてるひとは慎重に言葉を紡いでお互いの意志を確認する。でも、「自分は理解されて当然」「意図を読み取られて当然」とする人は意志を伝える努力を怠る。(おーざっぱだけど)日本的な同質性の高い文化、摺り合わせ的な基盤のマッチング前提なアーキテクチャ。そこではモジュールとして細かく言葉が往来する必要はなくなり「おい」とか「あれ」とかで言葉が通じるように最適化し極めて全体性の高い「群れ」的文化圏ができるように思う。いわゆる「空気」なんかはそういったものの結果生まれた日本的な権力のあり方の呼び名だろうし。

ただ、そういった文化様式も「一定のコードの共有」という前提があって成り立つものであって、そういうものがない場面で「( ゚Д゚)<オレの言ってることを慮れや!このうすら鈍感が!」とかいうのは暴力的・非理性的言辞だろうけど。

そういった「日本的」あるいは「前近代的」合理性を孕んだ文化に対して、「なぜ西洋などでは言語(ロゴス)にそれほど重きをおくようになったか?」というのはまた面倒な問題で横道に逸れそうなのでてけとーに省くと、ギリシアのソフィスト以前にはロジックやレトリックをそれほど信じてなくてなんか「神様のおかげさまだぁ」とかギリシア神話的人間中心主義でマンセーで無反省に我が世の春を謳歌していたように思う。つまり、均衡状態で変化の期待されないシステムでは反省要因は疎外されるのだろう。分析→反省ツールとしての言語→ロジック・論法あたりもその辺なのかなぁ。。それらは「なんとなく」に共有されていた「当然」な流れ=権力を反省し、解体していくので、均衡状態を望む勢力にとっては望ましくないのだろう。


しかし、そういった言語中心、近代的な「言葉による意思確認」を志向する文化圏でも「めしを共にすること」「あいさつを交わすこと」はけっこう重要だったり。電話の最初の挨拶「もしもし」と同じく存在確認でありチューニング的に。あるいは「食う」ということ、「外来から異物を摂取するということ」の呪術的・象徴的意味合いをその場の人々が共有する、という意義。文化人類学のフィールドワークなんかで他所の文化圏におじゃましたときに「出された飯はちゃんと(゚∀゚)ウマウマ食う」が鉄則なように。敢えて自分にとっては得体のしれない異文化のものを無警戒に摂取することで、相手に全幅の信頼を置いていることをアピールしたり。

まぁそれは家庭における普段の食卓では交わされてないメッセージ交換だろうけど。ともあれ「飯を一緒に食う」は思いのほか意味があることなんだろう。挨拶したり、微笑んだり、寝所を共にしたり、セックスしたりとも似たような。行為の内容そのものの意味というか外延的意義、構造的合理性みたいなの。個別の機能合理性では割り切れないような


そういう意味で言うとセックスというのは単なる物理的快感だけというよりは存在の交換とか気持ちの交換的なところがあるのかな。まぁ部分的な機能合理性からすると甚だ「非合理」なのだろうけど。。機能合理性がゲゼル的な「狭くて部分的。分解→反省→再構築可能なモジュール的発想」であるとき、構造的合理性は「広くて全体(ゲマイン)的。すり合わせ的な合致でできてるのでユニットを細かく切れない(再構成が難しい)」ものといえる。すごくおーざっぱな対比だと、「ゲゼル」には「理性」、「ゲマイン」には「感情」的な腑分けが当てはまるか。さらにおーざっぱに、心身二元論的な腑分けだと「理性」には「思考」が、「感情」には「体」が当てはまる。それらを統合してつなぐのが「身体」といえる。



実践(プラクシス)について: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/199514356.html



(※細かく言うと理性的思考も感情的な思考も脳を中心にデバイスされてるので両方ともオツム介してるんだけど話の流れ的に割愛)



「めし」ほかの効果、機能性というのは身体に響くもののように思う。理性と感情の中間。独我論的には言葉や論理ではどうしても突き詰め切れない他者や自己の存在に対する漠然とした安心感や肯定感のようなもの。




それらの身体的な効果はナンパなんかにおける言語以前の距離の詰め方みたいなテクニックにも似てるのだろうけど、こういうのは一定の財と権力を介した政治ゲームであり外交関係にも似てる。軍事力ほかの政治経済的資源が少ない小国が大国と渡り合うときの飛び道具的なやり方みたいなの。真正面から衝突すると負けてしまうので搦手として使われるもの。


そういった小さなところで創りだされた慣性を積み重ねることによって、既存の大きな権力に抗していく。家庭の場合は前近代的因習と空気が「大きな権力」で、「あいさつ」や「めしをくう」などといったノンバーバルな絆によって生じた慣性(情)を根拠としてそういった権力に抗していく。規律訓練のように対幻想領域におけるエートスのようなものが生まれていく。



「日常の政治学(文化政治学)」みたいなのがあるとして、コミュニケーション(外交)部分では「めし」「セクース」「デート」「会話」などといった行動を直接的なオプションとして親交を高めたりタスクをおしつけたり引き受けたりつつ力関係を形成、性や金、子供などといった「財」を駆け引きする。


カップル間のそれでは言外に男性側の身体的優位が圧力となる場面がけっこうあって、それがなんとなくの力関係の基底になってるところもある。そういう場面では直接衝突すれば間違い無く踏みつぶされるだけなので、直接衝突は迂回しつつ、外交カードをいくつか切るといい。兵站を切ったり、第三国との関係を利用して相手国を追い込むなどして戦場における直接戦闘以前に「場」の勝敗を根回ししたり。








▽言葉以前の了解の交換 → セックスも → 性愛とはどういうものかしら?



性欲の話というのは食欲の話にも似てるように個人的には思う。(男性なんかの場合は特に)人の場合、他の動物と違って性欲はふだんからざわざわしてるもので、いつエロいものをみてもそれはそれで扇情的だなぁってかんじだったんだけど、最近たまにそういうものを見ると「( ^ω^)・・・いまいらんなぁ」って感じになる。某人いわく「それはお腹いっぱいってことではないかね?('A`)y-~」、と

http://twitter.com/#!/harumachidori/status/111889586506039296


アダルトの現場で監督の熱いこだわりを見聞きするのは面白いし、エロに麻痺しやすい中で情熱失ってないことに感心したりするけど、その熱心なエロシーンを引いた目で「絵」として眺めると有り体に言ってやはりグロテスクだし、それでいいもんだと思う。美化するもんでもないし、キモい時はキモい


http://twitter.com/#!/harumachidori/status/111892721421127680


肉屋で肉の塊がだらーんとぶら下がってるような感じだろうか


エロにつながるようなわかりやすい性欲というのはそういったざわざわしたもの、食欲における肉欲と同じように「ガッツリ食べる」みたいな感覚に近いのではないか?それに対して「愛」につながるものはもうちょっとぢわっとしてるというか…



男性女性における性の非対称について - Togetter
http://togetter.com/li/191437


ヤコブソンの発話交換のような、セックスそのものには意味(快)はなくて交換することそのことに快がある、みたいなの。「セックスより自慰のほうが気持ちいい。自分でポイント分かってるし」なんていうことあるけど、たしかに物理的刺激だけだとそういうことは思う。二人でするのはめんどくさいし、ちゃんと相手に気を使う人だと気疲れ的にめんどくさい。。

ただ、自慰と違ってセックスの場合は相手に感情移入して満足を得るところがあるかなぁ。。すくなくとも自分の場合は。人が喜んでると嬉しい性質だからだろうか(あとは感受性とか想像力とかそういうのかなぁ。。

そういった体の物理的な快や想像力的な満足(快)のほかに、ぢわっとした愛情のようなものがセックスの中にあるのではないか?愛の交換のようなもの

「愛」というのはいまだによくわからないところがあるんだけど、なんらかのエネルギーであると仮定したとき、セックスというのはそれの交換なのかなぁ、とも思う。物理的体液交換 → 脳内物質発射 → 快感刺激だけではなく。


物理的快楽は遺伝子のプログラムで生物的・本能的機制といえるだろう。だから、それは妊娠という種の保存的役割を終えると萎えて行ってしまうものらしい。男性の性欲減退なんかはその辺も絡むみたいだけど、対して女性は妊娠を機に良くなったり。それは「カラダ的、生物的機制、プログラムに抗う実存的な欲求ということで高尚( ^ω^)・・・なのか?」と拙速に考えそうになるけどたぶんその辺は関係ない。単に予備的なプログラムなのかなぁ。。生物的機制としては。


そういったものとは別にノンバーバルなコミュニケーションとしての存在確認、お互いの気持ちの言語以前の交換のようなものとしてセックスがあるのかなぁ。。


端的にいうと「相手を労りたい」「もっと愛を交わしたい」という場面で相手の気持に報いることができないときになにが身体の反応を促す要因になるのか?ということを考えてるわけだけど

年齢を重ねたり体力的な問題、精神の機能失調などで男性のほうが衰えていき、女性のほうが逆に上がっていく。

あるいは、年をとっても愛する人と愛を重ねていくということ



「オレは変わらずに キミを愛していけるのか?」



そういった問への審判が体側から勝手に出されるようで、、なんとなくの焦りや不甲斐なさを感じてしまう場面が想像される。


生物的な機制(当然)や文化・社会的機制(規範-当然)に抗って自分達の実存としての満足を高めていくこと。目の前の人が歳をとったりなんらかの事故でかつての美しさを失っていても。そこに変わらぬ魅力を投影できるのだろうか…?


単なる独りよがりな欲の解消ではなく魂の交換のような形で。二人で満足をつくっていく








▽恋愛はおわるが愛情は続く



恋愛は仕事にもちょっと似ている。告白の場面は就職面接のようだし、合コンもプレゼンみたい。継続的な関係を考えた場合は「生計を共にする」ということでビジネスパートナー的な感覚も必要だろうし。

というか、恋愛や結婚ほかの継続的なパートナーシップを結ぶ場合は前近代的仕事、家内制手工業のようなものに感覚が近くなるかも。単なる「好き好き」の甘々表明としての恋愛ではなくビジネスにも似たものに


家内制手工業としての家庭は「自分達の満足」-「しあわせ」を生み出すことを目的として営まれる。


しばしばそれは「子供の養育」であったり、「パートナーと共同生活を送る中でお互いに支え合い、高めあっていく」ということであったり、「女性は家事、男は仕事」ではなく、それぞれがそのときできることを分けあって家庭を協働していく。お互いに思いやって、そのときできること、したら喜ぶだろうなということを交換していく。


家内制手工業としての家庭全体を生産関係と見た場合、セックスは子作りのための生産手段に当たるか。「手段」という語彙のニュアンスから即断すれば「生む機械」だけど、生産「手段」というか生産「方法」のひとつといったほうがいいかもしれない。家庭という対幻想領域における満足・効用の最大を目指す際の方法のひとつ。


だからセックスはどちらかというと下部構造に当たるだろうけど、愛はそういったセックスを覆う幻想(イデオロギー)であり上部構造でありソフトウェアなのだろう。そして「愛」のイメージも人それぞれ異なる。共同幻想としていくつか提示された愛の形。ロマンティック・ラブとか純愛とかもっと性的なものとかオトナのうんぬんとか。あるいは個々のセクシュアリティの違いからいくつかの愛の共同幻想がコラージュされたり。そういったものはセックスも含んだ普段の愛情交換(コミュニケーション)の際に参照されるコードであり、愛というシステムにおけるOSのようなものなのだろう。

愛に関する既存の幻想ではどうしても満足できない際立ったセクシュアリティを持った人は世間からすると「アブノーマル」とされるところにいくのだろうけど、最初からなんとなくのおしゃれ的に既存の愛や性欲の型をインストールしたものは、どんなに「特殊」ぶってても、オリジンでも実存でもないように思う。



そして、なんとなくだけどそれらの幻想の選択、実存的な自分のリアリティへの気づきというのは精神の発達練度と関係してるように思う。


社会生活を通じて、精神はみょーなコンプレックスからいくつかの既存の幻想をインストールしてそれをアイデンティファイすることでいつの間にか余計な鎧を重ね、「ほんとに自分が求めるもの=満足」から離れて行ってしまうのだろう。性的嗜好なんかもその辺が関わるように思う。既存の「アブノーマル」を重ねても自分の満足とずれていたらいつまでたってもほんとの満足にはたどり着けない。


だから、精神に張り付いた余計な鎧、自らをも騙すような理論武装を解いて行く必要があるのだろうけど、それには一度「自分」と思われるものを捨てる勇気がいるし、その勇気が必要とされる場面というのは多くの人の人生の中では訪れないままオトナになってしまう。


それらを溶かすのが愛の力か、と思うこともあるけど。。凍てついた氷塊はある程度のショック療法でないと崩せない、ということもあるかもしれない。








▽愛と精神の構造とは? - flower of life



<愛のイメージは人それぞれ違う><それは精神の練度に依る><精神は自分(エゴ)を捨てリミッターを外さないと深まっていかない>


ではそのようにして深められた「愛」にまつわる感情の機微はどのようなものがありどういった構造をしているのだろうか?


なんとなくだけど「理趣会」がそれに当たるのではないかと思った


両界曼荼羅のうち金剛界曼荼羅に当たるもの



両界曼荼羅 - Wikipedia
http://tinyurl.com/422c2cp



ぼんやりな理解だけど、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅の2つで、前者はプラトン的イデアな世界、後者はそれに物的重石がついた世界を表しているように思える。物的重石がついてなければ胎蔵界曼荼羅のようなストレートな配置でだいたいのことに対応できるのだろうけど、物的重石や「人」の精神が関わると複雑性が増し、それに対応するようにシステムの構成をシフトしなければならないのではないか?

金剛界曼荼羅で描かれた幾つかの配列は、それぞれの系における暫定的な最適パターン、将棋の型のようなものではなかろうか。

そして、そこで配置される「仏」には「慈愛」ほか特定の意味が付与されている。


たとえばなんらかの煩悩的な場面に遭遇したとき、それらの要素を思いだして意識的に要素にそった思考経路をたどれば悩みから抜け出しやすいのでは?



理趣会はその中でも恋愛や性に関わる愛憎に最適化した型なのではないだろうか。



理趣経
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/rishunaiyou.htm


http://www9.plala.or.jp/mandara10/k-risyu.htm




意味としては未だ゙読み解けてないけど、それぞれの要素を理解し、自分なりに状況を想定した物語を編んでおけばいざというときに心強いのかも




それらを通じて人として生きているうちに相対するアンチノミー(二律背反)的ストレスに抗していく。一部の小乗であれば「そういった悩みも煩悩であるから捨ててしまえ」というところかもだけど、その悩み自体を一定の系を拓くためのストレスとして利用し精神の系を広げていく。アンチノミーを通じて弁証法的に昇華したそれぞれの系-円が交差し、蓮の華のように波紋状に拡がっていく。



そういう形で人は少しずつ生物的機制や文化・社会的機制から解かれ、主体(大人)として立てるようになっていくのだろう


そうやって成長した大人(主体)がパートナーを組めば、あるいは既存の権力(機制)に抗して自分達の自由を広げていくことできるかもしれない。言葉と身体で魂を響き合わせて










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家事と育児と高齢者介護(双方の両親)を誰かが完璧にやってくれたら、社会的に十分な働きをする既婚女性はたくさん居ると思うよ。個人の問題ではなく、仕組みの問題として考えないと、解決しない。批判するより問題解決に向けた意見の積み重ねをしないとだたの愚痴になる。


http://twitter.com/que_sera/status/77163616448692224



公には言いにくいけど、私は大きな社会より目の前の命を大事にする。両立がならないなら誰かが弱いものの側に立たなくてはならない。私は弱いものの側から目の前の命を守るのが仕事だと思ってる。


http://twitter.com/que_sera/status/83369725261914112



白衣は私にとっては戦闘服。人格変わるもん。営業スマイルと、徹底したロジックが現れるQT @marubashi: @que_sera @4n0 白衣に着替えた〜


http://twitter.com/que_sera/status/116267836825022464






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知恵と智慧 - Togetter
http://togetter.com/li/190861

※実践(プラクシス)=智慧、ということで







◆ NHKドキュメンタリー「二本の木・夫婦で癌に侵された、最後の記録」 を観て
http://blog.goo.ne.jp/fukiya-kurabu/e/ee8deb31635f20a3dfc72cb4949d2248

http://ryuma681.blog47.fc2.com/blog-entry-150.html




「明るいほうに進んでゆきなさい
                  輝く光の方に行くんだよ」












http://www.uta-net.com/song/43209/




恋とはどういうものかしら? (Mag comics)
岡崎 京子
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タグ: 精神 実存
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2011年09月19日

騎士と愛



聖なる天の御父

我は心ねじけたる者の邪を懲らしめ

我は無垢たる者の善を守らんがため

剣を振るうを許し給うたなれば

民草を庇い守らんがため

騎士道の掟を剣の下に定め

ここなる汝の僕をして常に善を志さしめ

檻に人を傷つくるに剣を振るうことをなからしめ

正義と法とを守らんがため

これを振るわせしめんことを



また彼の婦人を身命をとして守らん












「けっきょく男は不幸な女に弱いのよね ( `,_・・´)フンッ」って言われたことがあって、「男は」っていうか自分はそういうものかと思うわけだけど


「不幸な女」ってところに特別なこだわりなくて、単に同情というか護りたい欲のようなものが刺激されるんだと思う。動物的遺伝子だか文化遺伝子だかしらんけどまぁ仮に「守護本能」とする。


守護本能自体は悪くなくて、同情からけっこう踏み込んでしまって、そこに下心(好奇心?)だか恋心だかも混ざって、いちお契約内容みたいなのを確認しつつもわけわからんうちに関係結んでしまって、なし崩し的に責任とったほうがいいなぁ( ^ω^)みたいになる


そんで、「そんなことしてたらキミの身がもたないよ?自分の好みなんかに忠実でいいわけだし、それが人というものだよ −y( ´Д`)。oO○」、とかいわれるわけだけど


たしかにそうで、そういう関係から付き合い始めてしまうと最終的に相手に対して失礼なことになるなぁ、と。そこで覚悟決めて自分なりの道義的責任とって寄り添っていこうかと思ったりもしたけど



親愛なる人へ: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/142089498.html



やはりそういうのだとダメなんだろう





反対に好きな人に対して「ともだち以上」意識や守護本能がドライブしつつ恋愛感情に結びついて上がっていってる時に、「( ^ω^)・・・そういうのと恋愛を勘違いしてはいけないよ?」、って一般論的に予防線はられたこともあるけど



まぁ、たしかに。「護る / 護られたい」欲を恋愛の理由とするのは心理的トリックのようなものがあるのだろう。だから冷静に判断すれば「護った / 護られた」ということは吊り橋効果みたいなもので、きっかけにはなっても十分条件にはならない


たとえ守護本能から好意が深まっていても、純粋に「相手を護りたい」ということであれば、相手に何かを期待しないのが邪念のない厚意なのではないか?





頭の中で聲がした




「おまえがあのときに捧げた誓いが本物であると証明して見せろ。自分の思いに溺れてふたたびあの子たちのココロを裏切らないように。踏みとどまってきちんと考えろ」


「『事なかれ主義』とか安いオトナの理屈ではなく、本当に人を護るということを考えろ。それが人の魂を救い、それを通じて自分が救われるということだ」






転んで泣いてる子がいたら助け起こして「大丈夫?」って言ったり、女の子が怖がって泣いてたら見過ごすのではなく代わりに矢面に立って壁になる。

そういうイベント的なことでなくても、日常生活の些細な場面で気持ちを裏切らずに尊敬しつつ護る、というような


ヒーローというかその子の騎士になるというだけ。それが男の子としての単純なあり方だと思う。パートナーという女王(あるいは尊敬する女性)に忠誠を誓い護る。


それをオトナな理屈につなげるのではなく、特に対価も要求せずに護り、それが完了したらマジシャンのように去るということ



献身の在り処
http://bit.ly/id8gp4



そうすることで自分の中の痛みも救われるような気がする。万人に共通することではないのだろうけど。自分が自分に救われている感じ(ヒーローは自分の中にいる)


ヒーローをみつけた日 - 傘をひらいて、空を
http://d.hatena.ne.jp/kasawo/20110118/p1




オトナの理屈とか生活の惰性の中で自分の純粋な気持ちが歪められていく、自分の内部で自分が自分に嘘をつきそれに誤魔化される、その結果として甘い果実を貪ってしまう…。それが結果的に相手を傷つけてしまう。  そういうことを恐れているのだなオレは


欲が絡んで利害関係が生じて単純な親愛が歪んでしまうこと。あるいは自分がそれをごまかしてしまうということ。



そうなるぐらいだったらなにも要求せずに厚意を捧げばいい。少しチクチクするだろうけど、空腹で死ぬわけでもないし、なにより相手を傷つけないで済む。










守護本能のようなものがくすぐられるというのは「母性本能をくすぐられる」みたいなのとも似てるかと思うんだけど、自分だけかと思ったら「ナイト力(りょく)」とかいってけっこう男性にはあるものなのか



哲雄&AKIの不純愛講座  男の「騎士(ナイト)力」を引き出すのは、どんな女?
http://fujunaikouza.blog23.fc2.com/blog-entry-724.html



「女性側がそれを引き出すにはぶりっこしないこと」みたいな軽い駆引きテクみたいなのは置いておくとして「( ^ω^)ナイトかぁ。。」とか思ってぼへーっとググる



騎士物語
http://www004.upp.so-net.ne.jp/thor/FD/knightstale.htm

http://morutan.tumblr.com/post/10382737955


婦人奉仕の精神について
http://www.moonover.jp/2goukan/parzival/ritter3.htm


Hitotsubashi University Repository Title ミンネザングの「愛」 : 中世南仏・北仏抒情詩人との対 比において Author(s) 清水, 朗 Citation 言語文化, 38: 35-48 Issue Date 2001-12-25 Type Departmental Bulletin Paper Text Version(PDF)
http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/8851/1/gengo0003800350.pdf



ざらっというと、「騎士というのは各言語の『馬に乗る人』を意味する言葉、あるいは『従僕』を意味するcnihtに由来する」「傭兵との違いははっきりしない」、「婦人奉仕の精神は騎士道に由来する」、「騎士と婦人奉仕、そこから派生する恋愛ロマンスは恋愛詩(ミンネサング)として当時好まれた」、「騎士道ミンネサングのさきがけであるトルバドールの歌は当時の文学・哲学・神学において主流であった道具としての女性像を覆し、男性と対等にわたり合う女性の姿を描いた点で特筆すべきものであった」、と


付け加えれば騎士道は十字軍との関連で高まっていったものなのであり、騎士団はもともと教会直属のものであった(ex.テンプル騎士団)。だから、騎士道精神の弱者保護とはカトリックの弱者保護に由来するものと思われる。そこから派生して婦人保護→奉仕となっていったのだろうか?「南イタリアの性におおらかな気風がそのような精神を育んだ」とされるが「北フランス、ドイツへ渡っていくにつれて各地のもともとの騎士的性格と混ざり、騎士道やミンネサングの内容も変わっていった」とのこと。「イタリアでは恋愛におおらかであったミンネサングも、ドイツに渡ると『秘めた恋』のような形になっていった」


しかし騎士道の中心はまずもって「神への奉仕」→「教会の意向の代行者」→「弱者保護」というところにあり、それに付随する女性奉仕、そのための各種の研鑽をもって貴婦人たちの心をつかんでいったみたい。それまで男性の道具であった女性の周りで男性が男を競う鳥類の求婚のような世界が展開していたのか。そして、そこでは既婚女性との「許されぬ恋」のようなものも称揚されていた。


ロマンスという言葉は「ロマンス語で書かれた中世騎士道物語」を意味する。当時、高尚な言語であったギリシャ語やラテン語に対して、日常言語であるロマンス語は俗なものとされていた。なので、そこで描かれた恋愛譚はいまだったらハーレクインのような感じだったのだろうか。

そして「ロマンス」というだけで中世騎士道物語に含まれた守護と礼節、許されぬ恋へと飛躍する情熱全体を含意するようになったか。そして純愛


なのでロマンチック・ラブというとき「純愛」のほかに「1:1の関係性」の要素を含むことで混乱するわけだけど、ロマンスにしてもロマン主義にしても「純愛」をデフォにするのでわざわざ「ロマンチック」と冠するようになったのは「1:1の関係性」が先にあり、特異なロマンス的純愛が後付け的に付けられたのかなぁ。。かつてのロマン主義的情熱回帰のように







「守護本能」ということだと父性と母性の話をまたちょっと思う。


蜜蜂を弄ぶ : 父性と母性
http://liyehuku.exblog.jp/16867432/


河合隼雄さんによると父性や母性という性質は性別にバンドルされたものではなく、性別に関係なく男女ともにあるものらしい。父性の特徴は「切ること」、母性の特徴は「包むこと」とか。


とすると、この騎士道的守護欲のようなものも母性ということになるのだろうか?


同時に騎士は敵を「切る」属性があるはずだけど




よくわからないけど自分の中の2つの属性をぼんやり思う。「切る」は単に闘争本能というわけでもないのだろうな。






父性と母性、無条件の守護本能のようなことについてまた思う


無条件の守護 = 愛なのかなぁ、と


愛=無条件、無前提で与えるものなのか?




「与えたら返されるもの」「特に親しくもない誰かから一方的に厚意を贈られるのはあり得ないこと(贈る方も謹んだほうがいい)」というような共通認識があるように思うけど、そういった親子やかなり親しい友人、恋人などといった特定関係における等価交換はそんなに当然なことなのだろうか? 「子は親に、親は子に報い『なければならない』?」


おそらく「即時的等価交換であるべき」ということ、あるいは「親は子を愛を持って育てなければならない」「子は親に愛を感じなければならない」ということ自体があとづけの物語なのだろう

単なる推測だけど、親は自然状態において困窮すれば子を捨てるし、理性的に理想とされる「愛」?のような形で慈愛をもって子を抱擁する存在でもないのではないか?自然界でも本能の機構で出産まもなくは母性によるバインドが生じるみたいだけどあれは理性ではなく自動機構といってもいいだろうし。

出産からしばらくたって自分に対する生意気な存在として目の前に現れてくる「子」を庇護する義務というのは本来ならどこにもないわけだし(完全に社会が壊滅して最後の家族になった状態を想定すればない)。そこでも道義的責任感は発生するだろうけど、それは社会的規範の内面化による後付けに思う。


中世などの生産力があまり整ってない時代環境を想定すれば「子を売る」というのはふつーにあった。そこで親がどのような心理にあったか?「出来れば売りたくない」というキモチが踏みにじられ自らそれを踏襲することからの尊厳の敗北感のようなものはあっただろうけど、もっと単純な、現代と比べると情緒のない選択だったとも思える。良心の呵責をひきづらないような。

自然界において一定期間が過ぎるとまだ身体的に未成熟な個体も独り立ちさせ生計を分ける。それと同じように、人は本来「子供」な期間なんかなかったわけだし、で、あれば子供的なものへの護る義務感も希薄だったと考えられる。一部の金持ちの間で家督のために子供は作られて保護されただろうけど


しかし、「親は子を守る必要はない」「子が親に愛を感じる必要もない」 そういった殺伐とも思える関係性が本来の親子関係であると仮定すると、そこで人間存在の「わたしはなぜ生まれてきたのか?」という根源的な問いが浮いてしまうのではないか?  そしてそこに答えはない



「わたしはなぜ生まれてきたのか?」「わたしはなぜこのような困難な状況にありそれを生きているのか?」


その問いにはなんらかの希望への希求が最初から内在する。その根源的不安を落ち着かせるために設定されたのが「無前提、無条件、等価交換を期待しない絶対的愛情」としての神だったのではないか。あるいは共同体にとって弱者保護が有効であったため「弱者を守ることは自然=神の意に沿うことだ」とされていったのではないか?


そして、そこから割れるように「父」や「母」といったものが当然化されていったのではないか?(生産力の高まり→生産関係の変化→生活が豊かになり余裕ができることによって父、母、子が「愛」を交換できるようになった)




強烈なしつけをされるとき、「自分という存在は親からすると『しつけ=おきて=社会』よりも下なのではないか?いざとなると親は自分を捨てるのではないか?」という不安が立ち上がってくる


[書評]タエ子ちゃんといっしょ おもひでぽろぽろ読本(岡本螢): 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/02/post-243d.html



その問いが家族関係の偽善への疑い、無条件の愛のようなものへの疑念が心の傷となって成人しても残る。そして、そういった偽善(オトナ)への嗅覚をいずれ忘れて自分達もオトナ(偽善)になってしまう。踏み絵のように甘い果実を貪って



人は自然状態で放っておけば殺伐と子供を放逐してしまう。だからこそ家族の囲いと家族愛の物語が必要で、資源の乏しい一定の時代ではそうやって寄り添って生きて行くことが最優先だったのだろうけど、資源が増え、自由選択の機会が増えれば家族という物語の幻想も溶けてしまうのだろう。


だから、家族関係がこじれていたら自らの意志で家族関係を再契約することもアリではないかと個人的には思うけど、「この条件が飲めなければ縁を切る」というのは多くの人にとって直面したくない修羅場なのだろうな。(そういうのを嫌がって何年も親に会わず実質的な縁切りになってるひとはたくさんいるだろうけど


しかし「家族」が無条件に尊いものでないとき、自ら選択していない家族にそれほどの意義や根拠としての強さがあるのだろうか?



それに比べれば特に社会的契約書類に表れていない心の家族のような人達のほうがよほど尊いように自分としては思うけど


「そういった人達はほんとにキツイ場面では逃げてくだけだよ」ということなのだろうか?(自分も含めて、そういう場面では逃げてしまうのだろうか?



愛情はモノではなくエネルギーのようなもので、理想的には固定的関係性にしばられずにネットワークを流れていくものではないかと思う。特に家族や恋人といった特定の関係性にしばられずに。


それが一定の関係のもとに縛られざるをえない、愛のフェティシズムとその結果としての嫉妬を呼ぶのは、そこにその関係以外に代替する愛の回路がないからか。


でも、自分としては自分が受けた慈愛(キセキ)を愛が足りない人に分けるのはアリなんじゃないかと思う。それは贈与交換的なもので、即物的・即時的な等価交換は期待されない



そうやって足らないところをなんとなくケアしてけば、凸凹をちょっとずつ出来る範囲で埋めていければ…





ズラズラと「シビアを見つめるリアリストでござい」みたいな感じで推測を重ねてきたけど、そういう形でなかば地獄絵のような露悪を好むのは、自分が「それでもなお無条件の愛が少なくとも親子の間にはあるはずだ」と信じたい気持ちがあるからか。その気持ちを裏切られて絶望するよりは、最初から「そういうものだ」と思っておいたほうがいいから防衛的に物語を作っているところもあるのかも。

だから、「不安な心を安定させるために神(大いなる愛)が造られ、それを模倣するように家族愛ができていった」、と、「家族や近親の愛が自然にあり、その究極系として大いなる愛-神が設定されていった」とする可能性が半々ぐらいに思ってたりもする。




このあたりはなんとなくの思考実験なだけだから保留するとして






とりあえず眼の前の人の騎士になろう







knhight.jpg



http://morutan.tumblr.com/post/10385579945








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The Lady of Shallot 〜 ピアノレッスン  (七夕と供犠と女の「自由」の話): muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/214043580.html


こころ
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1425397494
タグ: 家族
posted by m_um_u at 21:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク